第3話 出会い
陽が遠い山の端に落ちる頃、カールはふらふらと歩くアデレードの姿を木々の間に見つけた。白い夜着のような格好の少女は薄暗くなった木立の間では目立っている。
「おい!」
カールが声を掛けるが反応はない。カールはアデレードに追いつき、彼女の肩を掴む。その肩は冷え切っていた。
「フロイライン・マイヤール、ここで何を?」
アデレードが振り返った。青白い顔をした彼女は傍目に見ても、憔悴しているのが分かる。
「どなた?」
「私はここの領主、リーフェンシュタール伯カール・ベネディクタス。君が山に入ったと聞いて探しに来た」
「……私のことは気になさらないで下さい」
アデレードは顔を伏せる。
「そうはいかない。君に死なれては面倒だし、公爵家に申し訳が立たん」
カールの言葉をアデレードは鼻で笑った。
「私が死んだとて、家族の誰も何とも思わないと思いますわ」
「何を……」
「今の私なんて居ない方が良いのです。私が死んでも誰も嘆かないし、困りませんわ。だから、伯爵もどうぞ捨ておいて下さいまし」
「フロイライン……」
とはいえ、本当に死なれても困る。
「君は少し落ち着いた方が良いな」
しかし、今から山を降りようとしても道中は真っ暗になるだろう。夜の山に慣れていない者には非常に危険だ。
確か、この近くに猟師小屋があったな。
猟師小屋とは動物を狩る猟師達が山で寝泊まりする際に使うこじんまりとした小屋のことで、猟師達は基本的に日帰りで猟をするが、獲物が手に入らなければ数日ほど山で過ごすこともある。その為に建てられたものだ。
カールは共に来ていた猟師に話しかける。
「私はフロイラインと猟師小屋で明るくなるまで避難しようと思う。すまないが山を降りて、フロイラインが見つかったと他の者に伝えに行ってくれないか。山道に慣れているから、1人で行った方が早いだろう」
「そりゃ、大丈夫ですが。良いんですかい?」
「あぁ」
「それじゃ、くれぐれもお気をつけて」
それだけ言うと、猟師はあっという間に斜面を下って姿が見えなくなった。
「さあ、フロイライン。こちらへ」
カールが声を掛けるがアデレードは動こうとしない。彼は内心の苛立ちを隠すようにため息を吐き、仕方なく彼女の両肩を掴み無理やり歩かせた。
しばらく木々の間を縫うように歩いていくと、件の猟師小屋に着いた。ドアを開け中に入ると、暖炉と床に敷かれた毛皮の絨毯があるだけの簡素な空間が広がっている。とりあえず、カールはアデレードを暖炉の前に座らせ、腕に抱えていた子犬をその隣に置いた。
小屋の隅には何枚かの毛布と暖炉用の薪と点火具、それといくつかの食器や調理器具が置いてあった。動物が近寄ってくると困るので、食べ物の類は置いていない。
カールは暖炉に薪を置き、点火具を使い火をくべる。10月に入り、山の夜はますます冷えるようになった。その為に備えが必要だった。
暖炉の火がアデレードの顔を赤く照らす。その瞳は相変わらずぼんやりしていた。
カールの聞いた噂では、王子と庶民の娘の真実の愛を邪魔する高飛車な悪女、手段を選ばす相手を消そうとした卑劣な女。
そんな話ばかりだったが……。
だが、それがどうだ。ここにいるのは傷ついて打ちひしがれた少女ではないか。
「それで、一体何だってこんなことをしたフロイライン?」
長い沈黙の後、アデレードが口を開いた。
「……手紙が来ましたの」
「手紙?」
「えぇ。両親からの。私がここへ追いやられてから、何通か両親宛てに出した手紙の返信ですわ」
アデレードが隣で伏せている子犬の背を撫でる。心を落ちつけているようであった。
「何が入っていたと思います?」
「……」
「大量の金貨だけでしたわ」
「金貨、だけ?」
「えぇ。まるで手切れ金みたいでしょう?」
炎を見つめるアデレードの顔が歪む。かつて自分が王子の恋人に同じことをした。それが返ってきたのだ。
「両親にとって私は権力を維持するための、ただの道具だったんですわ。使えなくなったから捨てたというだけ」
婚約破棄自体はそう頻繁にあることではないが、さりとてスキャンダルになるほど珍しいというわけでもない。しばらくは人の口にも上ろうが、ほとぼりが冷めれば、また違う縁談も持ち込まれる。しかしアデレードは、舞踏会の場で叫び、糾弾し、怨み事をぶちまけたし、その他にも様々に悪あがきしてしまった。まともな貴族なら悪評の立った女と好んで縁を結びたい、などど思うはずもない。
それはカールも同じだった。朽ちかけた別荘にいるのが、あのマイヤール家の令嬢と知ったときから、積極的に関わるのを避けていた。
私も噂に踊らされていたのかもしれんな、とカールは反省する。蝶よ花よと育てられ、周りから大事にされてきた娘が急に掌を返されたように人々から悪し様に言われ、その上家族からも冷遇される始末。
いくら、彼女のしでかしたことがまずかったとはいえ、若い娘に耐えられる話ではないな。
彼の胸の中に、まったくの他人ながら、この少女の行く末を心配する気持ちが芽生えつつあった。