第98話 そして我ら、ここに集う 上
ついに、その日が来た。
劇場の前には馬車が連なり、豪華に着飾った人々が降りてきて、白亜の巨大な建物に吸い込まれていく。その中にラベンダー色のドレスを着たアデレードの姿もあった。ゲアハルトとクリスも従者として、それなりにめかし込んで、アデレードの傍に立っている。若干2人とも窮屈そうにしているのが、少し可笑しい。
さぁ、いよいよだわ。
覚悟を決めて、アデレード達も入口へ続く階段を昇っていく。中へ入ると知り合いや友人と語らう人々で賑やかである。アデレードは注意深くその中にサウザー公爵の姿を探すが見当たらない。
まだ来ていないのかしら? それとも今日は来ないの?
不安に駆られながらキョロキョロとしていると、アデレードは後ろから声を掛けられる。
「ブッフバルトさん、それにシュナイダーさんも」
アデレード達が振り返ると、そこにはホテルに泊まりに来ていた芸術家の2人だった。彼らを見てアデレードは目を丸くする。
「おー、我が女神、今宵はいつにも増して麗しい」
いつものように大仰な仕草で礼をするブッフバルトに対し、シュナイダーは軽く頭を下げる。相変わらず対称的な2人だ。
「どうしてこちらに? 今日の演目はブッフバルトさんのものではありませんよね?」
「えぇ。あの忌々しいグースマンの作品ですよ」
ブッフバルトは舌打ちする。誰?、という顔でアデレード達がシュナイダーを見ると、彼は仕方ないとため息を吐く。
「ブッフバルトのライバル劇作家だ」
「今日は敵情視察の為に、フラウ・シュミットにボックス席に誘われていたのですよ。ですが、貴女が代わりに来ることになって、おまけに劇より楽しそうなことが起こりそうだとか。ワクワクしますねっ」
「そんな面白いことにはならないと思いますけれど……」
待ちきれない、という風にブッフバルトが目を輝かせる。そんな彼にアデレードは苦笑すると、周囲の声が一層大きくなった。人々が王子とか殿下とか呟く。それでアデレード達が入口に視線を向けると、エーリッヒ王子が、王宮から直接来たのか護衛を従えて入ってきているところだった。
金髪の眩しい颯爽とした姿。アデレードは懐かしく思った。
王子の前に黄色のドレスの若い女性が、人々の間から出てくる。
「イザベル……」
アデレードが心配そうに呟く。彼女の姿を見た王子が嬉しそうに微笑んで手を差し出すが、イザベルは思い詰めた顔で首を振る。
まさか、ここで全て暴露するつもりなの? 人々に自分が全て悪かったと思わせる為に? それで王子を守ろうというの?
そうなればイザベルは、はした金で王子を騙す片棒を担いだ卑しい女として、社会的な評判は地に堕ちる。しかも、最悪な事になれば、詐欺罪に問われるかもしれない。
いいえ、それだけでは済まないわ。結局王子だって、そんな浅はかな策略に嵌まった情けない男ということになってしまうわ。そんなのサウザー公爵が喜ぶだけで、誰も得しない。あんな男の愚かなゲームの犠牲者は私1人で十分だわ!
「私、少し茶番劇を演じて来ますわ」
アデレードはそう言って、人々の波を掻き分けて行ってしまう。慌ててゲアハルトとクリスがついていく。
そしてアデレードは顎に右手の手の甲を当てて高笑いしながら、2人の前に姿を現す。
「まだそんな女に夢中ですの、王子? 1年も経てば、少しは冷静になるかと思いましたけれど。お馬鹿にもほどがありますわね」
王子とイザベルが驚いた顔をし、周囲も彼女が1年前から行方をくらませていた、あのアデレードだと分かり、興奮したように喋りだす。婚約破棄の当事者達がここに一堂に集まったのだ、物見高い人々にとって、これほどの見せ物はないだろう。
「これはグースマンの下らない劇よりも100倍見応えがある劇になりそうですよ。流石、我が女神」
隣のシュナイダーにブッフバルトは愉快そうに囁く。彼は無言で頷く。
アデレードは王子の許へ、怒りを露にしながら近づいていく。護衛が止めようとしたが、それを王子が制する。
そして、アデレードは王子の前に立つ。
かつては恋していた、人。
「私が目を醒まさせてあげますわ!」
そう言って、思い切りアデレードは王子の頬を叩いた。乾いた破裂音が会場に響く。驚いてよろめく王子の腕を掴んで、アデレードは他の人には聞こえないように呟く。
「少なくとも、貴方は2人の女性の心を傷つけましたのよ。このくらいの仕打ち、私にはする権利がありますわよね?」
「……えぇ、貴女にはその権利があります」
王子はぶたれた痛みを感じながら答える。
「王子、幼いながらに慕っておりました。せめて、イザベルのことは幸せに……愛してあげて下さいまし」
その言葉に王子の目が大きく開かれる。アデレードは王子の腕を離し、さらに勢いよく王子をイザベルの方へ突き飛ばす。そしてわざとらしく見下すように腕を組んで2人を見る。
「え? 何、聞こえませんわ? イザベルが何ですって?」
アデレードの瞳は、言外に今ここでイザベルに対する態度をはっきりさせろ、と王子に迫っていた。
「私は、イザベルを愛している!」
王子はそう叫ぶように言って、イザベルの肩を抱く。
「あ、い? こんな貧相な娘に!?」
大袈裟にアデレードは驚いてみせた。王子はそれに合わせるように叫ぶ。
「彼女を侮辱しないでくれっ」
「ご自身の身分を分かってらっしゃるの?」
あえてアデレードは口角を上げて皮肉気な表情を作る。
「愛の前に身分は関係ない」
「エーリッヒ王子……」
困惑顔でイザベルが王子とアデレードを交互に見る。こんな展開になると思っていなかったからだ。このままだと王子は本当に引き返せないところまで行ってしまう。その気持ちを察したように王子は彼女の肩を抱く手に力を込める。
「それを、どう、証明さなるの?」
「皆にも聞いてもらおう!」
王子は意を決したように、居並ぶ人々を前に高らかに宣言する。
「いずれ正式に発表があると思うが、私は王太子の座を降り、イザベルと結婚する!」
人々の間から驚愕の声が漏れる。流石に王子の決意には目を剥く。
王子が王宮に行ったきりっだったのは、これを調整するためだったのね。
「王子、いけません! そんなことっ」
イザベルが顔面蒼白になって王子の手を解き、向き合う。
「もう決めたことだ。長く待たせてしまって済まなかった」
「駄目です! 私はっ……」
続けようとするイザベルの口に、王子の人差し指が触れる。
「何も言わないで。これで良いんだ。君が何かを隠しているのは知っている。だが、私は私のしたことの責任を取らねばならない」
「あら、面白い冗談ですこと。……本気ですの?」
王子は真剣な表情で頷き、それを見てアデレードはこれ見よがしにため息を吐く。
「有り得ないわ。でも、王になれないなら、貴方には用はない。そこの女と楽しく暮らすのがお似合いね。私には相応しくないわ」
「ふ……気位の高さは相変わらずだ」
王子は懐かしそうに呟く。
「当たり前ですわ。私を誰だと思っておりますの?」
アデレードは得意げに笑みを浮かべ、背筋を伸ばし、胸に手を当てる。
「私の矜持は、リーフェンシュタールの山々より高いのよ!」
決まった、とアデレードは思ったが、周囲の人々は皆ぽかん、としている。
「うーん、途中までは堂々たる悪役っぷりだったんですけどね……」
「この台詞は良くない。皆リーフェンシュタール領には行ったことがないからな。何のことだが分からん」
アデレード達のやりとりを見ながら、ブッフバルトとシュナイダーが感想を述べ合っている。妙な空気を変えるべく、ごほん、とアデレードは大きく咳払いした。
「さぁ、ここはもう貴方達のいるべき場所ではないわ。その女を連れて帰りなさい!」
騒動がこれ以上大きくなる前に、アデレードは2人に帰れと言っているのだ。イザベルは泣きながら、王子は申し訳なさを感じながら、劇場を去ろうとしたときだった。
「なかなか感動的な見世物だったじゃないか、えぇ?」
蔑むように笑い、白々しく拍手しながら、サウザー公爵が入ってきたのだった。
「お嬢ちゃん、どうやらこの茶番劇で、本命を釣り上げたようだぞ」
ゲアハルトがニヤリと笑い、アデレードは緊張した面持ちで頷いた。




