失恋したらネックレスになった!?
「ごめん。好きな人がいるの……」
桜が咲き始める卒業式の日の校舎裏、俺ーー篠宮悠希は幼馴染の荒川光凛に告白し、そして振られた。
答えを聞いた時、最初に浮かんだ言葉は、やっぱりか、だった。
俺が二歳の時に産まれた光凛とは、もう十六年の付き合いだ。
家が近く、家族絡みで仲が良い俺たちは、それこそ家族のように一緒に育ってきた。
お互い一人っ子だからだろう。俺は光凛を妹のように可愛がり、彼女も俺を兄のように慕ってくれた。
それだけ近くにいたのに、いや、近くにいたからこそ、成長するにつれ可愛さを増していく光凛に惹かれた。
だがそれは俺だけで、光凛の目に映る俺は“兄”から変わることはなかった。
それでも、卒業式という晴れ舞台に、もしかしたら、なんて思ってしまった。
結果はご覧の通りではあるが……。
というか、好きな人いたのか。知らなかった。
「そっ……か。ごめんな、急にこんなこと言って」
「ごめん……」
「お前が謝ることじゃないって、あんま気にしないでくれよ。じゃあな」
笑顔を作って、手を振る。
「あっ、悠希くんっ!」
耐えきれず駆け出した俺の背中に、光凛の声が届く。だが、俺は止まる事なく家まで走り続けた。
あれからかなりの月日が経ち、俺は大学生活一年目をそれなりに楽しんでいた。
友人たちと共に試験を乗り越え、もうすぐ夏季休暇という頃には、もう失恋の傷は癒えほろ苦い思い出になろうとしていた。
あの日から、一度も会ってないけど今なら妹として接することができそうだ。
と、思えるくらいには心にも余裕が生まれている。
そして、迎えた夏季休暇。
友人との約束はあるが、始めの一週間は予定は無い。
後半に多く遊ぶために、前半に集中させていたアルバイトをこなしていくだけだ。
それも三日目に入ろうとした日、異変が起きた。
目が覚めると、そこには自分の部屋ではなく懐かしい光景。
部屋にある家具は白や薄ピンクで統一され、ある少女が眠っているベットの枕元にはぬいぐるみが並んでいる。
光凛の部屋だ。最後に来たのは何年も前だが、その頃から内装はほとんど変わっていない。
当然、そこで寝ていたのはーー。
「んんっ……」
少女が起き上がり、体を伸ばす。
長い髪が所々上に跳ね、まだ眠そうに目を擦る彼女は俺の好きだった人ーー光凛だった。
しばらく呆然としてしまい、ハッとした時には光凛は着替えを始めていて、慌てて目を逸らそうとする。が、動かない。
首だけじゃない。手も足も、視線さえも動かせなかった。
声を出そうとしても出てこない。まるで、金縛りにあったようだ。
俺は光凛の着替えを、ごめん、と思いながらもどうすることもできず、最後まで見てしまった。
光凛が部屋を出ていっている今、俺は自分の現状について考えていた。
あれから何度試してみてもやはり体は動かない。
加えて、光凛が部屋を出ていくまで俺に気がついた様子はなく、見えていないかのようだった。なぜ、光凛の部屋にいるのかもわからない。
ダメだ。考えれば考えるほどわからないことが増えていく。
思考が迷走し始めた頃、光凛が部屋に戻ってきた。
さっきは落ち着いて見れてなかったが、とてもおしゃれな格好をしている。俺から見てもかなり気合が入った服装だ。
光凛はドアから一直線に俺の下へ歩いてきて、手を伸ばしてきた。
そして、俺は軽々と持ち上げられた。視界が紐に吊るされたかのようにゆらゆらと揺れる。
その状態で移動させられた先は、光凛の胸元。鎖骨の少し下辺り。そこで揺れも治り、視界が黒に染まる。
視界が開けた時、映ったのは姿見越しの光凛だった。
「よし」
光凛は拳を握り軽くガッツポーズをしているが、俺はそんなこともできず呆然としていた。
なぜなら、視線の先、俺が移動はせられたところにネックレスがあったからだ。
どうやら俺は、ネックレスになってしまったらしい。
……。
ええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!
今、光凛は電車に乗っている。
どうやら、人と待ち合わせをしていて、遊びにいくらしい。友達だろうか。
いや、誰となんてどうでもいい。俺の頭(頭なんてないが)の中は、元に戻れるのかとか、俺の体はどうなってるんだとか、どこかで見たことのあるネックレスだったなとかで埋め尽くされている。
だが、やはりそのどれも考えたところで答えは出なかった。
駅を出て、多くの人が待ち合わせをする広場に来た。
光凛はその場でキョロキョロと周りを見る。そして、あるところで視線が止まり、「あっ」と声を上げた。
手を振り、駆け寄っていく。
「大智先輩〜!」
大智?
それは、明らかに女子の名前ではないもの。どこかで聞いたことがあると思っていた時、ちょうど顔が見え思い出した。
水瀬大智。俺の一つ下の後輩で、確かバスケ部のエース。在学中、クラスの女子たちがキャーキャー言っていたのを覚えている。
背が高く、一目でスポーツをしているとわかる体格の良さ。顔は優しげな雰囲気を纏った正真正銘のイケメン。
そうか、こいつが光凛の“好きな人”か……。
確信した瞬間、胸がチクと痛んだ気がした。
二人はその場で少し話してから、歩き出す。どうやら今日は街を歩くだけらしく、飲み物は食べ物は買うものの、雑貨屋や服屋は見るだけにしていた。
だが、時々あるショーウィンドウに映る光凛の顔は終始、幸せそうに笑っていた。
それは俺が見たことのない笑顔だった。
昼から始まったデートは、まだ日が高いうちに終わった。
帰り道までも光凛は浮かれた様子で、今にもスキップでもし出しそうだった。
そんな二人のデートはその後も何度かあった。
その度に、俺はネックレスとしてその光景を見せられ続けた。友達との遊びにも付けられたが、その時に見せる笑顔と比べても、恋をしているんだと改めて思い知らされるだけだった。
光凛の夏休みもそろそろ終わりを迎える頃、友達と遊んでいる最中にそれは起こった。
その日は、友達とカラオケに行っていた。帰りに何か食べたいねと話していた時、目に入った光景に驚愕し、光凛は足を止めた。
周りの友達も足を止め、光凛を心配する。だが、何も答えない光凛を不審に思い、視線を辿った。
その時にはもう、俺も気づいていた。
光凛の視線の先には、二人の男女。二人ともおそらく高校生で、女子の方は背を向けていて顔は見えない。だが、男の方は最近よく見るようになったからすぐにわかった。
水瀬大智だ。
距離があって会話は聞こえないが、手を繋ぎ談笑するその初々しい雰囲気から付き合いたてだということがわかる。
その事実に、俺は明確な怒りを覚えた。
光凛と何度も出かけておきながら、別の女子と付き合うのか、と。
目の前を雫が一滴落ちる。その後、二滴、三滴。
涙だ。光凛が、泣いている。
どうやら、周りの友達も状況を理解し始めたようでその日はすぐに解散となった。
自室に戻った光凛は、カバンを放り服もそのままで、ベットを背に膝を抱えて泣き出してしまった。
俺の視界が黒に染まり、光凛の嗚咽だけが聞こえた。
“いもうと”が泣いている。
どうして俺がネックレスなんかになったのか、やっとわかった気がする。この時のためだったのだ。
突然、視界が開ける。
目の前には、変わらず蹲って泣く一人の少女。
混乱なんてしなかった。
俺は膝を折って光凛の頭へと手を伸ばし、撫でた。何か言葉をかけるでもなく、ただ撫で続けた。
やがて、嗚咽が止んで規則正しい寝息が聞こえてくる。泣き疲れてしまったのだろう。
そのままの姿勢で寝てしまった彼女を、ベッドに移そうと再び手を伸ばした。その時、その姿が小さい頃の光凛と重なった。
そうだ。あのネックレスは俺があげたものだった。
光凛がまだ小学校に上がったばかりの頃、二人で公園に捨てられていた子犬の世話をしていた。二人とも親がアレルギー持ちで飼えないため、毎日その公園に通った。
だがある日、そこにいるはずの子犬がいなかったのだ。きっと、誰かが見つけて連れ帰ってくれたのだろう。
俺は、飼ってくれる人が見つかって安心していたが、光凛はそうじゃなかった。
声をあげて泣いてしまったのだ。
もっとお世話したかった。一緒にいたかった、と。
そんな彼女を慰めるためにあげたのがこのネックレスだった。その時も、何も言わずに頭を撫でてやったんだったか。
駄菓子に付属していたおもちゃのネックレス。今はチェーンこそしっかりしたものに変わっているが、パーツはそのままだ。
まだ持っていてくれたのか、と嬉しくなるが少しくすぐったい。
光涼をベッドに寝かす。
俺は無意識に彼女を避けていたのかもしれない。もし、このまま人間に戻れたらしっかり話をしよう。
光凛はまた、俺を兄と思ってくれるだろうか。
そんなことを考えていた時、突然意識が薄れていく。
なんとなく、これで人間に戻れる、そんな気がして俺は意識を手放した。
◇
なんで。どうして。
似たような言葉が、頭の中を駆け巡る。
先輩に彼女がいるなんて知らなかった。
だって、デートには誘ったら来てくれたし、バレンタインや誕プレだって貰ってくれた。先輩も彼女はいない、って言ってたのに。
気づいたら、自分の部屋にいた。どうやって帰ってきたのか、覚えていない。
自室に着くなり荷物を放り、蹲る。
頭の中を飛び交っていた言葉はいつの間にか消えたのに、瞼の裏にさっきの光景が焼きついて離れない。
段々と目頭が熱くなり、遂には涙が溢れてしまう。
それでも声を上げるのは情けない気がして、必死に堪えていた。
不意に、頭に何かが触れる。それはゆっくりと動き始めた。まるで撫でられているかのような感覚に、涙がゆっくり引いていく。
その暖かい手はどこか懐かしく、私の心を落ち着かせてくれた。
安心したからか、疲れが一気に押し寄せてきて強烈な眠気が襲ってきた。重い瞼を持ち上げてなんとか捉えた姿は、私がこの世で一番信頼している人だった。
目が覚めた時、私はベットに寝ていた。
昨日のこの部屋でのことはやっぱり夢だったらしい。彼は決して人の部屋に勝手に入るような人ではない。
それでも、彼は夢の中で私を慰めてくれた。
「悠兄……」
昔の呼び方が、口をついて出る。
もう、彼とはどのくらい会っていないのだろうか。
あの卒業式の日から、何度家を訪ねても彼は留守にしていて会うことができないでいる。
窓の外、そこに見える悠兄の部屋の窓に視線を向ける。
まだ撫でられた感覚が残っているような気がする頭に手を置き、呟いた。
「また、仲良くできるかな……」