第8話 アデレードの勘違い
アデレードの屋敷の改修が始まってから一週間程経った頃、リーフェンシュタール伯カールは様子を見るべく再び彼女の元を訪れた。屋敷まで行くと切妻屋根の上で作業している者が何人かいるのが見える。
屋敷の周りの伸び放題の雑草の中から、がさがさと音を立てながら黒とうす茶色の短毛の子犬が走り出て来た。カールの側で嬉しそうに吠えたり飛び跳ねたりしている。一週間前よりだいぶ毛並みの艶も良くなり、躰もふっくらしたようだ。
「ディマ、誰か来たの?」
同じく雑草の中からアデレードが歩いてくる。そして来訪した人物を見て目を丸くする。
「まぁ、リーフェンシュタール伯爵」
「フロイライン・アデレード、進んでいるようだな」
「はい。皆様のお力で」
カールがふとアデレードの手を見ると、指に包帯が巻かれている。
「どうしたんだ、その手は?」
「えっ!……えっと……」
アデレードは顔を赤くする。
「その、お掃除の仕方を教えてもらったついでに、お料理も出来るようにならないと、と思って……教えてもらってたんですけど……」
彼女の言葉にカールは、その様子がありありと浮かんでくるようだった。きっと、やる気はあったが、物凄く不器用な展開になったのだろう。
「それで、今日は草むしりをしていたのか?」
「はい。屋敷の改修は私には出来ませんけど、草を取るくらいなら」
貴族の令嬢だったら、家事をしたり草むしりをするなんて絶対にやらないわね。でも、私はもう貴族じゃない。ただのアデレードですもの。出来ることは何でも自分でやらなきゃ。
「あ、そうですわ。伯爵、少しお待ちいただけます?」
「あぁ、構わないが」
そう言うとアデレードは小走りに家の中へ入っていった。その背を見ながらカールは、この分なら大丈夫そうだと思った。
どのくらいここにいるのか分からないが、傷が完全に癒えて、人々から彼女の醜聞の記憶が薄れた頃には、きっと王都へ帰るだろう。家族から見捨てられたと言っても、いつかは許されるはず。
都会で暮らしてきた者に、ここは退屈だろうからな。
「お待たせしました、伯爵。返しそびれてしまって申し訳ございませんわ」
そう言ってアデレードはカールから山で借りていた黒い外套を彼に差し出す。
「あぁ、この前のか」
「はい。本当にご迷惑をお掛けしてしまって……奥方様にもお詫びを伝えて下さいまし」
「は? 奥方? ……私は結婚していないが」
「えぇっ!?」
アデレードはここ一番驚いた。
こんなに優しくて、素敵な方がっ!
「なぜそんなに驚く?」
カールが不満そうに尋ねるので、アデレードはわたわたと焦って言い訳をした。
「い、いえ、別に……てっきりご結婚されているものと思っていたものですから」
「フロイラインは私を何歳だと思っているんだ?」
彼女はじーっとカールの顔を見る。
「えーっと、30歳くらいでしょうか?」
「…………そうか」
一拍を置いたのち、カールが短く答える。表情は変わらなかったが、声のトーンは心なしか沈んだ気がした。
あ、あら、もしかして違った……?
でも、伯爵ってとてもしっかりされているし、貫禄も風格もあるし……。
「まぁ、今のところは何の問題もないようだな」
「えっ、えぇ、はい。あの、伯爵……」
「なら良い。何かあれば遠慮なく言ってくれ」
何かを言い募ろうとしたアデレードを遮り、カールは帰途に就く。あれ以上聞いていたら、傷がより深くなりそうだったからだ。
リーフェンシュタール伯爵家の邸宅は村から少し離れた小さな湖の畔に立っている。カールは屋敷に戻り、年配の執事に尋ねた。
「……私はそんなに老けて見えるか?」
「はて。私はぼっちゃん、伯爵を生まれてからずっと見ておりますので何とも。ですが、そういう悩みは若者らしくてよろしいと思いますよ」
執事はそう答えながら、笑みを噛み殺した。主が渋い顔で戻ってきた理由が実に微笑ましかったからである。
ちなみに、子犬のディマはジャーマンシェパードっぽいイメージです。