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憎しみ、あるいは嫉妬。

あたしはこの孤児院の中で一番頭がいい。両親がいなくなる前に学校に通っていたこともある。今は15歳で、ここで一番年上。孤児院のみんなは、家族みたいなもの。だからあたしは、いつもみんなの面倒を見ていた。

孤児院の先生たちがご飯を作るのを手伝うのはもちろん、年下の子たちに勉強を教えてあげたりもしている。

そしてこれは自慢なのだけれど、あたしはちょっとだけ魔術を使える。魔術で有名な家計でもない限り、これは珍しいことだった。そういえば、おばあちゃんが魔術を扱えたので、その影響だと思う。

ちょっとした魔術を使うと、みんな驚いたし、よろこんだ。掌の上に雪を降らせたり、水で動物の形を作ったり。壮大な魔術は使えないけれど、それでもやはり、あたしみたいな孤児が小規模でも魔術を扱えるなんて奇跡みたいなことだ。

そんな私が最も気にかけているのは、3つ年下のアガット。彼女はいつか学校に通うことを夢見ている。だから、あたしにいつも勉強を教えてほしいと頼んでくるのだ。

多分、あたしは世間一般的に見ても頭がいいんだと思う。学校に通っていたころはみんなよりも早く授業の内容を理解できたし、今だって、先生にもらった教科書で自主学習ができている。

アガットは私よりも理解が遅い。でも、そんなアガットにも辛抱強く教えてあげるのが、あたしの役目だ。日差しが照り付ける蒸し暑い夏の今日だって、教科書に鼻がくっつきそうなくらい顔を近づけてうなるアガットに勉強を教えていた。

突然、共有スペースが騒がしくなった。何事かと先生たちの様子を伺うと、先生はあたしに声をかけてきた。

「領主様がいらっしゃったわ」

その言葉を聞いて、あたしは飛び上がった。

領主様がこの孤児院を支援してくれるかもしれない。それは噂で聞いていた。そして、その領主様がここに視察に来るという話は、結構昔からあった。

しかし、こんな突然だなんて!

でも、驚いている場合じゃない。最年長として、領主様にしっかり挨拶しなくては!

数分後には、孤児院のみんなが共有スペースに集められた。

「どうぞ、お入りください」

先生が、やや緊張した声で、ドアの向こうに声をかけた。

入ってきたのは、黒髪の女性。不思議なことに、顔には布がかかっていて、どんな顔をしているのかさえ分からない。変な格好だな、という感情は呑み込み、じっと彼女のことを見つめた。

あれが、領主様。偉大なる魔術師様。名前は確か・・・マノン・ブロンデル様。

どんな方なのだろう・・・ドキドキしていたあたしは、領主様に続いて部屋に入ってきた少女を見て、息をのんだ。

見た目から察するに、多分、あたしよりも年下。それなのに、すごく美しかった。肌は透き通るように白く、きらめく長い白髪が、華奢な体に良く映えていた。あの子は誰だろう。領主様には娘さんがいたのだっけ?そんな話は聞いたことがないが・・・。

「初めまして、孤児院のみなさん。私はマノン・ブロンデル。突然訪れてしまってごめんなさいね」

領主様はしっとりとした声で挨拶をした。私はあわてて、

「はじめまして、領主様!お目にかかれて光栄です!」

と声を張り上げた。領主様は、あらあら、と笑ってくれた・・・のだと思う。何せ、布で顔が隠れているせいで表情がよくわからないのだ。

やがて、領主様はみんなが興味津々な隣の少女についての紹介を始める。

「この子は、私の・・・そうね、娘でないことは確かなのだけれど」

そう言って曖昧に言葉を濁した領主様に促されて、少女は自己紹介をした。

「こんにちは、孤児院の皆さん。私の名前はラウラ。ラウラ・クレージュ」

そういってお辞儀をする彼女はとても美しかった。まさに上流階級と言った感じか。あたしたち孤児とは、明らかに格が違った。

ラウラ様はにこりともせずに挨拶を終えた。みんながラウラ様に見とれているのが分かった。そんなみんなの様子を見て満足げに頷くと、領主様は先生のほうを見た。

「職員さん、突然で悪いのだけれど、この子をしばらくここに置いてくれないかしら。視察の一環としてね」

「えっと・・・ラウラ様を、ですか?」

先生たちが困惑した顔で聞き返す。

「ええ。私も支援に当たって孤児院の様子をしっかり見たいのは山々なのだけれど、どうしても忙しい時期でして。ラウラは私が強く信頼している子ですわ。だから、私の代わりとして。お願いできるかしら」

驚いた。こんな幼い少女にそんなことを任せるなんて!多分先生たちも同じことを思ったのだろう。かなりうろたえてるのが分かる。しかし、断れるような立場でもない。

「え、ええ、ええ。もちろんでございます、領主様」

先生たちはこくこくと頷いている。こうして、私たちの生活に、暫くの間ラウラ様が紛れ込むこととなった。





みんながラウラ様を囲んで、しきりに話しかけていた。一方で、あたしとアガットは勉強に戻る。アガットも真面目なものだと、あたしは少しうれしかった。なぜだか、アガットまでラウラ様のところに行ってしまうとなると寂しい。

アガットはかなり難しい問題に直面していた。あたしが何度説明しても理解できないようで、かなり苦戦している。

「あらあら、お勉強?偉いわねぇ」

先生と何かを話していた領主様が、いつのまにかあたしたちのことを見ていた。

「あ、ありがとうございます」

アガットが嬉しそうに頬を染めてお礼を言っている。

「でも、どうやら苦戦しているようだけど」

そう思うなら、あまり邪魔はしないでいただきたいと思いつつも、あたしは苦笑した。

「そうなんです。アガットは・・・えっと、この子はアガットというんですけど・・・どうしても、この単元が苦手なようでして」

ほう、と領主様は考え込むと突然

「ラウラ!」

と声を上げた。

アガットの肩が小さく跳ねる。

すると、ラウラ様が自分を囲んだ子供達には見向きもせずこちらに向かってきた。みんなは思わず道を開ける。

「何?先生」

ラウラ様は、領主様を先生と呼んだ。一体、どういう関係なのだろう。

「この子、お勉強で苦戦しているみたいなの。教えてあげて」

「ちょっ・・・」

あたしはさすがに口を挟んでしまった。

「ラウラ様のお手を煩わせるわけには・・・」

「いいのよ」

領主様はどこか強い口調で、私の言葉を遮った。

「あなたが教えているようじゃ、永遠に終わらなそうだから」

は、と声が漏れるのをかろうじて呑み込む。さきほどまでやわらかい口調だった領主様が、いったいどうしてしまったのだろう。

そんなあたしの様子を気にすることはなく、ラウラ様がアガットの隣の椅子に腰掛け、勉強を教え始めた。

無駄だろう。

アガットは理解が遅いし・・・ラウラ様に教えられるんじゃ、緊張してしまって余計に頭が回らないだろうし。

しかしあたしは驚愕した。

数分後、アガットは

「そういうことか!」

と叫んでいた。答えと自分の解答を照らし合わせて、満足げに頷いた。

「まって、わかったの?」

あたしはアガットのほうへ身を乗り出す。

「うん!ラウラ様の説明、すっごくわかりやすかった!ありがとうございます!ラウラ様!」

あたしは呆然としてしまった。あたしがあんなに教えてもわからなかったのに・・・今の、たった数分で??

「あらあら」

横で領主様が嬉しそうに笑い声をあげた。

「やっぱり、優秀な子じゃない」

そしてあたしに向き直る。

「あまり、この子の足を引っ張るのはやめてあげなさいね」

え、と。今度は声に出してしまった。足を引っ張る?あたしが?

アガットのほうを見ると、なにやらラウラ様ににこにこと話しかけているようだった。

にこりともしない、愛想の悪いラウラ様に。

なんだろう。この気持ちは。

「待って、アガット。あたしは今まで、あなたの足を引っ張っていたの?」

思わずアガットに声をかけてしまった。アガットは無邪気な瞳であたしを見つめると、にっこりと笑った。

「そんなことないよ!今までルイズお姉ちゃんがお勉強を教えてくれたから、お勉強を続けられたんだよ。でも・・・ラウラ様は本当に教えるのが上手!」

アガットはすぐにラウラ様のほうに向き直ってしまった。

・・・・・・ふざけないでほしいと思った。

アガットが教えてくれと頼んできたから、毎日毎日付き合ってあげていたのに。自分の勉強をしたいのを我慢しながら。

もう、あたしはいらないんだ。

「そう・・・じゃあ、ラウラ様に教えていただきなよ、これからは」

小さく零すと、アガットの顔を見ないように、領主様のほうを向く。

「ラウラ様は本当に・・・賢くいらっしゃるのですね。あたしよりも年下に見えるのですが」

「11歳になって半年くらいよ。彼女の理解の速さには、私もよく驚かされるわ」

領主様は風で揺れる庭の木に顔を向けながらも答えてくださった。さっきまでと違って、優しい口調に戻ったような気がする。

でもなんだか、この領主様には良い印象が抱けなかった。



「それで、どうだったの、ラウラ様は」

夜。ベッドにもぐりこみ、あたしは同室のアンナに話しかけた。

「なんだか、そっけない人だった」

ベッドに持ち込んだ雑誌をぺらぺらとめくりながら、アンナはなんだかどうでもよさそうに答えた。

「もっと詳しく教えてよ。みんなでラウラ様を囲んで話していたじゃない」

「ルイズこそ、何かラウラ様と話していたじゃない。アガットと、領主様まで一緒に」

「あたしは完全にのけ者だったよ」

アンナの隣のベッドで、あたしは肩をすくめた。

あれは、なんだか気分の悪いひと時だった。

「まあ、たしかに・・・ラウラ様はかなり癖のある性格をしているようだけれど。聞かれたことには答えてくれるんだけどねぇ、本当に、にこりともしないし、ずっと淡々としているし・・・どっちかというと、話しにくかったわ」

アンナの言葉を聞いて、あたしは少しほっとした。あれで、聖人みたいな性格だったら、どうにも気が収まらないところだった。

「じゃあアンナ、あなたはラウラ様と急に仲良くし始めたりしないよね?あなたはここでの、一番の友達なんだよ」

あたしが身を乗り出して聞くと、アンナはため息をついたのち、雑誌を机に放り出すと、枕に顔をうずめてしまった。

「ちょっと、アンナ?」

声をかけても、無視されてしまった。

アンナくらい、あたしを安心させてくれてもいいのに・・・・・・そう思いつつも、もうすぐ日付が変わってしまうので、あたしも眠りについた。





「おはよう、先生・・・」

まだ開ききっていない目をこすりながらキッチンへ向かうと、もうすでに、テーブルには料理が並んでいた。

「あら、おはようルイズ。料理を食堂に運んでおいて」

「はーい」

先生に言われた通り、あたしは順番に料理を運んでいく。これはいつものルーティンだ。ちょっとした雑用は、最年長であるあたしの仕事。

このあとは、みんなを順番に叩き起こしていく。そうやって、あたしの一日は始まるのだ。

でも、今日はどこにもアガットが見つからなかった。ついでに、どこかにいるはずのラウラ様も。もしやと思いつつ、共有スペースに入ると、やはりそこには、アガットとラウラ様がいた。二人はなにやら楽しそうに談笑しているようだった。いや、正確には、楽しそうにしているのはアガットだけだったが。

アガットは手に参考書を持っている。まさか、ラウラ様に勉強を教わっていたのだろうか?こんな朝から??

「アガット?もう朝ごはんの時間よ」

声をかけると、アガットはようやくあたしが入ってきたのに気づいたようだ。慌てたように立ち上がる。

「ご、ごめん!今行く!」

「ラウラ様も、一緒に召し上がりますか?」

問うと、ラウラ様は首を振った。

「私はいい。食事はどこかのお店で食べるように言われているから」

ラウラ様は、こんな朝からきれいに身だしなみを整えているようだ。アホ毛なんて少しも見つからないし、服もしわ一つなく整えられている。

「そうですか。わかりました。まあ・・・こんな貧乏な孤児院の食事など、ラウラ様のお口には合わないでしょうし、そうされるのが最善でしょう」

思わず皮肉が口をついてしまい、あたしは慌ててラウラ様の表情を伺う。ラウラ様は眉一つ動かしていなかった。

本当に、顔に感情がなさ過ぎて、本当に生きているのか疑ってしまう。

「アガット、早くいくよ」

「う、うん!」

アガットは椅子から飛び降りて、ラウラ様にぺこりと頭を下げると、あたしのもとに駆け寄ってきた。

共有スペースを出て、扉をピシャリと閉めると、あたしは思わず小声でアガットを咎める。

「ちょっとなにしてるのよあなた・・・こんな朝っぱらからラウラ様の手を煩わせるなんて」

「早く目が覚めちゃったから、1人で勉強でもしようかと思ってただけだよ。それで、ここに来たら、ラウラ様が座って本を読んでいたから・・・」

「邪魔をしたのね」

思わずとげのある言い方になってしまったが、仕方がないだろう。

それにしても、奇妙な話だ。ラウラ様はどれだけ早起きなのだろうか。それに、ラウラ様には特別に一人部屋が与えられているんだから、読書ならそこですればいいのに。まあどうせ、部屋に引きこもっているようじゃあたしたちの監視ができないからわざわざ共有スペースにいたのだろうけど。

「えっと、ごめん・・・でも、ルイズも、あんな言い方をラウラ様にするのはよくないと思うよ・・・」

アガットの言葉に、あたしは何とも言えないいらだちを感じた。

「大人たちはみんな、あんな感じのしゃべり方をするものなんだよ」

そして、困り眉をしたアガットの緑の瞳をじっと見つめる。

うんやっぱり・・・アガットはもっと、感情豊かな人と仲良くしたほうがいいに違いない。だって、こんなにいい子なんだ。いい子過ぎてイライラすることも多いけど・・・でもやっぱり、アガットがラウラ様みたいになってしまうのはちょっと嫌だ。

思わず、アガットの頭をぐしぐしと撫でた。アガットは少し頬を赤くして、不思議そうにあたしのことを見ている。

「いこ、みんなもう、準備できてるよ」

「う、うん!」




「ルイズ、今日もアレ見せてよ」

そばかすだらけの顔に短い金髪の少年、ビリーがあたしのもとに駆け寄ってきた。

昼食後、孤児院のみんなは共有スペースで雑談をしたり、遊んだりして昼下がりの時間を過ごしていた。

この時間にビリーが駆け寄って来るのは最早お決まりだ。そして、それに気づいた他の子どもたちもワラワラと集まってくる。

「しょうがないなぁ、少しだけだよ」

私は少し嬉しくなってふふんと鼻を鳴らすと、指先でくるくると空中に円を描いた。すると、ふわりと、あたしの指にあわせて風が巻き起こる。

次にあたしは、掌を上に向けて、少し力を込めた。すると、今度はぽちゃんと音を立てて水の玉が発生した。それにふぅと息を吹きかけると、それはたちまち丸い氷と化した。氷の玉をコロコロと転がすと、それはたちまち期待になって消える。

あたしが魔術を披露する度に、みんなが歓声をあげた。

これらは、私が毎日練習して磨いてきた技だ。

皆の歓声を聞いて気分が上がってきたあたしは、もう少しだけ披露してやろうと意気込んだ。しかし、そのときだった。誰かが余計なことを言った。

「そういえば、ラウラ様も魔術がお得意だったはずでは?」

ぴくりとこめかみが動くのが自分でもわかった。

あたしたちの様子を少し離れた位置にある椅子に座って見ていたラウラ様は、しばらく沈黙したあと、小さく頷いて立ち上がった。みんなが期待を込めて息を呑むのに対し、あたしは少し身構えていた。

ラウラ様は細い腕をばっと広げた。その瞬間、部屋が暗くなる。一瞬何事かと困惑したみんなだったが、すぐに、なにかキラキラと煌めくものが無数に存在していることに気づく。

「夜空に浮かぶ星を再現している」

ラウラ様はそう小さく呟くと、上に向かって小さく指先を動かしはじめる。すると、ラウラ様の指先の動きに合わせて煌めきも動いていく。そして、様々な星座を形作った。

「あれははくちょう座。こっちはさそり・・・。夏、これからの時期にちょうどいい。あとは・・・これ、冬のオリオン座。見つけやすい星座」

ラウラ様が解説をする度に、みんなが感嘆するように息を呑む。あたしもつい、きれいだと思ってしまった。でもそれよりもなにか重いものが、あたしの心にのしかかったような気がした。

気がついたらあたしは、みんながラウラ様の魔術に夢中になっている間にこっそり共有スペースを抜け出していた。

部屋を出ると、共有スペースとは打って変わって、窓から優しい昼の太陽光が降り注いでいた。

私は庭をぼぅっと眺める。

・・・どうにも気が重い。アガットのことといい、ラウラ様はどれだけあたしの尊厳を傷つければ気が済むんだろう・・・。

あたしは腹の底でぐつぐつと苛立ちが煮えているのをこらえて、自室に向かうべく階段を駆け上がった。



窓の外は、土砂降りだ。

最近、どうにも雨が多い。まあ、この季節はそういうものなのだが。

しかし、天気が悪いとどうにも気分が上がらない。私は、今日何度目になるかわからないため息をついた。

「なに、まだいじけてるの」

新聞をめくりながら、アンナが私に問いかけてきた。

あたし達はちょうど、自分たちの自室でくつろいでいるところだった。夕食までにもまだ時間があるし、することもないので、否が応でも色々と考えてしまう。

「いじけてるって・・・何を」

「何って、ラウラ様のことよ」

アンナはいつの間にやら取り出したキャンディを舐めながら、新聞から目をそらすことなく問うてくる。

「別に、いじけてるとかじゃないけどさ・・・」

あたしはベッドの上で膝を抱える。

「なんて言うの、最近、ラウラ様に尊厳を蹂躙されている気がする」

「プ、なにそれ」

「私にとっては重大なことなの!」

あたしは思わず大声を上げてしまった。アンナは一瞬冷ややかな目で私を見る。それが余計にあたしの神経を逆なでした。

「ラウラ様がいらっしゃってから嫌なこと続きよ。アガットもラウラ様にかなり懐いてるから、最近はあたしに全然話しかけてこないし・・・魔術の件もそう。あれから、だれもあたしの魔術に興味を持たなくなったじゃない」

「まあ、ラウラ様のはすごかったもんねぇ。なんというか、惹きつけられる」

「あたしの魔術には惹き付けられないって言いたいのね」

あたしが自制できずじろりとアンナのことを睨むが、アンナは肩をすくめて受け流してしまう。

あたしはまたため息をついて、ベッドに大の字に寝転んだ。

「それに・・・それだけじゃない。なんだかラウラ様の見せ場が多すぎじゃない?いつもならあたしが褒められるところで、最近はラウラ様が褒められてばっか。まさか、孤児院の雑用までこなしていただけちゃうなんてね。最初はみんな恐れ多いって言ってたけど、なんやかんやラウラ様を受け入れて、頼り初め・・・あたしより4つも年下なのによ?信じられない。あたしよりも頼りにされているじゃない。」

ふとそこで、あたしはアンナが口元を抑えてクスクスと笑っていることに気づく。

「なにが面白いのよ」

「いや、あのね、私気づいちゃったかもしれなの」

「何に?」

アンナは新聞を放り投げて得意げに語り始める。

「あの方はきっと、命令を遂行するのが得意なだけよ。雑用を手伝い始めたのだって、きっと領主様が裏でなにか言ったんでしょうね。点数稼ぎもいいところよ。ここでの様子を見ているとわかるわ。指示されたことはなんでも完璧にこなすけど、極力自分からは動こうとしない。いっつも受け身。まあ、よくできた子供あるあるってところかしらね?ああいう子供は、大人になって自分で色々と決めなくちゃいけなくなったときに困るものよ。一生領主様の傀儡であり続けるのならば問題ないと思うけど」

「ねえ、それって要するに・・・」

あたしは無意識のうちに少し口角を上げてしまっていた。

「そうよ」

アンナも新聞を再び開きながら笑う。

「私もラウラ様のことが気に入らないの」

それを聞いて、あたしは思わずけらけらと笑いだしていた。それはアンナも同じだった。

あたしたちはそうやってしばらく笑っていた。

やっぱりアンナは最高だ。私の一番の友達。

そう、一番の友達・・・


・・・友達だったと言ったほうがいいかもしれない。


最低、最悪だ。アンナはあっさりと寝返った。ある日突然、こう言ったのだ。

「ねえ、ラウラ様は意外と悪い方じゃ無いかもしれないのよ。このあたしの好きな本のシリーズ、今まで勧めても誰も読んでくれなかったけれど、ラウラ様が読んでくださったのよ!それも、10巻まであるのをたった2日で!ラウラ様と語り合う時間は実に有意義だったわ。11歳とはとても思えない素晴らしい考察力。脱帽ものよ!」

それを聞いたあたしはびっくり仰天。

なんということだろう。

それからアンナは、あたしがラウラ様の愚痴をこぼすとすごく嫌な顔をするし、あたしよりラウラ様を優先するようになった。

ああ、あたしは何もかもをラウラ様に奪われていくのだ。友達も、名誉も、立場も・・・。

あたしは窓の外を眺めながら臍を噛んでいた。

外は恨めしいほどの快晴。雨ばかりの時期もそろそろ終わる。

ラウラ様はいつになったらいなくなるんだ。

わたしはいつの間にやらそんな考えに頭を支配されてしまっていた。

そもそも、領主様はいつこの孤児院を支援してくれる?そのための視察だろう、ラウラ様がここにいるのは・・・。

みんなは次第にラウラ様を受け入れている。最初は「いけすかないやつだ」とか言っていた奴らも、話してみたら意外といい子だなんてぬかしている。みんな、無意識のうちに、ラウラ様がずっとここにいることを望んでいる。

そんなのだめだ。

あたしは、あたしは、アガットも、アンナも、全部あんたにあげた。十分じゃない。あたしを貶めたいなら、もう十分なはず・・・。

あたしは思わずカーテンを握りしめた。窓に額を押し付けて、下唇を噛む。あたしは、ここの誰よりも、この孤児院を大事に思ってる。そのはずなのに、なぜラウラ様ばかり大事にするんだろう。何か、何か名誉挽回の機会はないのか・・・。

このままでは、あたしの精神は持たない。ここまま尊厳をめちゃくちゃに踏みにじられ続けるのは、流石に・・・。


しかし、訪れたのは、名誉挽回のチャンスなどではなく、最低最悪な、濡れ衣事件であった。



庭では、みんなが楽しそうに遊んでいる。

ラウラ様が木陰に上品に座り、それを数人の子どもたちが囲んで話しかけている様子を、あたしは二階の窓から眺めていた。

どうも、外で遊ぶ気分ではない。最近、ただでさえあたしに不都合な状況がどんどん悪化していっている気がする。早く、ラウラ様をどうにかしなければ・・・。

ふと、ラウラ様が1人に手を引かれ歩き出した。何だ何だ、楽しそうに・・・。

そして、あたしの気分をさらに害しているのは、あたしがいるこの部屋の状況だ。ここが、ほぼ物置部屋と化した空き部屋であることはまだ良い。風通しが良く、考え事にはうってつけなのだ。その上、いい感じに植木鉢やら何やらが置かれ飾り付けられている。たしかこの部屋を管理している職員が花好きだった記憶がある。しかし・・・。あたしの背後で、二人の男の子がキャッチボールをして遊んでいる。

室内でキャッチボールをしている人間がいるという異常事態に、あたしはかなり苛ついていた。

たしかにここは空き部屋で、広くて、職員は皆庭に出払っているからちょっとくらい羽目を外せる・・・が、あたしがいるということをお忘れか?

まったく、舐められたものだ。

さっきまでに、何度注意したことだろうか。それでも、一向に辞める気配がない。

あたしはついに、苛立ちが限界突破し大声を張り上げた。

「ちょっとあんたち、いい加減に―――」

直後、ボールがあたしの顔の横をすり抜けた。

「!?」

あたしが状況を把握するより早く、ボールが窓際に置いてある植木鉢に直撃した。植木鉢はぐらりと傾き、そのまま窓から落下した。

あたしは慌てて窓から身を乗り出し、外の状況を確認する。すると、なんという悲劇だろう。窓の真下に、ラウラ様とラウラ様の手を引いて歩いていた子ども――マリンという名前だったか―――がいた。

「っ!このバカ!ノーコン!」

あたしはキャッチボール野郎二人にこう吐き捨てると、大慌ててで部屋を飛び出した。

半ば転がり落ちるような勢いで階段を駆け下りる。

早く、状況を把握しなければ。ラウラ様の身に何かあったら・・・大変なことになる。

庭に飛び出すと、職員と子どもたちがちょうど植木鉢が落ちたと思われるあたりに集まっていた。

「ぶ、無事!?」

あたしは脇目も振らずに人だかりの中に飛び込んだ。

そこには、自分より一回り小さいマリンを庇うように腕で抱き立っているラウラ様と、そのすぐ横でバラバラになった植木鉢の破片と散乱する土があった。

「よ、よかった、直撃は免れたみたいね・・・」

あたしはへなへなとしゃがみこんだ。

「何、上で何があったの!?」

「それは――――」

「ルイズが落としました」

職員の問いかけに応じ状況説明をしようとした直後、あたしは背後の声に驚き勢いよく振り返った。

そこには、さっきまで部屋でキャッチボールをしていた愚か者二人が立っていた。

「はっ!?何を・・・」

「僕たち、見ました」

二人は顔を見合わせ、うなずき合いながら、とんでもない大嘘を説明する。

職員も皆、あたしをぎょっとした表情で見た。

「ちょっと待ってよ!」

あたしは立ち上がって大声で反論した。

「あんたたちが室内でキャッチボールなんかしてるから、ボールが植木鉢にあたって、こうなったんでしょう!?」

バカ二人は何も答えない。ただ、困ったようにあたしのことを見ている。

――――演技で押し通すつもりか。

あたしが次の言葉を言おうと口を開いた直後だった。

「濡れ衣を着せるつもり?」

振り返ると、アンナが腕を組みながらあたしのことを睨みつけていた。

「濡れ衣!?冗談じゃないわよ・・・むしろ、あたしが濡れ衣を着せられているんだけれど!?」

慌てて反論するが、アンナは聞く耳を持たない。

「だってあなた、窓からずっとこっちを見ていたじゃない。それにこの花・・・窓際の植木鉢のでしょう?あなたが落としたとしか考えられないわ。ボールが当たるって何よ?そんなこと滅多にないわよ」

「な・・・滅多にないって!あったから今こうして植木鉢が落ちているんじゃない!?」

なぜあたしはこんなにも疑われているのだ?

「なんだか最近、ラウラ様のことが気に入らないようだったけれど、流石にここまでするなんて・・・引くわ、普通に」

「は・・・?」

あたしは思わず呆然とした。

たしかにラウラ様のことはあまり好きではないが、流石に・・・流石に殺そうとはしないだろう!!!

助けを求めて周りを見渡すが、みんな困惑したようにあたしを見るだけ。しかし、誰の目にも、疑いの感情がこもっているようだ。

「あなたね、最近ずっとラウラ様と張り合っているようだけど・・・あなたじゃラウラ様の、足元にも及ばないから」

あたしは自信満々なアンナの目を見て、硬直した。

・・・あたしが落としたという証拠もなく、好き勝手言って・・・どうやら、流れに乗じて、あたしに日々の不満をはきかけるつもりらしい。

あたしはアンナの目の奥に潜む優越感に気づいた。

やはりアンナは、「あたしがラウラ様のことをよく思っていない」こと自体が気に入らないのだ。

この間まで、アンナだってラウラ様の愚痴を言っていたくせに。自分が仲良くなったらすぐこうだ。そして、敵対勢力をとことん叩こうとする・・・そういえば、アンナは昔からこうだった。まさかそのヘイトが、あたしに向けられる日が来ようとは思っても見なかったけど。

アンナは、この機会をこれ幸いとばかりに利用して、あたしを貶めるつもりだ!

ふつふつと湧き上がる憤怒に任せてあたしが反論しようとしたその時だった。

ずっとだんまりを決め込んでいたラウラ様が口を開いた。

「待って。この討論・・・あまりにも不平等すぎる」

ラウラ様は皆の表情を順番に見つめた。

「職員、この子がなんの証拠もなく疑われていることに疑念を抱かないの?・・・面倒事は適当に誰かに押し付けて真実を捻じ曲げるスタンス?」

「ラウラ様?何を・・・」

困惑する職員を見て、あたしは、ラウラ様に庇われていることに気づいた。

「ここしばらく、この孤児院の様子を見てきたけど、やはり、そういう気質があるようだね」

ラウラ様は1人、何かを結論付けたように頷く。周りは置いてけぼりだ。

「私が最近習得した魔術・・・記憶再生魔術というものがある。これは、無機物の記憶を見ることができる魔術・・・たいして強い魔術ではないから、過去数分以内の記憶しか見ることができないけれど、この場合は有用そうだね」

そう言うと、ラウラ様はすっとしゃがみ、植木鉢の破片にそっと触れた。すると、何やら映像が映し出された。

あたしの横顔、後ろでキャッチボールをして遊ぶ男の子2人。そして、1人がふざけてこちらにボールを投げ・・・植木鉢に直撃。植木鉢はそのまま落下。

・・・植木鉢が落ちるまでのどの工程にも、あたしは関与していなかった。

あたしは勝ちを確信した。

記憶再生魔術も何かの本で読んだことがあるし、それをラウラ様が行うのだから、信憑性抜群だろう。

「ルイズは何もしていないみたいだね」

映像を消し、ラウラ様が立ち上がる。

「もし私の魔術の信憑性を疑うのならば、構わない。でも、私がルイズを庇う必要性もないことを理解してほしい。私は、真実を知りたかっただけ」

ラウラ様の言葉に、反論する者は誰もいなかった。





「誠に、誠に申し訳ありませんでした!!!」

院長と副院長が幼い少女に土下座をして謝罪しているという光景は・・・なんというか、見ていられない。

横では例のキャッチボール馬鹿男児がシクシクと泣いている。謝罪は人任せで自分たちは感傷に浸るなんて許され難いことだけれど・・・。

そんな状況で謝罪を向けられている張本人であるラウラ様は、全くの他人を見るかのような目で職員を見下ろしている。その目には、怒りの感情も、困惑もない。ただただ、無感情だ。

「真実はそのままマノン様に伝える。そう命令されている。私の個人的な判断で変えることはできない」

華麗に謝罪の受け入れを拒否したラウラ様は、ふと、少し離れた位置で様子を伺っていたあたしを見る。

「それより、濡れ衣を着せられた彼女にでも謝っておいたら?」

ラウラ様の言葉に、土下座の体勢のまま院長がこちらを見た。その表情に、あたしは思わずぎょっとしてしまい、

「い、いや・・・結構です!」

と叫んで自室に駆け戻った。

自室では、あいも変わらずアンナが雑誌をめくっていた。あたしは疲れてベッドに沈み込む。なんやかんやあって、そろそろ日が沈みそうだ。疲労が激しすぎて、今晩はよく眠れそうだ・・・。

そんなことを考えながらぼーっとしていると、不意に、アンナが声をかけてきた。

「ねえ・・・ルイズ」

「なに?」

「その、昼間はごめんなさいね。・・・酷いことを言って」

あたしはどこか白けたような気持ちで天井を見つめた。正直、もう、アンナとは口も聞きたくない。普通に嫌いになった。しかし、同じ孤児院の、しかも同室である限り和解は必須だろう・・・。

「いいよ、別に気にしてないから」

あたしは適当に嘘をつく。

「まあ、今回のことはちょっとしたいざこざってことで・・・普通に、これからも上手くやろう」

「仲良くしよう」とはあえて言わなかったが、アンナは安堵したような表情になった。

しかし、アンナとはもう、友達とは言えないだろうな。それはきっとアンナからしてもそうだろう。あたしのことをあんなふうに思ってたんだ。もとより、友達だと思っていたのはあたしだけ・・・。あたしたちの溝は間違いなく深まったのだから、これから重要なのは、仲良くすることではなくて、普通の、穏やかな、トラブルの無い生活を、ここを出るまで送り続けることだ。それが、アンナとあたしに必要なことだ。

あとで、あの2人にも許しの言葉をかけておこう。円滑な人間関係は、快適な生活に不可欠なのだから。

それよりも、あたしにはとても耐えられないことがあった。

ラウラ様にきれいに庇われてしまった。

・・・悔しい。貶めようとしていた相手に庇われるなんて。きっと、ラウラ様は全部わかっていた。こうすればあたしが悔しがるって、わかっていたんだ。ラウラ様が、あたしの敵対心に気づいていたことは確かだ。その上で、こうしたんだろう。

あの場で黙ったまま自分が共犯になることは避け、その上であたしに恩を売る。

なんということだ。とても11歳の判断ではない。あの人は、絶対何かがおかしい。あたしと同じ人間ではない・・・そう思いつつも、あたしは居ても立っても居られなくなった。

少し1人になりたくて、あたしは中庭に出た。ここは物が少なく、じめっとしていて、あまり人が訪れない。一人になりたいときにはうってつけだ。

・・・そのはずだったのだが。

そこにはラウラ様がいた。

ベンチに座り、指先に止まった蝶を眺めている。

あたしは思わず息を呑む。その光景が、あまりにも幻想的で、美しく、1枚の絵画を見ているような気持ちになったからだ。まるでラウラ様とその周辺の空間だけ時間が止まったかのような・・・。

そこで、あたしははっとする。

確かにこの美しい少女が赤の他人なら、素直に見惚れることもできたであろう。しかし、残念なことに・・・知り合ってしまったのだ。

しばらくは、この人とは話したくない。そう思い、あたしが踵を返そうとしたときだった。

「ルイズ?」

・・・最悪だ。気づかれてしまったか。

あたしは仕方無しにラウラ様に向き直る。

「これはこれはラウラ様・・・院長とのお話は終わったのですか」

「きりがないから」

ラウラ様は飛んでいく蝶を感情の無い目で見つめながら答えた。

「しかし、こんな湿っぽくて暗いところ、ラウラ様には似つかわしくないのでは?」

それとなく立ち去ってほしいことを伝えようとするが、ラウラ様は気にせず首を振る。

「嫌いじゃない。こういうところ」

「・・・そうですか。では、あたしはこれで―――」

失礼します、と立ち去ろうとしたときだった。

あたしは、絡みつくようなラウラ様の視線に気づいた。ラウラ様は、あたしから目を離そうとしない。なにかを求めるような目であたしのことを見ている。

ああ、もう。

あたしは髪の毛をぐしゃぐしゃとやりたい気持ちをかろうじて抑えて、ラウラ様に向かって頭を下げた。

「先程は、庇っていただきありがとうございまし

た」

じわりと涙が浮かんでくる。あたしは何も悪いことをしていないのに、どうして、どうしてこんな幼い少女に頭を下げているのか。あまりにも屈辱的だったが、下唇を噛んでこらえる。

貴族というのは、所詮こういうものなんだから。

そこで、あたしはずっと返答がないことに違和感を感じて顔をあげた。

「――――!?」

あたしは思わず後ずさる。ラウラ様が、あたしの目の前に立っていたからだ。さっきまでベンチに座っていたはずなのに、足音もたてずにこんな至近距離にやってきた?

ふと、背筋に冷たいものが走る。あたしを見上げる金の瞳が・・・いつもよりも冷たく見えた。

何?何だ?何がしたいのだ彼女は?

謝罪?謝罪を求めているの?あなた自身が無実だと証明した、あたしに?

そこで、あたしは感情を抑えきれなくなった。

「っなによ!!」

叫んでしまったら、もう戻れない。

「あ、あなたが来てから、嫌なことばっかり!!あたしのすべてが、全部、全部あなたに奪われて――――!!貴族なんだから、どこへ言ったってチヤホヤされるでしょう!?よりによってどうしてここなの!?あなたと違って、あたしは貧しい孤児でっここしか、ここしか居場所がないというのに!どうしてそんなに目立ちたがるの!」

今まで抑えていた感情がせきを切ったように溢れ出る。現在進行系でやらかしているのは、心のどこか冷静な部分が理解している。しかし、もう、今更どうしようもないのだ。

ずっと彼女に抱いていた劣等感が腹の底で渦を巻き、彼女に向かって吐き出される。あたしは拳を握りしめて叫び続けていた。

「もうっ、なんなのよ・・・あたしはただ、平和にやっていきたかっただけ!ここで、平和にっ・・・なのに、なんでっ・・・」

ラウラ様は何も言わない。

「もう、消えてよ!!この、この疫病―――」

「ルイズ!!!!」

名前を呼ばれて、はっとして振り返る。中庭の入口に、アガットが立っていた。

アガットはあたしに駆け寄ってきた。

「ルイズ、どうしたの!?落ち着いて、一回」

そして、ラウラ様にペコリと頭を下げた。

「ごめんなさい、ラウラ様。ルイズは普段はこうじゃないんです。ただ、今は、ちょっと気持ちが抑えられなくなっちゃったみたいで・・・」

あたしは呆然とした。あたしを庇って、アガットが頭を下げている?

得も言われぬ感情が湧き上がってくる。

屈辱?後悔?申し訳無さ?違う。今までに感じたことのない暗い気持ちだ。

あたしは徐々に冷静になり、自分のやらかしたことの重大さを改めて意識する。

――――終わった。

あたしのせいで、きっと、領主様の支援の話もなくなったのではないか?

心臓が恐怖で音を立てる中、ようやく、ラウラ様が口を開いた。

「本当に、幼稚」

「えっ―――」

アガットが驚いたように顔をあげる。

「その、ルイズという子が、私に嫉妬しているのは気づいていた。だけどそれは、私にとって取るに足らないものだった。なぜなら、ルイズのすべてが、私と張り合えるほどではないから」

ラウラ様は無表情のまま淡々と続ける。

「私は、すべて、求められたからしたのみ。自己顕示欲でも、なんでもない。それをあなたは勝手に嫉妬し、更には本人に向かって悪態をつく・・・見ていられない。育ちが伺えるって、こういうことを言うんだね」

ラウラ様はすっと目を細めた。

「本当に、自己肯定感だけ高い、出来損ないで、無能、なんの役にも立たない、誰からも必要とされな――――」

突如、破裂音が響いた。

あたしは一瞬、なにが怒ったのか理解できずに呆然とする。

そして、理解した。

アガットが、ラウラ様の頬を叩いたのだ。

頬を抑えて横を向くライラ様と、息を荒くするアガット。

「あ、アガット・・・?」

あたしが目を見開き、ただ驚いてアガットの名前を呼ぶと、アガットは我に返ったようだった。

「え?え?わ、私、今・・・」

アガットの顔がみるみる青ざめていく。

「あ、わ、私・・・ルイズが悪く言われるのが嫌で、つい・・・」

「アガット・・・」

その言葉に、あたしの目には涙が滲んだ。

とても感傷に浸れるような状況ではないことは確かだけれど・・・、でも、アガットが、こんなふうにあたしを庇ってくれるなんて。

あたしのことを、ちゃんと大切に思ってくれていたなんて。

ずっと、ずっとラウラ様に懐いているようだったから、あたしのことなんてどうでも良くなったのかと思っていた。

あたしは思わずアガットに駆け寄り、抱きしめていた。アガットは、あたしの腕の中でガタガタと震えながら、

「どうしよう、やっちゃった・・・」

とあたしに助けをもとめるように、あたしを見つめながら言った。

あたしは首を振って、アガットを庇うように抱きしめた。

恐る恐るラウラ様を見て、あたしはゾッとする。

ラウラ様がこっちを見ていた。恐ろしいほど、冷たい目で。あいも変わらず無表情だけど、いつもの無感情ではない。間違えようのない、怒りが、滲み出ていた。

「・・・あ、ラウラ様・・・」

「支援の話は白紙になるだろうね」

ぴしゃりと、ラウラ様は吐き捨てる。

「先生が一番大事にしていた、私の顔」

先生とは、領主様のことだろう。ラウラ様は、領主様のことを『先生』と呼んでいるようだった。

その領主様が一番大事にしているのが・・・ラウラ様の顔?

「先生から許可が出た。私はもうここを去る。先生がどうやらこの孤児院は黒だって確信したみたい。証拠は揃った。逃げようとしても無駄」

そういうと、ラウラ様はあたしたちの横をすり抜けて中庭を出ていった。

「黒・・・?どういうこと?」

アガットの困惑したような問いかけが、酷く遠く感じられた。

黒、って・・・まさか、まさかあのことが・・・・・・?視察って、もしかして、そのために・・・・・・?





夜もふけ、もうすぐ日付が変わりそうな時間。ラウラは久しぶりにマノンの屋敷に帰宅した。

コツコツとブーツで音をたてながら、螺旋状の階段を登っていく。やがて、書斎の前にたどり着くと、ドアを軽くノックした。

「先生、只今帰りました」

「あら!おかえりなさいウイラ、入りなさい」

嬉しそうに入室を許可するマノンの声を聞き、ラウラはドアを開ける。

書斎では、マノンが大量の資料に囲まれてペンを走らせていた。

「そこに座って」

マノンに促されるままに、ラウラは机の横の椅子に腰を下ろした。マノンはそんなラウラをうっとりと見つめる。

「ああ・・・ラウラ、安心したわ。一ヶ月経ってもあなたの美しさは変わっていないようね。手紙でしかやり取りができない日々は苦痛だったけれど・・・今こうして、また会えたのだからいいわよね」

マノンは使用人を呼びつけ、紅茶を持ってくるように言った。

「暗号化した手紙の内容も、ちゃんと理解しているようで助かったわ」

「うん・・・あれくらいなら」

問題ない、とラウラは頷く。

「なにか苦労はあった?」

「強いて言うならば、怒っている演技が慣れなかったかな・・・」

「ふふふ、ラウラが感情をむき出しにするなんて、本当は演技でもしてほしくないんだけれどね」

「まあ、必要なことだったから」

「そうね」

そんなやり取りをしているうちに、使用人が紅茶を運んできた。ラウラはカップを丁寧な所作で口元へ運ぶ。マノンは相変わらず、ラウラの動き一つ一つをうっとりと眺めていた。

「それで、黒だったんでしょう」

使用人が去ったのを確認し、ラウラは本題に入る。マノンも真剣な表情に切り替え頷く。

「ええ、確かにあの孤児院では人身売買が行われていたわ」

マノンは机の上にいくつかの資料を広げた。

そこには、なにやら怪しげな服装をした集団と取引をしていると思われる孤児院の職員が写っていた。その中には―――一人、見知った少女も混じっていた。

「これ・・・やっぱり、ルイズも加担していたのね」

「・・・そう。孤児院の最年長、ルイズ・バーベリ。子どもたちの中では、彼女だけが、孤児院の実情を知っていたようね」

「年齢の割に子供っぽいけれど、頭はよく働くようだった」

「ならなおさら、仕事を手伝わされるのも納得ね。かわいそうに。孤児院のことを誰よりも想っていたからこそ、『孤児院のため』とか唆されてしまったんでしょうね」

マノンはため息をつくと、ぐぐっと伸びをした。ラウラはその様子を黙って見つめる。

「孤児院の支援なんてもともとやりたくなかったけれど・・・これで免れたわね」

マノンはあくびをしながら再び資料に向き直った。

マノンはもともと、孤児院の支援には消極的だった。マノンの治める土地はなかなかに問題が多く、早急に解決すべき貧困問題や排除すべき反乱分子が山積みだった。そんな中貧しい孤児院になど構っていられないが・・・いかんせん、孤児院という施設を放置するのは体裁にかかわる。表面上だけでも領民を愛する領主として、あれを放置し、孤児たちが死んでいくのを遠くから眺めているわけにはいかない・・・。

そんな中都合よく浮かび上がって来たのが、その孤児院の人身売買疑惑だ。

「院長は、孤児を保護するために、別の孤児を売っていたってこと?」

ラウラの疑問に、マノンは肩をすくめる。

「いいえ、全部院長の私利私欲よ。だってこれだけの利益を全部孤児院に注ぎ込んでいたら、今頃あんな貧しい孤児院ではなくなっていたはずだし」

マノンはパラパラと資料をめくる。

「あの孤児院は、院長が父親から継いだものだったらしいわよ。孤児院を設立するほどの善人の子どもでも、ああなってしまうものはなってしまうのね。どのみち、孤児院が潰れるのは時間の問題だったでしょうけど、私は人身売買を告発して支援を怠った責任を誤魔化せるし、結果オーライね」

そして、そっとラウラの艶やかな白髪を撫でる。

「あなたが職員たちの気を引いてくれて助かったわ。お陰で、証拠も集めやすかった。それに・・・”もう一つの役割”もきちんとこなしてくれていたみたいだし」

マノンがラウラを孤児院に送り込んだのは、職員の気を引くだけではなく、もう一つの重大な役割があってこそのことだった。

それは、孤児院の子どもとラウラを敵対させること。

もし、この孤児院に人身売買の犯行がなく、白だった場合・・・マノンは孤児院に支援を行わなければならない。しかし、そうだったとしても、前述の通り、マノンは孤児院の支援に消極的であったのだ。

そこで、ラウラが孤児院の人間関係を引っ掻き回し、何らかのトラブルを引き起こすことによって、孤児院との関係を切る。

だいぶ曖昧な作戦だったが、上手く言ったことにマノンは安堵していた。まあ、結局は必要のないことだったのだが。

「あなたはどんな指示でもきれいにやってのけるのね。素晴らしいわ」

マノンはラウラに微笑む。

「これからもよろしくね、私のかわいいかわいいお人形さん」

ラウラが頷いたのを確認し、マノンは改めて資料の整理に取りかかる。

犯行の証拠を集めたあとも、それを告発するなど、その他諸々様々な雑務が残っている。

孤児院を解体させても、どちらにせよ人身売買に関与していない孤児院の子どもたちには大人になるまで資金援助しなければいけない。彼らが大人になり、ようやくすべて終わったと言えるだろう。

しばらく面倒事が残るなと思いつつも、これから何十年も孤児院の運営を支え続けるよりはマシだ。

そう自分を納得させ、ラウラを部屋に帰すと、マノンは改めて仕事に取りかかるのであった。





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