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物語の始まり。

プロローグ


昼間の市場は賑わっている。青い空。さわやかな風。レンガの道は人々の軽やかな足取りで埋め尽くされている。ここは偉大なる皇帝陛下のお城に連なる城下町である。きらきらとした装飾をまとった金持ちや、貴族の屋敷に雇われた使用人などが、商品をじっと見つめ吟味しているその人ごみの中。その日生きるのにも苦労する貧しい少年は、人々の陰に隠れるように進んでいく。目を付けたのはとあるパン屋。店主が目を離したその一瞬、少年は陳列されたパンの一つをもぎ取り走り出した。

店主の怒号と、突き刺さる冷ややかな目線を振り切り、城下町を抜ける。栄えた地域から飛び出し、小道を進んでいく。やがて人気のない森にたどり着いた。少年は、木漏れ日に照らされながら横たわっている木に腰を下ろすと、戦利品にかぶりついた。ぱさぱさとした触感が口に広がる中、ふと強い風が吹いたので、少年は特に何の意味もなく顔を上げた。

その時見た光景を、少年はその生涯で決して忘れることはなかった。

一人の少女が、木々の間に佇んでいた。白く輝く長髪が大きく揺れ、髪の一束を細くみつあみにしている部分に括りつけられた小さな鈴が軽やかな音を鳴らす。

華奢な少女はゆっくりと、こちらを振り返った。少年は息をのむ。

それは、これまで見てきたどんなものよりも美しい。貴族が自慢げに身に着けている宝石の装飾となどくらべものにもならないだろう。

透き通るような肌が、金に光る瞳が、桃色のやわらかい唇が、少年の目に焼き付いた。

風に揺れる長髪は、毛の一本一本、先端までもが美しく輝き、鈴の音が、美しさをより一層惹きたてる。それに合わせて、彼女が纏うドレスもふわりふわりと揺れた。

気づけば、少年は手に入れたパンも放り出して逃げ出していた。あまりに美しいので、その美しさに呑み込まれそうになった気がした。恐怖するほどの美しさ。目に映すことさえためらうような。それほどに美しかった。いや、美しいという言葉では、到底表しきれないだろう。

しかし、あの少女にはなにかが欠けていた。人間であると判断するための鍵となる決定的な何か。

少年は、貴族の心優しい女性からお恵みいただいたパンをかじりながら、三日三晩思案に暮れ―――――やがて気づいた。

感情や、自意識。それに似る全てのことが・・・彼女にはなかった。彼女の顔からは、生気が感じられず・・・金の瞳は何かを映しているかさえ怪しい。

人間というには美しすぎるが、精霊というには、天使というには、女神というには、足りなかった。足りていなかったのだ。

数日後、市場を歩いているとき、ふと一つの店が目に入り、少年は彼女を表すのに最適な言葉を導き出すことができた。



人形。




それはまるで、いやほとんど、人形そのものだった。




出会い


とある没落貴族の娘として生まれてきた女がいた。母親の血を受け継いだ女は美しかった。おとなしい性格だったが、頭がよく、次期当主として期待されていた。

昔は、女の家は魔術の名家として名をはせていたが、新たな勢力の台頭により、衰退してしまった。

これは、女がちょうど成人を迎えた誕生日の日の話。別荘で暮らす母親から手紙が届いた。母親はここ数年病気で弱っており、そんな姿を娘に見られたくないがために別荘で療養していた。そんな母が、会いに来てほしい、と手紙につづっている。

よほど良くないことでもあったのかしらと心配しながら、女は机上に置かれた鏡に目をやる。そのときから、彼女の意識は手元の手紙から鏡へと移っていた。

鏡に映るのは、美しい自分。黒く艶やかな長髪。昔はよく母親がとかしてくれたものだった。つり目の大きな碧眼が、鏡の中からこちらをじっと認めている。白く透き通ったきめ細やかな肌は、触れることさえはばかられるよう。

何をとっても完璧。女はその唇に微笑を浮かべる。私は、必ずこの一家を立て直してみせる。私は美しい。この家にふさわしい、魔術の才能もある。私にできないことなどない。

しかしとりあえずはまあ、母が暮らす別荘を訪れるべきであろう。

「明日の朝には出発するわ。馬車を用意しておいてちょうだい」

そう使用人に告げると、女はぼんやりと母親の姿を思い出す。最後にあったのは16のときだった。それからは本当に、手紙でのやり取りだけ。

悲しくてひっそりと涙を流す夜もあったが、自分は弱音を吐いてよい立場ではないことを完璧に理解した今は、母親に会いたくて泣くことなどない。

しかし、本当に何があったのだろうと、不安が抑えきれない。今までは、母親から会うことを拒んでいたというのに。

しかし、そんな考えはすぐに頭から追いやる。久しぶりに美しい愛する母親と会えるのだ。

翌日、女は母親と4年ぶりに対面した。

ベッドに横たわる母親に駆け寄り、顔を覗き込んだ瞬間、女は呆気にとられた。

ベッドに横たわる醜い老婆が自分の母親であるということを理解するのには時間がかかった。やせた頬、しわだらけの目元。弱り切った瞳。

これは、女の記憶に残る母親とはあまりにかけ離れていた。

胸の奥が急速に冷えていくのを感じた。母親は確かに若いといえる年齢ではなかったが、本当に美しかったのだ。誰もを魅了する美しさだったのだ。

目の前の老婆が、骨ばったしわしわの手で女の細い指をにぎり、何かを言っていたが、女にはもうなにも聞こえていなかった。

女はしばらく目を見開いたまま硬直していた。徐々に胸の底から湧き上がってくるのは、どうしようもない嫌悪感。

我に返った時には、母親は息絶えていた。


葬式のあれこれを終え、女はようやく一息つくことができた。改めて、鏡の中を見つめる。映るのは、やはり美しい自分。でも、いつかは・・・・・・あの母親のようになる。どうしようもない絶望感を抑えきれない。そんなこと、考えただけで気が狂いそうだった。

彼女は覚悟を決めた。それは、魔術の禁忌へ触れることへの覚悟であり、新たな魔術を生み出すことへの覚悟でもある。

三年の時を経て彼女が生み出したのは、彼女の美を永遠とする、不老不死の魔術だった。

魔術のためには本名を捨てる必要があった。老いへ向かう自分を捨て、永遠の美しさを手に入れるために。

彼女は自分の名をマノンとし、希望に満ちた人生を歩むことになる。

そうこうしている間に、父が急死した。

マノンは暗殺を疑われたが、やがて無実は証明され、当主となる。

彼女の活躍は凄まじかった。没落していた自分の家系を再興し、操る魔術の偉大さを世に知らしめた。なにより、何十年も損なわれることのない美貌は、人々を魅了する。

まさに、完璧な人生。今や彼女は、名門貴族の美しき当主。恐れることなど何もないと、そう信じていた。

しかし、自らの容姿をさらす機会も増えたため、同時に、自らの容姿に向き合う機会も増えた。

それは、終わりの始まり。

だんだんと。自分の顔がおかしくなったような気がした。

以前よりも老いた気がする。

いや、そんなはずはない。不老不死の魔術は完璧だったはずだ。

それだけではない。

目が、

鼻が、

口が、

輪郭が。歪んでいるような気がする。

髪の艶やかさが以前よりも少なくなった感じがする。

ああ、醜い。醜くなってしまった。どうして以前のように鏡の中の自分に見惚れることができない?見れば見るほど、顔が歪んでくるのはなぜ?

もう死のうと思った。醜くなるくらいなら、死んだほうがいいと。

しかしなぜだろう。ふと鏡を見たとき、自分の顔が美しく見えることもあった。

美しいなら、生きていたい。

美しくなったり醜くなったりする私の顔。

不老不死の魔術の解除法はある。しかし解除すると、今まで生きてきた分、一気に老いる。確実に醜くなる。醜く死ぬ。

解除するにも、手遅れだった。

私は美しいかと、使用人に何度も問うた。

誰もが美しいと答えた。

しかし、鏡の中の自分は美しくなったり醜くなったりする。

醜くなるたびに、部屋を飛び出して使用人に縋り付いた。

気が狂いそうだった。

私は永遠に美しいマノンだと、鏡に言い聞かせた。

ああ、しかし、どうやったってもう、自分の顔を見ることができない。

自分の顔を、一瞬でも醜いと感じるかもしれないことが、怖かった。

馬車の窓に映る自分。写真に映る自分。全てに恐怖を感じた。


いつしか彼女は、その美しい顔を布で覆ってしまった。





自分は捨てられたのだと気づくのに、時間はかからなかった。

12月。薄い布切れのような服をまとい、寒さに体を震わせる少女の名はラウラ。貧しい家庭に生まれ、捨てられた。10歳の誕生日だった。

お母さんが突然家から出て行って、お父さんは部屋から出てこなくなって・・・それから、今まで、何があったのか思い出せない。しかし、思い出せなくても良かった。思考するのに疲れていた。なにも感じられなかった。

心が疲れ切ってしまったのだと、幼いラウラは気づけなかった。感じたことのないような気持ちで、大木の根元に座っていた。

ふと、街のほうから歩いてくる人影に気づいた。二人の女性だ。ひとりは、格好からしておそらく使用人だろう。もうひとりは・・・非常に不思議な格好をしていた。上質そうなドレスに身を包んでいたが、顔は布で覆われていた。洒落た面布のようなものだ。薄紫の布がひらひらと風で揺れていたが、顔が見えることはなかった。しゃなりしゃなりとした歩き方、美しい艶やかな黒髪。貴族だろうか。

やがて、歩いてきた面布の女が、ラウラに気づいて立ち止まる。表情はわからないが、じっとラウラのことを見つめているようだった。

ようやく、女は口を開く。

「あなた、こんな田舎の小道でなにをしているの?」

女はあたりを見回す。目視できる場所に、家は2,3軒しかない。ただひたすら小道がのび、草むらがあるのみ。

「もともとは、村にいた」

ラウラは気力なさげに小さく唇を動かす。

「村?なんという村かしら?」

「クラルス村」

それを聞いて、女はしばらく考えたのち、横の使用人に、

「やはりあの貧しい村の問題は放置しておくべきではなさそうね。あとでクラルス村に関する資料をまとめておいて」

と耳打ちすると、ふたたびラウラに向き直った。

「お嬢さん、あなたの親御さんは?」

「・・・もういない。捨てられたんだと思う」

あらあらかわいそうに、と口にしてみせる女の顔色からは、憐みの感情が一切感じられない。ラウラは訝しむ。

「あなたはだれ」

「ああ、ごめんなさい。私の名前はマノン・ブロンデル。ブロンデル侯爵家の当主で、このあたりの土地の領主よ」

「領主様・・・?」

「ああ、お嬢さん、そんな風に呼んでくれなくてもいいのよ。あなたが今そんな風になってしまったのは、貧しい村を放置した私の責任でもあるんですもの」

語るのは、申し訳なさそうな言葉。しかしなぜか、その口調には喜びがにじみ出ている。

「ところで、貴女の名前も教えてほしいのだけれど?」

「貴女は、性格がいい人とは思えない。名前を教える義理はない」

あらあら、とマノンと名乗った女は笑う。

「警戒心が強い子ね。まあ、悪いことではないわ。・・・では、そんな貴女に問いたいのだけれど」

マノンはしゃがみ込んでラウラと目線を合わせると、首をかしげて見せた。

「貧しい家庭に生まれ、親に捨てられ、孤児となったあなたは、これからも人間らしく感情豊かに生きて行けるかしら」

しばしの沈黙の後。

「私はかなり疲れているといったら十分かな」

ようするに、否。

ラウラの返答を聞いたマノンは、嬉しそうに、ケラケラと笑い出した。使用人はあくまで無表情を貫いているが、ぎゅっと手を握り合わせているのを見れば、マノンが普段からまともな当主ではないことは自明だろう。

「気に入ったわ、美しいお嬢さん。あなたを、わたしのお人形にしてあげる。ついてきなさい。すぐそこで、馬車を待たせているの」

私は殺されるのだろうか。

お人形?一体どういうことだ。思考するのも面倒で、ラウラはマノンに手を引かれるまま歩き出していた。





ああ、なんという奇跡だろう!

マノンはよろこびのあまり踊りだしてしまいそうだった。

それは、孤児院の視察に行く途中の道で起こった出来事だった。みすぼらしい服に身を包み、ぐったりと木の根元に体を預けているのを見つけたのだ。

ああ、しかしなんということだろう!その少女の美しさときたら!!!傷だらけ、泥まみれでもわかる。思わず息をのんでしまうほどだ。きれいにして、良い服を着せたら、それはもう、人間とすら思えないくらいの神秘的な美しさを放つであろう。

ラウラと名乗った少女の両親はおろかだ。花街にでも売りつければよかったものを。いや、人生に失望でもしてとっくのとうに自殺したのだろうか。だったらなお都合が良い。遠慮なく、あれを自分の手元においておける。

マノンはあの少女を完全完璧な人形にすると決めていた。

老いることも死ぬこともない。感情さえ捨て去った、美しい人形に。

感情とは、人間らしさの象徴だ。人間らしさとは、醜さの象徴だ。

やっと手に入れた。長年追い求めてきた美を。

徹底的に美しさを磨き、感情を完膚なきまでに消滅させる。ようやく、霧の中から抜け出せたようなこの感情。

自分の美しささえ信じられなくなり、路頭に迷ったまま生き続ける人生から解放された。あれこそ、私の追い求めた美となるにふさわしい。

本当に美しい少女なのだ。

白く長く艶やかで美しい長髪。手入れをしたら、それはもう、死んだ細胞とは思えない、人並外れた美しさとなるだろう。

そして、透き通るような白い肌。華奢な体。骨格からしても、申し分ない素晴らしさ。栄養のある食事をあたえれば、完璧なかわいらしい体となるだろう。豊満な体にならずとも、華奢な体は美しくかわいらしいドールにふさわしい。

なによりマノンを魅了したのは、一切の感情をもたない金の瞳。宝石のように美しいのに、まるで生気を感じられない。まさに、ついているだけ。

ああ、人間らしさの欠落こそ、欠落なき美!!!

自分一人ではとても手に入れられなかっただろう美!!

面倒な貧困問題を放置しておいてよかった。こんな美しい人形を、自ら差し出してくれる親があらわれるのだから!

しかし、これ以上の放置はまずい。そろそろ解決を試みよう。なにより、素晴らしいものをいただいたお礼として。

さて、道を急ごう。

少女が感情を取り戻す前に、その感情を叩きのめし、破り捨て、なかったものとする。それがまず、第一の目標だ。

私はこれから、彼女の美のために生きていくのだ。


使用人が、ラウラの髪をとかしている途中に、手の震えで櫛を落としてしまいそうになるほど、それは美しかった。使用人は、完璧な美しさに自分が手を加えることを恐れてしまった。

きれいな服をきせ、ついでにリボンと鈴の髪飾りもつける。

ああ、ああ!!それは誰もが涙を流さずにはいられなくなるほどの美しさだった。

まさに『美』そのもの。

マノンは狂喜乱舞した。

屋敷中を踊り狂ってしまいそうだった。暫くは、うれしさのあまり笑いが、感動のあまり涙が、止まらなかった。

目の前の美しき人形を抱きしめてしまいたくなったが、それさえ畏れてしまう。

さて、さて。と、使用人を追い払い、ラウラと二人きりになる。

まずはやるべきことがある。

不老不死の魔術をかけること。

それは今じゃない。まだ美しさの頂点ではない。年齢の割には大人ぶった口調をしているが・・・もう少し待つべきだろう。その間に、自分とやや事情の異なる少女のために新たな不老不死の魔術を開発しよう。魔術をかける方法と解除法を変える必要がある。

本当は解除法など考えたくないが、新たな魔術を作ることにおいて解除法は必須だ。魔力がからまり、失敗したとしても、解除法さえあれば問題ない。

要するに、保険だ。

最優先事項は、『盲従の呪い』をかけること。

万が一にも、この少女が逃げ出したり、逆らったりしないように。

彼女を完璧な人形に仕上げられるのは自分だけだと、マノンは確信していた。それゆえの呪いだ。

呪いの儀式はすぐに終わった。

あらためて、ラウラに向き直る。

震えるほどの美しさ。それが、感情のない無表情で、佇んでいる。

琥珀の瞳は、ただただマノンの姿を映している。

マノンは、ラウラの美しい白髪をそっと撫でる。

布越しに頬にキスすると、ラウラの瞳を見つめ返し、小さく笑い声を零した。

「よろしくね、美しいお人形さん」


それからの日々は目まぐるしく過ぎていった。

幼い現在でもあんなに美しいのだったら、成長したらどうなることだろう。考えるだけで心が躍った。

驚いたことに、ラウラには凄まじいほどの魔術の才能があった。日常に使える魔術から、少し攻撃的な魔術まで、一度教えたらすぐにできるようになったし、魔力保有量もなかなかのものだった。

それから、ラウラには教養が必要だった。マノンの持論だが、人形でも人間でも、使い魔の猫でさえ、教養はあって損はない。

数学、語学、社会学や心理学、哲学までも齧らせた。歴史も頭に叩きこませたし、数か月で数か国語の基礎を理解させた。

ラウラの理解力は素晴らしいものだった。

また、ラウラの美しさを維持するために、シャンプーや化粧水にいくらかけたかわからない。しかし、マノンがそれを惜しむことはなかった。




ラウラは窓際に置かれた椅子に座り、机に新聞を広げていた。新聞の内容を把握しつつ、別紙にほかの言語に訳した文章を書いていく。これはラウラの習慣だった。マノンに指示されたものだ。

流れるような美しい髪が、太陽に照らされきらきらと輝いている。それをさっと顔の横から払いながら、すっと背筋を伸ばして机に向かう姿は、誰が見ても美しいと声をそろえていうだろう。

しかし、その幼さが残る顔には、なんの表情も浮かんでいなかった。

ただひたすら、無感情で、金の瞳が文字を追う。

数か月前のことだ。マノンから与えられた大量の書籍の中に、一冊だけ、とても興味深いものがあった。ラウラはそれを気に入り、何度も読み返した。しかしそれに気づいたマノンは、ラウラをひどく怒鳴りつけたのだ。

何か一つのものを気に入ってはいけない。それどころか、どの本も好きになってはいけない。嫌いになるのもだめ。喚き散らすマノンを見つめて、ラウラはただ頷いた。

突然、涙があふれだしたこともあった。その時のマノンは酷いものだった。

ラウラ自身、なぜ自分が泣いているのかわからなかった。しかしマノンは、ラウラの頬を打ち、髪をつかんで引きずりまわした。そのあとは、ボロボロになったラウラを見て酷く泣いていた。

次第にラウラはどんな感情も抱かなくなっていく。きれいな虹を見ても、宝石を並べられても、何も感じなかった。怒鳴られても、罵られても、何も感じなかった。何も感じないことに対しても、何も感じなかった。

それがマノンの望んだことだと、それなら自分はそれを叶えるだけだと、なぜだか確信していた。

ガチャリと、部屋のドアが開く音がしたのでそちらを見る。入ってきたのはマノンだ。

「ラウラ、市場にいくわよ。仕事がひと段落したの。あなたの新しい服を買いに行けそう」

マノンはうれしそうに笑っていた。

「うん、先生。何か持っていくものはある?」

立ち上がるラウラに対して、マノンは首を振ると、部屋を出る。ラウラもそれに続いた。

ラウラの髪に結びつけた、鈴の髪飾りが小さく音を鳴らした。






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