第17話:女神編
1
「やあっと麓に降りてこられたぁ!」
長きに渡る山岳地帯を抜けたデュランは、視界が開けて広々とした景色に感動した。眼下には巨大な湖面が眩しく映り、その先には都を囲う城壁が朧げに窺える。
「これがグランディアの大地か。そして遠目に見えるのが帝都だな」
「大陸自体はとっくに辿り着いていたけど、こうして平地を拝める場所は久々だね」
「そもそも此処までが只管に山道だったもの。まるで密入国した気分だったわ」
実際に彼らは正規の渡航手続きを完了しておらず、記録上は海で死亡した扱いとなっている。その事で生じる一悶着はまた別の話だが、さて湖畔には幾つかの建物が点在しており、土産屋や湖上を進むボート乗り場等も見受けられた。
「穏やかで良い所ね。水が綺麗で透き通っているわ」
「湖の水面の下に何か見えるぞ。太古の遺跡か何かか?」
「にしては普通の街っぽいと言うか、そこまで昔の建物には見えないけど」
景色を堪能しながら素朴な疑問を発する観光客(冒険者)の三人は、程なくして湖の歴史が記された看板を発見した。
「えっと、湖の下に見えるのは魔王に滅ぼされた街なんだって。元々唯の盆地だったけど魔王に反抗した報復で毒素に埋め尽くされ、世界が平和になった後は毒が綺麗な水に変わって今の状態になったって書いてある」
「思ったよりヘビーな歴史を辿っているのに、それを観光名所にするとはな」
「何だか商魂逞しいと言うか、これがグランディア人の気質なのかも知れないわね」
「人目に付き難い渓谷で繁華街を営むとか、温泉が湧き出たら山のど真ん中でも商売を始めるとか、確かに相当な胆力が無いと出来ない芸当だね」
新天地への印象を思い思いに抱きつつ、案内所で情報を得た彼らは目当ての宿屋に辿り着く。その入口でデュランは建物から出てきた男と擦れ違った。
「おおっと。こら、打つかりそうになって無視かよ」
文句を言ったものの相手は意に介さぬ様子で去ってゆき、そのフードを被った後ろ姿を見たデュランは訝しむ。
「今の奴、何処かで見覚えがある様な……」
「そうなの? この大陸に知り合いが居るなんて初耳だね」
ロキの問いに青年は首を振るが、依然として既視感は拭えない。
「ちょっと男子ぃ。早く受付を済ませるわよ〜」
だがミネアからの呼び掛けで思考は中断し、そのまま男の存在は忘れ去られた。
2
湖畔を望む部屋に泊まったデュランは真夜中に目を覚ました。不思議と本人比では頭や目が冴えており、手持ち無沙汰となった彼はバルコニーへ赴く。
「やれやれ。騒がしい日々に慣れると静寂が落ち着かないな」
なんて一丁前な事を言いながら夜風を浴び、反射した月が浮かぶ湖を捉えながら今日までの旅路を振り返る。
「やっと此処までやって来た。思えば苦難の連続だったが良く乗り越えたものだ」
「その苦難の半分くらいは自業自得で、解決したのも大半は貴方じゃないけどね」
不意に突っ込みを受けたデュランが目を向けると、隣のバルコニーから別室のミネアが顔を出していた。
「お前も眠れないのか。まさか自分の鼾が煩くて起きたんじゃないだろうな」
「その件はもう触れないでよ。普通に女としてショックだったんだから」
相応の恥じらいを見せるミネアだが憤慨する事はなく、落ち着いた物腰の彼女はデュランと共に湖を眺める。
「まあ色々あったけど思ったよりも楽しい旅だったわ。少なくとも退屈とは無縁だし」
「俺も同じ気持ちだ。此処まで一緒に来てくれてありがとな、ミネア」
青年が珍しく素直に返したところで、途端に怪訝な顔となった彼女は後退りする。
「ちょっと嫌よ、冗談でも告白とかしないでね? 考えるだけで身の毛が弥立つから」
「誰がするか色ボケ女、俺にだって相手を選ぶ権利はあるんだよ」
「あれれ、こんな夜更けに逢引とはけしからんですな」
そこに遅れて起きてきたロキが合流すると、二人を揶揄する様に彼は告げた。
「もしかして僕はお邪魔でしたかね。何だったら外に出ているけど」
「寧ろナイス・アシストよ。この男は放っておくと私に惚れちゃうみたいだし」
「お前なぁ。身体付きは大人しいんだから性格面でも慎ましさを……」
「何ですって?」
「それにしても、こんな夜更けに三人共に起きるなんて珍しい事もあるもんだ」
そうロキが当然の疑問を抱いた時だ。視界に入っていた湖に仄かな異変が生じたのは。
「何だあれ、水面の一部が光っている?」
湖の中央付近に現れた光を捉えたデュランは子供みたく浮き足立つ。
「行ってみよう! お宝の匂いがする」
「その嗅覚が当たった試しはあるんですかね。って言っても聞かないだろうけど」
抵抗するのも無駄と思った仲間と共に、軽装に着替えた青年は宿を出て湖に戻った。
「水中に金貨でも沈んでいるのか? ボートを借りて釣り上げてみようぜ」
「いやいや、転覆して溺れる情景が目に浮かぶんだけど」
「泳げない癖に水への恐怖心が欲深さに負けているわね」
と言っている間に光源は点から線となって三人に迫り、モーセみたく水面を割って水没都市への通路が出来上がる。これには一同も口をあんぐりとさせた。
「アトラクションの類でも無さそうね。見たところ辺りには誰も居ないし」
だが俄には信じ難い超常現象を目の当たりにしても、彼らが取る行動は基本的に普段のそれと変わらない。何故なら此の男が居るからだ。
「成る程。選ばれし者である俺が訪れた事で、今まで隠されていた道が開けた訳だな」
「この世で最も低い可能性を自信満々に言われましても」
「良いから行くぞ。もしお宝があるなら俺達が一番乗りだ!」
「前にも似通った状況で先走った結果、危うく死に掛けた事があった気がするけど」
仲間の不安もどこ吹く風で降りてゆくデュランを、一応は冒険者の端くれである他の二人も黙って見送る事は出来ない。こうして好奇心を擽られた三人は横幅凡そ5メートルで作られた水中通路を進むのだった。
「凄いな、本当に湖を分割しているのか。魚が泳いでいるのが此処から見える」
「透明な仕切りがあったら水族館みたいだけど、これって明らかに魔法を使った現象よね」
「問題は其れが予め湖に仕掛けられたものか、或いは今正に術者が使用している最中かって事だけど、まあ奥に行けば自ずと答えは分かるよね」
デュランに影響されたのか当現象の考察を放棄するロキだが、一方で彼らが踏み入れた街の廃墟には相応の興味を抱いた。
「うーん、これだけの街を毒で埋め尽くした魔王ってのも凄い存在だ」
「でも魔王に関する詳細な記録って殆ど残っていないのよね。教会内でも最高機密事項扱いで、無理に覗こうとしたら即刻破門にされちゃったし」
「そんな経緯で堕ちたのかよお前」
やがて雑談を交えつつ三人は開けた場所、祭壇が置かれた広場へと辿り着く。其処には魔王と対の存在として崇められる女神の像が祀られていた。
「ここが最深部か。さあてお宝は何処かな〜?」
「女神様の御前にしてその言動、正に神をも恐れぬ男ね」
「そう聞くと凄く格好良いけど、実態としては度胸がある訳じゃなく無知なだけだよね」
なんて各々が平常運転をしていた折りだ。不意に女神像へ後光が差し込むと、一同の脳内に澄んだ女性の声が届き始める。
『お待ちしておりました。勇敢なる冒険者達よ』
それは明らかに像から発せられ、勇敢(愚か)な三人組に向けられたものだった。
3
『私はずっと待っていました。この地に貴方達のような者が訪れる事を』
「「「マジ?」」」
同じ反応ながら三者三様の疑問を思い浮かべた若者へ、女神像から発せられた声は優しげな口調で語り掛ける。
『今こそ貴方達に伝えましょう。この世界に待ち受ける……』
「何か財宝でもくれるんですか!?」
だが前のめりなデュランが遠慮なく水を差し、荘厳な空気は早くも崩壊を始めた。
『……ええっと、あの』
「あ、大丈夫です女神様。どうぞ話を進めて下さい」
女性の声に戸惑いの感情が混じる中、ロキとミネアは二人でデュランを締め上げる。やがて口から泡を吹いた青年が倒れると、止めに彼を足蹴した男女はウインクをした。
『こ、こほん。では改めて、この世界に待ち受ける運命についてお話します』
ジェスチャーの意図を汲んだ声の主は咳払いを挟み、三人の前に周囲の水面から反射させた月光を集め、これを擬似的なプロジェクターとして空中スクリーンを作り出す。
『嘗てこの世界は魔王に支配されていました。魔王の出現により世界は闇に覆われ、逆らう者は悉く滅びの運命を辿ったのです。この都市の様に』
語りと共にイメージ映像が流れ、体育座りをした二人は感心した面持ちで眺める。
「凄いな。IMAXやスクリーンXも目じゃないね」
「もしも帝都で家を買えたら、こう言う感じのホームシアターが欲しいわ」
なんてデュランとは別の意味で呑気な彼らだが、続けて映像は勇者や賢者らしき人物が魔王を倒す場面に移行する。
『その魔王も今から三世紀前に打ち倒されました。各地に蔓延していた毒は浄化され、魔物の心は穏やかとなり、世界を覆っていた闇も晴れて青空が戻ったのです』
「「コングラチュレーション! パチパチパチ!」」
『ですが魔王は完全に消滅した訳ではありません』
エンディングを迎えたと思って拍手した二人だが、不穏に満ちた口調で話は続けられる。
『本当に魔王が滅んだのなら、かの存在が生んだ毒や魔物も跡形なく消えなければなりません。しかし実際は水への変質や弱体化に留まっており、其れは魔王が未だ姿を変えて生き永らえている事を意味しています』
ここで割と深刻な事を告げた女神像は二人に問い掛ける。
『貴方達はこれまでに、英雄の再来と称される者に出会った事がありませんか』
「英雄ねぇ。あ、そう言えばフロスト君が賢者の末裔じゃないかって騒がれたっけ」
『そうした者の出現は魔王の復活が近い証。稀代の英雄達と同様、魔王もまた生まれ変わって世界に再臨するのです』
「「な、何だってー!?」」
求めるリアクションをした観衆に気分を良くしたのか、女神像は更に抑揚を付けて言う。
『だけど世界の危機に気付いている者は極僅か……、ですから貴方達にお願いです! 英雄の生まれ変わりを此の地に連れてきて貰えないでしょうか?』
思わぬ場所で託された重大な使命。これに対する一同の返答は如何に。
「ええ〜、普通に面倒臭いなぁ」
あっけらかんとした調子でまず答えたのは、何時の間にか意識を取り戻していたデュランであった。この気怠げな返事に思わず相手は訝しむ。
『め、面倒ですって? 私の託した使命がですか?』
「だって俺達、苦労を重ねてやっと目的地の帝都を間近にしたんだぜ。それがまたユグドラルの王都まで引き返せって、幾ら女神様の頼みでもなぁ」
「今回は僕もデュランに賛成かな。流石に今から戻れって言われても」
「まあ帝都に着いたら手紙を書くつもりだし、今回の出来事は其れに記しておきますよ」
更には他の二人まで青年に同調し、これには女神像も声を震わせて困惑した。
『あ、貴方達、事の重大性を分かっていますか。これは世界の危機なのですよ?』
「だとしてもだ。そもそも何で俺が小僧への伝書鳩なんか努めないといけないんだ」
「あはは。女神様も頼む相手とタイミングを間違えましたね」
他人事な口振りの連中は挙句、よっこいしょと腰を上げて帰宅態勢に入る。
「話はもう終わりですか。何かくれる訳じゃないならお暇したいんだけど」
「まだ帝都まで半日は掛かる距離だし、明日も早いから部屋に戻って休みましょう」
リーダーだけでなく仲間まで同じ調子なのは、結局のところ彼らが似た者同士だと言う事に他ならない。その無礼千万な態度に温厚だった相手も堪忍袋の緒を切らす。
『よ、よぉく分かりました。どうやら私の見込み違いだった様ですね』
「ん?
女神像の発言と同じくして三人の足元に微振動が伝わり、程なく左右に割れていた湖の側面から大量の水が溢れ出した。
『では神に背くと言う不届き者は、魔王復活を待たずにくたばりなさい!』
「え、な、な!? どわあぁああ!」
今まで透明な壁に堰き止められていた水が決壊し、掌を返す様に容赦なくデュラン達を飲み込んでゆく。この危機的な状況に早くも三人は前言を撤回する。
「やる、やっぱり使命やりますからお助けを!」
『この愚か者共め、【今更もう遅い】のだ!』
「それでも女神かこのクソ女……! あっぷ、ぐぼげっ!」
だが流れ出した水が止まる事はなく、水圧に押し潰された青年は成す術なく溺れ――、
「はっ!?」
たと思った次の瞬間、息を荒げながら彼はベッド上で目を覚ました。意識が途切れた様には感じられないが、デュランが居るのは水没都市ではなく宿の寝室だ。
「……ゆ、夢だったのか。……この水溜まりは寝汗か、それとも漏らした結果か?」
そして迎えた朝。同じ症状に見舞われたらしいロキと共に退室した青年は、ふらふらと身体を蹌踉めかせながら一階フロントに居たミネアと合流する。
「お前、目の下に隈が出来て凄い顔しているぞ」
「変な悪夢に魘されたのよ。って言うか見たところ貴方達も同じみたいね」
「三人共に同じ現象に苛まれたのか。一体何がどうなっているのやら」
しかし今一度訪れた湖は昨日の日中と変わらない様相で、他の滞在者に聞き回っても水割れ現象に気付いた者は皆無だった。
「まあ変に考えていても仕方ない。夜の出来事は気にせず先へ進むとしよう」
「そうね。フロスト君に会う機会があれば今回の件を話すって事で」
それでも頑なに王都へ戻ろうとしない三馬鹿は、目先の終着点である帝都に向けて出発する。その一同が去って暫しの後、建物の陰から苦々しい表情の男が姿を現した。
「ちっ、上手く行かなかったか。面倒な上に使えない連中だ」
フードを被った男は溜息混じりに告げ、そんな彼の頭に何処からか女性の声が届く。
『ねぇねぇサイン。私の演技、駄目駄目だった?』
「いいえ。宰相は上手くやられましたよ。これは聞き手側の問題でしょうね」
『でもでも、私ついカッとなって女神役にあるまじき言動を……』
「その点もご心配なく。と言うか外弁慶は程々に普段から自信を持って下さいよ」
聞こえるのは女神像が発していたものと同じ声だ。姿が見えない相手にサインと呼ばれた男は淡々と応答する。
「コサイとタンジェから連絡が来た通り、既に本命の方とも直に接触済みです。遅かれ早かれグランディアの地に役者は集い、魔王様復活の日はそう遠くありません」
だが交信相手の女性は小心者の気があるらしく、不安げな口調で彼に尋ね返す。
『その本命の件ですけど、今更ながら本当に間違いないのですね? かの少年は巷では賢者の末裔だと謳われていますが……』
「はい。まあ他ならぬ私も初めて見た時には勘違いしましたが」
女性の疑問にサインはこう前置きし、フードの下に醜悪な笑みを浮かべて告げた。
「フロスト・グラバー。彼こそ紛れもなく魔王様の血を引く者です」