第75話 温泉に耳あり
「よっしゃ、相棒。今日も温泉行こうぜ、温泉」
「ははは、シルキーもすっかり馴染んじゃったね」
その日の作業を一通り終えた頃。
リドはシルキーと連れ添って温泉浴場へと向かう。
夜空を見上げると月が浮かんでおり、爽やかな夜風が吹いている。
何とも気持ちの良い夜だなとリドは感じながら、浴場へと進んでいった。
「しかしこう、数か月前に左遷されて王都を離れたのが嘘みたいだよな」
シルキーが湯船に浮かびながらそんなことを言った。
いつもはフサフサの毛が今はお湯に揺られてぶわりと広がっている。
普通、猫は水に濡れるのを嫌うことが多いらしいが、シルキーに至ってはむしろ楽しんでいる節すらあった。
「どうしたのさ、急に」
「んー。いや、良かったなと思ってな」
「良かった?」
「ほら、リドがグリアムのジジイの所にやって来た頃はけっこう暗い性格してただろ? そっからあのジジイの影響を受けたんだろうが、だんだん前を向くようになって、必死で勉強や鍛錬も重ねて。やっと神官として芽が出てきたと思った矢先にあの左遷事件だったからな。また落ち込むんじゃないかと心配したもんだったが」
「ああ……」
リドは露天の風呂から空を見上げ声を漏らす。
今でこそリドは神官らしい知見と敬虔さを持つ人物だと評されることが多いが、昔はそうではなかった。
親に捨てられたことから塞ぎ込み、他者と深く関わりを拒んで。
始めは拾ってくれたグリアムに対してもなかなか心を開かなかった。
そういう事情を知っているシルキーは、どこか遠いものを見るように目を細めながら言葉を続けた。
「懐かしいよなぁ。そんなリドを最初に変えたのがあのジジイだったわけだ」
「……そうだね。グリアムさんには本当に感謝してるよ」
「感謝か……。この前ルーブ山脈で野営をした時にナノハのお姫さんもそんなこと言ってたっけか。もしかしてあのジジイ、なかなかすげえやつだったのかもな」
「グリアムさんはもしかしなくても凄い人だったよ。あの人と出会わなかったら、今の僕は間違いなくないからね」
「はっはっは。それはあのジジイも天国で喜んでるだろうぜ」
「ふふ。グリアムさんのことだし、高笑いしてそうだよね」
心地の良い夜風が吹き抜けた。
それが火照った体にちょうど良くて、リドは静かに息を吐き出す。
「それにしてもリドよ。さっきの話じゃないが、よく左遷を命じられて折れなかったよなぁ。努力を重ねてこれからって時に、あんな仕打ち喰らったら落ち込むのが普通だと思うぞ」
「それは……。王都を出て最初に出会ったのがミリィだったからかもね」
「……」
シルキーは少しだけ驚いた顔をして、琥珀色の瞳をリドの方へと向ける。
そこでミリィの名前が出てくるのかと、意外だったからだ。
「危険を顧みずに、自分の大切なもののために真っ直ぐで。そんな子が頑張っているのを見ていたら、落ち込んでいる場合じゃないなってね」
「……なるほどな」
シルキーからすれば、いつもミリィがリドを強く慕っているように感じていたのだが、リドもリドでミリィに対し尊敬の念を抱いていたのだ。
グリアムと同じくミリィもまた特別な存在なのだと、そういうことなのだろう。
それがシルキーには少し、嬉しい気がしていた。
「まあ確かに、あの真っ直ぐな感じは吾輩も嫌いじゃないけどな」
シルキーは言って、楽しげに笑う。
思えば、ラストアに向かう道中でミリィと出会ったのが色んなことの始まりだったんだなと、シルキーは感慨深く頷いていた。
「本当に僕は人との縁に恵まれているなと思うよ。僕を追ってきてくれたエレナもそうだし、今回の件でナノハや獣人たちとも関わることができた。そういう縁が、僕にとって特別なものなんだなぁって。もちろん、シルキーとの縁もね」
「まったく、相変わらずクサいことを平気で言う奴だ。まあでも、お前らしくもあるがな」
シルキーはそろそろのぼせてきたなと、リドの頭の上に移動する。
フサフサの毛が大量にお湯を含んでいたせいで、リドの頭からはポタポタと水滴が落ちた。
さすがに今は頭の上に乗らないでほしいと、リドはシルキーを肩の上に移動させる。
「さて、そろそろ上がるか。さっき一緒になった獣人たちから、温泉上がりに飲む牛の乳が最高だって聞いたんだ。一杯やろうぜ」
「はいはい」
いつも通りの調子に戻ったシルキーに苦笑し、リドは湯船から出ることにした。
***
一方その頃、女性用の浴場では――。
――ブクブクブク。
数日前とは逆の形で反撃を受けたミリィが、恥ずかしさのあまり湯船に顔を埋めていた。






