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第5話 陽は昇る

 顔に何かが触れる感触を覚え、アデレードは目を覚ました。


「私、ここ……」


 一瞬、事態が掴めず、怪訝な顔をしながら体を起こす。はらり、と毛布が落ちた。


「そうだ、私昨日……」


 アデレードの隣には子犬が舌を出して座っている。この子が彼女の顔を舐めたのだろう。


「それにこの毛布……」


 眠った覚えのないアデレードが自分で毛布を掛けられるはずはなく、それが出来たのはただ1人。


「伯爵はどちらに?」


 小屋の中には姿がない。


 昨日あんなに迷惑をお掛けしたんですもの、呆れて帰ってしまわれたかもしれませんわ。

 アデレードはため息を吐いた。それは仕方のないことなのに、残念に思っている自分がいる。


 どうしてかしら……。


 彼女が戸惑っていると、急に小屋のドアが開いた。アデレードはびっくりして小さく叫び声を上げる。入って来たのは手に桶を持っている伯爵その人だった。思わずアデレードはしげしげとカールを見つめる。彫りの深い顔立ちと頬の傷、おまけに長身で黒い外套を纏う姿はなかなかに威圧感を覚える。


「フロイライン・マイヤール、起きていたのか?」


 カールは彼女の視線に気付かず、声を掛ける。


「あの、伯爵、昨日はその……ご迷惑をおかけしてしまって……」

「まったくだな」

「はい……」


 アデレードは瞼を伏せる。


「それで、少しは落ち着いたか?」

「……そう、ですわね。ただ、これからどうしたら良いか……」

「フロイライン、良かったら少し外へ出てみないか?」


 カールは手に持っていた桶を床に置く。中には並々と水が入っていた。どうやら彼は湧き水を汲みに行っていたようだ。


「外へ、ですか?」

「あぁ。まだ夜明け前だから、良いものが見られる」

「良いもの?」


 興味を惹かれて、アデレードは立ち上がる。


「そう言えば、その子犬は君の飼い犬か?」


 カールは彼女の傍にいる子犬に視線をやる。


「いえ、この子は昨日山で見つけたのですわ。ひとりで鳴いていたから、つい……」


 自分の境遇と重ねたのだろうな、とカールは思いそれ以上は聞かなかった。


「外は冷える。その子犬を抱いていくと良い」


 そうしてアデレードは子犬と共に外へ出た。確かに、空気も風も肌寒い。カールは上着を脱いで、アデレードの肩に掛けてやった。


「伯爵……ありがとうございます」


 陽が昇る前なので、まだ道は暗い。木立の中を少し登っていくと、一ヶ所ぽっかりと木々の生えていないところがあった。大きな岩が大地からせり出しているのだ。

 カールはその岩の上に立ち景色を眺めるが、アデレードは不安になり踏み出すのを躊躇っていると、それに気が付いたカールが手を差し出す。


「心配いらない。さぁ」


 アデレードはゆっくりと手を伸ばし、差し出された彼の手に重ねる。大きな手が震えるアデレードの手を力強く握った。そしてアデレードは一歩づつ前へ進んで伯爵の隣に立つ。

 東に面した斜面のその巨大な岩からは、空が白み始めているのが分かる。


「後ろを振り返ってごらん」


 カールの言う通りアデレードが振り返ると、険峻な峰々が連なる山脈が視界いっぱいに広がっている。まだ太陽が顔を出さない山々は白と黒のグラデーションで構成されており、黒は背の低い植物の繁っているところ、灰色はごつごつとした岩、白は山の地肌、そして山頂付近の高いところは雪が一際白く輝いていた。


「大きい……」


 アデレードは呆然と呟く。今までの生活でこれほど山や自然を近くに感じたことはなかった。


「これからが素晴らしいんだ」


 カールは囁くように言う。太陽が東の方より昇り始める。すると巨大な山塊は黄色、そして赤へと染まっていく。


「まぁ……」


 まんじりとも動かず、アデレードとカールは陽の光が山の斜面を照らすのを見つめていた。やがて赤から山本来の色へと変わっていく。斜面を這う緑や赤の植物の色、山肌のクリーム色、岩の灰色、そして雪の白さ。

 それらの何と鮮やかなことか。


「すごいわ、すごい!」


 アデレードの瞳にも色彩が戻ってくる。


 私、生きているわ。世界がこんなに美しかったなんて。


「私はここから見る山の景色が好きなんだ」

「えぇ、素晴らしいですわ。本当に」

「毎日、新しい陽がこうやって昇ってくる。例えどんなに夜が暗くても、だ。ここに立つとそれをいつも思い出すんだ」

「伯爵……」


 アデレードは眩しそうに山を眺めるカールの横顔を見つめる。その顔はどこか少年っぽさを感じさ

せた。


「フロイライン・マイヤール、やってしまったことはもうどうしようもないが、新しく生まれ変わった気持ちでまた始めてみてはどうだろうか?」


 カールはアデレードの方へ向き直る。その瞳は優しい。


 私、生きていても良いんだ……。


 彼女はそのことを今、心底実感出来たのだった。



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