第71話 シュミット夫人 下
ホテルに戻って談話室でお茶を飲みながらシュミット夫人がアデレードに向かって話し出す。
「私の生家は貴族だったのだけれど、私が年頃になったときにはもう、それはそれは傾いていていたの。それで金の為に結婚させられることになったのよ、今の貴女と同じくらいの歳にね」
「では、その相手が……」
「そう、シュミット商会を一代で築いた新興の富豪、ミハイル・シュミットよ。30位は歳が離れてたかしらね」
「……」
アデレードは何と反応してよいのか分からなかった。別にこういう話は珍しくない。没落した貴族が財力のある商人に娘をやるのは。貴族としては生活と体面を保てるし、商人は貴族に伝手が出来て箔もつく。結婚させられる娘以外には益のある話なのだ。
「当時は、そういうものだと思っていたわ。家のためにはそうするしかないって。今だったら、そんなオジさんとの縁談なんて断ってやるけど」
シュミット夫人が笑いながら言った。
「あの人にとっては、別に私がしわくちゃのおばあさんでも、乳飲み子でも何でも良かったのよ。貴族相手に商売出来る繋がりが作れれば」
「そんな……」
「あら、でもそんな酷い話ではないのよ。あの人、貴族と取引したがっていたけれど、ギラギラし過ぎてて。ただでさえ、上流階級の人って成り上がりで無粋な人は嫌がるじゃない?」
「えぇ。確かに」
貴族達は基本閉鎖的な人種で、特に作法も知らない厚かましく商売っ気の強い人間には厳しい側面がある。
「もう見てられなくってね。あれこれ口出しし始めたのよ私。ま、始めは煩がられたけれど。それにあの人、センスの欠片もなかったし。お金を掛けてゴテゴテ飾り立てれば良いってものでもないのに。本当に、ひどかったんだから」
「は、はぁ……」
何もそこまで言わなくても……。
本気で呆れているシュミット夫人にアデレードは弱り顔になる。
「それで、あの人も私に商売のいろはを教えてくれるようになったわ。私、初めて自分の力で稼ぐってことを知ったのよ。それが楽しくて夢中になったわ。夫も、何も知らなかった世間知らずのお嬢様が、どんどん商売にのめり込んでいくのを、何だかんだ楽しんでたと思うわ」
「フラウ・シュミット……」
「何と言うか、私達は夫婦というより、父と娘のような、戦友のような関係だったわね。貴女を見ていると、そうやって商売を学んでいた頃を思い出すのよ」
「私を見て、ですか?」
アデレードが首を傾げる。そんな立派な?
「そう。何でもやってみて、その手応えに夢中になってる頃の」
「確かに、ホテルを開く準備の為に色々考えたり、実際にお客様をおもてなししたりするのは、とても手応えがありますわ。それにお客様が喜んでくれると、私も嬉しくなります。こんな気持ちは公爵令嬢として生きていた時には味わったことがありませんでしたわ」
一年前とは全然違う生活。今となっては、これがアデレードの日常だった。
「私はそれが病みつきになっちゃったのよね。で、夫が亡くなった後も会社を引き継いでやってるの。それに実家からは資産を持って戻って来いって言われたけど、何で夫と築いた財産を何もしていない親族に渡さなきゃいけないのかって啖呵を切っちゃったし」
「……すごいことだと思いますわ、色々」
「ま、色々あったわね。女のくせにとか、世間知らずの貴族に何が出来るんだとか散々言われて。それで取引が無くなったり、嫌がらせされたりね」
「そんな、ひどい!」
何だが話を聞いているアデレードの方がムカムカしてきた。
夫を亡くした女性によくもそんな惨い仕打ちが出来たものだわ!
「でも、リーフェンシュタール伯はそんな事は一言も言わずに支援までしてくれたのよ」
「伯爵が?」
「えぇ。義理堅い人よね。夫が仕切っていた頃からお付き合いがありましたけど。だから、私の仕事振りを知っていて、信頼しているって。いずれは皆、貴女の仕事振りを評価するだろうから、頑張って欲しいとね。リーフェンシュタール領で暮らす人々は幸せだわ。領主としても人としても出来た御方だもの」
シュミット夫人はそう言って意味あり気にアデレードを見つめる。アデレードがカールに好意を持っていることを見透かされている気がした。
「た、確かに伯爵は素晴らしい方だと思いますわ」
「本当に、それだけかしら?」
悪戯っぽくシュミット夫人が笑った。
その日の夜、寝る前ベッドに腰掛けながらアデレードは、シュミット夫人のことを考えていた。
賢くて、知識豊富で、お綺麗で、商人としての手腕も確か。どうしたらあんな素敵な女性になれるかしら……私なら一生かかっても無理そう。
それにリーフェンシュタール領のこともよくご存じだったし。骨休めに来たと言っていたけれど、本当かしら?
……そうだわ。きっと伯爵に会いに来たのね。伯爵は独身ですし、フラウ・シュミットは未亡人だもの、別におかしくないわ。フラウ・シュミットの方が少し歳は上ですけど、充分釣り合いますし。自立していて、魅力的で、リーフェンシュタール家と取引のある商会の代表なら、伯爵夫人になるのに相応しい方よ。
アデレードは2人が並び立つ姿を想像する。落ち着きがあって、美形同士で、どちらも妙に迫力があって、実にしっくりくる組み合わせだ。
もし、2人が婚約となったら、辛くて悲しいけれど、でも精一杯祝福しましょう。2人とも幸せになって然るべき人達だもの。
アデレードは寂しそうに笑い、ベッドの隅で既に寝ている愛犬に抱きつく。
悪評が立っていて、何も知らない私なんて、そもそも相応しくないのだけれど。
「でも、失恋はやっぱり辛いわね……私を慰めてくれる?ディマ」
ディマは顔を上げ、ベロンと主の頬を舐めた。




