村の終わり
「ソリオン! 起きてる!?」
シェーバが慌ただしく寝室の扉を開く。
「起きてるよ。母さん、あれは何?」
窓の向こうで燃え盛る炎を遠目でみる。
「分からないわ。でも、とても嫌な予感がする」
「嫌な予感…」
ソリオンはシェーバと一緒へリビングへと向かう。
リビングには既に着替えて終わっているダトと、ソファーで眠そうにしているイースがいる。
「ソリオンも目が覚めたか。村が心配だ。俺は見てくるが、お前はいつでも非難できるように準備しておけ」
「父さん。危なくないの?」
「わからん」
ダトが出かけるためにローブを手に取る。
しかし、ローブを取ることなく、掴んだまま固まる。
「なんてこった……。まさか、そんな」
夜の薄暗さも相まってダトの顔は青くなっているように感じる
シェーバは口に手を当てて、声もでない様子だ。
「どうしたの、父さん?」
ダトは振り向くと、少しためらった後、
自らの耳にかけていたイヤーカフス型の魔道具を取る。
それをソリオンの耳へ付ける。
『緊急速報! 第一種非難命令が発令されました。必要最小限の家財のみを持ち、各自決められたルートで直ちに脱出すること。繰り返します………』
「脱出って、どういうこと!?」
「話は後だ。急いでリュックに大事なものを詰めてこい。あまり多くは持っていけないぞ」
ダトが真剣な表情でソリオンへ促す。
「シェーバ。俺は車を表に回してくる。身分証とイースの準備を頼む」
「わかったわ」
シェーバはそう答えると、家中の棚を次々とひっくり返していく。
ソリオンは必要最小限の着替えのみをリュックに詰め込むリビングへ戻る。
「母さん、手伝うよ!」
「ソリオン、あなたの準備はもういいの?」
「うん。無くなって困るものはあんまりないしね。だけどイチたちは連れていきたい」
「もちろんよ」
ソリオンはシェーバの指示通り、緊急の食料や水、イースの着替え等を用意する。
必要最小限の荷物をリビングに集めた瞬間、ドアが乱暴に開けられる。
「おい!用意はできたか!?」
ダトが大声で叫びながら、リビングへ入ってくる。
「……ええ」
シェーバは答えると、ドアに背を向け、部屋を見つめる。
「ここでの思い出も沢山できたのに。また、全部捨てて行かきゃいけないのね……」
シェーバの目に涙が浮かべながら、ソリオンのお下りであるイースの椅子を名残惜しそうに撫でる。
ダトが背中にそっと肩に手を添える。
ジャンの話ではダトとシェーバは一度、生まれ育つた村を失っている。
「生きてれば、また次がある」
シェーバは添えられた手を握ると、涙を拭き取る。
「そうね。生きていればやり直せるわね」
ダトはシェーバの手を握り、多脚車へと向かう。
ソリオンは荷物を背負い、イースを優しく抱き抱え、多脚車へ向かう。
イチ達も手伝って、他の荷物を運び込み、全員車に乗り込む。
「……いくぞ」
多脚車が出発した瞬間、再度大きなドンッという爆発音が辺りに響きわたる。
大きな火柱が市場のあたりから上がっている。
「父さん、あれも魔物の仕業なの?」
「そうだ。第一種避難命令は、人の手に負えない魔物に襲われた時に出される物だ」
「騎兵団はどこかに行ってるんだろうか」
ソリオンは何故前回のように戦わないのか、不思議に思う。
「騎兵団はいる。それでも手に負えないという判断がされたということだ」
「そうなんだ。もしかしてA級の魔物でも出たのかな」
騎兵団が対応出来ないほどの魔物であれば、よほど上位魔物が現れたのかと思う。
「A級なんてのは国家戦力並みだぞ。最初の放送では、C級の魔物らしいとのことだ。だが、こんな田舎じゃ絶望的な階級だ」
「C級……」
ソリオンの中で魔物ランクに対する認識が変わっていく。
魔物は危険で、忌避されている生き物という理解だったが、日本の田舎でいう熊や野犬のような存在だと思っていた。
だが、この世界の魔物と人は生存競争を繰り広げているらしい。
普段は絶対通らない、畑の中を横断しながら村の外を目指していく。
道中、焼け焦げた臭いが鼻をつく。
夜の冷たい空気の中、時折、熱さを帯びた光が真っ暗な畑を不気味に照らす。
畑を横断し、村の外へと続く道まで来ると、10台ほどの多脚車がいた。
「おーい、ダトー!!」
「おおお! ジャン! 生きてたのか!」
その中の1台から聞き覚えのある声が聞こえてくる。
車から身を乗り出しているのは、ダトの幼馴染ジャンだ。
「村はどうなった」
ジャンは項垂れる。
「もうこの村はダメだ。倉庫のあたりは火の海だ。騎兵団とサニタ達が、村人が避難するまでって戦ってたが、まだやりあってるのか、それとも、もう……」
「そうか……」
ダトはやり場のない感情に、顔が歪む
ソリオンもサニタやリョップ、ミオが戦っていると聞き、胸がざわつく。
ジャンとの会話で、少しペースが落ちたダト達を、何台かが追い越していく。
その内の1人とソリオンと目が合う。
「おい! こいつ昼間見たぞ! <従魔士>と<操獣士>の二譜持ちのガキだ!」
「まさか、お前が魔物を呼び寄せたんじゃないだろうな!?」
「呪われた子と一緒に避難するなんて……」
他の多脚車から猜疑と不安の声が上がる。
(僕は何もしてないのに…)
シェーバは寝ているイースを強く抱きしめる。
ダトがソリオンの背中を、ゴツゴツした手で撫でる。
「気にするな。今は急ごう」
「うん。大丈夫。気にしないよ」
少し走ると、村と外界を隔てる粗末な柵が見えてくる。
柵の外は、林の様に低い雑木林で、畦道が一本だけ通っている。
雑木林からは、まだ春先というのに、虫たちの鳴き声が辺りに響いている。
暗くてよく見えないが、とても沢山の多脚車が通ったとは思えない。
「カナンやアンナはここまで来れるだろうか」
ソリオンは不安になる。
「カナンたちはこの道には来ない」
「そうなの? 他の所から避難するの?」
「そうだ。家ごとに、予め避難経路が決められている。散り散りになるようにな」
(なんでだろう? 逃げるなら状況がわかる様にまとまって行った方がいいのに)
シェーバはイースを抱きしめながら、何かを祈る様に、目を瞑っている。
辺りを見回すと他の車に乗っている人々も、憔悴した様子で、神に祈りを捧げている。
月明かりと多脚車に取り付けられたわずかな光に照らされた、あぜ道を進んでいく。
ダトも周囲を警戒しなが、慎重に前へ前へと進んでいく。
鬱蒼とした木々の枝が、風に揺られて生き物のように不気味にうねり、木々がこすれる音が、静かな森を包んでいる。
(おかしい。森が静かだ、さっきまで虫たちの鳴き声が響いてたのに)
イチ達に目をやると、ソワソワとしながら警戒している。
「父さん、気をつけて! 魔物が近くにいるよ!」
「本当か!?」
「間違いないよ」
ダトは運転しながらソリオンを横目で見る。
ソリオンは目があった瞬間、首を縦にふる。
「おい! 皆聞いてくれ! 村を襲った魔物がかわからんが、近くに魔物がいるようだ!」
「嘘だろ!? こっちに来ちまったのかあ」
「嫌だ! こんな所で生贄になるなんて」
「そんな事言ってる場合か! 女、子どもを車の中心に寄せるんだ。武器を持ってる奴は構えておけ!」
ダトも座席の後ろに平置きしてあった槍を、いつでも手に取れる様、椅子に立てかける。
ソリオンも騎兵団のリョップから借りたナイフを構える。
周りの村人達は武器を構えるでもなく、更に強く祈りを捧げているものが大半だ。
「何で他へ行ってくれなかったんだ」
「やっぱり、ダト! お前の倅のせいじゃないのか!? 鑑定の儀があった日に魔物に襲われるなんて、そうとしか思えないぞ」
村人の非難にダトがハンドルを強く握る。
目には怒りが籠もっている。
(無茶苦茶だ。鑑定の儀がたまたま今日だっただけで、<系譜>は生まれたときからずっと持ってるのに)
ダトが耐え兼ねて反論しようとした時、後方から木々が押し倒される様なバキバキという激しい音がする。
ソリオンが音がした方を注意深く見渡す。
暗くてよく見えないが、赤い《《何か》》がいる。
「何だ、あれ?」
イチたちは威嚇の態勢に入っているが、いつもの威圧がない。
むしろ、恐怖を感じているようだ。
次の瞬間、赤い《《何か》》が光を帯びると、鼓膜が破れそうな程の爆音を猛らせて、辺りが炎が包まれる。
炎に照らされ、周囲が一瞬昼間のように明るくなると、そこには、巨大な虎のような生き物がいた。
多脚車をゆうに超えるほどの身の丈だ。
大人でも丸呑みできそうな程の大きな口から、雄叫びが発せられている。
特徴的なのは後頭部から4本程、生えた鞭の様な突起物だ。
鞭は真赤に熱せられおり、まるで鉄が熱で溶けた溶銑そのものが意思を持ってうねっているようだ。
その溶銑の鞭が柔軟に動きまわており、一振りする度に周囲を焼き払い、炎が巻き上がる。
(あんな熱の中で、生きていられるのか!?)
魔物から発せられる熱線で、肌が焼けるように感じる。
汗が吹き出してくる。
「クソッ! 急ぐぞ!」
ダトが振り向きもせずに、真っ暗な山にもかかわらず、全速力を出し始める。
溶銑の巨大虎がこちら側を睨む。
ソリオンは凄まじい熱と圧倒的な魔力に当てられる。
そこには生物として隔絶したものがあることが嫌でもわかる。
(これ《《で》》C級なんて!)
「お願いします!お願いします!お願いします!」
シェーバがイースをかばうように抱きかかえる。
イースが激しく泣き始める。
周囲の多脚車も逃げながら悲壮感に包まれている。
ソリオンは散り散りで逃げる意味をやっと理解した。
(他の人が襲われている間に、逃げるためか)
散り散りになっておけば、誰かが襲われた時に、他の者はそれだけ距離が稼ぎやすい。
そのため予め逃げるルートが決められていた。皆の逃げる方向が、偏らない様に。
そこには人の文化的な営みではなく、弱者が生きるための”群れ”というものの本来の役割が機能していた。
(だから、皆祈ってたのか。餌が自分ではないことを)
逃げる多脚車へ向かって、溶銑の巨大虎が走り出す。
みるみる間に両者の空いた距離が縮まっていく。
「父さん、ダメ元だけど足止めしてみる!」
「ソリオン! 何をする気だ!」
ソリオンは怯える三枚羽のニーを宥めて腕に乗せ、多脚車の後部のカバーを開く。
後ろにいる溶銑の巨大虎から放たれる熱を、より一層強く感じる。
「ニー、僕の魔力を全部使っていい。全力であれを違う所まで飛ばしてほしい」
「ピィ…」
ニーが自信なさげに鳴く。
ソリオン達の周囲に風が渦巻き始め、徐々に強くなっていく。
「見ろ! 呪われた子が魔物を連れてるぞ!」
「やっぱりあいつの仕業だったんだ!」
村人達が、強風と魔力のうねりを察知して、ソリオンとニーに非難の目で見る。
溶銑の巨大虎が、後3歩もすればこちらに届こうかというときに、轟音を鳴り響かせながら旋風が放たれ、虎を飲み込む。
旋風の中心が、真赤に鈍く光っており、まだ虎が地面に踏み留まっていることがわかる。
ニーは追い打ちとして、旋風に大量の羽を流れ星の様に打ち込んでいく。
旋風の中は鋭い刃が無数に飛び交う、死地となっているはずだ。
「頼む! このまま飛ばされてくれ!」
願いも虚しく、地面に踏み留まったままの赤い光が、更に強くなっていく。
次第に直視できないほどの強い光を放ち始め、ついにはドオォォオオンッ!と爆音を響かせる。
先程まで、溶銑の巨大虎を閉じ込めていた旋風が跡形も無く消え去ってしまう。
風が消えると、そこには血の一滴も流していない巨大な虎が居た。
怒りも焦りも感じられず、ただただ獲物を狙いすます視線を向けてくる。
「そんな……。動かすこともできないなんて……」
先日、E級のイラと戦ったときを思い出す。
イラは羽を持っていただけで、少なくとも吹き飛ばすこと自体はできた。
しかし、今回は1歩たりとも動かすことができなかった。
「そうか……。あの西の森から出てきた魔物の群れは、この魔物から逃げてたのか」
「ああ、おそらくな」
普段、魔物の居ない西の森から、魔物の群れがでてきた理由が今になって分かる。
暗闇の中、更に多脚車はスピードをあげる。もはや、皆あぜ道すら外れ、ただの林を走っている。
「前は崖だ! 曲がれ!」
前を走っていた村人の誰かが声を張り上げる。
すると周りの多脚車は左右に分かれていく。
「左だ! 右は行き止まりになっている! 左に行け!」
ダトが叫ぶ。
一旦、右に曲がった車達の一部が急ブレーキをかけて、急いでUターンしてくる。
その間も溶銑の巨虎は木々を焼きながら、向かってくる。
Uターン組は、今から戻ってきても魔物に追いつかれてしまうだろう。
虎もそれを理解したようで、道を間違えた多脚車達に狙いを定め、襲いかかる。
真赤な鞭と太い前足を撫でるように振るうと、多脚車がバラバラになり、吹き飛ぶ。吹き飛ばされた多脚車の部品や投げ出された人が空中で炎に包まれ、火が降り注ぐ。
次々と虎は多脚車に襲いかかり、周囲は阿鼻叫喚に包まれる。
虎は左に曲がった多脚車達を、一瞬だけ見ると、右に曲がった多脚車を追いかけて、林の奥へ消えていく。
「クソッ」
ダトの顔に悔恨の色が表れているが、目を背けるように左へハンドルを切る。
左に曲がると、大きな木に挟まり、立ち往生している多脚車が目に入る。
立ち往生している多客車の隣で止まる。
「おい!大丈夫か!?」
「ダト、お願いだ! 助けてくれ!」
先程までソリオンを非難していた男が怯えるながら右往左往していた。
ダトは多脚車から鉄線を引き出し、立ち往生している多脚車へ掛ける後ろへ引く。
引っ張られた車は、挟まった木から、あっさり抜け出すことができた。
「あのバカでかい獣の魔物はどこにいったんだ!?」
怯える男が聞く。
「アイツは右に曲がったぞ! 今のうちだ」
「助かったのか!?」
「……いや、右に行くとすぐに岩山で行き止まりだ。全部、《《平らげた》》後にこっちに向かってくるだろう。早く逃げるぞ!」
「そうか……」
ダトが再度、発車させようとした時、
バンっという発砲音がして、ソリオン達が乗った多脚車の電池が破壊される。
「えっ!?」
ソリオンは何が起こったのか分からず、素っ頓狂な声が漏れ出る。
怯えた男を見ると、手には銃がにぎられ、銃口から白煙を上がっている。
「もともとお前のせいだろ? だったら、忌むべき<系譜>持ちが、俺の変わりに死んでくれ!」
そう言うと、先程まで怯えていた男は狂ったように笑いながら、急発進し、多脚車で走り去っていく。
「なんで僕が悪いってことになるんだ! こっちは母さんやイースも乗ってるんだ!」
「あの野郎!!」
ダトが怒りながら壊れた多脚車のハンドルを殴りつける。
ソリオンの中で、怒りの感情が胸中に渦巻くが、今はするべきことに無理やり意識を向ける。
「父さん、母さん! 走って逃げよう! イースは僕が抱える」
ソリオンは泣くイースを抱き上げると、イチを肩に乗せる。
ダトとシェーバも黙って、それに続く。
だが、多脚車から降りた時、赤い何かが目に入ってくる。
林の中から溶銑の巨虎が、こちらを見据えていた。