第13話 雷槌召喚
「あなたはこの場を離れてください。ここは僕が何とかしますので」
「は、はいっ!」
リドが斬りつけられそうになっていた男性を救出し、逃した後で。
エーブ辺境伯が声を張り上げながら、握った長剣をリドへと向ける。
「い、一体何者だ貴様は……!? 見張りの兵たちは何をしておった!」
その切っ先が微かに震えていたのは、何もないはずの空間から突如として神官服を纏った少年が現れるという奇怪な現象に遭遇したからだ。
エーブは警戒しながら、しかし自らの地位を誇示する態度は崩さずに、リドを睨めつけていた。
「僕は神官リド・ヘイワース。鉱山都市ドーウェルが鉱害問題を起こしている可能性があり、調査しに参りました」
「調査、だと?」
「ええ。先程のお話によると、毒性を持つことを知りながら、黒水晶を川の水で洗浄しているとか。それを認めているのが貴方だということですね、エーブ伯」
「フン、だから何だと言うんだ」
「実は河川の下流にある村で健康被害が出ているんです。このままでは黒水晶の毒に侵され、人が住めない土地になってしまいます。即刻、黒水晶の採掘を中止してください」
リドは淡々と事実を述べていく。
貴方のしていることは、私欲のために人の尊厳や命すら奪いかねない行為だと。
しかし、エーブはリドの言葉に悪びれる様子はなく、それどころか先程と同じ言葉を繰り返した。
「だから、それが何だと言っている。我の領地でない村のことなど、どうでもいいわ」
「……」
エーブの言葉を受けて、リドの目が少しだけ細くなる。
ミリィとシルキーはまだ《アルスルの外套》に隠れていたが、それぞれがエーブの言葉に憤慨しており、シルキーなどは尻尾をべしべしとミリィの腕に叩きつけていた。
「もし貴方が黒水晶に関する一件を改善するつもりが無いなら、然るべき機関に報告することも――」
「ククク。やってみるがいい。貴様のようないち神官と、辺境伯の地位にある我と、どちらの言葉が信用されるかは明らかだと思うが?」
「……分かりました」
リドが言ったその言葉を、エーブは服従と受け取ったようだ。
ニヤリと口の端を上げ、勝ち誇った笑みを漏らす。
しかし、もちろんリドは屈したわけではない。
前に一歩を踏み出し、そしてはっきりとした口調で言い放った。
「なら、エーブ伯。貴方を拘束して強制的に止めてみせます」
「な、なんだと!?」
エーブが今度は慌てながら後ずさる。
本来なら神官の立場で辺境伯の地位にある者を拘束しようなどという発言は、世迷言と一笑に付されるところだ。
しかし、真っ直ぐにエーブを捉えたリドの瞳には、それをさせない力強さがあった。
「前から思ってたんですけど、リドさんって意外と大胆ですよね」
「大胆というか、普通の人間が悩んだりする過程をすっ飛ばして決断しちまうんだよ。何せ、運動しろって言われてドラゴンを討伐しにいくような奴だからな」
「ど、ドラゴンを……?」
「まあ、ああいう一直線なところ、吾輩は好きだがな」
アルスルの外套の中でミリィとシルキーがやり取りしながら、エーブと対峙するリドを見つめていた。
「あなたが先程どうでもいいと言った村は、僕にとってとても大切な場所です。その村の人たちは、爪弾きにされた僕を疎ましがるどころか、とても温かく受け入れてくれた。僕はその人たちに感謝しているんです。だから、その村や村の人たちを蔑ろにするようなら、僕は全力で止めます」
「し、しかし良いのか? 私は辺境伯の地位にある者だ。貴様のようないち神官が歯向かったとなれば、教会本部から断罪される恐れもあるのだぞ?」
「関係ありません。僕は貴方のように保身を一番に考えるような大人にはなりたくない」
どうやら説得しても無駄らしいと悟ったエーブが、眉間にシワを寄せる。
「生意気なガキめ……。この我に勝てると思うなよ」
エーブが冷ややかな口調で言い放つと、エーブの周辺を覆うようにして透明な緑色の膜が現れる。
それは防御結界だった。
「ククク。これが我のスキル【堅固の断壁】。オーク種の一撃すら防ぐ『赤文字』の上級スキルだ。貴様がどう戦おうとしているのかは知らんが、物理的な攻撃だろうと魔法の攻撃だろうと、この我の防御結界を打ち破ることなどできん」
「……」
エーブには絶対の自信があるようだった。
通常なら、スキルは天授の儀の際に表示される神聖文字の文字色――白、青、緑、赤の色で等級付けされる。
赤文字のスキル保持者は千人に一人と言われ、エーブの持つスキルが強力かつ希少なものであることを示していた。エーブの自信は決して虚栄ではないということだ。
しかし、リドの表情は変わらなかった。
リドは手にしていたアロンの杖をその場に置き、小さく口を動かす。
神器召喚、と――。
その言葉が音として発せられると、リドの手には大槌が握られていた。
その槌はリドの背丈をゆうに超え、高い天井にも届き得るほどに巨大。そして紫色の電撃を帯びている。
《雷槌・ミョルニル》――。
リドが扱う神器の中でも特に巨大な武器であり、見た目通り、期待通りの破壊力を兼ね備える。
「な……。なんだ、その武器は……。そんなもの、見たことが――」
「防御結界のスキルがあるなら、大丈夫ですよね?」
「え――?」
ぽかんと口を開けたエーブの頭上に、リドが召喚したミョルニルが振り下ろされる。
それはさながら、巨人が蟻を踏み潰すかのような光景だった。
エーブが展開していた防御結界は一秒と持たず、鏡が割れるような音と共に消滅する。
そしてエーブは地面に叩きつけられる――だけでは止まらず、床を突き破って階下に落ちていった。
「うぉおおおおおおっ!?」
リドが空いた穴からエーブの行方を見やると、どうやら地下にまで達しているようである。
「ちょっと強すぎたかな……」
穴の奥底で白目を向いているエーブを見つけ、リドはポツリと漏らす。
そこへ続けて《アルスルの外套》から抜け出たシルキーとミリィが姿を現し、リドと一緒に空いた穴を覗き込む。
「馬鹿な奴だ。赤文字のスキルでリドに敵うはずがないだろう」
「普通なら赤文字のスキルを持った人って相当強いと思うんですが……。あ、リドさん、あれ……。あそこで散らばっているのが黒水晶じゃないですか?」
ミリィが指さした先、地下に落ちたエーブの周辺には木箱と散乱した黒い鉱石があった。
「なるほど、地下に保管してたんだね。見つけられて良かった」
「証拠もあれば言い逃れできないだろう。これで百件落着だな」
「シルキー、また言葉が間違ってるからね」
規格外の戦闘の後で緊張感なく話すリドとシルキーを見て、ミリィは乾いた笑いを浮かべるしかなかった。