今日誰かを十二回褒めないと、俺は死ぬ
今日、誰かを十二回褒めないと俺は死ぬ、らしい。
「ちょっとお時間よろしいですか」
「よろしくないですさようなら」
登校中、塾の宣伝のようなものを配っている女性に声をかけられた。怪しいし、朝は時間もない。返事だけして通り過ぎようとすると、ガシッと腕を掴まれた。前を歩いていた人には、チラシを渡すだけだったのに。
「貴方に話がありまして」
「高校に遅れちゃうんですが。塾なら入りませんよ」
「塾? ああ、これは偽装です」
そう言って、女性は手に持っていたチラシを消す。ついでに背中に羽を生やす。ちょっと意味が分からない。
「何ですかそれ」
「見て分かるとおり、私は悪魔なんですが」
「分かりませんが。どちらかと言えば天使じゃないですか」
生えた羽は真っ白だ。心なしか、天使の輪が頭の上に見えているが。
「……私は悪魔なんですが、」
悪魔(自称)がものすごく目を泳がせる。嘘が下手すぎる。
「この世界にいるんですね。初めて見ました」
かわいそうなので、もうつっこまないことにした。
「それはさておき。貴方は今日、誰か女性を十二回褒めないと死んでしまうんですよ」
「衝撃的な展開ですね」
「だから頑張って、誰かを褒めてくださいね」
「悪魔なのに忠告してくれるんですね。というか、何で死ぬんですか」
彼女はうっ、と言葉に詰まる。数秒考えた後、虚空から弓と矢を取り出す。
「ええと、この矢で貫かれて……ですかね?」
「物理的。どう見てもキューピッドの矢ですが。褒めるのと関係あります?」
「ともかく、褒めてください! 褒めるのが成功したら、貴方の脳内で音が鳴るようにしたので。分かりやすいですよ」
「可愛いですね」
頭の中でパンっと弾けるような音とともに、『一回目!』と声がする。なるほど。
「褒めるべきは私じゃないです」
「え? でもカウントされたからいいのでは。綺麗な羽ですね」
『二回目!』
彼女の天使の輪(仮)が輝く。
「だから、他の人を褒めてきてくださいって。仕事にならないじゃないですか」
「そう言われても。透き通った声ですね。その服も似合ってますよ。正直なところも素敵です」
『三回目! 四回目! 五回目! いい調子!』
パパパパパンと鳴る。ちょっと楽しくなってきた。
「待ってください……」
「髪の毛がさらさらですね。朝から仕事をして熱心ですね。忠告してくれるなんて優しいですね」
『六回目! 七回目! 八回目! もう少し!』
彼女の天使の輪(仮)は、激しく明滅している。もしや照れると光るのか。耳まで真っ赤だ。
「……その調子で学校でがんばってください。さようなら」
「あと四回なんで行かないでください」
彼女が羽ばたいていこうとするので、手をつかんで止める。
「手首めちゃくちゃ細いですね。爪が整ってますね。こんな面白いシステムをつくれるのがすごいですね」
『九回目! 十回目! 十一回目!』
彼女は片手で顔を覆い、うずくまってしまっている。そのまま、うめくように言う。
「……貴方、彼女いないんですよね。なのに褒め言葉をすらすらと」
「彼女の有無は関係ないでしょう。褒めるのは得意なんですよ」
「声をかける前に調査したんですけど、そんなに人のこと褒めてませんでしたよね……」
「命がかかってますから」
「ごめんなさい、それ嘘です。ついでに、実は私は天使です」
彼女は立ち上がって、頭を下げる。
「でしょうね。でも、今度から『貴方は死にます』はやめたほうがいいと思いますよ」
「身に染みて分かりました……。すみません」
俺は彼女の手を放す。
「でも、俺は楽しかったです。あなたのおかげですよ」
『十二回目! おめでとう!』
頭の中でファンファーレが鳴る。
俺は走り出した。授業の一限にはもう間に合わないだろうけれど。
「おはようございます。また会いましたね天使さん」
「おはようございます」
翌日。天使さんは今日はティッシュを配っている。
「今日の服もお洒落ですね。ハーフアップが似合ってますよ」
「あの、褒めなくても貴方は死にませんよ?」
「知ってます。ではまた」
今日は学校に遅れないように、天使さんに手を振って去る。
その後も平日は毎日、天使さんに会った。
「前髪を切りましたか? かわいいですね」
「ありがとうございます……?」
「羽、さわってみてもいいですか? わあ、ふわふわですね。気持ちいい」
「今だけですからね、特別ですからね」
そして二週間がすぎたころ。
「こんにちは天使さん。土曜日にも仕事ですか? 偉いですね」
「ぐ、偶然ですね!」
天使さんは、今日は求人広告を配っている。
「学校に行かないので、道で会えないのかと思ってました。会えて嬉しいです」
「ええ……偶然ですから」
天使さんの目は泳いでいる。
一か月後。
「どうして昨日も一昨日も来なかったんですか!」
「すみません、修学旅行でして。これはお土産です」
天使さんにキーホルダーと、お菓子を渡す。
「ありがとうございます……なるほど、修学旅行……」
「喜ぶ顔がかわいすぎますね。待っていてくれたんですか?」
「別に、そういうわけでは!」
天使の輪がまばゆく光る。
そんなこんなで、三か月が経った。今では一緒に映画館に行く仲だ。
「私、天使業向いてないんですよ。このままだと人間堕ちします。クビです」
「クビとかあるんですね」
映画の感想をひときしり喋ったあと、天使さんは言う。
「人間を何人以上、くっつけた上で幸せにしなければいけないっていうノルマがあるんですが。私の矢が当たった人間はだいたい破局するんですよね。切羽詰まって、本人の努力をサポートする形にしようと思ったんですが」
「あの十二回褒めないと死ぬ、のやつですか。苦手でも努力するところが素敵です」
「でも、上手くいきませんでした……」
天使さんは机にぺたん、と顔をつける。
「じゃあ、人間になったらどうですか」
「そっちの方がいい気がしてきましたね……」
「それで、俺と付き合ってください」
顔をあげかけていた天使さんが十秒ほどかたまる。
「さらっと言いますね」
「それが得意なんですよ」
「じゃあ、よろしくお願いします」
彼女は微笑み、頭上の輪はやわらかに光る。
彼女が人間になって、これが見られなくなるのは少し残念かもしれない。