第68話 《ユーリカの里》にて、宴と誓い
夜になるまでの間、リドたちはナノハの案内で《ユーリカの里》を見て回っていた。
お付きのムギも一緒で、今はミリィとエレナに手を繋がれながら仲良く歩いている。
ムギの持つ天真爛漫さがそうさせるのか、早々に打ち解けあったようである。
「はぁ……。シルキー様、先程はムギが申し訳ありません」
「尻尾が取れるかと思ったぞ。まったく、子供というのは恐ろしい……」
喋る猫が珍しいと思ったのか、はたまた猫自体が好きなのか、ムギはあれ以降もシルキーにご執心の様子だった。
また尻尾を掴んで振り回されては敵わないので、シルキーはビクビクとしながらムギの動向を警戒していた。
「あはは。シルちゃんってば怖がりすぎですよ。ムギちゃん、こんなに可愛いのに」
「可愛かったとしても吾輩の尻尾を振り回していいわけじゃないからな。吾輩のこの魅力的な尻尾が取れたらどうしてくれる」
何度目かの溜息をつくシルキーだったが、また爛々とした瞳を向けてくるムギにびくっとして縮こまっていた。
それからリドたちは里の各所を歩いて回る。
里の中を流れる小川を横切ると、川沿いに建てられた古い小屋が見えた。
ナノハの話によれば、そこは粉挽きをするための建物らしい。
「粉挽き用の小屋は水車や風車を付けていることが多いと思うんだけど、あそこには付いていないんだね」
「はい。他の村や町ではそれが一般的だと聞きますね」
「何か付けていない理由があるの?」
「強いて言えば、ずっと人力でやってきたからでしょうか。獣人族の中で風車小屋や水車小屋の建築技法が根付いていないというのもあるかと思います。お父様もこうした古い慣習を変えようとされているのですが……」
「そっか。なかなか難しいことだよね」
ナノハは続けてこの里のことを話していく。
遺跡の地下でも話していたことだが、この《ユーリカの里》にはこうした古い慣習がいくつも残っているのだという。
里の中の生産施設は古めかしいものが多く、対外的な交流も始めたばかり。行商路や交易品の確保などはお世辞にも十分な態勢とは言い難い、と――。
「伝統的と言ってしまえば聞こえは良いかもしれませんが、今回の一件もあります。お父様も里の改革の必要性を感じておられるのだと思います」
確かにもっともな話だなと。
リドは古いままの小屋を見ながら思考を巡らせていた。
***
その後もリドたちは里の色んな場所を案内してもらうことになった。
ムギのお気に入りのお昼寝スポットであるらしい大樹や、様々な種類の魚が取れるという池。冬の備えを蓄えている蔵に、昼は子供たちの遊び場で夜には大人たちが焚き火を囲って食事をする場所になるという広場など。
自然と共存し、自給自足を営んできたという獣人族らしさが感じられる場所だった。
「最後に、取っておきの景色をご覧いただきましょうか」
「あそこですね、姫さま。ふっふっふ。きっとみんなびっくりするですよ!」
これから案内する場所にナノハとムギは自信があるらしい。
少し足早になった二人の尻尾が楽しげに揺れていて、リドたちはその後を付いていく。
そして一行は小高い丘へと到着した。
「う、わぁ……」
「凄い眺めですね!」
「絶景ですわ~!」
「こりゃあナノハのお姫さんが自信満々だったのも頷けるぜ。《ユーリカの里》にこんな場所があったんだな」
そこにあったのは、さながら黄金の海だった。
辺り一面に稲穂が揺れる様はまさに圧巻で、なるほど豊穣の大地と呼ばれるのも納得だと、リドたちは一様に息を呑んだ。
「これが稲か……。僕が読んだ獣人族の本にも書いてあったけど、実物がこんなにも綺麗だなんて思わなかったな」
「この丘から見える景色は私も好きで、よく来るんです。今日みたいに晴れた日だととても気持ちが良いんですよ」
「ふむ。吾輩もこの丘で日向ぼっこをしたら最高だろうな。ナノハのお姫さんの気持ちもよーく分かるぞ」
土喰みを倒し、本来の大地を取り戻した影響がここにも表れているらしい。
ラストアとはまた違った形の自然が《ユーリカの里》にはあり、リドたちはこの景色が見られたことに感動を覚えていた。
「そういえば、もう少しすれば収穫の時期ですね。今年はどうなることかと思いましたけれど、この分なら無事に収穫祭も行えそうです」
「収穫祭?」
「はい。《ユーリカの里》では昔から、稲の収穫を行う際に里の者たち総出で祭事を行うのです。毎年賑やかで盛り上がるんですよ」
「へぇ、それは見てみたいね。ラストアにも収穫祭はあるけど、この稲を収穫するとなるとかなり大規模なお祭りになりそうだし」
リドは再び稲穂の海へと目を向け、息を吸い込む。
爽やかな風に乗って稲のかすかな香りが鼻孔をくすぐり、改めて大自然の息吹を感じることができた。
「ふふ。夜の宴になったら振る舞われるかと思いますが、あの稲から採れるお米というものがありまして。それが凄く美味しいんですよ」
「ひめさまの言うとーりです。あれを食ったらみんなほっぺた落ちちまうですよ」
「ほほう? そいつは楽しみだな。夜が待ち遠しいぞ」
食いしん坊のシルキーがニヤリと笑い、耳をピクピクと動かす。
そんな姿を皆が笑い、穏やかな時間が流れていった。
***
「ぷはー! うまいっ! ここの酒、変わった味を出してるなぁ」
夜になって。
リドたちは里の中央広場で大きめの焚き火を囲っていた。
《ユーリカの里》で採れた野菜や川魚などが振る舞われ、リドたちの前には大量の料理が並べられている。
昼間に散々言われたというのに、大勢の獣人たちが訪れては感謝を告げてくるものだから、リドは恐縮しっぱなしだった。
ラストア村でも前にこんなことがあった気がするなと懐かしくなりながら、リドは料理を口に運んでいく。
「シルちゃん。あんまり呑み過ぎちゃダメですよ?」
「久々なんだから堅いこと言うなって。せっかく獣人族の連中が勧めてくれてるんだしよ」
「まあ、それはそうかもしれませんけど……」
「んむ。分かればよろしい。んぐんぐ……。うまーい!」
ミリィが溜息をつく傍ら、シルキーは満足気にお腹を膨らませていた。
シルキーが酒を呑めることを知り、獣人族の大人たちが次々に酌をしに来た結果でもある。
「それよりミリィよ。お前は間違っても酒飲むなよ? 前にそれでやらかしてるんだからな」
「し、シルちゃん、その話題は禁止!」
振られた話題にミリィがばたばたと手を振る。
一方でリドもミリィとの恥ずかしい行為を思い出したのか、居心地が悪そうにしていた。
そんな二人の反応が気になり、隣にいたエレナが尋ねる。
「ミリィさんがお酒をって、何があったんですの?」
「ああ、エレナのお嬢さんも初耳だったか。実はこのむっつりシスターが間違って酒を飲んだことがあってな。酔っ払った挙げ句、リドをお持ち帰りしててな。おまけにベッドの上でリドに抱きついてたらしいぞ」
「ベ、ベッドで師匠に!?」
「わぁああああああ! 駄目ですってばシルちゃん!」
響き渡るミリィの絶叫。
近くにいたナノハとムギも頭から生えた獣耳をピクピクと動かし、話の内容に聞き耳を立てていた。
「な、なるほど。お二人とも親密な関係なのですね。ミリィ様もそこまで積極的な方だとは……」
「ふんふん。神官さんとシスターさんはとっても仲良しさんってことです? これがオトナの関係ってやつです?」
「ち、ちち違うんです。あれはお酒のせいでぇ……」
恥ずかしさのあまり、ミリィが抱えていたシルキーをぎゅっと抱きしめる。
「おぷっ。や、やめろミリィよ。呑んでた酒が、でりゅ……」
「じ、自業自得です」
「お前がやったんだろうが……」
そんな賑やかなやり取りが繰り広げられ、リドは引きつった笑いを浮かべるしかない。
と、一人の獣人がリドたちに何かを持ってきた。
それは器に盛られた料理のようで、湯気がもうもうと立ち昇っている。
「皆さん。こちらが《ユーリカの里》で採れたコメという代物です。ぜひご賞味ください」
「お、これがナノハのお姫さんが言ってたやつだな。早速いただくとするか」
「まったく。シルちゃんってば切り替えが早いんですから」
コメの盛られた器を受け取り、手を付けていく面々。
リドは始め、白い種のような食べ物かと思っていたが、食感も味もまるで異なっていた。
「わ。これ、美味しい……。今まで食べたことのない味なんだけど、ほんのり甘くてもちもちで。何だかすっごく癖になりそうな感じ」
「お気に召していただけたようで何よりです。ちなみにそのコメは以前から貯蔵していた分なので、それでも少し味が劣る方なんです」
「へぇ。これで味が劣るだなんて信じられないな」
「ふふ。新しいコメでしたらもっともっと美味しいんですよ。とってもふっくらしていて、甘さも段違いで。残念ながら今年はまだ収穫前なのですが」
そんな風に言われて期待するなという方が無理な話だ。
笑いかけてきたナノハの言葉を聞きながら、リドは音を鳴らして唾を飲み込む。
それはもちろん、リド以外の面々も同様だった。
「ちなみに皆さん。それと川魚を一緒に食べてみてください」
「コメと川魚を一緒に?」
「はい」
リドはナノハに言われた通り、コメと川魚を口の中に入れる。
すると――。
「~~っ!? な、なにこれ、すっごく合う。これ以上ない組み合わせかも」
「でしょう? このコメという食べ物は、魚やお肉、それに山菜なんかととても相性が良いんです。私たち獣人族は毎日のように食べているくらいですからね」
「ふっふっふ。ムギももちろんすっげー好きでごぜーますよ!」
「こんなに美味しい食べ物が主食なんて、凄いね……」
同じくコメを食していたミリィやエレナ、シルキーも、リドと同じような感想を口にした。
大変な好評だったのが嬉しかったのか、ムギなどは得意気に胸を張っている。
「ちなみにシルキー様が先程呑んでいたお酒も、このコメを元にしたものなんですよ」
「マジか。吾輩、この里にもうちょっといようかな」
シルキーが目を輝かせてそんなことを言う。
(これなら交易品として十分すぎると思うんだけど、やっぱり行商路を確保できていないのが問題なのかな。もったいないと思うけど、交流があるラストアにも持ち込まれていないようだったし、持ち運びが大変なのかも)
リドはそんなことを考えながらコメを口に運んでいく。
それがあまりに美味で、皆があっという間に平らげてしまった。
「はぁー。食った食った。吾輩は大満足だ。もー食べれん」
「猫ちゃんお食事終わったですか? ならムギといっしょに遊ぶです!」
「いや、まだ食い終わったばかりで――ぎにゃー!? お、おい待て。吾輩を持ち上げるな! 揺らすなぁああああ!」
叫び声を上げ、ムギに連れ去られていくシルキー。
そんな愛猫の姿を心配しながら見送っていると、リドの元にウツギがやって来た。
「リド殿、楽しんでいただけているかな?」
「あ、ウツギさん。はい、とても美味しい食事までいただいてしまって。本当にありがとうございます」
「ハッハッハ。昼間にも言ったが、感謝したいのはこちらの方だ。これくらいのことで良ければいくらでも恩返しをさせてほしい」
ウツギは笑い、リドの隣に腰を下ろした。
傍にいたミリィとエレナ、そしてナノハは二人の様子をそれとなく窺っている。
「リド殿。昼間に話した相談事の件なのだが、少し良いだろうか」
「はい。僕でよろしければ」
一族の長からの改まった口ぶりにリドは姿勢を正し、少し緊張気味で耳を傾けた。
「ナノハの案内でこの里を見て回られたと思う。何か感じられたことはあるだろうか?」
「感じたこと、ですか?」
「うむ。我も族長を務めてはいるが、里の外のことについてはさほど知見があるわけではない。それに比べ、リド殿はラストア村を聖地として認定されるほど発展させた手腕もある。そのリド殿の目から見てこの里がどのように映ったか、率直な意見を聞いてみたいのだ」
「なるほど……」
リドは昼間ナノハが案内してくれた時のことを思い起こす。
そして顔を上げ、ウツギにその感想を伝えることにした。
「率直に言って、とても素晴らしい場所だと感じました。ラストアも自然に囲まれていますがそれとは違った趣もあって、素敵な里だなと」
「ふむ」
「一方で、気になったところもあります」
「ほう。それは?」
「ウツギさんが感じていることと同じだと思います。一言で言って閉鎖的な環境だということです」
リドの言葉にウツギは目を閉じ、小さく頷く。
「里の施設も色々と拝見しましたが、少々非効率な……前時代的なものが多くありました。恐らくそうなっていることの原因は、対外的な交流が不足していることにあるのだと思います」
「うむ。続けてくれ」
「対外的な交流を持つことの利点は数多くあります。技術や文化を取り入れることにも繋がりますし、何より今回のように里が危機に瀕した時、救援を求めることもしやすくなります。もちろん、友好的な関係を築けることが前提ですが」
「まさにリド殿の言う通りだな。これまで我らの里は外の者たちとの関わりに積極的ではなかった。それ故の弊害も未だ数多くあろう」
「でも、そんなに悲観されることはないかなと。ウツギさんはその中でも村の改革をしようと動かれていると聞きましたし」
「そうですよ。この里の問題を改善しようとされているお父様はご立派です」
リドとナノハの言葉にウツギは手にしていた酒器を呷る。
酒を豪快に飲み干すと、自嘲気味な笑みを浮かべてリドたちに向き直った。
「いや、我ができることなど限られている。今回の一件についてもリド殿たちやナノハに頼りきりだったわけだしな。まだまだ足りていないと、痛感させられたよ」
「……」
ウツギは族長として里の脆弱性を実感したのだろう。
先程リドが指摘した事柄も、獣人たちの暮らし、ひいてはその安全性に関わる問題だ。
このままではいけないと、そういう焦りの感情を抱え、ウツギは月が浮かぶ空を見上げる。
その苦悩は決して小さいものではないだろう。
そう感じ取ったリドはあることを決意し、ウツギにその考えを伝えることにした。
「あの、ウツギさん」
「ん?」
「よろしければその問題、協力させてもらえませんか?」
「協力?」
「里の問題を解決しようと思っても、人手や資源が無いと難しい点も多いと思うんです。だから、僕にできることならお力になりたいなと」
「確かに、その申し出はありがたいことこの上ないが……」
「ぜひやらせてください、ウツギさん。せっかくこうしてご縁が持てたわけですし」
「ふっふっふ、ですわ。師匠がそう言うなら私も協力させていただきますわよ。お父様も力になってくださるでしょうし」
「もちろん私もです。ラストア村の人たちにもお願いしてみましょう!」
リドたちの真っ直ぐな言葉を受け、ウツギは感謝の念で肩を震わせる。
それはナノハも同じだった。
「皆さん……」
「本当に、恩に着る。ぜひ貴殿らの力を貸してほしい」
「はいっ!」
ウツギが手を差し出してきて、リドは決意を新たにする。
ラストアの時と同じだ。
自分の力が役に立つなら困っている人たちのために使おうと。
かつての恩人であるグリアムに感化され、抱くようになったその想いを胸に、リドはウツギの手を取った。
そして――。
「ぎにゃぁああああ! 尻尾がもげるぅううううう!」
リドたちが熱い想いを交わし合う一方で、ムギの遊び相手を務めているシルキーが叫び声を上げていた。






