第35話 吹雪の中の誕生日
アップルパイを食べ終え、カールが立ち上がろうとすると窓の前に座っていたディマがわん、と吠えた。思わず窓を見ると、外は真っ白で何も見えない。ただただ雪だけが勢いよく吹いているだけだ。
「ずいぶんと吹雪いているな……」
「本当ですわ、いつもなら木立が見えますのに」
こんな状態の外へ出るのは、例えよく知っている道でも自殺行為だ。自分ではちゃんと道を歩いているつもりでも方向が分からなくなって、全然違う場所に行ってしまうこともある。
「収まるまで外に出られん」
カールは困ったように呟いたが、アデレードは内心喜ぶ。まだカールと一緒にいられるからだ。
「紅茶、新しいの淹れてきますわ」
うきうきした気分を気取られないように急いでアデレードは食器を下げて、平静を取り戻してから紅茶を淹れ直して再び談話室に戻ってきた。
「そうそう、伯爵。私ここでホテルを始めようと思いますの」
「ホテルを?」
「いえ、ホテルなんて、そんな大層なものでもありませんけど……それに悪名高い私がやって人が来るのかどうかは……」
アデレードが皮肉気に笑う。
「王都で大々的に豪華なホテルを建てるわけではあるまいに。こんな田舎の片隅でやる分には構わんだろう。それにマックスのように社交界にまったく縁のない者も多い。特に貴族以外の人間には。そうだな、まずは商人相手に始めてみてはどうだ?」
「商人、ですか」
アデレードは目を瞬かせる。
「そうだ。ここは農産物の他に材木や羊毛、酪農品などを主に作っているが、それらを買い付けにくる商人はいる。そういう者から徐々に広げていけば良いのではないか?」
「ホテルを利用するのは遊興に来る人々ばかり考えてましたけど、商売をしている方も泊まるところがあれば便利ですものね」
アデレードは一旦そこで言葉を切り、カールの顔を睨むように見つめる。
「伯爵、私ここでちゃんと暮らしていく覚悟ですから!」
彼女の突然の決意表明に、カールは怪訝な顔をする。
「何だ、急に……」
「伯爵は私がいつかここを出ていくと思ってらっしゃるのでしょう? でも、私はどこにも行きませんからっ」
「……私の母の話を聞いたのか?」
カールは眉間に皺を寄せる。威圧しているつもりはないが、その表情は相手を怯ませる。アデレードはちょっと怖いと思いながらも続ける。
「はい。でも、ラシッド先生も猟師のゲンさんも移住者ですけど、ここでしっかり生活していますわ。私だって出来るはずです」
「彼らは貴族ではない。それに仕事も持っている」
「それなら、私も何年かかってでもホテルを軌道に乗せてみせます!」
ふん、と鼻を鳴らすアデレードに、カールは何とも言えない顔になった。期待する気持ちとそれを否定したい、相反する気持ちが湧き上がってくる。
「……では、期待しないで見守るとしよう」
「まぁ! 伯爵ったら意外に疑り深いですわね」
「経験に則っていると言ってくれ」
アデレードは困ったようにカールを見つめる。
「一体何があったのです、伯爵のお母様に?」
「……」
暖炉にくべられた薪がパチパチと音を立て、吹雪が窓を揺らす音だけが支配する。
やはり、聞いてはいけないことだったのかしら……。




