特技
正午前、ソリオンは北の森にいた。
イチはいつも通り肩に乗り、毛繕いをしている。ニーは空から人や魔物を偵察している。
そして、ソリオンの目の前には巨大なダンゴムシが居た。
「よし! お前の名前はサンだ」
「ジー」
新しい仲間が加わる。
名前の付け方を、ソリオンは意外と気に入っている。
この巨大なダンゴムシのような鎧を纏った魔物はロリポリと言うらしい。
以前、ニーが宝石を食べたため、既に魔物図鑑に載っている。
何度か魔物が捕まえられないケースがあったことから、検証のため捕獲を試みたのだ。
おそらく仲間の同種や近縁種は捕獲できないのだろうと考えていた。そして、予想通り獣型でも鳥型でもないロリポリはあっさり捕獲できた。
(やっぱり仲間の近い種は捕獲できないのかな)
魔物図鑑と捕獲の関係について、理解が進んでいく。
「さて、帰ろうか。母さんとの約束に遅れちゃう。ニー、サンを運んであげて」
「ピィ」
空で偵察をしていたニーが降りてきて、ダンゴムシ姿のサンを掴む。
イチを抱き抱え、肩に乗せると、全力で森を抜けて家まで帰っていく。
病が治ってから、ソリオンの体調はとても良い。
むしろ、以前より活力に溢れている。
そのため、以前の3分の2程度の時間で森と家へ行き来できるようになった。
あっという間に家の近くまで着くと、サンの面倒をイチとニーに任せて家に入る。
「母さん、ただいま。間に合った?」
「おかえりなさい。今日はサニタに診てもらう日だって、ちゃんと覚えてたのね」
「そりゃ、出かける時にも言われたからね」
体調が回復したとはいえ、念のため、村唯一の医師であるサニタヘ診てもらうことになっていた。
そのため、村の中心部になるサニタの診療所まで、母さんと行く予定だ。
「ソリオン、イースと先に車に乗っておいて。父さんにも一言いってくるわね」
「はーい」
ソリオンは居間で寝ている妹のイースを丁寧に抱えて、多脚車に乗り込む。
多脚者の席に座るとが、ソリオンはイースを触り始める。
(ほっぺが、ふにふにだな)
ソリオンはイースの血色の良い頬をツンツンする。
イースの目が覚める。
「いない、いないばー」
「あー、うー」
イースがシェーバに似た垂れ目を細めながら、笑みを浮かべる。
(笑ってる赤ちゃんは可愛いよな。『あの子』も可愛かった…)
ソリオンがまだ幼い妹に、息子の面影を重ねていると、シェーバが車に乗ってくる。
「あらあら、起きちゃったのね」
「僕が見てるから大丈夫だよ」
「ソリオンはイースをあやすの上手だから助かるわ。それじゃ行くわね」
(昔、沢山やったからね)
多脚車の脚が発車する。
道中、麦畑の甘い香りが道を満たしており、初夏の気持ちいい風が吹き抜ける。
しばらくすると、車窓に以前ダトと行った倉庫が見えてきた。
今日も変わらず賑わっているようだが、カナンやアンネの姿は見えない。
そのまま倉庫を過ぎ、市場の端へ差し掛かった際に、大きな建物が見える。
近くの駐車場に車を停めて、シェーバが降りるように促す。
「着いたわよ」
「この大きな建物が診療所?」
「そうよ。でも開拓使がいるところだから、この村の役所でもあるの」
「開拓使って?」
「国の辺境を開拓するために、中央から派遣される偉い人よ」
「そうなんだ、サニタさんって偉い人なんだね」
「そうよ。村長を補佐する役割だけど、政務に関してはサニタがほぼやってるらしいわ」
シェーバはイースを抱えて、建物の中に入っていく。
建物の中では、ホールに窓口があり、まばらに村人と職員が話をしている。
ホールを通り抜け、奥に進むと立派な奥の大きな扉が目に入る。
シェーバが扉をノックする。
「どうぞ」
サニタのキリッとした声が聞こえる。
挨拶をしながら、最初イースを抱えたシェーバが入り、続いてソリオンが入る。
「本当に治っているようね…」
部屋に入るなり、サニタがつぶやく。
部屋の中は異様だった。
サニタが腰掛けている席は立派で重厚な木製の机だが、部屋の大半はベッドや医療器具、見たこともとない魔道具、そして大量の本で埋め尽くされている。
「まあ、いいわ。こっちに来てちょうだい」
サニタが自身が座っている席の前にある、丸いすへ座るよう促す。
ソリオンは珍しげに辺りの物を見ながら席に着く。
診察では視診で目や喉などを、丸い筒の様な魔道具で指先を、机に固定されたアームに大きなレンズが付いているもので胸を、サニタがテキパキと確認していく。
一通り確認し終わると、サニタは立ち上がり、部屋に転がっている魔道具を一つ手にとる。
一見、地球儀のように見えるが、地球にあたる球体が透明だ。
更に、透明な球体の中には赤、青、緑の球体が浮かんでいる。
「これは鑑定器という魔道具よ。どこでもいいから、触れてちょうだい」
ソリオンは言われるがままに触れる。
鑑定機に触れると、透明な外側の球体に文字が浮かんでくる。
更に中の赤、青、緑の球体が大きく膨らむ。
鑑定機をサニタとシェーバが覗き込む。
シェーバがハッと口元を手で抑える。
サニタが浮き上がった文字を念入りに確認する。
「やっぱりね。<病魔耐性>を習得してるわね」
「<病魔耐性>?」
「そう、感染症に抵抗できる<特技>よ。つまり、これを持っていると病気に罹りにくくなるのよ」
「そんなもの《《も》》持ってたんですね」
「おそらくモーバス真菌症に罹った時に習得したんでしょう。4、5歳で<特技>を習得するなんて聞いたことないけど」
(<特技>は後天的にも獲得できるのか。父さんは生まれつきって言ってたぞ?)
「珍しいのですか?」
「<特技>の習得には、<特技>を必要とする状況を極限まで維持しないといけないの。モーバス真菌症は死に至る病だから習得できておかしくないけど、普通はその前に亡くなるわね」
(結構、危ないところだったんだな)
「父さんは生まれつき持っているものって言ってましたが、違うものでしょうか?」
「先天的に持っている<特技>は<系譜>に連なる<特技>ね。本質は同じものだけど別物よ」
「別物…」
「あなたは分かってそうだけど、まず間違いなく<系譜>も持ってるわ」
「それも鑑定できるんですか?」
「この鑑定機は後天的に習得できる<特技>と魔力量を測定するものだからできないわ。でも、魔力は<特技>の所持数や習熟度によって増加するの。この魔力量は<病魔耐性>だけでは説明できないわね」
「魔力量が多いんですか?」
「既に私よりも多いわ。中に浮かんでる球体の大きさが、それぞれ魔力量を表してるの。赤が”剛毅の魔力”、青が”叡智の魔力”、緑が”至妙の魔力”ね」
ソリオンは3色の球体を覗き込む。
青が最も大きく、次点で赤、最後が緑だ。
「青の”叡智の魔力”が一番多いようだけど、<病魔耐性>は主に赤の”剛毅の魔力”を上げるものよ。つまり”叡智の魔力”を上げる<特技>を別に持っているってことよ」
「魔力って3種類もあるんですね。どうすれば<系譜>の<特技>も判るのですか?」
「心配しなくても7歳になる年に鑑定してもらえるわよ」
(7歳か。かなり待たないといけないな)
それからサニタからは病気なる前に、不審な人と会わなかったか、魔物に噛まれなかったかなどを詳細に確認される。
ソリオンは北の森で起きたことを除き、丁寧に答えていく。
サニタの尋問の最中、
ソリオンは部屋にある不思議な魔道具を見回していると、古ぼけた円錐状の魔道具が目に留まる。
その魔道具には、見慣れた文字が刻まれ、見慣れた宝石が填められている。
(あれは魔物図鑑に出ていく文字に似ている! 宝石も魔物から出てくるものだ!)
ソリオンは鼻息荒く、考え込んでいるサニタへ声を掛ける。
「サニタさん! あの魔道具の文字と宝石なんですか!?」
「…ん? あれは魔導時代の文字と魔物から取れる魔獣石ね。あれがどうかしたの?」
(魔導時代の文字と魔獣石…。あの宝石は魔獣石って名前なんだ)
「興味があります! どこで魔導時代の文字を覚えることができますか!? あと、魔獣石はどこで手に入るものなんでしょうか!?」
「変わったものに興味を持つわね。翻訳辞書は持ってるけど、辺境では売ってない専門書だから貸せない。魔獣石は電池として市場に売ってるわよ」
(魔獣石は電池の中に入っていたのか)
ソリオンは魔道具を動かすために魔道具へ差し込む真っ黒なカプセルを思い出す。
大人の親指サイズから片腕ほどあるものまで様々だが、使い切りの動力源のため勝手に電池の様なものとして理解していた。
「では、翻訳辞書を読み来てもいいでしょうか!?」
サニタはしばし考え込む。
「…いいわよ。午後の休診時間中なら勝手に来て読んでていいわよ。だけど、医療具や魔道具には触らないでよ」
「ありがとうございます!」
「開拓使の仕事に教育も含まれているのだけど、村の事務仕事と診療で手が回ってなくて、上から小言を言われてたのよね。お互い様よ」
サニタはソリオンの自習を教育として報告する気のようだ。
ソリオンが勝手に学べば良し、ダメならダメでも問題ない程度に捉えていることがわかる。
(これで、魔物図鑑の文字が遂に読める様になるぞ!)
ソリオンは新しい展開に胸を踊らせている。
診察と尋問が終わり、シェーバとサニタが形式的な挨拶を行い、帰路に着く。
多脚車に乗り込み、出発してからもソリオンは嬉しさに顔を綻ばせている。
「ねえ、ソリオン。あなた、もう<特技>を持っているような口ぶりだったけど、母さんに隠し事してない?」
運転しながら、シェーバをかけてくる。
前を見ているため、表情はわからないが、どこか寂しそうな声だ。
「うん。《《つい最近》》覚えたんだけど、何に使えるかわからなんだ」
そう答えると、魔物図鑑を取り出して、運転している母親の横に手を出す。
「何かやってるの?」
「僕にしか見えないようだけど、手の上に本があるんだよ」
「本? 私には何も見えないわ…」
手を覗き込んだシェーバの表情は心配というより、ある種の恐れを浮かべている。
(…母さんに怖がられたかな)
「母さん、ソリオンが<系譜>を持ってることが怖いわ」
「…うん」
「<系譜>は人が生きるための能力だと言われているの。今の時代、それは魔物と戦う力であることが多いの…。ソリオンが戦いに巻き込まれるんじゃないかって、とても怖いの」
「母さん…。大丈夫だよ、僕は母さんを悲しませることはしない」
(子を失う親のつらさは、嫌というほど分かってるから…)
「ソリオン、約束よ」
シェーバが切望するように、魔物図鑑を浮かべるソリオンの手を握る。
その後、少し重い空気が流れる中で帰路を辿る。
傾いた日の光に照らされる一面の穂が胸を騒つかせる。
家の前の丘を上が切ったところで、ダトが見える。
どうやら家の前で待っていたようだ。
「おかえり。シェーバ、どうだった?」
「ダト…。やっぱり<特技>を習得してたらしいわ。<系譜>もまず間違いなく持っているとのことよ」
「やはり、そうか」
ダトは、ソリオンへ顔を向ける。
「ソリオン。父さんと話をしないか」
「いいけど、どうしたの?」
「まあ、ちょっとした話だ。シェーバ、先にイースと帰っておいてくれ」
ソリオンは多脚車から降り、ダトの横に並ぶ。
シェーバは夕飯を支度をするため、多脚車を停めた後、家に入って行った。
ダトはシェーバが家に入ったことを確認して、
声を顰めて、ダト話しかけてくる。
「なあ、ソリオン。お前、武器の扱いに興味があるのか?」
「なんでそんなことを?」
「いやな、お前が倒れた時、斧を持ってたのを見ちまってな」
ソリオンが倒れた時にダトと一緒だった。
持っていた斧には当然、気がついたはずだ。
「いっ、いや、それは…だね」
必死に弁解を考えるが、現物を抑えられた後では言い逃れできない。
「大丈夫だ。父さんはお前を信じている。斧を変なことには使ってないってな」
ダトは急に真剣な顔になる。
「だがな。刃物は簡単に人を傷つけちまう。もちろん自分もだ。そして、傷つけるのは簡単だが、傷ついたものは元には戻らないこともある」
「ごめんなさい」
素直に手斧を持ち出したことを謝る。
「で、どうなんだ? 興味はあるのか?」
正直、武器の扱いは手段でしかないため、興味があるかと問われれば微妙なところだ。
だが、今後のことを考えると、どこかでは身に付けておきたいとも考えていた。
「興味はあるよ。いざという時にちゃんと使える位にはなっておきたい」
その言葉を聞いて、ダトは破顔する。
「そうか! やっぱり俺の息子だな!」
思った反応と違い、少し困惑する。
「よーし! 今日から教えてやろう! ただし、手は抜かんからな」
「う、うん」
右斜め上をいく展開に頭が追いつかない。
ダトは急いで家の中に入ると、木刀を取り出してきた。
ソリオンは急遽、家の庭で木刀の握り方から教えてもらうことになった。
(家にこんな木刀があったんだ…)
「よし!まずは握り方、そして振り方の練習だ。さっき教えた通りにやってみろ!」
「うん」
ソリオンが何度が振る。
「ダメだ! そうじゃない。脇をもっと閉めろ!」
「うん」
「違う! 足を開けるんじゃない。 つま先は剣先と揃えるんだ!」
「うん」
(父さん、本気のやつだな…)
想像を超えた本気の指導に、ソリオンが悲鳴をあげそうになりながら、がむしゃらに素振りする。
しばらく訓練を続けていると、家の扉が開く。
「ダト? これはど言う事かしら?」
目の据わったシェーバがダトへ尋ねる。
(母さん、本気のやつだな…)
「い、いや! これは男同士の…」
「ダト。ソリオンにはまだは早いってこの前言わなかった?」
「でもな! ソリオンもやりたいって、言うしな?」
(父さん! こっちに振らないでよ!)
「ソリオン、本当なの?」
「いや、まあ、覚えておこうかなと思って」
再度、シェーバはダトを責めるような視線を向ける。
「ダト。まだソリオンは子どもよ」
慌てた様子から少し真面目な顔に戻る。
「シェーバ。だからこそだ。この子は人より強い力を持って生まれてきた。その力を間違った振り方をすれば自分に返って来る。正しい力の使い方を親が教えてやる必要がある」
「そうだけど…」
「それに俺の魔力量をすでにソリオンは超えている。俺が力の使い方を教えてあげられる時間はあまりないんだ」
シェーバは一度目を瞑った後、ソリオンを見る。
「さっきの約束を覚えてる?」
「うん。危ないことはしないよ」
「約束できる?」
「うん、できる」
「ダト、無理させすぎないでね?」
「もちろんだ!」
深いため息をすると、シェーバは笑顔になる。
「二人とも今日はおしまい。晩ごはんできたわよ」
ダトは胸を撫で下ろしている。
「ソリオン、続きはまた明日な」
「うん。わかった」
この日から、ソリオンは午前中は父親と稽古、昼はサニタの診療所で本を読み漁る生活が始まる。