親に愛されない少年
親に愛されたかった。愛されなかった。
容姿も、学力も、運動も中の下。
そんな俺を、全方面で優れている両親は、愛してくれなかった。
家族に興味のない父と、俺の出来が悪いと叱る母。
なにか一つでも、抜きん出たものがあったら、二人は俺を愛してくれたのだろうか。
2025年 7月13日 日曜日
時報代わりにつけていたニュースで、中学二年生の天才フィギュア少年、氷室冬真という特集が組まれていた。
同い年だったので、なんとなく目を向ける。
容姿は今注目のアイドルやら、俳優の何倍も整っていた。心なしかうちの父さんに似ている。まぁ、イケメンなんて、大体同じ顔だけど。
四回転サルコウというジャンプを成功させていた。フィギュアには詳しくないから、よく分からないが、スタジオのコメンテーターが、すごい!すごい!と言っているから、多分すごいんだろう。
フィギュアスケーターとして、特集を組まれているはずなのに、『学校のお勉強はどうですか?』と質問されていた。
そんなこと、誰が興味あるんだよ。と思いながらも、ついつい目を向けてしまう。
『学生の本分は勉強ですので、フィギュアで疎かにならないように、気をつけています』
いかにも優等生って感じの答えだな。こういうやつが一番嫌いだ。
『失礼ですけど、成績の方は?』
いよいよ、フィギュアと関係ない質問だな。
こんなのにも、愛想よく答えないとだから、スポーツ選手は大変だろう。
『一応オール10でした』
『ええ!?すごいじゃないですか!!』
『わかりやすく教えてくださる先生方と、勉強に集中できる環境を整えてくれる、両親のおかげです』
天は二物を与えずと言うが、そんなの大嘘だ。
実際はほとんどの人間が0物で、天才は五物でも六物でも持ってる。
こいつも持ってる側の人間なんだろう。
同級生にこういうのがいると、どうしようもない劣等感に襲われる。
同じ年数生きてきて、どうしてここまで差がつくんだ。
俺がこいつだったら、父と母も愛してくれたんだろう。
「あなたと同い年なのに、なんでこうも違うのかしらね。冬真君がうちの子だったらよかったのに。ほんとあなたなんて産むんじゃなかった。あなたが息子だと思うと、恥ずかしいわ」
母さんの言葉に傷つくけれど、事実だからなにも言えない。
俺かあいつ、どちらを子どもにするか選べと言われたら、皆迷わずあいつを選ぶだろう。
俺でもそうする。
時計を見ると、家を出ないといけない時間を、3分過ぎていた。
やばい!!
通学カバンを手に取り、ドアノブに手をかけた。
「行ってきます」
聞こえているのか、いないのか、なにも返ってこない。
こんなのいつものことだ。
いっそ言うのをやめたらいいのに。
どうしてやめられないんだろう。
俺は今日、日曜日なのに学校に行く。希望者のみの補習に行くからだ。
希望したのは俺だけらしく、俺が行くと言った時、先生は嫌そうな顔をしていた。
できることなら、やりたくないんだろう。
それなら初めから、やらなければいいのに。
これだから、自称進学校は嫌いなんだ。
俺だって本気で、行きたい訳じゃない。
両親に少しでも、勉強してるアピールがしたいだけだ。
普通の公立に行きたかった。
小学校の友達と、同じ学校に行きたかった。
自分の偏差値より、だいぶ高いところを受けたせいで、学年順位も下から数えた方が早い。
もしも普通の公立に行っていたら、自分で言うのもなんだが、結構賢い方だったと思う。
もしもの話に意味なんてないのに、こんなことばかり考えているから、俺はいつまで経ってもダメなのかもしれない。
でも、考えずにはいられない。
そうするとほんの少しだけ、心が軽くなる気がするから。
補習を終え、家に着いた。
「ただいま」
どうせこれにも、返事はない。
そう思っていたのに。
「……おかえりなさい」
母さんが玄関で出迎えてくれた。
こんなこと何年ぶりだろう。
リビングに行くと、いつもと様子が違う父さんがいた。
なにか、あったんだろうか。
「私ね、思うのよ」
なんだか嫌な予感がする。
「私の子どもが、こんなに出来が悪い訳ないって。あなたきっと、私の子どもじゃないのよ」
ああ、母さんがいよいよ、おかしくなってしまった。
「そんな訳ないでしょ!母さん。しっかりして!」
「さっきからずっと、この調子なんだ」
溜息混じりに、父さんが言った。
「いいえ、いいえ。そうなのよ。そうに違いないのよ。それにあなた、顔だって家族の誰にも似ていないじゃない。きっと病院で取り違えられたんだわ。そうに違いないわ。
早く本当の子を迎えに行ってあげないと。きっと寂しがってるわ」
ああ、俺の声はいつも届かない。
DNA鑑定をするまで、母さんはこう言い続けるだろう。
「……わかったよ。するよ。DNA鑑定」
どうせ取り違えなんて、あるはずないんだから。
「……はぁ。ばかばかしい」
家族に興味のない父が、さすがに今回は呆れている。
まぁ、母さんも、一度調べたら落ち着くだろう。
そう思っていた。
結果が来るまでは。
「やったー!!やったー!!やったわ!!」
ポストを見に行った母が、玄関でこれでもかというほど、喜んでいる。
まさか、そんな漫画みたいなことあるはずない。
「やっぱり、私たちの子じゃなかったわ!!よかった。よかった。本当によかった!!」
母の言葉を聞いてから、自分一人の世界に、隔離されたみたいだった。
父と母がなにか話しているようだが、なにも聞こえてこない。
でも俺には、結果以上に驚いたことがあった。
俺は13年間、親だと思っていた人たちと、血が繋がってなくて、喜んでいる。
ついさっきまでは、血が繋がってないなんて、あるはずないと本気で思っていたのに。
ずっと両親に愛されないのが、不思議で仕方なかった。
みんなそれを当たり前に貰っているから。
親は無条件で子供を、愛するらしいから。
そうだ。そうだったんだ!!
血が繋がってないから、愛されなかったんだ!!
なら、きっと、本当の父さんと母さんなら、俺を愛してくれるに違いない!!
「本当の子どもが誰なのか、急いで調べてもらわないと!!あー、楽しみだわ!!」
俺も楽しみだ。
本当の両親はどんな人だろう。
やっと幸せになれるんだ。
夏休み初日、俺は本当の家族に会えることになった。
去年、法改正が行われるまで、個人情報保護を理由に会うどころか、どこの誰が本当の親なのか、知ることも出来なかったらしい。
法改正により、産みの親に育てられるか、育ての親に育てられるか、子どもが決めれるようになった。
俺は迷わず、産みの親を選ぼう。
やっと、家族に愛してもらえる。
氷室冬真は、テレビで観たとき、俺の育ての父と似ていると思ったが、見比べてみるとさらに似ている。
……まあ、実の親子なんだから、当然なんだろうけど。
見過ぎだせいか、振り向かれ、目が合ってしまう。
あいつとはなんとなく、気まずいのに。
逸らすのも良くないだろうし。悩んでいると、笑いかけてきた。
その笑顔は、ロボットのように無機質で、なんだか気味が悪い。
とりあえず、会釈でもしとこう。
「ねぇ、君名前は?」
突然の質問に、固まってしまう。
氷室冬真が、不思議そうにしている。
「ああ。先に名乗るべきだよね。僕の名前は氷室冬真。苗字はもうすぐ変わるかもだけど。君の名前は?」
「……鈴木梓真」
「梓真か、いい名前だね。僕のことは冬真って呼んで」
こいつとはなるべく、話したくないのに。
実の父は、俺に似て冴えない顔をしていた。
いや、俺が似ているのか。
でも、優しそうな人だった。
ずっと、両親に似ていない自分の顔が、嫌いだったけど、この人に似てるなら、よかったかもしれないと思う。
実の母は、すごく綺麗な人だった。
女優と言われても、違和感がないくらい。
やっとだ!!やっと幸せになれる!!
そう本気で思っていた。
実の母が口を開くまでは。
「血縁上の息子は、差し上げますので、冬真は私たちに育てさせてください」
なにを言われたのか、理解できなかった。
「なにを言ってるの!?私の子どもよ!!返して!!」
「13年間も会っていなかったなら、他人同然でしょう」
みんな、俺じゃない。
俺じゃなくて、あいつが欲しいんだ。
そうだよな。そうだよな。
そら、そうだよな。
なんでこんな簡単なことも、わからなかったんだ。
13年間あいつを育ててきた人たちの、本当の息子が、俺なんかで喜ぶ訳ないじゃないか。
むしろ邪魔だろう。
その後も母親同士で、言い争っていた。
あいつの奪い合いと、俺の押し付け合い。
実の父は、そんな二人の間を取り持とうとして、火に油を注ぎ、育ての父は、相変わらずなにを考えているのか、わからない顔でコーヒーを飲んでいる。
もうこの際、全部どうでもいい。
さっさと終わってくれ。
どうせ俺は、幸せになんてなれないんだ。
誰にも愛してなんて、もらえないんだ。
そう自覚すると、言い争う母たちが、とても醜く見えてきた。
なんでこんな人たちに、愛されたいなんて願ったんだろう。
「あのー、なにか勘違いしてませんか?」
ずっと黙っていた、氷室冬真が、口を開いた。
「ど、どうしたの?冬真くん」
「冬真は黙っていなさい!!今は大人同士で大事な話し合いを」
対照的な母親の反応に、なんだか笑けてくる。
「法律上、どちらの家庭が育てるかは、子どもが決められますよね。大人たちがどれだけ喚こうと、最終的に決めるのは僕たちなんですけど」
テレビで観たキラキラした姿とは、全然違う。
その声には少しも温度を感じなくて。
悪魔がいたらこんな感じかもと、中二病じみたことを思った。
「13年間、育ててあげた恩を忘れたの!?あなたをここまで育てるのに、いくらかけたと思ってるのよ!!」
「私だって、死ぬほど辛いつわりと、陣痛に耐えてあなたを産んだのよ!?うちに戻ってくれるわよね!?」
「……もちろん、どちらのお母さんにも、感謝しています。僕にはとても選べないので、梓真が選んだ家で、僕もお世話になろうと思います」
なにを考えているかわからないところまで、父さんそっくりなんだな。
「いい加減にしなさい!!冬真!!」
俺の産みの母が、ものすごい形相で怒鳴った。
「怖いお母さんより、優しいお母さんと暮らしたいなー」
わざと煽るような口調で、あいつが言った。
「私とっても優しくするわよ!!だから私を選んで!!」
俺の育ての母が言った。
その表情があまりに必死で、再び笑けてきた。
「あ、あの!冬真たちが夏休みの間、半分を鈴木さんの家で、半分を俺たちの家で暮らしてもらってから、決めてもらうのはどうでしょうか?」
俺の実の父が言った。
「あなたもたまには、良いこと言うじゃない。私はそれで良いわよ。あんなヒステリックな方に負ける気がしないしね」
「私だってあんたみたいな性悪女に、負ける気しないわよ!!」
二人とも同じくらい、ヒステリックで性悪だろう。
前半を鈴木家で、後半を氷室家で過ごすことになった。
どっちと暮らそうが、もうどうでもいい。
ただ
「なんだか、面白いことになったね。梓真くん」
こいつとは違う家で暮らしたい。
いつもの家に帰ると、母さんは張り切って買い物に出かけて行った。
父さんは自室にこもった。
俺も部屋に行こう。
なるべくこいつと、一緒にいたくない。
「ねぇねぇ、遊ぼうよ」
こいつは俺に嫌われてる、自覚がないのか?それともわかっててやってるのか?
こいつの場合、後者な気がする。
「……嫌だ」
「えー、なんで。せっかく兄弟になったんだからさ」
「俺たちは血が繋がってないだろ」
「13年間、血が繋がってないことにも気づかず、子育てできるんだから、血の繋がりなんて別に意味ないじゃん」
こいつ、ときどき毒吐くな。
優等生ぶってるよりは、いいけど。
「ねぇねぇ、お兄ちゃん」
「誰が、お兄ちゃんだ。ていうか、お前誕生日いつだよ」
「8月8日だけど」
「俺は8月11日生まれだから、どちらかというと、お前が兄なんじゃないの?」
それはそれで癪だけど。
「えー、別にいいじゃん。後に生まれた方がお兄ちゃんでも。僕、お兄ちゃんなんて柄じゃないし」
「俺だってそんな柄じゃねーよ」
「まぁ、良いじゃん。梓真がお兄ちゃんで。それで、なにして遊ぶ?」
「お前、マイペースすぎだろ。そんなんで友達いるのかよ」
「いないよ」
まじか。やばい。本当にいないとは、思ってなかったから、思いっきり地雷踏んだんじゃ。
「あはは。面白い顔するね。いいよ。気にしてないし。クラスが変われば、終わる関係作ったって意味ないでしょ」
終わらないことだってあるだろう。
そう言おうとして、やめた。
こいつに言っても、多分逆効果な気がする。
「あ、そう」
なんて冷たい言葉しか、出てこなかったけど、こいつはいつも通り笑っていた。
「で、梓真なにして遊……」
「ただいまー。冬真くん」
母さんが帰ってきた。
「チッ。邪魔者が……」
舌打ちしながら、こんなことを言われてると知ったら、母さん卒倒するだろうな。
「今、美味しいお料理たくさん作るからね」
普段はスーパーの惣菜なのに。
「わー、すっごく楽しみです。ありがとうございます」
ニュースで見た時と同じような、嘘臭い笑顔であいつが言った。
これよりは、さっきまでの死ぬ程ウザい、あいつの方がましかもしれない。
母さんは年甲斐もなく、スキップしながら、台所に向かった。
料理なんて5年近くしていないのに、大丈夫だろうか。
火事にならなければ、いいけど。
「僕、梓真の部屋に行きたい」
こいつはいつも、突拍子のないことを言う。
「ぜったいに嫌だ」
「えー、お願い。お願い」
「ぜったいに嫌だ」
「梓真の育てのお母さんに、梓真がいじめてくるーって泣きつこうか?」
「絶対にやめろ」
そんなことを言われたら、家を追い出される。
下手すると、それじゃすまないかも。
「……勝手に物に触るなよ」
「うん。約束するよ」
こいつとの約束が、当てになる気はしないけど。
部屋に着くと、すぐさま俺のベッドの下を覗きこんだ。
「……なにしてんだよ」
「男子のベッドの下には、必ずエロ本があるって、先生が言ってた」
「どんな先生だよ。ねーし」
そんな物持ってたら、母さんに殺される。
「つまんないなー」
「面白い物なんて、ないからさっさと出て行け」
「ねぇねぇ、机の中見ていい?」
「人の話聞けよ。勝手に物触らないって約束しただろ」
「だから、許可を取ってるんじゃん。お願い」
「だめだ」
「……泣きついてくる」
そう言って扉に向かって、歩きだした。
「やめろ!!そんなに見たけりゃ勝手に見ろよ!!」
「わー、ありがとう。持つべき物は優しいお兄ちゃんだね。なにがでるかなー。なにがでるかなー」
人のこと散々脅した後に、どうしてそんなに楽しそうにできるんだ。
「わー。ノートだ。梓真って喋り方がいかにも厨二病って感じだし」
「おい!」
「さぞかし、面白いことが書かれてるんだろうなー」
「そんなもん書いてねーよ」
「またまた謙遜しちゃってー」
子どものように、無邪気な顔でノートを捲り出した。
ページが進むにつれ、顔が曇っていく。
「…………ねぇ、梓真」
「なんだよ」
「なんで魔法陣、描いてないの?」
「描く訳ねーだろ」
「なんで。梓真、絶対自分のこと、悪魔の生まれ変わりって思ってるタイプじゃん」
「思ってねーよ」
「中学2年生なら魔法陣の一つや二つ、描かないと」
「そう言うお前だって、中二だろ。魔法陣描いてんのかよ」
「描く訳ないじゃん。バカじゃないの?」
もういい。こいつとは話すだけ無駄だ。
無視してやる。
俺はベッドに潜り込んだ。
「あれ、梓真。もうおねむなの?園児でもまだ起きてる時間だよ」
いちいち癇に障る言い方をしてくる。
でも言い返したら、さらに嫌な思いをするのは目に見えてる。
絶対無視してやる。
「ねぇねぇ、梓真。アズちゃんって呼んでいい?」
……無視してやる。
「アズちゃん。アズちゃん。僕8月8日が誕生日なんだ。プレゼントは愛情たっぷりの手作りケーキでいいよ」
…………無視してや「アズちゃんの育てのお母さんに泣きついてくる」
「勝手にしろよ」
「梓真?」
「もういいよ。どうでもいいよ。あんな人たちにどう思われようとどうだっていい」
追い出されたら、そのまま家出してやる。
「梓真。ごめん」
初めて聞く真剣な声だった。
「梓真と話したくて、意地悪しすぎた。ごめん」
「なんで俺なんかと話したいんだよ」
「たった二人の兄弟だから」
「……俺そういう綺麗事、嫌いなんだよ」
「僕も嫌い」
「じゃあ、言うなよ」
「嫌いだから、言うんだよ」
なんだそれ。意味がわからない。
スケート選手より、哲学者の方が向いてるんじゃないか。
「冬真くんー!ご飯できたわよー」
無駄に高い母さんの声に、ゲッという顔をして
「わー、楽しみです」
と本当に楽しみそうに言えるんだから、ある意味尊敬する。
役者の才能もありそうだ。
「ねぇねぇ、梓真。僕、あの人のご飯食べたくないんだけど」
「……本人に言えよ」
「嫌だよ。刺してきそうじゃん」
頭に血がのぼった、母さんならやりかねないな。
「なんで、食べたくないんだよ」
俺も正直、味は不安だけど。
「僕があの人のこと好きになる、洗脳薬とか入れてそうじゃん」
漫画じゃないんだから、そんな物存在しないだろう。
でも、実際にあったら入れてそうだな。
「ねぇねぇ、梓真。毒見してよ」
「嫌だよ。あんな人のこと、もう好きになりたくない」
「梓真……漫画じゃないんだから、そんな物本当にある訳ないでしょ」
こいつ!!
「……そろそろ行くぞ。母さんが痺れを切らして、迎えにきかねない」
「もう。しょうがないなー」
リビングに行くと、母さんが満面の笑みで待っていた。
その笑顔を向けられているのは、もちろん俺じゃない。
「冬真くんのために美味しいお料理、たくさん作ったわよ」
そう言って、出された料理は半分以上焦げていた。
「わー、ありがとうございます」
さすがのこいつも苦笑いだ。
そら、こんな顔にもなる。
俺だって、正直今すぐコンビニ行きたい。
「さあ、食べて。食べて」
意を決して口に入れると、想像の5倍美味しくなかった。
俺だけでも、コンビニ行ってこようかな。
どうせ、俺のために作られた訳じゃないんだし。
でも、約5年ぶりの母さんの手料理だと思うと、食べずにはいられなかった。
母さんなんて、嫌いだ。
こんなひどい人と一緒に住みたくない。
そう思う気持ちも嘘じゃないのに。
それと、真逆の気持ちも捨てきれない。
「明日からも、毎日作るわね」
でも、毎日はきつい……
「俺が作る。こんなに焦げた物ばかり、食べていたら、身体を壊しかねない」
父さんが言った。
父さんの声を聞いたのは、すごく久しぶりな気がする。
ていうか、父さん料理できるのだろうか。
家事全般してるのを、見たことないけど。
「なに言ってるの!?男が家事するなんて、女々しいこと言わないでって、何度も言ったわよね!!」
「君と結婚した当初は、そうだったかもしれないが、今はそんなことないだろう。君の考えは前時代的すぎる」
「もう我慢の限界です!!離婚してください!!これまではなんとか我慢してきたけど、貴方みたいな愛想のない人、冬真くんの父親に相応しくないのよ!!」
「わかった。家が見つかり次第、出て行く」
なんかあっという間に、離婚することになってる。
まぁ、これまで離婚していなかったのが、不思議なくらい会話もなかったから、当然といえば当然だけど、それにしても急すぎないか?
「梓真」
父さんに名前を呼ばれるなんて、何年ぶりだろう。
「な、なに?」
「俺は4LDKの家に住む」
「そ、そっか。広いね」
「ああ、一人だと広すぎる」
「そうだね」
「そうだ」
父さんはなにが言いたいんだろう。
遠回しに離婚後、愛人と暮らすと言いたいのだろうか。
でも、仕事以外で滅多に出かけない父さんに、愛人がいるとは思えないけど。
父さんの考えていることが、全くわからない。
その後、特に会話もなく、食事は終わった。
自分の部屋に戻ると、当たり前のように、あいつがついてきていた。
「なんでついてくるんだよ」
「兄弟なんだから、いいでしょ」
兄弟じゃないだろう。と言ってやりたいが、押し問答になるのが、目に見えているから、やめとこう。
「梓真のお母さんの料理、クソ不味かったね。吐かないようにするの大変だったよ」
「そこまで言わなくても……」
正直気持ちは分かるけど。
「なんで庇うの?」
「別に庇ってる訳じゃ……」
「庇ってるよ。嫌いなんでしょ?なら、庇っちゃダメだよ」
「俺は……」
「ごめん。また虐めちゃった。楽しい話をしよう。そういえば、梓真のお父さんは、梓真のこと好きなんだね」
「え、なんで?」
「な、なんでって、わざわざ名指しで、4LDKで暮らす宣言されてたでしょ」
「それがなんで俺のこと、好きってことになるんだよ」
「梓真、ハーレム漫画の主人公並みに、鈍感なんだね」
「は?なんだよ。いきなり」
「そういえば、顔もそんな感じだよね」
「……貶してるだろ」
「そんなことないよ。僕みたいな少女漫画のヒーロー顔より、ずっといいじゃない」
こいつ、全然反省してないな。
「もういい。風呂入るから、出て行ってくれ」
「お背中流すよ」
「いらない!!」
「あはは。わかったよ。じゃあ、また明日ね。おやすみ」
「……おやすみ」
やけにあっさり引き下がるな。
ごねるかと思った。
ごねて欲しい訳ではないけど。
風呂に入って、歯を磨いて、自分の部屋に戻った。
アラームをセットしようとして、やめた。
夏休みくらい、好きな時間に起きてやる。
あいつが無理矢理起こしにきても、図太く寝続けてやる。
「梓真、ご飯だ。起きなさい」
父さんの声が聞こえてきた。
絶対に夢だ。
父さんが俺を起こしにくるなんて、あり得ない。
どうせ夢なら、ずっと言ってみたかったことを言ってみよう。
「うーん。あと五分ー」
漫画などで、定番のこのセリフ。ずっと言うのが夢だった。
アラームで起きないと母さんに怒られるし、ごくたまにかけ忘れて、起こしに来てくれるときも、鬼のように怒っているから、あと五分なんて言ったら、殺されかねない。
「食事が冷める。早く起きなさい」
夢のくせに
「うるさいな!!」
そう叫んで、起き上がると、父さんがいた。
父さんの姿を目にすると、本能的に夢じゃないとわかる。
寝起きで回っていない頭が、一気に覚醒した。
父さんの表情はいつも通り、無表情だった。
それが逆に怖い。
「ご、ごめん!!」
咄嗟に謝ると
五秒ほど、静寂に包まれたあとで
「いや、大丈夫だ。先に下へ行っている」
と言って、出て行った。
好感度が0から、マイナスに落ちた。
興味は持ってもらえなくても、せめて嫌われないように頑張ってきたのに。
最悪だ。
下に行くと、美味しそうなパンケーキが4つあった。
「……美味しそう」
思わず、声に出た。
「そうか。よかった」
そう言った父さんの口角が、上がって見えた。
いやいや、そんな訳ない。
目の錯覚だ。そうに決まってる。
席に着くと、母さんとあいつがパンケーキを食べ始めた。
「……いただきます」
別に誰も言っていないし、言わなくてもいいんだろうけど、なんとなく口にしていた。
一口食べると、めちゃくちゃ美味しかった。
今まで食べたパンケーキで、一番美味しい。
父さんがこんなに、料理上手だったなんて。
他の人の反応を見ると、父さんはいつもと変わらず、母さんとあいつは、平静を装っていたけど、昨日の10倍、食べるスピードが早かった。
わかる。俺もがっつきたい。
でも、そんなことしたら両親に嫌われる。
母さんは自分が、がっついてるのは棚に上げて、俺のことを責めるだろうし、父さんも食事にがっつく息子は嫌だろう。
こんな人たちから、好かれようとするのは、やめようと決めたはずなのに、
両親のことが嫌いな俺と、大好きで愛してもらいたい俺。
正反対な自分が心に住んでいて、どれが本当の自分か分からなくなる。
結局、いつも通りのスピードで食べた。
母さんとあいつは、さっさと食べて二階へ上がった。
父さんと2人になることなんて、滅多にないから気まずい。
なんの会話もないまま、食べ終わる。
「ごちそうさまでした」
皿洗いするために立ち上がると
「不味くなかったか」
と父さんに聞かれた。
「え……」
話しかけられると思っていなかったから、なにも答えられなかった。
「料理は久々だったから、自信がない」
「す、すごくおいしかったよ!!今まで食べたパンケーキで一番!!」
「……そうか。世辞でも嬉しいものだな。ありがとう」
お世辞じゃないよ。本心だよ。
そう言いたかったけれど、父さんの顔を見たら、なぜだかなにも、言えなくなってしまった。
父さんが、皿を下げ始めた。
「あ、お皿は俺が洗うよ!」
母さんは家事を手伝う時間があるなら、勉強しなさい!!と一度も手伝わせてくれなかった。
勉強が得意じゃないから、せめて他のことで役に立ちたかったのに、勉強以外で俺を見てくれなかった。
「いや、俺が洗おう」
「お願い!洗いたいんだ!」
言ったあとで、変な願いだなと思った。
普通の人なら嫌がるだろう家事も、させてもらえないとしたくなる。
絶対に開けるなと言われたら、開けたくなるような感じだ。
「なら、一緒に洗おう」
「え……」
予想していなかった言葉に、また返事が出来なかった。
どうしてこうなった!!
父さんが洗った食器を、俺がゆすぐ。
別に嫌な訳じゃない。
むしろ、嬉しい。
だけど気まずい。
食器とスポンジが擦れる音と、水が流れる音しかしない。
普通の家族なら、こういうとき、学校のこととか話すんだろう。
普通の家族なんて、フィクションでしか知らないから、偏見かもしれないけど。
会話がないまま、洗い終わった。
「仕事、行ってらっしゃい」
「ああ」
そう言って、父さんは出て行った。
今日はたくさん、父さんと話せた。
もしかしたら、一生分話したかもしれない。
どうしてこんなに、話せたんだろう。
顔には出ていなかったけど、機嫌がよかったんだろうか。
だとしたらなんで。
あー、あいつがいるからか。
俺は父さんにも、母さんにも似ていない。
血が繋がっていないんだから、当然といえば当然だけど。
美形な父さんと母さんと、いかにも普通な俺。
母さんが不倫してできた子じゃないかと、噂されていたのを、子どもながらに知っていた。
父さんも、疑っていたのかもしれない。
だから、俺にも母さんにも、興味がないのかも。
そんな中、自分にそっくりな本当の息子が現れたんだ。
そら、嬉しいよな。
こんなこと考えたって、仕方ない。
自分の部屋に戻って、漫画を読みまくろう。
テスト終わり3日間以外、読むのを禁止されてるけど、怒られても関係ない。
読みまくろう。
そう思って、部屋に戻ると。
「もう、梓真。遅いよー。待ちくたびれちゃった」
あいつが俺のベッドに寝転んで、漫画を読んでいた。
「今すぐ、降りろ!!」
「うーん。一緒に公園、行ってくれるならいいよ」
「こんなくそ暑い中?」
「だからいいんじゃない」
「はぁ、わかった。行ってやるから、降りろ」
溜息まじりに言うと
「今日はやけに素直だね。梓真も僕のこと好きに」
「行くって言うまで、しつこいだろうが!」
昨日みたいにしつこくされるなら、大人しくついていく方がましだ。
「さすが、梓真。よくわかってるね」
「母さんに泣きつかれても困る」
「それはしないよ。あの人と話したくないし。それより、早く行こう。時間がもったいないよ」
そう言って、部屋から出て行った。
本当にマイペースだ。
これからも、こいつに振り回されるのだろうか。
あー、早く1か月経ってくれ。