第30話 【SIDE:王都教会】聖者の思惑
「こ、これはドライド枢機卿。長旅お疲れ様でございました」
「……」
王都教会の一室にて。
ゴルベールは窓辺に立ち外を眺めていた白髪の男へと声をかける。
白髪の男は振り返らない。
彫像のように身動き一つせず、沈黙を守ったままだ。
外に目を向けているため表情も窺うことができなかった。
(くっ……。この御方に黙っていられると緊張感があるな……)
自分よりも立場が上にある者の沈黙というのは、どうしてこうも圧迫感があるのか。
ゴルベールは固唾を飲み込みながらそんなことを考えていた。
ドライド枢機卿――。
現王都教会の最高権利者であり、ゴルベールの上職に当たる人物だ。
遠征から帰還し、今こうしてゴルベールが呼び出されたという状況になっている。
「あ、あの……。ドライド枢機卿?」
ゴルベールは堪えきれなくなって、ドライドへと再び声をかける。
ドライドからすぐに反応がなく、また沈黙が続くのかとゴルベールが思った矢先だった。
「やあすまない。少し、考え事をしていたものでね」
「い、いえ……」
ドライドはゆっくりと振り返りゴルベールへと視線を向ける。
浮かべた柔和な笑みとは対象的に、糸目のように鋭い目つきが妖艶な印象を抱かせた。
顔立ちは年齢不詳といった感じで、見ようによっては三十代そこそこのようにも見えるし、六十代と言われても納得することができるだろう。
(考え事をしていた、か……。よもや私の失態を知り、どのように処罰するか考えていたのではあるまいな。いや、帰還されたばかりでそれはない、か……?)
ドライドの放っていた不思議な圧によって、ゴルベールの思考は悲観的な方向へと流されていた。
「この度は長らくの遠征、お疲れ様でございました。と、ところで、今回の遠征ではどのような――」
「ゴルベール大司教」
「はひっ……!」
ドライドがただ一言発しただけだというのに、ゴルベールはみっともなく裏返った声を上げた。
「そのような前置きはいらないよ。さっそく本題に入るとしようじゃないか」
「ほ、本題でございますか?」
「うん。まずは君が失脚したエーブ辺境伯から個人的な献金を受け取っていたという件だ」
「……っ!」
ゴルベールは思わず尻もちをつきそうになった。
ドライドの細い目に射抜かれたかのように、ゴルベールの顔は青ざめていく。
「どうしたんだい? 今日は暑いくらいにいい陽気の日だというのに」
「あ、いえ……。その……」
全てバレている。
ドライドが怪しく口の端を上げたのを見て、ゴルベールは察した。
「なぜ発覚したのか」よりも先に「どうするべきか」という思考がゴルベールの頭を覆い尽くす。
情けなく額を床に擦り付け、許しを乞うべきだろうか。
例えそれを行動に移したとしても、大げさなどではない。
ドライドが過去、不始末を働いた人物を処罰してきたことをゴルベールは知っていたからだ。
「申し訳ありません、ドライド枢機卿っ! つ、つい魔が差してしまい、その……」
「おや、誤解させてしまったかな? その件に関して別に私は何とも思っていないよ」
「……は?」
「君が誰よりも金や権力を欲していることは知っている。しかし、執着は何も悪いことではないさ。人は何かに執着するからこそ生きられるのだからね」
ドライドは笑みを浮かべたままで言葉を続ける。
「時折、世間には執着そのものを悪だと訴える者がいるが、私にとってみれば謎だよ。自分が飢えれば他の生き物を殺してでも腹を満たそうとするのが人間だというのに。生への渇望は執着と言わないのかな?」
「それは、確かにその通りでございますな……。はは……」
「金や権力への執着? 大いに結構。私は君のその心構えを評価しているつもりだよ。だから別に、君が個人的に受け取っていた献金については糾弾するつもりもないさ」
「あ、ありがとうございます! そのように仰っていただけると私としても――」
「献金については、ね」
時が凍る、とはまさにこのようなことを言うのだろう。
ドライドの糸目が僅かに開き、ゴルベールの心臓が大きく跳ねる。
「さて、私が築き上げてきた王都教会に、多くの民から不信を募らせた抗議書が届いているようなのだが、その件について説明してもらおうか?」
「あ、あぁ……」
ゴルベールはパクパクと口を開閉させ、呻き声を漏らすのが精一杯だった。
***
「ぐ、ぁああああ……!」
「さて、このくらいにしておこうか。あまりやりすぎて使い物にならなくなっても困るしね」
ドライドは笑みを浮かべ、ゴルベールの背中に押し付けていた焼きごてを離してやった。
ドライドが手にしていたのはただの鉄の棒ではなく、ところどころに紋様が刻まれている。これにより、焼印を刻むだけでなくある効果を発揮するのだが、それをゴルベールは知らない。
熱した鉄棒を押し付けられ、あまりの痛みによだれを垂らして喘ぐばかりだった。
「ほら。服も着るといい」
「うがぁっ……!」
やっと解放されたと思っていたゴルベールが、またも悲鳴を上げる。
ドライドが衣服を被せたことで、先程まで焼かれていた箇所に布の繊維が擦れ、体の芯から侵されるような痛みに襲われたからだった。
「お、お気遣いいただき、ありがとうございます……」
「なに、構わないさ」
背中の激痛に耐えながら、ゴルベールはヨロヨロと立ち上がる。
「しかし、君が左遷を命じた少年。リド・ヘイワース君と言ったか。凄いね彼は」
「リド・ヘイワースが凄い、ですか……?」
「ああ。だって彼がいなくなったことで王都教会に対する不信感が高まっているのだろう? 裏を返せば、それだけ彼に心を寄せる人間が大勢いたということだ。君よりよっぽど役に立っていたんじゃないかな」
「く……」
痛みとは別の理由で顔を歪めたゴルベールに、ドライドは容赦なく言葉を浴びせかけた。
「君が若い彼に嫉妬するというのも分かるけどね、私の身にもなってくれよ。もしそれだけの逸材が王都教会に残ってくれていたなら、さぞ上質な看板として使えていただろうに」
「……」
「良いかい? 君は王都教会の看板に泥を塗ったんじゃない。引き剥がして投げ捨てたのさ。だったらやるべきことは一つ。分かるよね?」
ゴルベールは理解する。
ドライドはこう言っているのだ。
外した看板を探してこい、と。そして再度取り付けろ、と――。
しかし、今さら王都教会に戻るよう伝えたところでリド・ヘイワースは大人しく従うのだろうか、とゴルベールの胸の内に疑念がよぎる。
「でも、そもそも君の自業自得だよね?」
ゴルベールが答えに窮していると、ドライドは見透かしたかのような一言を放ってくる。
ドライドの顔には相変わらず笑みが浮かんでいたが、それが逆に恐怖であり、だからゴルベールは咄嗟に答えた。答えるしかなかった。
「や、やります! リド・ヘイワースを連れ戻し、王都教会の信頼を回復してみせます……!」
***
「ユーリア。そこにいるんだろう?」
ゴルベールが部屋を出て行った後で。
ドライドが呟くと、先程まで誰もいなかった空間に紫髪の美女が現れる。
「申し訳ありません、ドライド様。あの男が生理的に受け付けられないので、気配を隠しておりました」
「まあ、その気持ちはとてもよく分かるけどね」
このユーリアという人物は、長年ドライドの補佐を務めてきた人物である。
【気配隠匿】のスキルを得意とし、その役割は単なる秘書に留まらない。
実はドライドがゴルベールの失態を知り得たのも、彼女の働きによるものだった。
「それにしても、よく働いてくれたね。先にユーリアを王都教会に戻しておいたおかげでゴルベール大司教の不遜な行動も看破できたよ」
「勿体ないお言葉」
ユーリアが短く呟く。
こともなげに言ったその言葉が、ユーリアからドライドに対する忠誠心を表していた。
「ところで、ドライド様」
「何だい? ユーリア」
「先程のお話の件ですが、リド・ヘイワース神官、戻ってくるでしょうか?」
「いや、厳しいだろうね」
即答したドライドに、ユリアは思わず問いかける。
「……では、何故? もうあの、醜く哀れで見るに堪えない愚かな豚についても不要でしょう。ドライド様に命じていただければすぐにでも首を落として参りますが?」
「やれやれ、君はよほどゴルベール大司教が嫌いなんだな。まあ、言っていることは間違っていないけどさ」
「申し訳ありません。つい私情が漏れました」
「戻ってくることが厳しい、と言っても可能性がゼロではないだろう。だから、ゴルベール大司教は適当に遊ばせておくとするさ。『保険』もかけたしね」
「……分かりました。ドライド様がそう仰るのでしたら」
ユーリアは切り替えた様子で首肯した。
ドライドもまた頷き、懐から「あるもの」を取り出すとそれをそのまま目の前の卓の上へと置く。
「それに、いよいよコレを使った計画も進めたいところだからね」
そこに置かれたのは、淡い光を放つ「黒水晶」だった。






