魔物の森
翌日の昼過ぎ、ソリオンは畑の脇にある草むらにいた。
肩にはイチがしがみついている。
「よし、北の森へ行くか!」
父親やカナンとの約束など無かったかのように、魔物図鑑を埋めるべく、魔物がいる森へ行こうとしてる。
物事には優先順位というものがある。
「キュウ?」
イチが何かを察したように声を上げる。
「大丈夫だ。危なそうなら逃げるし、できるだけ安全に行くよ」
北の森に向かおうとした矢先に、シェーバの呼ぶ声が聞こえる。
「ソリオンー、どこにいるのー?」
「ここにいるよー!」
草むらにサッとイチが隠れる。
「また虫取り?本当に好きね」
「《《色んな生き物》》を探したいんだ」
「そう。本当に好奇心が強いのね。母さん、イースを連れてサニタのところまで行ってくるわね」
会ったことはないが、サニタは村の有力者で、国の偉い学校をでた村唯一の医者だと記憶している。
おそらくイースの定期健診のようなものだろう。
「いってらしゃい」
「夕方には帰ってくるけど、あまり家から離れたらダメよ」
「分かってるよ」
シェーバは心配はしつつ、幼い子どもの足でいける範囲はなど、大したことないと思っているようだ。
そう思うのも当然で、家の周りは大きな畑で覆われており、数百メートル歩いた程度では畑から出ることはない。
(甘いな)
ソリオンは含みの笑いを浮かべながら、街に向かう母親を見守る。
シェーバがイースを連れて多脚車に乗り込み、出発する。
遠くに行ったことを確認するとソリオンはイチを呼ぶ。
呼ばれたイチは草むらかは出てきて、ソリオンの肩のよじ登る。
「気を取り直して行くぞ!」
ソリオンが走り始める。
走るソリオンのスピードは徐々に上がり、子どもとは思えないスピードに達する。
そのスピードはその辺の大人の走りより早い。
(やっぱりイチがいると楽だな)
イチを捕まえて、しばらくして分かったことだが、イチと身体が触れている状態だと、飛躍的に身体能力が向上する。
イチの<特技>なのか、魔物は皆そういった<特技>を持っているのかはわからない。今後、他の仲間を捕まえていけば、わかるようになるだろう。
子ども一人で、魔物が住む森への視察などという無謀な行動は、イチという存在がいたからこそ敢行しようと考えたのだ。
(離れると普通の子ども並みに戻るだから、無理はできないけど)
30分ほど走ると、村と森の境界が見えてきた。
粗末ではあるが、境界には所々石垣が作られてる。
(防波堤というより、塹壕みたいだな)
石垣の間をくぐり抜け、北の森へ入る。
北の森は湿った土独特の香りが立ち込めいる。
鬱蒼とした木々が太陽を遮っており、
真昼だというのに仄暗さと冷んやりとした澄んだ空気を感じる。
足下はソリオンの胸の高さまである草が所々に茂っており、身体能力が上がったソリオンでも動きづらい。
隠れるにはもってこいだが、それはこの森に生きる者たちにも同じことが言える。
茂みから何かが飛び出てくるのではないかと思い、慎重に辺りを見回しながら進んでいく。
1時間ほど森の中を探索するが、特に変わったことは起こらない。
いや、むしろ《《起こらな過ぎる》》。
(おかしい。森が静か過ぎる)
魔物はおろか、普通の動物や虫の気配もしない。
田舎で育ってきたソリオンにとって、通常の生き物の気配がしないことに違和感を覚える。
(何かが起きてるのかもしれない。無理は禁物だな。今日はこれくらいにして引き上げるか?)
引き返そうと振り向いた瞬間、イチが唸り声を上げる。
咄嗟にソリオンは態勢を低くする。
イチの視線の先のある草の茂みから、針の生えたネズミが飛び出してきた。
「バロナだ! イチ、気をつけろ!」
草むらから出てきたネズミは、イチの同族だ。
昨日の父親の話からイチは”バロナ”という種族である事がわかった。
野生のバロナは驚いたように立ち上がり、こちらをハッキリ視界に捉えると、激しく威嚇し針の逆立てる。
針を飛ばされる可能性があるため、ソリオンは急いで距離を取る。
十分な距離を確保した事を確認し、ソリオンはイチの針の先端へ軽く指を押し当てる。
すると指先から少量の血が出てくる。
(相変わらず鋭利だな。殆ど痛みを感じない)
指からでたきた血と魔力を混ぜて、赤白く光球体を手際よく生成する。
(もうイチがいるけど、一応捕まえておくか)
隙を下がるため。注意深く野生のバロナを観察する。
バロナは忙しなく髭をヒクヒクさせて、前にいるソリオンと後ろの草むらの両方を気にしている。
(なんだ? 後ろを気にしてるな)
ともかく、折角の邂逅を無駄にするつもりはない。
ソリオンは野生のバロナに対して、針の攻撃を誘う為、回避可能なギリギリの位置まで近づく。
野生のバロナは威嚇の声をあげた後、針を唸らせ、針を飛ばしてくる。
全力で針を避けると、攻撃直後で硬直した野生のバロナへ光る球体を投げる。
(やっぱり針を飛ばしたら一瞬固まるな。イチと同じだ)
投げた光の球は吸い込まれるように野生のバロナへ直撃する。
(よし!)
ソリオンは手応えを感じる。
しかし、前回と反応が違う。
球はバロナを飲み込むことなく、《《当たると同時に霧散した》》。
(……何か条件でもあるのか)
ソリオンは熱くなることなく、同じように攻撃を誘い、その後も3度ほど光球を当ててみたが、同様結果だった。
(同じ種類を2体以上捕まえられないか、それとも弱らせる必要があるのか)
いくつか可能性があるが、前回との違いは大きく2つだ。
前回はイチが仲間にいなかったこと、そして、前回はイチが傷ついていたことだ。
(あんまり気乗りしないけど、検証は大事だ)
野生のバロナは相変わらず針を当てようと躍起になっているが、後ろを気にする事をやめてはおらず、それが焦りを生んでいるようにすら見えた。
「イチ、僕に合わせて針を飛ばして」
野生のバロナが飛ばした針をソリオンが回避し、直後に肩に乗っているイチがカウンターをお見舞いする。
「ピギャアアアーー!」
イチの繰り出した針が数本深くまで刺さると、野生のバロナは苦しみの声を上げる。
(……小動物をいじめてるみたいだ)
正直、魔物とはいえ生き物を傷つけるのは、正直キツいものがある。
「ごめんね。でも、僕にはやらないといけない事があるから」
傷ついた野生のバロナに対して、光の球を当ててみるが、
光の球は霧散し、やはり結果は変わらない。
(同じ種類は複数捕獲できない、もしくは捕獲確率が相当低くなる、で確定かな)
検証のために傷つけてしまった野生のバロナに心の中で謝罪しつつ、これ以上は無意味と思い、その場を離れようする。
シュッバッ
一閃、目にも留まらぬスピードで何かが横切る。
横切った直後に、何かが転がっていく。
(さっきのバロナの首!?)
そこには鋭利な刃で切断され、血を撒き散らしながら転がるバロナの首があった。
一瞬でイチが臨戦態勢にはいる。
何が起こったのか分からず、あたりを見回すが周囲には何も見当たらない。
(何かいる……)
通り過ぎたモノを目で追いかけるが、木が視界を遮り見つけられない。
警戒度を最大限に引き上げつつ、あたりを注意深く見回す。
すると頭上から何かが急接近する気配を感じる。
見上げると、鳩ほどの大きさの黄色の鳥が、尾をこちらに向け猛スピードで向かってくる。
(鳥!?)
向上した身体能力を最大限に振り絞り、転がりながら回避する。
肩に乗っていたイチが振り落とされ、転がっていく。
「痛っ!!」
回避したと思った瞬間、左肩に痛みが走る。
完全に回避しきれず左肩を少し切られたようだが、先程のバロナのように体を切り飛ばされる様な事態は回避したようだ。
先程の鳥が空中で旋回し、再度こちらへ振り向く。
木々から溢れる陽の光が、鳥に当たると尾のあたりにが鈍く光る。
(尾が刃になってる。父さんの話だとスキーリオってやつだな)
尾をソリオンにまっすぐ向け、再度斬りかかろう翼を羽ばたかせる。
(不味いな…。イチ離れてしまった状態で避けれるか?!)
イチと離れてしまえば普通の4、5歳児の身体能力でしかない。
目にも止まらないほどの疾さで、黄色い鳥が向かってくる。
全力で回避しようとするが、先程と比べ体の動きは鈍く、躱そうとしても鳥は軌道を難なく合わせてくる。
「クソッ」
鳥の刃とソリオンの距離がもう僅かというとき、数本の鋭い針が横から割って入る。
「ピイィィィ!」
堪らず急旋回した鳥の羽に、一本の針が刺さっている。
ソリオンは針が飛んてきたほうを横目で確認すると、イチが全身の毛を逆立て威嚇している。
「ナイスだ!イチ」
黄色い鳥は警戒するようホバリングしながら、イチとソリオンを睨みつけているようだ。
しかし、その動きは先程までの俊敏さを欠いているように思う。
(イチの針でダメージを負ったか。それならチャンスだ!)
ソリオンは左肩の傷から出ている血と魔力を混ぜ、赤白く光る球を作る。
そして、すぐ黄色の鳥に向けて、光る玉を投げる。
スッと黄色い鳥は、こともなげに光る玉を避ける。
(やっぱりか)
針が羽に刺さり若干の機動力を奪ったとはいえ、空を飛ぶ鳥にボール当てるなど、安々とできるはずがない。
ソリオンは再度、光る玉を生成する。
「イチ、もう少し針を当ててくれ。でも、できるだけ致命傷を避けてほしい」
「キュウ?」
イチは意図を計りかねると言いたげだ。
「あいつを、捕まえるぞ」
「キュ!」
イチはソリオンの意図を理解したようだ。
直後、3本の針を飛ばす。
しかし、イチの針も難なく避けてみせる。
先程はソリオンへの攻撃中に、意表を突く形でヒットしたに過ぎないようだ。
鳥から目を逸らさず、どうすれば光の球を当てることができるか、思考を加速化させる。
思考といっても時間にしてはせいぜい数秒間。
ソリオンは思いついた作戦を実行するか迷うが、熟考しているだけの余裕はない。
このまま何もしなければ、切り刻まれて終わるだけだ。
深呼吸し、覚悟を決めた
そして、目の前に集中する。
「イチ、僕の左首の辺りに狙いを定めておいて。タイミングを外さないように」
「キュ!」
イチはよくわからないまま、主の言うことに従うことにした。
イチと離れた状態だと、鳥の攻撃を避けることはまずできない。
しかし、イチの所まで行って肩に乗せている隙きなど見せれば一貫の終わりだ。
使えるものは限られている。
光る球はさっき避けられた。つまり《《警戒されている》》。
これを活かすしかない。
ソリオンは右手に光の球を握りしめた状態で、黄色い鳥へ近づいていく。
鳥は近づいてくるソリオンを警戒しているように睨みつける。
場の緊張が最大に達したところで、鳥が多く翼を広げ、全速力でこちらに向かってくる。
(相変わらず速いな!)
背中を何か冷たいものが流れるように感じる。
ソリオンは、右手に持った光の球を、いつでも投げれるような態勢を取る。
稲妻が奔るかのように飛翔する鳥は、一瞬でソリオンの手前1mというところでまで急接近する。
その瞬間を見計らったかのように、ソリオンは光る球を持った手を大きく振りかぶる。
しかし、ソリオンは手元の《《光る球を投げない》》。
鳥は一瞬だけ驚きを示したが、大きく翼を翻し、燕返しのごとく急上昇、急旋回することでソリオンの背後へ素早く周り込む。
シュッバッ
旋回した勢いそのままに、無防備なソリオンの首めがけて、尾の刃で斬りかかる。
「頼む!!」
無慈悲の白刃がソリオンの首に振り下ろされようとした、その刹那、イチが放った針たちが黄色い鳥へ襲いかかる。
ブスッブスッ
新たに2本の針が鳥に刺さる。
鳥は飛翔できず、たまらず地に落ちていく。
「よし!!」
手に持っていた光る球を鳥に投げる。
地面に落ちるかどうかという瞬間、光る球は鳥に当たり、飲み込んでいく。
「やったぞ! 球の中に入れたぞ!」