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第94話 アデレードとイザベル 上

 数日後、アデレードはイザベルの住む屋敷にいた。屋敷の者を言い包めて(勿論多少の色を付けて)、中へ入ることに成功したのだった。

 イザベルはここ最近、屋敷から一歩も外に出ず部屋に籠っているらしい。アデレードは彼女の部屋のドアをノックし、部屋に入る。


「何かよ……?」


 椅子に座ってぼんやり外を見ていた栗色の髪の女性がドアの方を見て、使用人ではないと気が付いて驚いた顔をする。


「お久ぶりでございます、フロイライン・イザベル」


 アデレードは一礼して、しっかりとイザベルを見つめる。イザベルは最初アデレードを見ても、誰か分からなかった。今の彼女は地味な緑色の農民の恰好だったし、きちんと結い上げられていた髪は、後ろで一つに括られているだけだ。


「貴女はっ……!」


 その顔に気が付き、イザベルは立ち上がる。


「えぇ、そうです。アデレードですわ。私が貴女に行った数々の非礼お詫びいたします」

「……わざわざそんな事を言いにここへ?」


 イザベルは怪訝な顔でアデレードを見つめ返す。


「いいえ。それだけではありませんわ」

「じゃぁ、王子を奪いに来たの? だったら、残念ね。王子はここにはいないわ」

「それも違います。私は王子の寵愛を奪い返しに来たわけではありません」

「それじゃ、何? 私を笑いに来たの?そんな格好をして私を揶揄やゆしたいの?」


 イザベルの顔が歪む。


「私はっ、もうあの頃の貧しい小娘じゃない! 美しいドレスを着て、輝く宝石を身に着けて、多くの召使いに傅かれ、王子に愛される、幸せなお姫様よ!」

「フロイライン・イザベル……?」


 彼女の荒んだ様子にアデレードの方が戸惑う。


 王子と恋人の間には何かある、と伯爵の手紙に書いてあったけれど、本当だったの?


「落ち着いて。私は貴女を揶揄からかいに来たのではないの。聞きたいのはサウザー公爵の企みのことですわ」


 アデレードの言葉にイザベルは体を強張らせる。


「……何のこと?」

「貴女は公爵と組んで王子を騙した。私との婚約を破談させるために」

「何を馬鹿な。お嬢様の突拍子もない妄想ね」


 イザベルは鼻で嗤う。


「妄想ではありませんわ。貴女がサウザー公爵領の出なのは、もう分かっています」

「だから? それが本当だとして、だから何なの? ただの偶然よ」

「公爵は強引に法務院を動かし、リーフェンシュタール伯爵に罪を着せて処刑させようとしています。そんなことをさせるわけにはいかないのです」


 アデレードは青い顔で両手をぎゅっと握る。状況は予断を許さない。


「その何とかって伯爵がどうなるかは、法務院次第でしょう?  貴女も、勿論私にも関係ないわ」

「私には大いにあります。伯爵には返しきれない恩がありますもの」

「そう。でも、私には公爵も伯爵も知ったことじゃないわ」

「本当に? 私がエーリッヒ王子に貴女とサウザー公爵が謀ったことだと告げても?」


 無論、今のアデレードに王子に会う術はないに等しい。


 それに会えたとて聞いてくれるかどうか……。


 それを見抜いたかのようにイザベルはあはは、と笑った。


「誰が貴女の言うことを信じるの? 落ちぶれて、往時の姿とは見る影もない貴女の言うことなんて!」

「それなら、聞いてくれるまで何度でも言います」


 アデレードは一歩イザベルに近づく。


「どうしてっ、どうしてその伯爵の為にそこまでするのよ?」

「あの方に、生きて欲しいからですわ!」


 アデレードは思い出していた。カールの散歩がてら村を見に来てはつつがない様子に微笑む横顔を。口では何と言っても、いつも助けてくれるあの優しさを。山々と人々のことを語るあの落ち着いた声を。


「絶対に連れて帰りますわ! 私は決して諦めません。伯爵にはリーフェンシュタール領で、村人に囲まれれながら穏やかに暮らしていて欲しいのです。ときには、困ったように笑って……。私はそんな伯爵の姿を見るのが好きなの。堪らなく愛おしいくて、涙が出るほど嬉しいの」


 その姿をもう一度見られるのなら。


 溢れ出る思いが涙となって、アデレードの頬を伝う。ただ切実にカールのことを思った。故郷から引き離された彼のことを。


「伯爵を助ける為なら、何だってしますわ。貴女はどうしたらサウザー公爵のことを話して下さるの? 私が頭を下げること? 踏みつけること? それとも豪華な生活を続けられるようなお金ですか?」

「そんなものはいらないっ。そんなものはっ!」


 イザベルは叫んだ。

 では、彼女が求めるものは何なのか。彼女の言う通り、華やかな装い、豪華な家、何不自由ない生活。けれど、ここには一つ欠けているものがあった。


「フロイライン・イザベル、今貴女は本当に幸せ? 私にはとても苦しんでおられるように見えますわ」

「……」


 イザベルは唇を噛み、俯く。


「お姫様のような暮らしも、王子がいなければ貴女にとって意味がないのではありませんか?」


 また一歩、アデレードが涙を拭いて彼女に近づく。


「エーリッヒ王子を騙して豪華な暮らしがしたいだけなら、今ここに王子が居ても居なくても貴女は楽しいはずだわ。でも、今日見た貴女は寂し気だった……王子を騙していることを後悔していらっしゃるのではありませんか?」

「貴女なんかに何がっ……!」


 イザベルが取り乱したように首を振る。


「分からない、分かりませんわ! だから、訊きます」


 アデレードは毅然と背を正し、真っ直ぐイザベルを見つめる。


「貴女は、ただのサウザー公爵の手先なのか、それとも王子を愛する一人の女なのか。さぁ、どちらなのです?」


 長い沈黙が部屋に満ちる。


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