第73話 早とちりもほどほどに
次の日、シュミット夫人は義理の息子である従者と連れだって、リーフェンシュタール家の屋敷に出かけて行った。
もしかして、結婚の話を進めているのかしら……。
箒をかけながら、ぼんやりとアデレードは考えていた。
それもありえますわ。リーフェンシュタール家とシュミット商会、お互いに益のある話ですもの。それにフラウ・シュミットも伯爵もお互いを好意的に思っていることは明白なのだし。
そう思うと、胸がきゅっと痛む。
そうなっても、祝福するって決めたじゃない。それに仕事に集中しなきゃ。
アデレードは痛みを振り払うように、ぶんぶんと首を振った。
「伯爵、お会い下さってありがとうございます」
アデレードが掃除をしている頃、リーフェンシュタール家の屋敷の応接室で、シュミット夫人と従者はカールと会っていた。
「明日には戻ろうと思っておりますので、その前にご挨拶を、と」
「もうお帰りに?」
「はい。仕事もありますし、あまり長居もしていられませんから。それに充分面白いものを見られましたもの」
「面白いもの……」
何だか揶揄われている気がする、とカールは思った。
「それと一応、伯爵にもお耳に入れておいた方が良いお話が……」
「何か?」
シュミット夫人は悪戯っぽい笑みを消し、真剣な表情になった。
「王都の方で少し。何か動きがあるかもしれませんわ」
「どういうことですか?フラウ・シュミット」
「陛下はご自身の息子の脳みそのなさっぷりに大層呆れておいでだとか。王子身辺で何かあるかもしれませんわ。それと、サウザー公爵も何だかきな臭い動きをしている様子。リーフェンシュタール伯のことも、恨んでいるようであちこちで吹聴しているのですわ。やりこめられたことが相当許せなかったのね。伯爵、とりあえずはお気をつけて」
「……ご忠告、感謝します」
カールは、サウザー公爵の不健康そうな姿を思い出し、不快そうにため息を吐いた。
「変な輩に絡まれて、難儀なことですわね」
「まったくですよ」
「ま、辛気臭い話はこれくらいで、あともう一つ、私の息子を紹介しておきたいと思いますわ」
「息子……?」
シュミット夫人が隣に立っていた従者をカールに紹介し始めた。
そして、シュミット夫人が帰る日が来た。ホテルの前庭に馬車を待たせて、アデレード達が見送りに立つ。夏の青い空が木々の間から見える、気持ちの良い日だ。
「お世話になったわね。フロイライン・アデレード」
「いいえ、私の方こそ色々と勉強させて頂きました。フラウ・シュミット」
「そのまま精進してね」
「はい」
アデレードが力強く頷いた。シュミット夫人は右手を差し出し、握手を求めるとアデレードもそれに応えて、手を握る。その手をシュミット夫人はぐっと自身の方へ引き寄せ、アデレードの耳元で囁く。
「それに、伯爵のこともね」
「えっ……」
「だって、好きなんでしょう?」
「あ、なっ……」
シュミット夫人の言葉にアデレードは顔を真っ赤にした。
「取ってしまいなさいな。間違いなく”イイ男”なんだから」
「えぇっ!でも、フラウ・シュミットは……」
「私が?」
「伯爵と結婚なさるのでしょう?その話をするためにここへ来たのでは……」
アデレードのとんちんかんな言葉にシュミット夫人が高らかに笑い出した。
「あははは、フロイライン・アデレードは想像力豊かね。本当に面白いわ。私が、伯爵と?」
「ち、違うのですか?」
アデレードは困惑した顔をする。
「当たり前じゃない!確かに、伯爵は素敵な人だけれど。私は都市に生きる人間よ。こんな田舎じゃ暮らせないわ」
「田舎……」
「たまに骨休みに来るのは良いのよ。でも忙しく商売してる方が、私の身には合っているのよ。伯爵夫人なんて柄じゃないわ」
「でも、お互いにとって悪い話ではないのでは?」
「そうね。でも、今でも充分伯爵家とは良い関係を築いているわ。それに伯爵は、そういう理由で結婚されないと思うわ。彼、存外ロマンチストだから」
シュミット夫人はニンマリ笑い、アデレードの両肩に手を置く。
「だから、伯爵のことは貴女にお任せするわ」
「でも、私は……もう貴族の令嬢でもありませんし、評判だって最悪ですわ。どう考えても相応しいとは思えません」
「どうせそんな噂はすぐに興味を惹かれなくなるわよ。そもそもリーフェンシュタール伯自身、散々な言われようですもの」
その言葉に、アデレードはムッとした表情になる。
「変な話だと私も思うけれど。あの顔の傷の所為で貴族達から怖がられているのは事実よ。だから、他人なんて気にしなくて良いのよ。そもそも、一般的な貴族令嬢の道からは外れてしまったのだもの、私も貴女も。応援しているわ。人生は楽しまなくちゃ」
「フラウ・シュミット……」
「それと、もし伯爵が面倒事に巻き込まれたら、助けてあげてちょうだい」
「面倒事?」
アデレードが首を傾げる。
「まぁ、王都では何時ものごとく色々とあるのよ。あぁ、あと最後に私からの紹介でここにお客さんを寄越したいのだけれど、良いかしら?」
「はい。もちろん」
「その人、傷ついてて、どこかでゆっくり休む必要があるのよ。ここならその条件にぴったりだわ。その人もちょっと面倒くさい人かもしれないけれど、よろしくね」
「分かりました。精一杯おもてなしさせて頂きますわ」
「その内来ると思うから。それじゃ、また会いましょう。フロイライン」
シュミット夫人は艶やかな笑みを浮かべて、馬車に乗り込んで、帰途に就いた。
「フラウ・シュミット、何だかとっても気力に溢れる方だったわ。私もあんな風に堂々と振る舞えるようになれたら良いけれど……。それに次のお客様はどんな方かしら?傷ついてちょっと面倒くさい人って……」
そう一人ごちて、アデレードは空を見上げる。爽やかな風に吹かれて白い雲が流れていった。




