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香典の代わりにラムネとビー玉をⅣ




 散々泣いたら、お腹が空いた。かと言って、ここに空腹を満たす食べ物などない。あるのは紅茶、インスタントコーヒー、ココアといった飲み物の類だけだ。口が裂けてもお腹が空いたなんて、先生には言えない。この場は、紅茶で凌ぐしかない。



 不味くても、飲み干さないと……。そう自分に言い聞かせることで、なんとかアップルティーを飲み干すことが出来た。



 2杯目の紅茶は、1杯目に選ばなかったレモンティーに。それは文句なしに、美味しかった。先生はレモンティーに、蜂蜜を入れていた。これは当たりだったらしい。蜂蜜を勧められたが、私はこの酸っぱさを甘みで緩和したくなかったから、断った。



 アップルティーと違い、口に運ぶ回数が明らかに多くなり、見る見るうちにカップの中は減っていった。多少お腹が膨れると、気分のよくなった私はいつも以上に饒舌になる。



「初めからレモンティーにしとけばよかったですね。……でも、先生が言っていた通り、試してみてよかったかも。だって、そのお陰でレモンティーがすごく美味しいって思えるから」



「確かにそうかもしれないね。まさに雨降って地固まる、ってやつだね」



「ん? うーん、そう、なの?」



「そうなの。そーゆうことにしとくの」



 先生のいい加減さに、笑って頷いた。こういう理屈っぽくない、子供のようなところも、先生を好きな理由のひとつだ。きっと、明けない夜はないという言葉が誰の言葉だったのかも、知らないのだろう。先生にとってはそれが誰の言葉で、どんな意味があるのかということは、特に興味がないことだから、自分なりの解釈を、私に話してくれたんだと思う。



 本当にいい加減な人だけれど、私にとっては貴重な理解者だ。



 そんな理解者を、今度は私が理解したい! などと大それたことは言えないけれど、私も知りたかったことがある。ずっと気になっていたことを、今なら、訊ける。もし先生に話をはぐらかされても、醜態を晒してしまった今なら、傷が浅くて済むと思えた。



 思い切って「先生」、声を掛ける。



 開けられた窓から部屋に風が入り込み、カーテンがふわりと舞った。先生が何も言わないのを良いことに、幾度も波打つカーテンの様子を、私はしばらく見つめていた。いつもより鼓動が速い気がする。認めたくはなかったが、きっと内に秘めていた失礼な野次馬精神の仕業だ。胸にそっと手を当てて、カーテンから先生のデスクに目をやった。



 デスク上にはノートパソコンとタブレット、必要最低限の筆記用具類に、手触りの良さそうな生地のカバーを被った、ティッシュボックス。そして、写真立てが3つあるだけ。先生のデスクは常に整理整頓されている。それを目にすると、ここは先生の仕事場なんだと、改めて思い知る。それが嫌で、普段そこを直視することはほとんどない。

 


「あの写真立て……誰が写っているんですか?」



 先生は写真立てに目をやったまま、口を閉ざした。



 誤魔化されるかもしれない……。大人特有の薄っぺらい笑みを張り付けた顔で。先生にそんなことをされたら、せっかく引っ込んだ涙が、また溢れ出すだろう。絶対に我慢出来ないという、情けない自信がある。



 私はただ、先生が一体どんな写真を飾っているのか知りたいだけで、先生の全てを知ろうなんて思っていない。ただ、先生の人生の袖先にだけでもいいから、触れたかっただけなんだ。



 写真に残す人物の相場は大抵決まっているが、私は先生の口から先生のことを話して欲しいと、思っている。ただ、それだけなんだ。



 いつも私のことばかりだから。



 それが先生の仕事だってわかっているけど、私と先生がこれ以上の関係になれないとわかっているけど、私も、先生の話を聞ける友人の1人になりたかった。



 こんな想いを先生に知られるのは、怖い。ずっと、私はずっとずっと、誤魔化して来た。紅茶を飲んで、言葉を喉の奥に流しこんで、どうでもいい軽い言葉達だけを先生に投げかけて、そうやっていつ千切れてもおかしくない、蜘蛛の糸を掴むように、先生との関係を、繋いで来た。その死に物狂いの姿は、とても滑稽だっただろう。でも、そうまでしても、この場所を失いたくなかった。



「どうしたの? 急に」



 真っ直ぐと注がれる視線が、好きだ。どんな話でも最後まで付き合うと、言われているようで。今、私に向けられている眼もそうだったら、いいなあ。



「……何となく、何となくね、気になってたんだ。……ほら、ここからじゃ、写真見えないでしょ? 先生がどんな写真を選んで飾ってるのか、なんか、知りたかったの」



 知ってどうするの? そんな言葉が聞こえてきそうな顔で、先生は私を見ている気がする。悲観的な思考のせいで、そう見えているのかもしれない。



 やっぱり、拒否(ダメ)なのだろうか……。



「先生は、どうでした?」



 ダメ元でもう一言。主語は、ない。



「出会えましたか?」



「……どっちだと思う?」



 まさかの返答だった。



 先生っ! その返しはズルいよっ!



 あたふたする私を見て、してやったり顔の先生が、席を立つ。デスクまで行き、振り返ると、ちょいちょいと手招きをする。



 若干の子供扱いに腹を立てながらも、結局は私が折れて、先生の元へ向かった。写真立ての前で手のひらを上に向けて「どうぞ」、という先生の余裕そうな仕草に、怒りは収まった。



 見てもいいの? そんな視線を投げかける。どうぞの手のまま笑みを深くした先生は、無言で頷いた。やっぱりいいですと遠慮することも、断ることも出来ないのだから、やっぱり野次馬精神って、根が深い。自分に嫌悪を抱きつつも、ちゃっかりこの手は、写真立てに伸びていた。



 見ますね、と最終確認のため、先生にアイコンタクトを送る。また余裕そうに、どうぞの手が出されたから、私はすかさず写真立てをくるりと回し、念願だった写真を拝ませてもらった。



「わっ……きれい……」



 そこには純白のドレスを着た綺麗な女性と、タキシードを着た男性、その2人を囲むように立っているドレスアップをした、3人の女性達の姿があった。



「でしょう?」



 私はその写真に目を奪われたままだったが、声の弾み具合から、先生の顔が喜びに満ちているのがわかった。



「これっ、結婚式の写真! あっ、待ってこの人、先生……! 先生の友達の結婚式だ!」



「そうだよ。この人達は、先生の " 親友 " なんだよ」



 先生を見ると予想通り、とても嬉しそうな顔をしていた。初めて見る先生の表情(かお)だった。



 そっか……親友だから……先生のそんな表情を引き出せるのか……。



「この人達って……え、全員? この新郎さんも?」



「あー、うん。その人も一応、親友」



 親友のことを、一応って言うっけ?



 疑いの目を向けられた先生は、盛大に吹き出した。これもまた見たことない、先生だった。ってゆーか、ここ笑うとこ?



「親友だよ、ちゃんと親友。紆余曲折を経て、親友になったの。その新郎さん、嫌なやつだったけど、良いやつなんだよね」



 その紆余曲折の部分を詳しく知りたいのだけれど、話してくれる気はなさそう。



「……なんかよくわかんないけど、複雑そうですね」



 平然と言い切るものだから、冗談なのか本当なのかわからない。とりあえず、先生の言う『親友』という言葉を信じようと思った。うん、とりあえず。



「でも、凄いですね。親友同士が結婚するなんて、素敵。……あれ? でも、先生達からしたらちょっと不思議な感じ? じゃないですか? 今まで一緒に遊んでた2人が家族になるって」



「あー……。そうね。ちょっと不思議な感じがする。……なのに、しっくりきてるから、また更に不思議なんだよね」



「不思議なの? しっくりなの? どっちなの?」



 吹き出す私を見て、先生のおでこにしわが寄った。どこか不服そうな表情だ。2人のことを心から祝福しているはずなのに、違和感を拭えずにいる感じ。大人の事情には、これ以上首を突っ込まない方がよさそうだ。私の頭じゃ、きっと処理しきれない。



「……難しいなあ。でも、まあ、うん……やっぱり、嬉しいかな。2人が家族になってくれて、本当に嬉しかった。この写真見れば、それが伝わってくるでしょ?」



「はいっ」



 見た瞬間にわかった。ああ、先生はこの2人のことを、心の底から祝福してるって。友人2人だって、そうで……。3人とも、自分のことのように喜んでいる、って。



 会ったこともないのに、それ以外の解釈はあり得ないと思った。



 ……羨ましい、と思った。この5人の関係性が。



 写真をデスクに戻して、残りの2つの写真立てを欲張りな子供のように、左右の手で掴んだ。先生はその様子を、微笑んで見ていた。



 片方には、結婚式の写真に写っていた友人2人と、制服姿の先生が。



「先生、幼い……!」



 写真を見た第一の感想が、それだった。現在(いま)は、大人の女性という表現が的確だと言える先生だけど、やっぱり学生時代の先生は幼く見える。化粧もしていないし、頬がふっくらとしていて、あどけなさの残っている姿だ。



「幼いって言うけど、今の小夜(さよ)ちゃんよりも、写真の中の私は年上だからね」



 ということはつまり、高校時代の先生ということになる。写真の中の先生と目の前にいる先生を見比べてみると、先生は居心地悪そうに肩をすくめた。



「照れてます?」



「照れてるんじゃなくて、恥ずかしいの。もう! そんなにまじまじと見ないでよ」



 新鮮な反応に、悪いと思いながらも思わず笑ってしまった。呆れ顔の先生に、ごめんなさいと謝ってはみるものの、 " 見たい " という欲求は、消えなかった。



 それにしても、やっぱり先生には余裕がある。恥ずかしいと言うのなら、見せなければいいのに、私の手を止めようとはしない。見たいのならどうぞ、というスタンスが、涼やかでかっこいい。



「先生。最後の写真、見てもいい?」



 先生がダメだと言わないことは、わかっていた。これ以上、無理にパーソナルスペースに踏み入る必要はないけれど、踏み込みたい気持ちを抑えきれない。



 でも……。



「貸して」



 先生は私の手から最後の1枚を抜き取った。油断していたせいか、抜き取られた瞬間に反射で「あっ」と、声が漏れる。まるで、目の前でおやつをおあずけされたペットの気分だ。



 早くちょうだい。



 うずうず急かす目を気にも留めず、懐かしむように目を細めて、先生は写真を見ている。

 


 これが、答えだろう。



「先生はやっぱり、出会えたんですね」



 顔を上げた先生と、目が合う。



 ああ、まただ。また私の知らない、先生がそこにいる。



 瞬きをひとつ。すると、もういつも通りの先生に戻っていた。もう少し見ていたかったのに、私と先生の距離は、こんなものなんだろう……。



「出会えたよ。……私にはもったいないくらいの人達に。でもね、私の場合、出会えていたことに気づくことが、遅かったの」



「遅かった……?」



 なんとも言えない表情の先生が、伏せた状態の写真立てを私に持たせた。見て、と目が言っていて、大人しく写真立てを表に向けるしかなかった。



 もう片方の写真には、制服姿の先生と、とても可愛らしい女の子が写っていた。



 何の変哲もない、友人との写真。



 だけど、ただひとつの違和感があった。



 先生と共に写っている女の子は満面の笑顔だというのに、先生ときたら、あまり乗り気ではなさそうな表情(かお)で、そこにいる。



 あまり仲が良くないのだろうか……。いや、もしそうだったら、わざわざ飾らないよね? 写真を撮った時、喧嘩中だったとか? いや、それもないか。私なら、2人とも仲良く写っている写真を選んで飾る。



 だったら、この写真は一体……。



「その子、親友なの」



「えっ……」



「親友だって気づくのに、時間が掛かっちゃったんだ……」



 寂しそうに目を伏せた。私も何故だか、すごく寂しい気持ちになった。



「……せんせ……、大丈夫?」



 卑怯者は俯いて、大丈夫が返ってくるのを待つ。先生と違って、私は正しい方に導くことが出来ないから、大丈夫って言ってもらわないと、困る。



「タルト・タタンってケーキ、知ってる?」



 は?



「急になんですか? タルト・タタンは知ってるけど……」



 突然の脈略のない会話。こんな時でも、先生節炸裂しすぎでしょ!! 



「タルト・タタンってね、失敗がきっかけで出来たケーキなんだよ」



 こちらの戸惑いに目もくれず、話を続ける先生。ため息を吐いてみたが、知らぬ顔だ。こうなってしまったら、もう私には止められない。さっきのしおらしさは、演技ではないのだろうかと、疑ってしまうほどだ。



「……そうなんだ、知らなかった」



「……私はね、タルト・タタンみたいに失敗が成功になりましたーって、ことにはならなかった。後悔しか残らなくて、自分のことが本当に嫌になった」



「せんせ……何の話を……?」

 


「良い経験をしたって、何年経っても過去を消化することは出来ないけれど……皮肉よね、失ってから得たものがあって……。失敗が成功にはならなかったけど、そこで初めて何が大切なのかわかった。失ったもの、得たもの、どちらも優劣をつけられないほど、私にとっては大切なものだったと、失ってしまう前に気づけていたらって、何度思ったことか……」



「……先生、それ……比喩……?」



「失敗が必ずしも成功に繋がるとは、言えない。だけど、私は伝え続けなくちゃいけない。小夜ちゃんの背中を押したくて言ってるわけじゃない。……押すんじゃなくて、小夜ちゃんが倒れそうになった時に、私は……支えたいの」



 まるで、私の向こう側にいる " 誰か " に話しかけているようだ。先生は、私と誰かを重ねている。それを悲しいとは、思わない。



 私は……。



「私、行ってみるよ、学校。先生の話聞いてたら、確かめたくなった。……でも、期待はしないで。今、行きたいって思っただけだから。行ってみたら、やっぱりなんか違うって思って、また……」



 どうしても、学校に行けなくなった自分の姿が想像出来てしてしまう。そうなる確率が高いから、不安を振り払えない。悲しいけれど、自分のことは自分が1番よくわかっている。誰の期待にも応えられないのが、私だ。



 お母さん、お父さん、そして、先生。迷惑ばかりかけて、ごめんなさい……。



「……それでいいと思う。行ってみて無理だったら、ここにおいで。さっきも言ったけど、私は小夜ちゃんといっぱいお話がしたい。仮に小夜ちゃんが学校に通うことが出来るようになっても、会いたいな。私は小夜ちゃんのことが好きだから、心配なの」



 ……心配……。



「心配、してくれてたの……?」



「当たり前でしょう」



 そっか……。ずっと心配してくれてたのか……。面倒とか迷惑じゃなくて、ずっと心配してくれてたのか……。



 沈黙の中、写真を先生に返す。もう充分だ。この写真の女の子と先生の関係なんて、知らなくていい。もう何も、訊かない。先生の過去に、私はいないのだから。どれだけ深く潜り込んでも辿り着かない場所に、高校生の先生がいる。



 完璧に見える先生にだって、私と同じように悩みや後悔があって、未来がある。



 生きてゆく。……それだけだ。



 その為に、進まなくちゃ。進んだ先で出会えるかもしれない誰かを、見つけたい。立ち止まったり、道を変えてみたっていいのなら、出会えそうな気がする。ネガティブな私がこんな風に思えるのは、先生の言葉があったから。



「ありがとう、先生」



「ん?」



 お礼の言葉にとぼける、恥ずかしがり屋な先生が好きだ。掴めないところも、大人っぽくないところも、子供扱いしてこないところも、私にくれる言葉も、全部、好きだ。



 部屋に流れ込んだ風が、先生の髪を揺らす。レースのカーテンと先生のワンピースの裾が、舞った。窓の向こう側で、木々がざわめいている。



「先生、今日は特別な日なんでしょ?」



 夏が、終わる。



「だって今日の先生、一段と綺麗なんだもん。この後、大切な人に会うんでしょ?」



 恥ずかしいそうに、ああ、うん、と先生が笑った。



「……この子に会いに行くの。親友達と一緒に、親友に会いに行くの」



 愛おしそうにその写真を見つめながら、また私には理解出来ないことを、先生は口走った。



 ひとつわかるのは、先生にとってその人達が本当に、大切な人だということだけ。それだけわかれば、もういい。



「いってらっしゃい、先生」



「いってらっしゃい? えー、何々? どうしちゃったの?」



「言いたくなったんです。……いってらっしゃい、ユイ先生!」


 真面目な声色に、先生の背筋が伸びた。真っ直ぐに、私を見つめてくれる。



「いってきます。……小夜ちゃんも、いってらっしゃい」



 瞳がとても綺麗だった。キラキラと、輝いていた。ビー玉みたいだった。





 ……ああ、そうか……。





 私はもう、とっくに出会っていたんだ。



















 

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