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第70話 シュミット夫人 上

 アデレードがカールからもらった資料を胸にホテルに戻ってくると、ディマが既にドアを開けた先に待っていて、彼女を見た途端勢いよく抱きついてきて、べろべろと顔を舐める。


「分かった、分かったわ、ディマ。心配掛けてごめんなさいね」


 アデレードはよろめきながら愛犬の大きな体を抱きとめて、頭や背中を撫でてやった。


「お嬢さん、もう体調は大丈夫なんですか?」


 メグが食堂から出てきて心配そうに声を掛ける。


「えぇ、大丈夫よ。ごめんなさいね、色々と2人に任せっぱなしにしてしまって」

「いえ、そんなこと」

「それで、今日の夕食は、川魚に乾燥させた香草とパン粉を合わせて焼こうかってクリスと話してました」

「魚ね」


 アデレードはディマが落ち着いたのを見計らって、手紙を見る。


「確か魚を使った料理は、と……」


 ”ハーヴァー領で造られた白ワインは、柑橘系の香りや仄かに樽の香りの移った、飲み口のすっきりしした味わいで、焼いたり揚げた魚料理に合う”


「これだわ」


 夕食の時間になって、今回もどきどきしながら、アデレードが食事を運ぶ。シュミット夫人も試すように料理に合う酒を注文し、アデレードが先ほど選んだ白ワインを出す。そして、食事を終えたシュミット夫人が一言。


「今日は悪くなかったわ」


 その言葉にアデレード達はほっと胸を撫で下ろす。


「フロイライン・マイヤール、明日は何か予定がおありかしら?」

「えっ……」


 唐突なシュミット夫人の質問にアデレードは固まる。


「大丈夫よ。別に取って食べようって訳じゃないんだから」

「そんな……えっと家具の工房に行って机と椅子を新たに頼もうと考えてますけれど。もし、シュミット夫人が何か御用があるのなら、注文しに行くのは急ぎではありませんし、そちらを優先いたします」

「それなら、丁度良いわ。私も一緒にその工房に連れて行って下さらないかしら木材はうちでも取り扱っているから興味あるの」

「それは、大丈夫ですけれど……」

「では決まりね。よろしく頼むわ」


 困り顔のアデレードを他所にシュミット夫人が艶やかに微笑む。


 次の日、朝食を取ったシュミット夫人と連れだってホテルを出る。ディマは散歩の延長だと思ったのか付いて行きたそうだったので、シュミット夫人に連れて行って良いか尋ねたところ許可してくれた。


「私も実家で幼い頃に飼っていたから、犬は好きよ。ま、こんなに大きくはなかったけれど」

「私も拾ったときはこんなに大きくなるとは思いませんでした」


 アデレードは苦笑いを浮かべる。


「それと、あの、フラウ・シュミット。私のことはアデレードと呼んで下さい。マイヤール家とは縁の切れた人間ですから」

「……分かったわ。それで、貴女のホテルに置いてある家具も全て、その工房で揃えたの?」

「はい。元々はあの家はどこかの貴族の別荘だったそうですが、その時に作った家具もホテルを開業するときに追加で作った物も、全てここで作ってもらいました」

「なかなか装飾も凝っていたし、触った感じも座り心地もよく考えられていたわ。こういう質の良い職人が埋もれているのは勿体ないわね」


 木材は基本伐採された後、乾かされて、丸太のままか板状に加工して輸出されていく。その方が川でも陸路でも運ぶのに楽だし、より多くの木材を運べるからだ。それに対し、家具に加工した物は道中、破損の危険を常に孕んでいるし、かさばるので数も運べない。


「そこがクリア出来ればね……それで、何を注文したいの?フロイライン・アデレード」

「庭に置くテーブルと椅子を頼もうと思っていて。天気が良くて暖かい日は外で昼食を食べたり、お茶したりしてもらうのも良いのかなって」

「それとっても素敵じゃない」

「本当にそう、思われます?」

「えぇ、もちろんよ……そんなにびくびくしなくて良いのよ」


 少し凹んだ気持ちを持ち直したところで、村の中心部から少し外れたところにある木材加工の工房に着いた。中には板状の木材や丸太、加工途中のものなどが所狭しと置いてある。

 工房の親方とアデレードが話している間に、シュミット夫人も工房の職人から話を聞いたり、中を見て回ったりしていた。ディマはあちこち匂いを嗅いだり、落ちている木くずの上に寝そべったり、職人の側をうろうろしたりしている。


「あら、これは……?」


 話を纏めた後、アデレードの目に留まったのは机の上に無造作に置かれた木製の小さな人形や動物だった。


「あぁ、それは余った木材で作ったほんの遊びの品ですよ。子ども達にあげたりしてるもので」


 近くにいた職人が、アデレードの疑問にそう答える。素朴な人形や動物だが、それが妙に味わいとなっている。


 どれも可愛いわ。ホテルの談話室やカウンターに飾ったら映えそう。


「これ、頂くわ。お幾らかしら?」

「別に売り物じゃないんで……あ、注文のおまけとして差し上げますよ」

「まぁ、ありがとう」

「あら、ずいぶん可愛いわね」

「フラウ・シュミット」


 いつの間にか横に立っていたシュミット夫人が覗き込む。


「はい、ホテルに飾ろう思って」

「良いわね。私も自分の扱っている商品がどうやって加工されているか見ることが出来て、とても興味深かったわ」

「喜んで頂けたなら良かったです」


 アデレードが満足気に頷く。


「リーフェンシュタール領の職人がこれほど腕が良いなら、一つのブランドとしてますます売り出したくなってきたわ」

「ブランド……」

「そう。もともとリーフェンシュタール領の木材は最高級品質で知られている上に、希少価値もあるし」

「希少価値、ですか?」


 シュミット夫人の言葉にアデレードが首を傾げる。


「リーフェンシュタール領では自由に木を切れないのよ。伯爵家が木を切る数や場所を厳格に管理しているから」


 求められるままに切り出せば、一時的には非常に儲かる。だが次の木が育つためには、何年何十年と掛かる。その間は、木を切って利益を出すことが出来ない。

 それに木のなくなった斜面は大雨などでは土砂崩れが起きやすくなり、大きな損害を出してしまう恐れがある。


「それに木材として質を均一に保つ上でも必要なことよ。最高級の木材を値崩れさせることなく、毎年ほぼ同じ数を市場に提供出来る。だから、リーフェンシュタール家って裕福なのよね。他の貴族と違って生活が派手じゃないから、あまり知られてないけど」

「まぁ……私まったく知りませんでしたわ」


 シュミット夫人は本当に知識豊富な方だわ。それに比べて私は……。


 アデレードは沈んだ表情になる。


「どうしたの、フロイライン・アデレード?」

「いえ、私本当に何も知らないな、と思いましたの」

「その歳で何でも知っていたら、それは天才よ」

「でも、フラウ・シュミットは……」

「私だって、貴女と同じくらいの歳の頃はなーんにも知らなかったわよ」


 励ますようにシュミットが笑う。


「少し昔話をしてあげましょうか?」



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