第57話 獣人少女の来訪
「うんうん。やっぱラストア村は良い所だなぁ。自然豊かだし、村の人たちもあったけえし。俺もこのまま休暇取ってのんびりしようかな」
「王よ、駄目ですぞ。公務もたんまり残っているのですから、まずはそれらをこなしていただかなければ」
「やれやれ、ガウスはお堅いねぇ」
「王が柔軟すぎるのです」
バルガスとラクシャーナがラストアに着いてから少しして。
リドたちは村の集会所へと場所を移していた。
今は皆で卓を囲み、軽口を叩くラクシャーナに付き人のガウスが溜息をついているところだった。
「王様、紅茶をお淹れしました。よろしければどうぞ」
「お、どれどれ……。うん、ミリィ君が淹れる紅茶も磨きがかかってるな! この分なら良いお嫁さんになれるぞ」
「お、お嫁さんっ……」
ミリィがラクシャーナの言葉に狼狽えながらリドの方をちらちらと見ながら反応を窺う。
その平常運転っぷりに、ミリィの肩に乗っていたシルキーが呆れていた。
「むっつりシスターよ。その下り、前に王様が来た時にもやってたからな。からかわれるのは結構だが、新鮮味がないと吾輩は満足せんぞ」
「べ、別にシルちゃんを満足させるためにからかわれてるわけじゃありませんから! というか、私の反応で面白がらないでくださいよぅ……」
ミリィは言って、紅茶を運んでいたトレイで真っ赤になった顔を覆う。
王が来ているのに緊張感の無さは相変わらずだなと、エレナとバルガスの親子は互いに顔を見合わせていた。
「さて、と」
和やかな空気が漂う中、ラクシャーナが切り替えるように咳払いを一つ挟む。
先程話していたことに触れるのだろうと、皆の注目はラクシャーナへと注がれた。
「念のためのおさらいだが、元王都教会のトップ、ドライド枢機卿が遠征先で黒水晶を利用していたことは知っていると思う」
「はい。魔物の変異や異常発生に関わる黒水晶を各地に撒いて、それを王家の仕業に見せかけようとした事件ですね」
「そう。まあ、要は政変を狙った反乱活動だったわけだが、そのおかげで少しばかり厄介なことになっていてな」
「厄介なこと?」
「ドライド枢機卿の遠征先はヴァレンス王国内だけじゃなかったってことさ」
「え……?」
ラクシャーナ王が言った言葉にリドは声を漏らした。
ミリィの膝の上に乗っていたシルキーが卓上に身を乗り出し、皆の疑問を代弁する。
「ってことは何か? あの野郎、他の国にも黒水晶をバラ撒いていたってことか?」
「うむ。正確に言うと、隣国のブルメリアでも黒水晶がいくつか発見されている」
「なるほど。黒水晶を王家の仕業に見せかけるなら他国にもあった方が色々と都合良さそうだよな。でも、それって大丈夫なのか? ドライドの奴がやったこととは言っても、ヴァレンス王国の責任にされちゃったりするんじゃないか? ひょっとしたら国どうしの問題に……」
「ああ、その点は大丈夫さ。俺、あそこの王様と仲良いからな。事情を説明したらちゃんと分かってくれたよ」
ラクシャーナが軽く言って、シルキーは眉をヒクつかせる。
普通に考えればシルキーの言った通り国際問題に発展してもおかしくない事件である。少し強引な解釈を挟めば賠償責任を追求できる要素にもなり得るからだ。
しかし、ラクシャーナに言わせればその手の心配は無いという。
「マジか……。けっこうな問題だと思うんだが、それを仲が良いからって理解してもらえるもんなのかよ」
「はっはっは。俺ってば顔が広いからな。これも日頃の行いってやつさ」
「シルキー殿が懸念なされるのも分かります。しかし、こう見えて我が王は対諸外国においてかなり信頼の厚い方でして」
「こらガウス。こう見えては余計だろ」
ラクシャーナは飄々とした態度を崩さなかったが、リドはなるほどと感心していた。
普通、国と国との境目にはもしもの時に備えて砦やら関所やらが設置されているのが基本だが、ヴァレンスとブルメリアの間にそのようなものは無い。
連日リドが行っている天授の儀にもブルメリアからの来訪者がいるほどだ。
つまりこれは両国の関係性が相当に良好であること、そしてラクシャーナの外交的な手腕が卓越していることを意味している。
そんな事情を察して、リドだけでなくミリィやエレナ、シルキーまでもラクシャーナに尊敬の眼差しを向けていた。
「はー。王様って思ったより凄かったんだな。これが『能無しの鷹は爪を隠す』ってやつか?」
「……リド少年、シルキー君は言い間違えてるってことでいいんだよな? 俺を弄るためにわざと言ったりしてないよな?」
「すみません……。よくやるんです……」
ミリィが膝上に乗った黒猫を窘めていたが、当のシルキーは何がマズいのか分からず疑問符を浮かべていた。
だいぶ話が脱線したなと、ラクシャーナはミリィが注いでくれた紅茶に口を付ける。
リドやミリィ、エレナも同じように紅茶を啜り、大きな問題になっていないことに安堵していた。
「あれ? でもラクシャーナ王。先程は僕に頼み事があると仰っていましたが?」
「それなんだがな」
ラクシャーナはカップをソーサーの上に置き、言葉を続けた。
「結論から言おう。リド少年たちには、ある場所に置かれた黒水晶を回収してほしい」
「黒水晶を、回収?」
「ああ。前にバルガスんとこの領地、ファルスの町付近に黒水晶の影響を受けたギガントードって魔物が現れる事件があっただろ?」
「はい。他にも大量の魔物が現れた事件ですね」
「そう。そのことからも分かる通り、黒水晶は放置していい代物じゃない。それにブルメリアの王様の理解が得られたといっても、元はヴァレンス王国の教会が残した産物だからな。後始末はこちらでやるのが筋ってもんだし、俺の方で兵を集めて回収に当たらせているんだ」
ラクシャーナがそこまで言って、シルキーがふんすと鼻を鳴らす。
「なるほどな。だからリドたちにも黒水晶の回収をやらせたいと。でも、それならさっき言ってた回収隊に任せりゃいいんじゃないか? わざわざリドが出向くまでもないだろう。人手が足りてないのか?」
「こらシルキー。そんな言い方しなくても」
「いや、いいさ。シルキー君の疑問ももっともだしな。人手が足りていないというの確かにあるんだが、この件にはもっと別の問題があるんだ」
「別の問題、ですか?」
「うむ。……ガウス、あれを頼む」
「はっ」
ラクシャーナが後ろを振り向き指示すると、付き人のガウスが卓上にあるものを広げていく。
それは大型の地図であり、このヴァレンス王国のみならず周辺各国も網羅された代物だった。
「これは、大陸地図ですか。以前見せてもらった地図よりも更に大きいですね」
「ドライド枢機卿の遠征先を記した地図のことですわね。印が付けてありますが、黒水晶の在り処を示したものということでよろしいのでしょうか?」
「バルガスの嬢ちゃんの言う通りだ。つまり、この印を付けた地域にある黒水晶を回収しなくちゃならないってことなんだが……」
「一つだけ、印の範囲が広い箇所がありますわね。ええと、《カナデラ大森林》……?」
広げられた地図には丸で印が付けられていたが、一つだけ広域に及んでいるものがあった。
その印が指し示す地域が《カナデラ大森林》。
隣国ブルメリアの最南端に位置する森林群の名だった。
「この場所、僕たちがいるラストア村に近いですね。というより、ルーブ山脈を挟んで向こうの国境付近にある。ということは……」
「察しの通り、古くから獣人族が住まうとされる森の名称だ」
「やっぱり……」
「そして、リド少年たちにはこの地域の黒水晶を捜索・回収してほしいと、そういうわけだ」
ラクシャーナは「もちろんそれなりの報酬は用意させてもらうからな」と補足したが、リドの思考は別のところに及んでいた。
「《カナデラ大森林》は相当に広い森林群らしくてな。黒水晶が設置された正確な場所が分かっていない」
「ドライドの奴は? 当の本人に吐かせりゃ手っ取り早いんじゃないか?」
シルキーが物騒なことを言ったが、ラクシャーナは静かに首を振る。
聞けば、ドライド枢機卿は王都教会の地下でリドに制圧されて以降、目を覚ましていないらしい。
「で、だ。ラストア村は獣人族とも交流があると聞く。獣人族であれば広大な《カナデラ大森林》の地理にも明るいだろうし、黒水晶のことについても心当たりがあるかもしれない。だから、その者たちと連携を取れれば黒水晶の回収も円滑に進められると思うんだよな」
「あの、ラクシャーナ王。実は――」
「ん?」
リドはここ数ヶ月、定期的にラストアを訪れていた獣人族の姿が見えないこと、そして獣人族がラストアに姿を見せなくなった時期がドライド枢機卿の遠征時期と被っていることなどを説明する。
ラクシャーナもバルガスも、リドの説明を聞き終えると難しい表情を浮かべていた。
「ふぅむ……。ラクシャーナ王よ、獣人族は何かしら黒水晶の影響を受けていると見るべきでしょうな。魔物の多発化で対処に追われているか、それとも別の何かか」
「バルガスの言う通りだろうな。獣人族は高い身体能力を持つとされている種族だし、そう簡単に魔物の手には落ちないと思うが……。チッ、厄介なものを残してくれたもんだぜ」
重い空気が漂い始める中、エレナが両手を合わせて口を開く。
「良いことを思いつきましたわ! それなら、私たちの方から獣人族の里に出向くのはいかがですの? そうすれば獣人族の方たちの現状も分かりますし、困り事があるのでしたらお力にもなれるかと――」
「あの、駄目なんですエレナさん。確かに私たちラストアの住人は交流がありますが、獣人族の住む場所までは誰も知らなくて……」
「そ、そうですのね……」
「でも、確かにエレナの言う通りこっちから訪問するしかないかもね。僕も獣人族の人たちの状況は気になるし」
「とは言っても相棒よ、どうやって広い《カナデラ大森林》の中から見つけるんだ? 手当たり次第に探してたんじゃめちゃくちゃ時間がかかっちゃうぞ?」
「うん、それはそうなんだけど……」
黒水晶の回収と、獣人族の協力を取り付けること。
その二つを解決に導く具体案が出ずに、リドたちは考え込み沈黙する。
そんな時だった――。
沈黙を打ち破るかのように、集会所の扉が叩かれる。
ラクシャーナが入室を促すと、現れたのは入り口の護衛として立っていたはずのラナだった。
「失礼します」
「お姉ちゃん。どうしたの?」
ラナは珍しく焦りの表情を浮かべており、その場にいた皆を見回してから口を開く。
「お話し中にすみません。実は、ある方がお見えでして……」
「え……?」
ラナが告げると、後ろから一人の少女が姿を現した。
その少女の姿を目にした一同は揃って目を見開く。
少女の腰からは狼のような尻尾が、そして頭からは獣の耳が生えていたのである。
(獣人族の、女の子……?)
リドは驚きつつも、少女の様子が気にかかった。
獣耳を生やした少女の呼吸は荒く、明らかに憔悴しきっていたからだ。
「突然のご訪問、すみ、ません……。どうか――」
言葉が途中で切れ、少女の体はぷつんと糸が切れたように力を失った。
「――っ」
傍にいたラナが咄嗟に抱き留めたことで事なきを得たが、少女の体はだらんとして動かない。
そして、皆の心配が寄せられる中、ある言葉をうわ言のように繰り返していた。
「どうか……。里のみんなを、救ってくだ、さい……」






