序章~チャレンジ1回目
思い出したのは古い映像だった。たしかNHKの歴史番組。カラーでないのは当然、音さえない一世紀以上前の褪せた映像が流れていたことを覚えている。
摩天楼の最上部、強風吹き荒れるその場所に1人の男が立っていた。
彼には明らかに不自然な所があった。その両手に大きな翼を生やし、ヒラヒラとしたマントを纏っているのだ。
彼を観た時の僕の感想は、鳥人間コンテストでもこんな格好の人が出場していたな、だった。鳥人間コンテストと違うのは演者の心意気だろう。解像度の低い映像は彼の顔を隠す。
けれど、高高度の場所から遥か地上を見つめる彼の姿に、ネタや冗談など軽々しい雰囲気が皆無なのは分かる。
マジなのだ。その出で立ちは、大空を舞うために用意したマジな代物なのだ。
『ライト兄弟が空を飛ぶより前の時代。人々は空に憧れ、鳥の姿を模倣して大空に挑んだ。 結果は、散々で残酷なものであった』とNHKのナレーターの声が流れる中、摩天楼から飛び立った鳥の格好をした男は、おかしいくらいスムーズにナチュラルに地上へ落ちて行った……
ああ、馬鹿な男だ。
その時の僕は彼の死を苦笑してしまった。飛行機という圧倒的な科学の産物を知る僕としては、人の身でパラシュートもなく大空にダイブする姿は滑稽以外の何ものでもなかった。
だが、今の僕は彼のことを笑えない。
だって。
僕も彼と同じで大空にダイブしてしまったのだ。
彼のように翼やマントを身に付けることもなく、彼のような覚悟もなく……
15分前。屋上。
「あの! ぼ、僕。ずっと前から松原さんの事が好きでした。よろしいのでしたなら、ぜ、ぜひ!僕と……僕とお、お付き合いしていただけないでしょうか!」
ずっと温め続けてきた気持ちを打ち明けた。
一世一代の愛の告白だった。
前日から念入りに考えた愛の言葉は、松原さんを前にするとどれ一つ出やしない。代わりに口から飛び出た言葉は泣きたくなるほど情けないものだったけど、僕はそれに自分の思いのすべてを乗せて喋った。
「ごめんなさい、私好きな人がいるんです」
即答だった。
『お願いです、OKしてください!』と、内心ハラハラドキドキする時間さえ与えない脊髄反射の返事だった。
あまりにあっさりで、あまりに容赦なくて僕は一瞬何が何か分からなくなった。
「じゃあ」
松原さんは踵を返して、帰って行った。
屋上に僕だけがとり残された。
風が吹く。冬の訪れを予感させる木枯らしだ。
火照っていた身体は、風でだんだん冷めていく。頭もだんだん覚めていく。
「ああ、僕フラれたんだ」
言葉にすると、現状がよく分かる。
僕はずっと好きだった松原さんを屋上に呼び出し、告白し、フラれた。
なんだ、教科書通りのどこにでもある話じゃないか。他人ごとなら同情と嘲笑で迎える話じゃないか。ただ、話の当事者が僕だった、それだけのことじゃないか。
それだけのことなのに……どうして夕日がこんなに滲んで見えるのかな。
どうして目頭だけは冷めてくれないのかな。
「あああああああああぁぁ、うわぁぁああああああ」
声にならない声で僕は泣いた。
分かっていたんだ。綺麗で可憐で……高嶺の花の松原さんが、僕になびく事はないと。
でも、賭けたんだ。「わずかでも可能性があるならやってみろ」、テレビで観たアスリートの言葉に背中を押されて、僕はやってみたんだ。
よくやったじゃないか、僕は。
松原さんに憧れても物陰からしか眺められないチキンな奴らはたくさんいる。そいつらに比べたら、告白して撃沈した僕はずっと立派なんだ。悲しむより誇るべきことだ。
「ああああああぁぁああ」
そう思っても涙は止まらない。もうどうしようもない。
いつの間にか、僕は屋上のフェンスに指を絡めて体重を預けていた。
「ち、ちくしょ、ちくしょおおおおおおお!」
可愛さ余って憎さ百倍とはよく言ったものだ。
失恋の絶望の次に来たのは、松原さんへの怒りだった。
断るにしても礼儀ってものがあるんじゃないのか。もう少し考えてくれてもいいんじゃないのか。それを道端の石のように軽くフッて……ああ、ちくしょう!
僕は怒りを両手に込めて、フェンスをガンガン揺らした。
それが良くなかった。
物に八つ当たりした僕の行いが良くなかったし、フェンスも老朽化で調子が良くなかった。
ようするに運が悪かった。
突然。
フェンスがあるはずなのに、僕の身体は前のめりになった。
あっ、フェンスが外れた。
間抜けな感想を抱きながら、僕は大空へと飛び立った。
景色がスローモーションで流れる。地面がゆっくりと近づいてくる。
そんな中、NHKの映像を思い出した。
そのまま、僕は地面に叩きつけられ……高校生という若い身でこの世を去った。
「おめでとうございます」
「死んだ人にいきなりおめでとうはないでしょう」
あの世というものは本当にあるらしい。幽霊になった僕の前にすぐに水先案内人らしい男が
「柳田です」
訂正、水先案内人らしい柳田さんが現れた。
30歳くらいの落ち着いた男性だ。
あの世でも仕事着にはスーツを使うらしい。クリーニング屋から取ってきたばかりのようなシワ一つないそれを着ている。笑顔を浮かべ友好を示しているがあまりに似合いすぎて、通信教材を売りに来た営業マンをどことなく彷彿とさせる。
「それで僕はどこに連れて行かれるんですか?そもそも天国とか地獄ってあるんですか?」
「意外と冷静なんですね。若いのに」
「そりゃあんな死に方をしたら、情けなさ過ぎて逆に冷静になりますよ」
好きな女性にフラれて、悲しみと怒りを爆発したら何の因果か墜落死。
アホだ、正真正銘のアホ野郎だ。
「つまらなくらいですか。死んですぐ天国か地獄かなんて普通すぎませんか」
「はっ?」
「私はそんなテンプレートに従うのは嫌なんですよ」
テンプレートのようなサラリーマンファッションのくせに何言ってんだこの人は。
「だから第三の選択をあなたにプレゼントしましょう。もう一度言います。おめでとうございます」
「だから何がおめでとうなんですか?」
どうも会話のテンポが掴みにくい人だ。
「チャンスを与えましょう」
「チャンス?」オウム返しに僕は質問した。
「そう!仏の顔は三度まで、と言いますし。あなたに生き返るチャンスを与えましょう」
………生き返る?
『生き返る
1 いったん死にかけていたものが息を吹きかえす。蘇生する。「死者が―・る」
2 失われた活動力などが再び戻る。「庭の草木が雨で―・る」』
(ヤフー辞書より)
「生き、かえるぅううう!? そんな事出来るの! え、僕? カムバック現世!? おほひょ~~」
僕は驚きと喜びをのまま、歓喜の奇声を上げてしまった。
「良い反応ですね。いや~私が見込んだだけの人だけはある」
ハハハ、と笑いながら柳田さんは僕に握手を求めてくる。
このタイミングで握手はなぜだろう、と少し疑問に思うも生き返ることが出来る嬉しさに僕は躊躇いなく手を握った。
すると僕と柳田さんの握手した手が光り出した。
「なにこれ!?」
「離さないで。すぐに済みます」
柳田さんの言葉通り光はすぐに消えた。恐る恐る自分の手を確認する。
『4』
ハンコが押されたかのように手の平に数字がくっきり付いていた。
「それがチャンスの数です。ふふふ、よく分からない、という顔をしていますね」
右も左も分からない死後の世界で、わけの分からない事をされればこんな顔にもなるさ。
「詳しいことは教えてあげません」
にこやかな笑顔でスパルタな柳田さんだ。
「どうしてですか!? これじゃ何をすればいいか分かりません!」
「ええ、困りますよね。そんな困った表情が私は良いと思いますよ」
Sだ、この人は絶対Sだ。
「言葉で説明するより実際に体験した方が早いでしょう」
すっと柳田さんは固くした拳を僕の額の前まで出した。
「な、なにを」
「いってらっしゃいませ」
バン、と綺麗な音が出るデコピンが決まった。
『チャレンジ 1回目』
「いたっ!」
後ずさりながら僕はたまらず額をさする。こんな威力のデコピンは初めてだ。
「何をするんですか」
抗議しようと柳田さんに視線を戻す……あれ?
おかしい。柳田さんがいない。
代わりに柳田さんがいた眼前に見慣れた人物が立っていた。
「おい、どうした」
遠野秋彦。
物心付いた頃からの腐れ縁であり僕の大切な親友が、驚きの声を上げている。
「唐突に頭から後ろに吹っ飛んでビックリしたぞ。大丈夫か?」
長身で厳つい秋彦が、心底心配した目でこちらを見てくる。
秋彦はどんな時でも誰かのために親身になり頼りがいのある好漢である。周囲からの信頼も集めていて、親友だけど尊敬とほんの少しの嫉妬を持たずにはいられない人物だ。
「うん、大丈夫! ちょっと吹っ飛びたくなっただけだから」
秋彦は友情に厚い。それ故にいつもいらぬ心配をかけてしまっている。僕はヒリヒリする額の痛みを我慢して、元気溢れる声で答えた。
「吹っ飛ぶって……相変わらずおかしな奴だな。まあ、大事でないならそれにこした事はない。で、告白の準備は万端なのか?」
「告白?」
「はぐらかすなよ。放課後、松原さんに告白するんだろ。もう時間がないぞ」
放課後、松原さん、告白。
そのキーワード群が僕の記憶を呼び覚ます。
そうだ、僕は告白してフラれて死んだんだ。なのに、どうして秋彦と普通に話しているんだ?
ここは……学校の廊下だ。休み時間なのか、周りには数人の生徒が立ち話をしたり、歩いている。
いつもの光景。決してあの世じゃない。あれは夢だったのか……
しかし、白昼夢にしてはリアルな体験だった。告白が失敗するところまでは悪夢として片付けられるが、柳田なる謎の人物まで登場するとは……
僕の想像力はこれほど逞しいのかな。
「うまくいきそうか?」
「ああ、え~と。どうだろうな」
秋彦への返事をおざなりにしながら、僕は必死に現状を確認する。あの体験が夢幻かどうか確認できるものはないだろうか?
「ん、なんだ。お前。手の平に何か書いているのか?」
秋彦の指摘でハッとなった。
手の平。柳田さんとの握手を思い出す。
そんな馬鹿な。あれは、あれは夢だろう。そうだろう!
だが、無常にも僕の手の平には確かに『4』という数字が付けられていた。
ちょっと考えてみよう。
手の平に『4』があると言う事は、僕は間違いなくあの世に行っていたのだ。
そして、柳田さんの手でこの世に送り返された。ここまではいい。ただ、ここからが疑問の山だ。
僕は携帯で日付を見た。
10月10日、間違いなく僕が死んだ当日だ。
僕が死んだのは、この日の放課後。時間にすると、おそらく17時頃だと思う。
なのに……僕は教室の壁に掛けてある時計に目をやった。針は16時5分を指している。
おかしい。死んで生き返ったのは良いとして(いや、本当は良くないのだが)、どうして過去に飛ばされたのだろう?
柳田さんは「生き返るチャンスを与える」と言っていた。だが、僕は生き返るための試練も何もなく、生き返っている。
試練を免除してくれた、などとは絶対に考えられない。別れ際にSっ気たっぷりの笑みをしていた柳田さんだ。
きっと何かある。もしかしたら過去に飛ばされた事も関係あるのかもしれない。
「ちょっとそこ、ちゃんと話を聞きなさいよ!」
勝気な声で現実に引き戻された。
しまった。今はHRの途中だった。
黒板前の壇上に秋彦同様幼い頃からの顔なじみが立っている。
クラス委員の田所沙里だ。
「ごめん」
「謝らなくて良いから意見が欲しいわ」
沙里が胸まであるカールがかかった髪を指でくるめながら、挑発的な視線を送ってくる。沙里という人間をもっとも良く表すポーズだ。
そういえばこのやり取り、記憶にある。
前回は告白の事で頭が一杯で沙里に注意されたっけ。たしかここで僕は言うんだ。
「意見って何の?」
「あっきれた。全然聞いてないの。演劇のことよ!」
そう、演劇だ。
来月に控えた文化祭に向けて、僕のクラスは演劇をすることになっていた。 そして、今回のHRの議題は配役選び。
「あんた冴えないから、チョイ役でもやりなさいよ」
沙里が綺麗に整えている眉を傾けて怒り続ける。あまりに記憶通りの反応で僕は、ついついにやけてしまった。それが油になる。記憶と違い、沙里の炎が大きさを増した
「笑うなんて良い度胸じゃない。何がおもしろいのか聞かせてくれるかしら、ええ!」
ドスが効いている。
普段の沙里は耳を塞ぎたくなる高周波で話す奴だが、怒りに比例して声を低くし他者を縮み込ませる迫力を出す。長年の経験から文字通り痛いほど僕は彼女のことを知っている。
だが、だからこそ対処法も知っているのだ。
「ごめんごめん、ちょっと想像したんだ」
「はぁ、何を?」
「演劇だよ。沙里がヒロインやったらきっと素晴らしい出来になるんじゃないかなって」
「えっ、そ、そうかしら」
今の一言で沙里の火は一気に鎮火に向かい始める。しめしめ。
「沙里って何というかオーラがあるんだよ。人を惹きつけて、視線を独り占めしちゃうような。沙里が舞台に立てば、それだけでアカデミー賞の主演女優賞だよ」
我ながら酷いお世辞である。小学生だって褒めすぎだと、顔をしかめてしまうだろう。
しかし、そこは天下の沙里さん。
「そうか~、あたしには女優の才能があったのか~」と信じてしまっている。少し可哀想な子だ。
「よーし、それじゃあたしが人肌脱ごうかな」
と、すっかり乗り気なご様子。他のクラスメートたちも「俺も田所が良いと思っていたんだよ」とか「沙里ちゃん。応援するから頑張って」とか勝手に言って沙里をおだてる。
勝気な沙里がクラスに敵を作らないのは、こういう風に扱いやすいからだろう。
「うまく切り抜けたな」
隣の席の秋彦が声をかけてきた。
「長い付き合いだからね。沙里ブリーダーの第一人者の僕なら楽勝楽勝」
「お前以外だったらそう都合良く進まんさ」
「そうかな、ちょっと口が達者ならイケるんじゃない?」
「やれやれ」
なぜか秋彦はため息をついた。精神年齢高めの秋彦の思考はいまいち掴めない。
「えー、みんなの多大な支持によってヒロインはあたしに決まりました。あたしがやるからには満員御礼、満足度ナンバー1の劇にすることを約束します。みんな、つべこべ言わずにあたしに付いて来なさい!」
何とも自信に溢れたスピーチだ。
周りから拍手が沸く。沙里はうんうんと頷きながらその音に気をよくする。やがて拍手が止み、沙里は言った。
「じゃあ、次は主役を決めます」
主役か……前回は誰もなり手がいなくてクジ引きで決まったんだよな。まあ、よほど運が悪くない限り、僕に当たることもないだろう。
そう思っていたら……
「主役と言っても、あたしの腹の内ではすでに決まっています。ねぇ~~」
と猫なで声で沙里は僕の方を見る。
「え、僕?」驚いて自分を指差す。
「キリスト」
「いやいやイエスじゃないから!どうして僕なの」
沙里ジョークをすぐに理解し、慌てて立ち上がり抗議する。
記憶じゃ僕は役者すらならなかったのに。主役に抜擢とはどういう事なんだ。
「だって、あたしをあんたが推薦したでしょ。お返しに今度はあたしがあんたを推薦するの。これでお互いトントン。みんな幸せ、めでたしめでたし」
「めでたくないよ、これっぽっちも!僕はチョイ役がお似合いだって自分で言ったじゃないか」
「ねえ知ってる?」
突然、会話を打ち切って沙里は窓の外を眺める。
「何さ、急に?」
「女心と秋の空ってことわざがあるじゃない?」
「女の人の心は秋の空のように変わりやすいってやつ? まさかそれを理由に誤魔化すんじゃ!」
「まあまあ。聞きなさいよ。あのことわざって江戸時代は、男心と秋の空って言われていたそうよ。それが、時が経つにつれ変化したんだって」
「へえ~」沙里トリビアに思わず感心する。ちょっとだけだけど。
「つまりそういうことよ」
「はっ?」
「男も女も秋の空なの。今日は気持ちのいい秋空よ。過去の発言なんてどうでもいいって思わない?」
「思わないよ! ちっともこれっぽちも!」
結局、僕の言葉に沙里は耳を貸さなかった。なんてことだ。
「たいしたブリーダーぶりじゃないか」
秋彦が横で言う。皮肉は込められていないようだけど、僕のプライドはズタズタだ。
「放っておいて」
それにしても沙里、恐ろしい子! 沙里を探求する道はまだまだ長く険しい。
仕方ない、演劇の話は置いておこう。それよりも懸案事項がある。
松原さんへの告白のことだ。
チラッと窓際に座る松原さんを見る。
沙里のようにクセのない整った黒髪が肩まで伸びている。
普通の女子がやればオカッパ頭でやぼったい印象を受ける所なのに、松原さんがやるとそれが美になる。一流の職人たちが長い年月培った技術の粋を集めて作り出したような、目や口や鼻が彼女という奇跡を構成している。
僕を含めた男たちは彼女を褒め称える以外の術を失ってしまうのだ。
松原さんにフラれて彼女への愛は薄れてしまうのでは、と思っていたがそんな事はまったくなかった。
彼女を見れば見るほど湧き上がる思い。誓う。僕の松原さんへの思いは今も変わらず燃えている。
放課後、もう一度彼女に告白しよう。今度はもっともっと言葉を選んで頑張ってみよう。
HRが終わり、みんな三々五々帰っていく。僕もすぐに席を立つ。
今朝、松原さんの下駄箱に『放課後、大事なお話があります。よろしかったら屋上まで来てください』という内容の手紙を送っていたのだ。
彼女を待たせるわけにはいかない。
「ちょっと待って!」
教室の扉の前で沙里が仁王立ちして進行を妨げる。
「なんだよ。こっちは急いでいるんだ」
「時間は取らせないわよ。はいこれ」
渡されたのは厚い紙の束だった。一番上の紙に『ある愛の憧憬』と書かれている。
「これは?」
「劇の台本よ。あんた主役なんだからこの次までにきっちり台詞覚えてきなさいよね」
パラパラと台本をめくってみる。僕の役名は……ああ、これか。
「って、歯が浮く台詞ばっかりなんですけど」
「コテコテの恋愛物だからね。まあ覚悟を決めなさいよ」
そういえば台本作りは女子たちに任せたんだ。男が書いて演劇不可能な荒唐無稽の話になるよりはマシか、と思って黙認していたけど。これなら少しは口を出しておけば良かった。
「でさ、もし良かったら台詞合わせしない?」
「だから僕は用事があるって」
「その用事が終わってからでいいから」
沙里の様子がおかしい。いつもなら「用事なんて後にして付き合いなさいよ」と自分勝手な発言をするのに、今回は変に気を使って頼んでいる。
「うん、まあ早く終わったらね」
「じゃあ、教室で待っているから」
僕は台本を自分の机に置いた後、妙に機嫌が良さそうな沙里に見送られながら屋上へと急ぎ向かった。
屋上は無人だった。
夏は放課後であっても人の姿が絶えないこの場所だけど、秋も深まるこの時期では足を向ける人もいないようだ。だから、告白の場所に選んだんだけどね。
教室に松原さんの姿がなかったので、先に行かれたかと思ったが何とか間に合ったようだ。
さて。僕は考える。
松原さんには好きな人がいると言っていた。もしその言葉が、僕の告白を断るための方便だったならまだ希望はある……と思う。
でも、もし本当に好きな人がいるならアウトだ。どうしようもない、現実は無常だ。
ガチャ。
重苦しく屋上のドアが開く。現れたのは、僕の待ち人だった。
「あの……お話とは何でしょうか」
ああ、松原さん。なんて透き通った声なんだ。
もしこれで「実は私もあなたが好きです」なんて言われたら昇天して柳田さんとご対面しそうだ。
「ごめん、急に呼び出しちゃって。聞いて欲しいことがあるんだ」
前より声を落ち着かせることが出来る。やはり人間経験が物を言うのか。
僕は一度、息を吸った。
よし、言うぞ。今度は噛まずに思いの丈を吐き出してやるぞ。
「松原さん!」
「は、はい」
しまった。ちょっと声が大き過ぎて、松原さんを驚かしてしまった。いかん、いかんですよ僕。紳士を装わなきゃ。
「僕はあなたが好きです。高校で初めてあなたを見た時からあなたの虜になってしまいました。同じクラスになれた時は、心の底から嬉しかったです。確かに最初はあなたの綺麗な容姿に恋をしました。でも、いつもあなたを目で追いかけていくうちに、あなたの内面にも惹かれていきました。覚えていますか、春頃の話なんですけど……」
僕は如何に松原さんの事が好きなのか、どうして惚れたのか、松原さんの人間性の素晴らしさについてエピソードを交えながら熱弁した。
もう頑張った。本当に頑張った。
ひとしきり喋って僕は待ちに入った。次は松原さんのターンだ。
さあ、返答はいかに!
僕の視線は松原さんを離さない。吸い寄せられそうな唇に注目して、そこから出る言葉を待つ。
待つ?
そうだ。前回は待つ暇もなく撃沈したのだ。それが今回は時間がある。松原さんが告白をどうするか考えてくれているのだ。もしかして、望みが――
「ごめんなさい。お気持ちは嬉しいですが、私には好きな人がいるんです」
――なかった。やっぱり望みなんてなかった。
「それじゃ」
記憶と同じように松原さんは踵を返して、屋上を去っていった。
木枯らしが僕の心まで入り込んで吹き荒れている。
結局、ダメだった。
全力で掴んだ結果は、前回のお断りの言葉が遅延して「お気持ちは嬉しいですが」がプラスされただけだった。
脈なんてないのかな。
2回目の失恋は、激しい悲しみよりも空しい悲しみを僕に与えた。涙もしっとりと頬を伝っている。
ああ、もう何もする気になれない。沙里の約束を果たす気力もない。もうどうにでもなれ。
僕は寝転んで空を仰いだ。
夕方の空は青と赤と、やがて来る夜の黒で描かれていた。混沌とした色だ。まるで僕の心を表しているようでもある。空にまで嘲笑されてはたまらない。
僕は、目を閉じて風の音だけを聞くことにした。
轟々と風が唸る。唸れ、唸れ。勝手に唸ってろ。
しばらくそうしていた。すると変化が起きた。
耳に入る風の音に別の音が混ざりだしたのだ。
なんだろう……プロペラ音?
目を開くと、空に点が付いていた。その点はどんどん大きくなっていく。
「う……うそでしょ」
飛行機だ。小型の自家用だろうか。それがこっちに向かって落ちてきている。機体から煙が昇っている。
「ちょっと待ってよ!」
急いで飛び起きた。とにかく屋上から脱出しなければ。
扉まで30メートル。扉からもっとも遠い所で寝そべったことが仇になった。
間に合え。
飛行機がどんどん近づく。まるで僕を狙った弾丸のように。風の音が聞こえない。プロペラ音しかない。
もう飛行機はすぐそこまで迫っている、対して扉はまだ距離がある。
そんな。間に合わない。どうして、こんな……
こんな死に方なんて墜落死よりもありえない。どうして!
前は飛行機なんて落ちてこなかっただろ。
批難を並べても飛行機は止まらない。
ドドォォォン!!
僕は何トンもある鉄の塊に押しつぶされ、高校生という若い身でこの世を去った。
「残念でしたね」
気が付くと柳田さんが立っていた。どうやらあの世に戻ってきたらしい。
「なんで飛行機なんですか」
僕はつい今しがた自分に起きた不幸が信じられなくて、柳田さんに質問した。
「それがあなたの運命だからです」
運が悪いなら分かるが、運命?
「あなたは死ぬ運命にあるのですよ。17時に」
「どうして、なんではっきりと時間が決まっているんですか!」
「因果律というものですよ。ほら、最初にあなたが屋上からダイブして死んだのが17時ですから……合点が付きませんか。では、改めて生き返るためのルールを教えましょう」
改めるも何も、ルールなんて1つも聞いていないぞ。
「あなたが生き返るための条件はシンプルでシングル。『告白を成功させる』それだけです。もし告白が成功せず死のリミットである17時を迎えた場合、あなたは運命によっては必ず死にます」
必ず死ぬ。飛行機まで持ち出されれば信じないわけにはいかない。
「さらに気付いているかもしれませんが、あなたの手の平に書かれた数字はコンティニュー回数を示しています」
手の平を見る。『3』と書かれていた。
「回数が減ってる……」
「それが0になれば本当にあの世行きです。精々頑張ってください」
あと3回。そんな無理だ。心を込めた告白だって袖にされたのだ。
どうすれば受け入れられるか検討もつかないのにチャンスが残り3回だなんて。
「おっと言い忘れる所でした。あなたが現世に戻るのは16時ジャスト。ですからリミットである17時までの1時間で告白を決めてください」
「1時間!無理無理無理無理無理! 1時間でどうこう出来るわけないじゃないか!」
最悪だ。絶望的な状況だ。
好きな人がいるかもしれない松原さんを、まったく脈がない僕がどうやって1時間のうちに振り向かせることが出来るのさ。そんな事可能なら今頃僕は、彼女作ってウハウハだよ。
「そこは創意工夫で。じゃあいってらっしゃい」
錯乱している僕に、柳田さんのデコピンを避けられるはずもなかった。
かくして、僕はまた現世へと送り飛ばされた。
初の恋愛(?)小説です。
読みづらい所も多々あるとは思いますが、よろしくお願いします。