第86話 兄妹
アデレードを食堂へ案内したカールは、再びゲアハルトとラシッドと合流し、男達をどうするかを話し合い始めた。
「シャリーマの方は大丈夫だと思います。賢い子ですから、薄々は私を連れ戻して王位に据えようなど、どだい無理な話だと分かっていると思います」
「そうか。では、問題は黒ずくめの連中だな」
「どうします、伯爵。残りの連中も殺しますかい?」
ゲアハルトが物騒な提案をする。アデレードを襲った者達の内、矢に射られた2名は死んだ。今捕まっているのはゲアハルトが最初に捕まえた者とディマと格闘した者の2名である。
「いや。ようは連中が先生を殺す必要がないと納得させれば良いのだ」
「どうするんで?」
「そうだな……」
カール達は男達を捕えている地下牢へ向かった。滅多に使われることはないが、一応リーフェンシュタール家の邸宅群の中にも牢屋を備えているものもある。
男達は牢の中で逃亡や自殺されないように手足を縛られて転がされていた。カールは男達を見ながら、無表情に話し始める。
「お前達の身柄は、お前達の国の大使に引き渡す。腕のその刺青を見れば大使も知らぬ存ぜぬとは言えまい。暗殺者を送り込める程には権力はあるが、まだ逃げた王の子1人を始末しなければならい程度には盤石ではない。そこまで分かれば、大使も誰がお前達を送り込んだかは見当がつこう。そしてこの件が露見すれば大きな外交問題になる」
王都には周辺国を始め様々な国の外交官や商人が住んでいる。無論、ラシッドの生国の大使館や商館も王都に存在していた。その中で大使はいわばその国の代表者と言って良い。当然、国同士の利害や調和を保つ責を負っていた。
「他国の暗殺者が国内で好き勝手に暴れられて、我が国王も許すはずがない。しかも、お前達が殺そうとした女性は、王家とも縁の深い公爵家の令嬢だ。相応の報復は覚悟してもらうぞ。そうなればお前達の依頼主は大変不味い状況に陥るのではないか」
「脅すのか……」
男の1人が苦々しくカールを睨む。
「いいや。我々はラシッド医師のことさえ諦めてくれさえすれば、この件は国王と大使には報告しない」
「私は国は帰るつもりはありません」
そう言ってラシッドは短剣で自身の黒髪を一房切り取った。
「これを、私を殺した証に持って帰りなさい。これで貴方方の面目も保てる。私が戻ってこないなら、殺そうが殺さなかろうが貴方方にとってはどちらでも良いはずです。それとも、このような浅慮な命を下す主に尽くす忠義が、貴方方にあるのですか?」
男達は沈黙した後、1人が叫ぶ。
「だから、こんな任務は嫌だったんだ!」
もう1人もため息を吐いた。
「分かった、その案に従おう。だが、まだ仲間が3人山の中に潜伏している」
カールはその言葉を聞いて頷く。
「見つけよう。ただし、生きているかは保証できん。山は危険なところだからな」
ラシッドは襲撃犯との会見の後、カールの屋敷を一旦離れ、ホテルにいるシャリーマの許を訪ねた。その道中には衛兵と武器を持った村の男達が警戒に当たっていた。
シャリーマの泊っている部屋で、ラシッドは今日あった出来事を彼女に話す。
「つけられていたとは……私の失態だ。すまない兄上」
「いえ、良いのですよ。ですから、貴女も話を合わせて私は死んだということにしておいて下さい」
ラシッドがメグの淹れてくれた紅茶を美味しそうに飲む。
「しかし、兄上……」
「貴女も分かっているでしょう。私を王に据えるなどということは無謀な野望だと。私は為政者の子ではなく、医者の子です。無駄に犠牲者を出すような真似は出来ません」
ラシッドは優しく諭すような口調だったが、断固とした決意を滲ませている。シャリーマは困った表情になった。
「兄上……それでは伯父上が悲しむ」
「どの道、こうなったときから2度と会えなくなることは分かっていました。別れは、済ませています」
異父妹を安心させるように、ラシッドは微笑む。
「貴女も、あまり深入りさせられないように気を付けて下さい。危険を感じたり、またはいけ好かない男と結婚でもさせられそうになったら、ここへ逃げて来れば良い。診療所の手伝いも楽しいものですよ。ここの伯爵も顔はおっかないですが、優しい方ですから受け入れて下さるでしょうし」
「……考えておこう」
冗談めかした兄の言葉にシャリーマも少し相好を崩す。
「確かに、ここは居心地が良い」
兄を連れて帰るのを躊躇うほどに。都で医者をしていたときと同じく人々に慕われ、生き生き働いている兄の姿。シャリーマが幼い頃見たラシッドの姿が重なる。彼女の決意がこの一週間で日々鈍っていった。
兄の天職は医者なのだ。王ではない。
「そうでしょう、そうでしょう」
ラシッドは嬉しそうに頷く。
「故郷と違って緑も多いし、天へ突き出す山々も雄大だと思うでしょう、シャリーマ」
しばしの間、兄妹は隔たっていた10年を越えて会話を楽しんだ。




