香典の代わりにラムネとビー玉をⅤ
夏が、終わろうとしている。
大人になると、夏の暮れに寂しいと思うようになった。
迷惑な蝉の鳴き声も、涼やかな風鈴の音も。花火の煌めき、川のせせらぎ、猛暑日に口にしたラムネの味。あれだけ鬱陶しく思っていた暑ささえも終わりが近づくと、知らず知らずのうちに欠けてしまっていた心に、隙間風が吹き抜けるような、そんな哀愁を感じる。
「あっついなあ……」
裏返しで、もう少し夏が続いて欲しい、と言っている。しかし、1日も経たないうちに夏なんてとっとと終わってしまえ、とも口走ってしまうのだろう。
額にじんわり汗が浮かび上がる。汗臭くないか、心配になる。ボディーシートがいくらあっても足りやしない。ああ、鬱陶しい。これだから夏は。
思っている以上に、しぶとい夏が恨めしい。そのくせ、ざらりと後を引くから本当に迷惑だ。
自然と目が細くなる。眩しいと思いながら、空を仰ぎ見た。いつもより日の高い時間帯に仕事場を出たものだから、この高さの太陽には慣れていない。
「暑い……」また独りごちた。腕時計を確認すると、たっぷり時間に余裕があるからのんびり歩いて行けそうで、安心した。
建物の影から出る前に、傘を差す。すると、青空の下に青空が被さるという、なんとも不思議な光景が出来上がった。
いつの日だったかアミのお母さんに、アミとの雨の日の思い出を話したことがあった。余程私が嬉しそうにその話をしていたのだろう、話が終わると、お母さんはその傘を私に譲ってくれたのだ。
『これは、ユイちゃんが持っているのが1番ね』
そう言って、アミのように笑った。
気づけば、私の両手は傘を掴んでいた。こういう時「私が受け取るわけにはいかない」と、一度断りを入れるべきなのだろうが、どうしても、この傘を手にしたかった。自分の欲求を満たすことしか、あの時は頭の中になかった。私はまだまだ幼かったのだ。
『ありがとうございます。大切に、大切に預からせていただきます』
私の中ではあくまで " 預からせてもらう " という認識だった。こんなに真面目な気持ちで傘を持つことは、後にも先にもこれが最後だろう。私は幼いながらも、譲り受けたからにはアミの分まで大切に、大事にしなきゃいけない、これもまた私の使命なのだと思った。
たかが傘で終わらせられない。私の宝物。
この傘は晴雨兼用だが、夏は圧倒的に日傘としての使用率が高く、梅雨の時期より日の目を見ることが多い。傘を開くと、あれから何度目の夏を終えようとしているのかと、ふと考えることもあるが、一向に私には馴染まない傘を見ると、どうでもいいかそんなことと思える。
アミの形見の傘は、私には馴染まない。それこそ一生、死ぬまで馴染まないかもしれない。それなのに私の胸を踊らせる、厄介な代物だった。
共に過ごした時間が短かろうが、アミの存在が今も私の人生を支えてくれているのは事実で、あの日々が愛おしい思い出であることに、変わりはない。
思い出は、私の中の宝箱に大切に保管している。埃をかぶる前に時々蓋を開けてみて、そこに新しい思い出を詰め込む。日々、愛おしさを増しているがーー
私の宝物の半分は、ずっと、過去にある。
あの頃アミと歩いていた道を、ひとりで歩く。見覚えのない家が建っていたり、信号機が新しくなっていたり、公園の遊具の数が減っていたり、自動販売機が増設されていたり、記憶の中の街並みから変わっているものも、たくさんあった。それでもこの道が、懐かしいと思う。
年季の入った青いベンチが視界に入ると、アミとの思い出が、これでもかと溢れてくる。あのベンチは、かけがえのないあの日々の、宝物の象徴だった。
あの日の私達の姿が見える。
私とアミが大好きな場所。
私は、今もここが大好きだ。たとえ清美おばあさんが、そこに居なくても。
「いらっしゃいませー」
店の中に入るとレジカウンター内にあるパイプ椅子に座り、地元情報誌を読んでいた男性が顔を上げて挨拶をくれた。いまいち愛想のないその男性は、清美おばあさんのお孫さんらしい。
数年前に体調を崩した清美おばあさんに代わり、お孫さんがここを切り盛りするようになった。すぐに戻ってくると、清美おばあさん自身がそう言っていたけれど、結局清美おばあさんが戻ってくることはなかった。
それでも、私はここに足を運び続けた。アミに会いに行く日は、必ず清美おばあさんの駄菓子屋に立ち寄ることにしている。目的は2つ。ラムネを購入することと、清美おばあさんを思い出すため。
今日も、今日とて、購入するのはラムネだけなのだが、時間もあることだし店内を見て回ることにした。
通路は人がすれ違うのにギリギリの幅しかない。子供でも手の届く高さの棚が店の中央に2列と、壁に沿うようにコの字型の棚がある。商品の種類は、昔より豊富になっている気がする。駄菓子屋だから当然子供が手を出せる、良心的な値段だ。私の後に店に入ってきた2人組の男の子は、大事そうに拳を握っていた。これから何を買うのか真剣に話し合う姿を見ると、ついつい頬が緩んでしまう。
男の子達を横目に、わざとラムネが置いてある場所まで遠回りした。夏季限定商品として取り扱われていたラムネは、今や1年中手に入るようになっており、冷蔵庫の中に常に陳列されている。
小さなカゴにラムネを2本入れ、そしてまた、レジまでわざと遠回りをした。
レジに近づく私の気配に、店主が気づく。私はラムネしか入っていないスカスカのカゴを、レジカウンターの上に置いた。財布から出した千円札を、店主に手渡す。清美おばあさんとは違う日に焼けた腕に、厚みのある手。慣れるには、まだ時間がかかりそうだ。
「ありがとうございました」
会計時にやっと目が合う。それを知っているから、私はじっと店主を見て、毎回「また来ます」と言う。
店主は特別愛想が良いわけではない。でも、会計後の「ありがとうございました」は時折、清美おばあさんの面影を彷彿とさせる。このありがとうございましたを聞くために、また来ます、と私は訪れる度に言う。
またここに来る。また、清美おばあさんに会いに。
店の外に出る時に、もう一度だけ店内を見渡して、戸を閉めた。
店の外はまだ、夏だった。
「あっ! 円、ユイ来たよっ! ユーイー!」
「ユイー!」
日傘を差した梓と円の姿が見えた。集合時間までまだ大分余裕があるが、毎回この2人は、私が来るよりも先に到着している。誰かが自分のことを待ってくれているというのは、思った以上に嬉しいものだ。
「梓ー! 円ー!」
腹から声を出すのは、久しぶりだった。傘を持っていない方の手を、大きく振る。3人揃えば、大人な自分達から解放される。その瞬間が、私はたまらなく好きだ。
走りにくいヒールを脱ぎ捨てたい衝動を抑えて、2人に駆け寄る。足を上げる度にワンピースの裾が広がってしまうが、今だってそんなのお構いなしに、私は走れる。私達の再会を祝うように、袋に入れたラムネの瓶同士がぶつかって、ハイタッチ。カンッと大きな音を立てた。
梓と円は両手を広げ、私を受け止める。久々の再会に恥ずかしげもなく、高い声が出る。今でも頻繁に連絡を取り合っているが、やっぱり顔を見て話せることは別格だ。
「2人とも久しぶりー!」
「久しぶりー! ユイー、早く会いたかったよー」
「言うほど久しぶりでもないからね? お正月に会ってるから」
「もー! 円はまたそういうこと言う! お正月って言ったら、あれから半年以上経ってるからね! 久しぶりすぎるからー」
「あはは、確かに。昔は毎日のように会ってたしね。久しぶりすぎる」
梓の発言に乗っかる私を見て、円がため息ひとつ溢す。
「はいはい、私が悪うございました」
「私とユイに会えて嬉しいーって、素直に喜べばいいのに。円はツンデレなんだから」
梓が円に絡む。鬱陶しそうにそれをかわす円は昔から変わっていないが、さらにスルースキルが磨かれているように感じる。職場に梓よりも面倒くさい人がいるのだろうか? それは……ご愁傷様です。
「ユイ、何笑ってんの? やだ、不気味ぃ〜」
「はあ? 笑ってないし」
「まあまあまあまあ、2人とも子供みたいな喧嘩はやめなさいね。再会してまだ3分と経ってないんだから」
「なんか、梓に言われると腹立つな」
「同感。梓だけには言われたくないに1票」
「それな」
「ちょっと待って、それは聞き捨てならない!」
職場ではちょっとだけ猫を被っているらしい梓は、話を聞く限り頼りになる先輩になれているらしい。ちょっとだけ、がどのくらいの匙加減なのかはわからないが、梓なりに上手く大人をやっているみたいだ。もしも職場の人達がこんな梓の素の姿を見たらどんな反応を示すのか、少し興味がある。
「ねぇ、どうする? 先に上に行っとく?」
円が長い階段の頂上を指さした。
「ああ、うん、そうだね。上で待とうか」
私が階段に足をかけると、それに2人も続く。1人だったら、体力的にも精神的にもキツい長い階段だけれど、3人だと苦ではなかった。
頂上に着く頃には日が傾き始めていた。上から見下ろす街は、徐々にオレンジ色に染まっていく。写真に収めたくなる景色だった。思わずスマホを構えて写真を撮ってみたが、実物には敵わない出来だった。
「あ、また笑ってる。今日はどうしちゃったの?」
「いや……まあ、ちょっと懐かしいなって思って」
「懐かしい?」
梓が首を傾げる。
「夏祭りだよ。高2の時に3人で行った夏祭り。あの時星空を写真に撮ろうとしたけど、全然星が写らなくて、なんか、今と似てるなって」
思い出すのは、高2の夏休み。梓のおばあちゃんの家に泊まりに行った時のこと。
「ああっ! あったあった! そんなこと。あの時円が女脳は〜とか豆知識をひけらかしてたよね! で、結局ユイは写真じゃなくて、記憶に残す! とか言って」
「別にひけらかしてなんかないから。でもユイ、星はともかく、夕日ならそこそこ綺麗に写るんじゃない?」
「うん、でもやっぱり、違うよ」
「ふーん、そういうもんかぁ」
「一眼レフとかならイケるんじゃない?」
「それガチすぎない?」
くだらない会話が繰り広げられている間も、オレンジはより濃く、深い色に変わっていった。明日は今日とは違う色で、街が美しく染まるのだろう。アミはここから毎日その景色を眺めているのだろうか? そうだったら、いいな。
「ユイ、円!」
ふいに、梓が服を掴んできた。
「山本っちゃんと真白来たよ! おーい! 山本っちゃーん、真白ー!」
「声デカっ。近所迷惑だから」
「近所迷惑って、周りに民家なんてないでしょー。あるのはお墓だけ」
「だから! でしょう。みなさん静かに眠ってるんだから」
「やめてよ円、マジで」
この会話を聞いていると、本当に職場で頼りにされているのか不安になる。要らぬ心配だが、要る心配だ。
2人の馬鹿らしい会話をよそに、私は階段を上ってくる2人に手を振った。それに応えて2人は手を振りかえしてくれる。
この仲睦まじい姿を、アミは見たかったのだと思う。
「今日はたっくん居ないの?」
階段を上りきった2人に、梓が問う。首筋に汗をかいていた真白はハンドバッグからハンカチを取り出し、上品に汗を拭きながら答える。
「実家に寄って来たんだけど、拓海寝ちゃって。起こすのも可哀想だから、お母さんに任せて2人で来たの」
「庭で水遊びしたから、疲れたんだろ。拓海抱えたままこの階段上るのはキツイし、また今度連れてくるわ」
「そこは頑張れよ、パパ」
「そーだよ、パパ」
「ダメだな、パパ」
「だーもー! 会って早々うるせーな、お前らは!」
また一段と騒がしくなってしまった。山本も、あの頃と変わらない。大切な人が出来て、家族も増えたけど、変わってない。きっと山本も私達に会う日は、大人を脱ぎ捨てることが出来るのだろう。その隣で笑っている真白も、また然り。
「じゃあ全員揃ったことだし、行きますか」
夜がやって来る前に。




