第12話:漂着編
1
雲一つない青空の下、何処までも続く真っ白な砂浜に、煌めく海の水が穏やかな波となって打ち寄せる。人の手が及んでいない其処は正に楽園の様相だ。
「夏だ!」
「海だ!」
「ビーチだぁぁあ!」
ここに今、三人の若者が遠慮なく足跡を刻んでゆく。肌着で波打ち際に立った一同は互いに水を飛ばし、童心に返った装いで無邪気に戯れ合うのだった。
「きゃあ、冷たぁい!」
「やったな、それそれ!」
また彼らは付近の木から採れたフルーツの実を浜辺に置くと、目隠しをした一人が太い枝を携えて一刀両断に挑む遊び(要するにスイカ割り)にも興じる。
「きゃはは。右だって右!」
「ええっと、こっちか!?」
「わわわ、その先に居るのは僕だって!」
その成否に関わらず三人は無垢に笑顔を弾けさせた。更にドワーフの少年がビーチボールを用意すると、浅瀬に出た彼らは其れを海面へ落とさない様に飛ばし合う。
「ほらよ、ロキ!」
「うん。よいしょっと!」
「あら、これは貰ったわ!」
そして高く上がったボールの行方を見たミネアは、落下点と距離を見極めて跳躍すると、
「って違あぁぁううう!」
「グヘッ!」
穏やかな空気が一変する強烈なスパイクを繰り出し、この球に顔面をクリーンヒットさせたデュランは激しい水飛沫を立てて倒れた。
「遊んでいる場合じゃないでしょ! どうすんのよ、こんな無人島に流れ着いちゃって!」
「……長過ぎる前振りの反動か知らんが、今回の突っ込みは一際痛いんだが」
ヒリヒリした頬を手で摩りながら文句を言うデュラン。一方で改めて背後を見遣ったロキは密林の先に聳え立つ山の景色に染み染みとする。
「まあ三人共に無事で良かったけど、此処は一体何処なんだろうねぇ」
沈みゆく幽霊船から投げ出されたデュラン達。見知らぬ浜辺へ流れ着いた彼らは、意図せぬサバイバル生活を始める事となった。
2
「って言うか何でビーチボールとか持っていたのよ」
「いや空気を抜けば場所も取らないし、何処かで暇潰しになるかと思って」
「貴方も割と遊び心があると言うか、デュラン程じゃないけど呑気な性分よね」
「何でも真面に捉えていたら奴の相棒なんて務まらないよ。ははっ」
「おいこら、隣に本人が居るんだが」
三人は仲良く木陰に並び座り、フルーツをシャリシャリと頬張りながら穏やかな海を眺める。海岸に漂着した彼らが目を覚ましたのは朝方の事だ。
「まあ呑気でも良いじゃん。一先ずは船が通り掛かるのを気長に待つしか無いし」
「既にお天道様が真上に昇っているけど、水平線は一直線のまま変化しないわね」
「こういう場合はどんと構えないとね。特に幽霊船の出現を運行業者が警戒しているとすれば、周辺海域が安全になったと気付くまで何日も掛かるだろうし」
「はぁ。フロスト君と二人ならロマンチックなのに、冴えない男とマスコットじゃねぇ」
「お前と小僧の二人きりだと、却って犯罪臭が立ち込めてくる気がするぞ」
なんて話をしながらフルーツを食べ終えたデュランは徐に立ち、やる気に満ちた顔で二人に威勢良く告げる。
「さあ腹ごしらえも済んだし探検だ。島の中がどうなっているのか調べないと!」
「浮き浮きしちゃって。そういう所は本当に男の子よね」
「でも島の調査が必要なのは確かだよ。長期戦を見据えて生活拠点を築かないと」
ロキも青年に賛同して重い腰を上げたが、一方でミネアは足を伸ばして寛ぎ体勢に入った。
「私は遠慮しておくわ。お肌への虫刺されが怖いもの」
「お前なぁ。虫の方だってお前なんか好んで近寄って来ないって」
「あ?」
「まあまあ。それに誰か一人は此処に居てくれた方が船の見張りになるし」
こうして男子達は現地調査に出掛けた。海岸の直ぐ隣が密林地帯となっており、鬱蒼と生い茂った木々が彼らの行手を阻む。
「こうして二人で森の中を歩いていると、何だか幼い頃を思い出すなぁ」
「割と最近(9話)もあった気がするし、そもそも昔から君に付き合わされている身としては今更懐かしさを感じるシチュエーションでも無い気が」
「しかしフルーツだけじゃお腹は十分膨れんな。適当な小動物とか居たら良いんだが」
「獣を捕まえて一から捌くのは大変だよ。骨や内臓も取り除かないといけないし」
「だったら肉の成る木とか、こんなに沢山生えているんだし一本くらいあっても良いだろ」
「もし見付けたら世紀の大発見だね。生きて島から出られたらの話だけど」
何時にも増して適当な会話を交わす二人だが、暫く茂みを斬り分けて進んでいると明らかな人工物の発見に至った。
「何だこれ。ダンジョンの入口か?」
「かなり古い時代に作られた祠みたい。通り風の強さからして奥が深そうだ」
地上に出ているのは地下に続く階段の一部分のみで、建物の全容や造られた目的を窺い知る事は出来ない。普通の冒険者なら胸躍る展開だが彼らは例外だ。
「よし、ここは又の機会に調べよう。次に行くぞ」
「さては怖いんでしょ。ユグドラルの英雄が聞いて呆れるよね」
「一々五月蝿い奴だな。今は食糧の確保が先だろうが」
そう言って再び歩き始めたデュランが森林の奥へ進もうとした時だ。足裏に妙な感触を得た彼は反射的に声を上げる。
「おっと悪いなロキ。足を踏んじまったか」
「そんな訳ないじゃん。僕は君の後ろに居るんだけど、んん?」
ロキも違和感を覚えて足元を見ると、細長い尻尾にも似た物体がうねうねと地面を這う様が捉えられた。その先を辿った二人はやがて〝本体〟を目の当たりにする。
「……」
それは端的言えば〝樹〟だった。より詳しく述べるなら幹の部分に目と口が生え、地面から伸びた根の先端を触手みたく動かすモンスターだ。
「これ、食べられる実が成ると思うか?」
「何方かと言うと、僕たちが食べられる側的な……」
等と呑気な口調で話していた二人だが、ここで樹と目を合わせる。
「ギャオオオン!」
「逃げろろぉ!」
均衡を破る雄叫びが発せられた途端、脇目も振らずに踵を返した二人は猛スピードで来た道を戻ってゆく。
「だあああ!」
そして密林地帯から抜けた男性陣はビーチフラッグスみたく海岸へ滑り込み、その躍動感を間近で捉えたミネアは呆れる様に言い放つ。
「何しているのよ貴方達、やっぱり遊んでいるだけじゃない」
パラソルを立て日焼け対策を講じた彼女は、持参したサングラスを掛けながら優雅な装いで寝そべっている。そんな紅一点と対照的な面持ちの二人は顔を見合わせて頷いた。
「よし。やっぱりこの島からは一刻も早く脱出しよう」
元より根性の無い連中だ。戦略的撤退の判断は早かった。
3
警戒して密林の奥に戻らない二人だが、せっせと海岸に近い木を伐採しては組み立て作業に没頭。その様子を側から見たミネアは首を傾げた。
「いきなりどうしたのよ。この島で生活拠点を構えるんじゃ無かったの?」
「予定は柔軟に組み替えないとな。何事も早めに行動した方が良い結果が伴う」
「さっきと言っている事がまるで違うじゃない」
「知らぬが仏だね。今は余計な事は聞かないで」
喚かれても面倒なので彼女に詳細は教えないが、やがて青年達は冷ややかな視線に耐えつつ丸太筏を作り上げた。
「へぇ、器用なものね。ロキじゃなくデュランの設計って言うのが凄く不安だけど」
「チッチッチ、侮るなかれ。こういう工作に俺は絶対の自信があるんだ」
「昔からデュランは手先が器用だからね。冒険者じゃなく鍛冶屋とか目指せば良いのに」
「女の子にモテるのは裏方よりも冒険者の方だろ!」
「その言葉が事実では無いって、貴方自身が立証しているのは気のせいかしら?」
三人は筏を海に浮かべて浸水の確認をした後、各々荷物を携えると早々に出航した。男子勢がオールで漕ぎ、帆の側に座ったミネアが進行方向を見定める役割分担である。
「って言っても第一に、此処がどの辺りなのか見当も付かないのだけど」
「運航船に乗っていた日数とかを鑑みると、グランディア大陸からそう離れていないと思うよ。東に進路を取って中央海をこのまま横断しよう」
「筏で海を横断って、言葉だけ聞くと無謀極まりないチャレンジね」
ミネアが半信半疑な中、何時になく勤勉に漕ぐ二人であるが思った成果は出ない。
「ねぇねぇ、もう一時間くらい経つのに島から30メートルも離れていないけど、こんな調子で大陸まで本当に辿り着ける訳?」
「だったらお前も手伝ってくれよ。まだ島の近くって事は進路を確かめる必要も無いし」
「冗談も程々にして。私はか弱い女の子なのよ」
「つい昨夜はゴーストバスターだった人の言葉とは思えないなぁ」
とか言い合う三人だが、やがて筏が進まない根本的な理由に気付いた。海岸からは穏やかに見えた波が、まるで意志を持っている様に一行の行手を阻んでいるのだ。
「何だよこれ、幾ら漕いでも押し戻されちまうぞ」
「あれ、ちょっと下を見てよデュラン」
ロキに促されて海中に目を向けると、ちょうど筏の真下に大きな影が浮かんでいた。それが揺らめく度に強い波が発生している。
「こ、これが俺達を妨害していやがる原因か?」
剣を手にしたデュランは海中を突いてみるが、その行為に反応したのか唯の偶然か、付近の水面が迫り上がって数多の飛沫と共に影の正体が現れる。
「で、出たぁ!」
それは海坊主に似た巨大モンスターで、宛らビニールプールで戯れる子供みたく周辺の波を操っていた。三人が乗った筏もまた玩具の浮き舟と同等に扱われる。
「ブオオオン♪」
「に、逃げろぉ!」
デュランは必死にオールを動かして陸に戻ろうとするが、その間にも楽しげに身体を動かすモンスターが水面を揺らす。
「どわっ!」
そして激しい波に晒された筏は呆気なく転覆、忽ち三人は海に放り込まれるのだった。
「もう、折角服が乾いたばかりだったのに!」
嘆きつつ海面に顔を出したミネアが周囲を見ると、海坊主は筏にしか興味を持たない様子で戯れていた。この事に一先ず安堵した彼女だが直後に衝撃的な光景を目撃する。
「うわっぷ、おげっぷ! た、助けてくれぇ!」
「デュラン、早く僕に掴まるんだ!」
溺れゆくデュランは必死の形相で手を伸ばし、浮き具に見立てたロキの丸い身体を辛うじて掴む。そんな一連の様相にミネアは唖然としながら尋ねた。
「え、貴方もしかして満足に泳げないとか?」
「海を見るの久々だって前に言っただろ! 俺は山育ちなんだよ!」
何故か偉そうに告げたデュランだが、色々と納得が出来ないミネアは突っ込みを続ける。
「いやロキは普通に泳げているじゃない。と言うか何なら出来るのよ貴方は」
「仕方ないんだ。デュランは昔、川で溺れかけた経験があって水がトラウマなんだよ」
「それって実はロキを助ける為で、そこから二人の友情が芽生えたとか?」
「いや普通に悪戯しようとしたデュランの自滅だね。因みにその時も助けたのは僕」
「でしょうね、ちょっとでも良い話を期待した私が馬鹿だったわ。って言うかその立場でよく貴方はロキに上から目線で居られるわね」
「おっ、俺様は過去を水に流す性分なんだ。……水難だけに」
「こいつ本当にぶっ殺した方が良いんじゃない?」
そんなこんなで再び陸に戻った三人は、夕日を背にトボトボと岸辺を歩く他になかった。
「はぁ。そろそろテントを張る準備に取り掛からないと」
「陸も駄目、海も駄目って俺はどこで暮らせば良いんだ」
なんて今後の生活を案じていた時だ。その瞬間は唐突に訪れる。
「お、若いの。この辺はモンスターが出て危ないから、余り遅くまで遊んじゃいかんよ」
「ああ、すみません。僕達ここに迷い込んじゃって……?」
釣り竿を持つ老人と擦れ違った一行は暫く足を進めた後、不意に立ち止まると面食らいつつ彼に振り返った。
「あれ、貴方は一体?」
「儂はしがない隠居人じゃよ。ここは穴場スポットで偶に釣りに来るんじゃ」
老人は本日の成果である大量の魚を見せびらかすと嬉々として告げた。しかしデュラン達が聞きたいのは当然そんな事ではない。
「いや待てよ、爺さんはこの島に住んでいるって事か?」
「島じゃと? 馬鹿を言っちゃいかん」
そして怪訝な顔を浮かべた老人から衝撃の事実が齎される。
「ここはグランディア大陸の南西にある半島の先端じゃよ。あの山のせいで陸地が膨らむ形になっとるから分かり難いが、ちゃんと反対側は内陸と繋がっておる」
「え、じゃあ山を越える道もあるの?」
「勿論じゃ。まあ海岸に沿って歩き続けても良いが、儂が通って来たのは――」
老人の案内に従って一同は再び密林に足を踏み入れた。初見のミネアとは違い、先刻の件を踏まえたデュランとロキは身構えるが、
「どうしたんじゃ御主達。何かに怯えている様じゃが」
「いやその、樹の化け物と出会って」
「ああ、あれは身なりは厳ついが草食だから危険は無いぞ」
そうして問題の一つを解決しながら辿り着いたのは例の祠だった。此処まで来ると二人にもオチが見えてくる。
「この先が坑道のトンネルになっていてな。距離は長いが魔法仕掛けで走るトロッコも通っておるし、海沿いを歩くよりも短時間で内陸へ渡れるぞ」
そう告げた老人が階段を下ると、彼の動きに合わせて壁面に付いたランプが点灯。怪しげな祠の正体が明らかになった事で唖然とする男子の傍ら、釣り人に続いたミネアは軽蔑する様に告げる。
「呆れたわ。探検へ出掛けたのに遊ぶのに夢中で、こんな大きな建物を見逃すなんて」
「いやあの……、もう何も言うまい」
言い訳しても埒が明かないと踏んだ青年は気持ちを切り替え、一連の出来事を無かった装いにして意気揚々と言い放つ。
「いよいよ着いたな。新しい冒険の舞台グランディアへ!」
「とっくに着いていたし、決め台詞は【今更もう遅い】んだよなぁ」
何はともあれ無事に海を横断した三人組。別大陸での冒険はこうして幕を開けた。