第92話 下町の親分
裕福な市民の住む地区から庶民の住む下町へ、アデレード達は向かった。横に広く大きい屋敷から徐々に横幅は小さくなり、背の高い住宅へと移り変わる。それに伴って、徐々に空が狭まり暗くなっていった。
王都に住んでいたこともあったが、ここはアデレードの知らない世界だった。すれ違う人々が余所者を不審そうな目つきで見て、何事か囁き合う。そんな中を進んでいくと、アデレード達の目の前に柄の悪そうな男達が近づいてきた。後ろを振り返ると、そちららかも同じような男達が近づいて来ていた。
「どうやら囲まれちまったみてぇだな」
ゲアハルトがやれやれと首を振った。剣呑な空気が目つきの悪い男達とゲアハルトの間に流れる、その時。
「ちょい待ちな!」
威勢の良い女性の声が聞こえ、男達の間から20代半ばくらいの赤毛の女性が現れた。長い髪は垂らしたままで、男装している派手な顔の迫力ある美人だ。
「親分!」
クリスがその女性を見て驚いたように声を上げる。
おやぶん?
アデレードは首を傾げる。親分という言葉をアデレードは生まれて初めて聞いたのだった。
「クリス! アンタ、ヤバい連中に関わって死んだって聞いてたけど、生きてたのかい?」
親分と呼ばれた女性はクリスを見て目を瞬かせる。
「はい。色々あって……」
「色々、ねぇ」
親分とクリスがやり取りしている間、小声でアデレードはゲアハルトに尋ねる。
「ねぇ、ゲンさん、おやぶんって何かしら?」
「あー何だ、上司? 上役? ま、自分より上のやつとか、組織の偉いやつってことだな。それを下町風に言うと、親分ってんだ」
「まぁ、そうでしたの。知らなかったわ」
つまり、この背の高い赤毛の女性がこの中で一番偉いということね。
「しかし、アンタよく顔を出せたね。黙って足抜けしといて。良い度胸じゃないか」
親分が皮肉気な表情を浮かべる。すると、男達も拳を握ったり、ポキポキと指の骨を鳴らし始める。クリスは思わず怯んだ。
「それにこいつらは何だい?アタシらへの上納品かい?」
「ち、違います! こちらのお嬢さんは……」
「私はアデレード。下町風に言うなら、今のクリスの”親分”ですわ!」
アデレードは目をキラキラ輝かせて、自信満々に自己紹介する。ゲアハルトは堪えきれず吹き出し、周りの人間は皆唖然とした。短い沈黙の後、赤毛の親分は高らかに笑い出した。
「あははっ、アンタ面白いこと言うね。で、その”親分”が一体何の用だい?」
クリスが親分の前に出てきて、思い切り頭を下げる。
「親分! 失礼を承知でお願いしますっ。俺達に力を貸して下さい!」
「はぁ?」
「俺達はヤクの売人を探してるんだ」
怪訝な顔をする親分にゲアハルトが説明する。
「こいつが関わっていた、そのヤバいやつらってのがヤクを捌いているらしいんだよ。で、俺達はそいつらを何とか見つけだしたい」
「何でだい?」
「リーフェンシュタール伯を助けるためですわ!」
「リーフェ……? 誰だい、それ。いや、まぁそれは良いけど。アンタ達を助けてアタシらに何の得があるんだい?」
頭を下げ続けているクリスを横目に、親分はアデレードに近づき、品定めするように一周回った。ディマが警戒して唸り声を上げる。
「大丈夫よ、ディマ。興奮しないで」
「このデカいのは何だい、クマかい?」
「ただの大きな犬ですわ。報酬が必要なら少しは……」
「アンタの髪、格好がみすぼらしい割には、なかなか綺麗じゃないか」
きちんと整えられたアデレードの髪をじっくり見ながら、親分は彼女の前髪に触れる。
「売ったら良い値段になりそうだ」
「親分!」
クリスが止めようとしたが、男達に羽交い絞めにされる。ゲアハルトは2人の様子を静観するようだ。
「髪が欲しいのですか?」
緊張した声音でアデレードが尋ねる。
「さて、どうしようか」
アデレードは毅然と親分の方へ向き直る。
「伯爵は私の命の恩人です。あの方を助けられるのなら、髪だろうが、目だろうが、命だろうが、何でも差し上げますわ」
「ほーぉ、大した覚悟じゃないか」
親分は懐から短剣を取り出して、アデレードの頭の上に高く掲げる。覚悟を決めたようにアデレードはきゅっと目を瞑るが、その場を逃げ出しはしなかった。親分がニヤリと笑い、短剣を振り下ろす。キラッと刃が光った。
はらり、とアデレードの銀髪が解かれ、肩や背中に触れた。
「え……」
アデレードは目を開ける。
「髪も良いけど、この髪飾りも高い値が付きそうだ」
親分が手にしているのは、アデレードが髪に着けていた金の繊細な花模様の透かし彫りが施された髪飾りだった。マイヤール家にいた時からしていた物だから、質はすこぶる良く、値は張るものだろう。
「それで、協力してただけるのですね?」
「あぁ。アンタ、気に入ったよ。胆力がある。クリス、アンタ良い”親分”見つけたじゃないか」
親分は大きく頷いた。アデレードを試していたのだろう。
「実のところ、アンタ達の言うヤクの売人達にはアタシらも手を焼いてんだ。ヤクは街中にも相当出回ってる。もともとは南の国から逃げて来た連中がひっそりと売ってる程度だったんだけど、ここ最近どうも出回る量が尋常じゃない」
険しい面持ちで親分は話し始める。
「政情不安の国から、そんな大量かつ安定的に供給されてるとは思わない。これはアタシの予想だけど、この国のどっかで原料になる植物を栽培して精製してるところがあるんじゃないかい? アンタ達の話も詳しく聞かせて貰うよ」
親分はアデレード達を適当な食堂に案内する。そこで、クリスが見た大量の麻薬のことやサウザー公爵がカールを麻薬の精製と流布の容疑で告発したことなどを説明した。
「その偉い公爵とアンタ達のとこの伯爵は政敵か何かなのかい?」
「いいえ。伯爵は別に権力になど興味はありませんわ。正直、何故サウザー公爵がそんな告発をしたのかはまだ分かりません。けれど、麻薬の件は絶対にサウザー公爵が絡んでいると確信しております」
「じゃ、その公爵の領地で麻薬作ってる可能性があるってわけだ」
アデレードはその言葉に頷く。
リーフェンシュタール領では寒すぎて原料になる植物は育たないけれど、王都より南にあるサウザー領なら温暖だし可能かもしれない。
「しかも、王族の血を引いてる。易々と疑いを掛けられる立場ではないわ」
「……権力を笠に着てやりたい放題か。気に入らないね」
蔑むように親分が鼻を鳴らす。
「下町に最近、急に羽振りの良くなった連中がいる。そっちの探りを入れてみるよ。こんな街だけど、ここにはここの秩序と掟ってもんがあるからね」
「よろしくお願いします」
藁にも縋る思いでアデレードは頭を下げた。




