15.(ネイサン視点)
『私は虐められてなんかいません!』
モニカの金切り声が頭の中に木霊する。
……虐められてなんか、ない。……モニカが嘘をついていた……。
僕は愕然と立ち尽くすしかなかった。何とか声を絞り出して彼女に問いかける。
「何故、そんな嘘を……」
「そんなの……、ネイサン様とあの女の婚約を破棄させるために決まってるじゃないですか……」
顔を上げずに涙声でモニカが言う。
「何故……そんな……」
「何故? 何故って? あなたのことが好きだからです!!!」
クッションを床に投げつけて、モニカは叫んだ。
「でもあなたは王太子様、私なんかが相手になることなんてできないじゃないですか!!!」
喚き声を上げる彼女は、魔女みたいだった。いつも綺麗にセットされている金髪はくしゃくしゃになって涙の痕ができた顔に貼りついている。青い瞳の周りは真っ赤に染まっていた。
――僕は、この子にどうして夢中だったんだ?
頭がずきずきと痛んだ。
モニカを初めて見た時の光景が思い浮かぶ。
『剣術の試合、素晴らしかったですわ』
そう言って僕に駆け寄ってきたとき、この子の周りが煌めいて見えるほど、とんでもなく可愛い子だと思った。話す言葉も、仕草も、全てが自分の理想の女性に見えたのに……。
「モニカ、君は……僕に何か、したのか?」
震える声で問いかける。
何かされた、という感覚――違和感が体中を駆け巡った。
また、沈黙。
僕はモニカの肩を揺さぶった。
「何か、したのか?」
ぐらぐらと身体を揺らされた彼女はようやく口を開いた。
「……魔法の指輪」
「……は?」
「魔法の指輪をもらったの! あなたが私に夢中になる魔法、周りの人が私の思う通りに動いてくれる魔法が使える!!!」
そう叫んで、モニカは泣き崩れた。
「……何ということだ」
後ろで事の一部始終を見ていたモニカの父親が頭を抱えて呻く声が聞こえたけれど、僕はただ茫然と立ち尽くすしかなかった。
魔法の指輪だって……?
そんなものが実在するのか?
僕はその魔法の力でモニカに夢中になっていた……?
頭の中にルイーズに対して放った言葉が反響する。
『『平民だから』……、か。ルイーズ、お前のその人を見下す性格の悪いところも嫌になったんだ。』
『かわいそうなモニカ……、ルイーズ、お前はなんてひどいんだ!』
そして、僕はルイーズの肩を押して……。階段なのに……。
「うわぁぁぁぁぁ」
僕は頭を押さえて絶叫した。
自分のやってしまったことの重大さに押しつぶされて、ぺしゃんこになってしまいそうだった。
ルイーズ……僕は自分の婚約者になんてことをしてしまったんだ……。
僕はモニカに駆け寄って、泣きわめく彼女の肩を持った。
「何なんだ、その魔法の指輪っていうのは! どこにあるんだ!」
「知らないわ……! 城下町の夜市で占い師にもらったの……。でももう、なくなってしまった……」
僕はモニカの右手をとった。
そういえば、彼女はいつも赤い石のついた指輪をしていた。
……宝石ではない、赤く磨かれた石。古めかしい指輪で、彼女はいつもアクセサリーを変えるのに、その指輪は毎日つけていたから記憶に残っていた。
それが今、彼女の指にない。
「あの、赤い石の指輪か?」
「……」
無言のまま、こくりとモニカは頷いた。
僕はモニカの肩を両手で揺さぶった。
「モニカ、もうなくなったっていうのは、どういうことだ?」
僕の手を振り払ったモニカはそう叫んで壁の隅に駆け寄った。
「その占い師にまた会いに行ったの! そうしたら……、そうしたら、なくなってしまったのよ!」
なくなってしまった……じゃないだろう!
僕は気持ちの行き場がなくなって、壁を思いっきり殴った。
「何で、何で、そんなことをしてくれたんだ……」
「あなたのことが、好きだからです!!!」
モニカが絶叫した。
そんなことを言われても……!
僕はまた拳を持ち上げた。壁を殴りつけそうになるのを、何とかこらえる。
どうしたらいい? 僕は……。
「僕は、君が好きじゃない、モニカ」
言葉を絞り出す。
「僕が好きなのは、ルイーズだ……」
口に出してみると、その気持ちにはっきりと実感が伴う。
ルイーズと一緒に過ごした穏やかな時間がどれだけ僕にとって大切だったか……。
モニカは表情を硬直させて、僕を凝視した。
「僕が好きなのはルイーズだ、モニカ。――彼女に、謝らないと」
僕は繰り返した。
「謝らないと」




