ヒーローの憂鬱
パチパチ、カラカラ。揚げ物を揚げる時の空気の弾け飛ぶ音は、食欲をそそる。この音だけでどんぶり飯を食える。
入れ代わり立ち代わりお客さんがやって来る忙しい時間帯は終わりを告げ、店の中にゆったりとした時間が流れ始めると、今日の賄いはとんかつがいいなあ、なんて呑気にそんな煩悩に溺れてしまう。最近は特にそんなことが増えた。
原因はわかっている。
それは最近この店のアルバイトを卒業した、ユイちゃんの存在だ。
原因と言ったが、ただバイト仲間が1人欠けただけだ。ユイちゃんがここに来るまでにも、バイト仲間が数人卒業していった。寂しいな、と送り出す度に思っていた。だけど、ユイちゃんに対しての寂しいは、長く心に居座っている。一体、ユイちゃんは他の人と何が違い、自分にとってどんな存在だったというのだろう。
テーブルの上を片付けながら、思考を整理する。飛び散ったソースを拭き取る。テーブルの上は綺麗になった。代わりに台拭きに汚れが移った。全然スッキリしない。
年下だし、まあ素直だし、可愛いとは思っている。この [ 可愛い ] に変な意味はなくて、これはペットを愛でているような感覚と似ているのかもしれない。こんなことユイちゃんには失礼すぎて言えないが……。
土屋さんは、俺とユイちゃんは兄妹みたいだと言うが、果たして俺はユイちゃんのことを、妹みたいだと思っているのか……。あまりしっくりとしない解答だ。ただ言えるのは、まるで風船が少しずつしぼんでいくように、俺はユイちゃんに会えない日々に物足りなさを感じて、下降しながらふらふらと生きているということ。空を彷徨っているようで、どこにも辿り着けない焦りと恐怖があった。
「バイトは高二の冬休み前まで」、ユイちゃんはバイトを始めた時からそう言っていて、それを実行したまで。受験生だからユイちゃんの選択は当然と言えば当然で、理解しているし、希望の進学先に進めることを、心から願っている。
でも、やっぱり、寂しい。
お客さんのいない店内は、静かだ。ユイちゃんのいない店は殺風景で、平和で、つまらなくて、地味で、穏やかな瞬間がいつも決まった順番でやってくる。
そろそろヘアカラーを変えたくなってきた。ユイちゃんに相談して決めたかった。結局、ユイちゃんが見たいと言っていたカラーを見せることなく、ユイちゃんは卒業していってしまった。
「いつかね」なんて、何を悠長なことを言っていたんだろう。初めから期限付きと、わかっていたはずなのに。出会った瞬間、別れのカウントダウンは始まっていたというのに。
本日何度目かわからない、ため息に似た暗い息を吐く。小さな後悔が、心臓にぶら下がっている。連絡先は知っているのに、この手は文字を打っては消してを、繰り返していた。街で偶然会えたら……なんて都合のいい夢を見ることで、騙し騙し生きている。
偶然などという言葉に希望を持つということは、結果的に諦めるということになる。そう思っているからこそ、偶然を願うわけにはいかなかった。
そんな風に日々葛藤し続けていたからか、どうやら天は俺の味方をしてくれたようだ。
「衛藤さん、お久しぶりです!」
懐かしい声が、店内に響く。その声に、自然と顔がほころぶ。
片付けは、後回しだ。
「ユイちゃん! まじかっ! 本物のユイちゃんだ! あ〜、まじか〜!」
くすくすと、俺の歓喜の声にユイちゃんはおかしそうに笑う。その背後からユイちゃんの友人4人が、顔を覗かせた。そこに知ってる顔が2つ。梓ちゃんと円ちゃんがいた。あとの2人は見たことない、男の子と女の子。
ユイちゃんが梓ちゃんと円ちゃん以外の友人を連れてくるのは、これが初めてだった。気にならないと言えば、嘘になる。5人を店に招き入れながら、その2人をこっそり観察した。特に男の子の方を。
この中の、誰かの彼氏だろうか。可能性としては、初めて見る女の子の彼氏か……もしかして、ユイちゃんの……! いやいや駄目だ。男女が揃えばすぐに恋愛に結びつけたがるなんて、安易すぎる発想だ。ユイちゃん達に失礼だ。
言葉には出さなかったが、自分の無礼に無言で謝罪の礼をした。5人から「?」をもらった。
「いやー、まさかユイちゃんが来てくれるなんて思わなかったなあー! 衛藤さん、めっちゃ嬉しいなあ!」
「最後に話した時に『今度必ずご飯を食べに行きます』って、私言ったじゃないですか! もう忘れちゃったんですか?」
「忘れてないよ! 忘れてないけど……建前かな、って思っちゃって……もう会えないかと……」
「えー、酷い、衛藤さん! 私のことそんな薄情な人間だと思ってたんですか? ショックです……」
「ごめんごめんごめん! ユイちゃんのこと、そんな薄情だなんて思ったことないよ! ……ただ、ほら、ユイちゃんは無理して俺に合わせてくれてたのかもしれない、とか考えちゃってさあ、ごめんね……。でも、とにかくユイちゃんが来てくれて嬉しい! ありがとう! いらっしゃいませ!」
テーマパークのキャストになった気分で、両手を左右に大きく広げ、ウェルカムポーズを決めた。この店には似つかわしくない出迎え方だったが、この喜びを最大限に表現出来たと思う。ユイちゃんが笑っていたから、正解だ。
5人を席に案内したあと、グラスと水の入ったピッチャーを取りに一旦その場を離れた。楽しそうに談笑する声が聞こえて、にやけてしまう。そんな俺を優しい眼で土屋さんが見ていて、くすぐったくなった。
店内には、ユイちゃん達以外のお客さんは居ない。ユイちゃん達の注文を聞きに行っている間に、片付け途中だったテーブルを土屋さんが片付けてくれていた。土屋さんにお礼を言うと、微笑み、嬉しそうに5人の方に視線を向けた。
「まだユイちゃんと話したいことがあるんでしょう? 衛藤君、此処のところずっと、心ここにあらずって感じだったものね。さあ、思い残すことがないように、しっかり話していらっしゃい。私もあとでユイちゃんとお話ししましょう」
悪戯っ子のように弾む声で言った土屋さんは、いつも以上に優しい表情をしていた。嬉しそうに温かい目で、ユイちゃんとその友人達を見守っているようだった。俺にはそれが大人の余裕に見えた。
俺にはない余裕だった。
成人しても、所詮、俺は学生。
子供ではない、けれど、大人にもなれていない。高校生の時も同じように、自分は大人と子供の中間だと、そう思っていた。高校を卒業さえすれば、大人になれると思っていたのに、そんなことはなかった。
かっこいい大人になりたかった。それだけだった。俺にとってのかっこいいは『自分らしく、自分の人生を生きている人』だった。
時にそういう人達は、異端者扱いされるということも理解していた。後ろ指差されることもある。ゴミのようにそこら中に吐き捨てられ、投げつけられ、汚され、一生の傷をつける言葉があることも知っている。
だが、俺にとってのかっこいいは、変わらず美しく、輝き続けてくれていた。
輝きが続くから、俺は横道にそれることなく、自分の人生を歩んでくることが出来た。
自分らしく生きることは、簡単なことではない。至極簡単に思えることが、この世界では不思議と難題になる。
世間に反抗するつもりで、俺は今の俺になったわけじゃない。自分を認めてほしなんて思う頃は、とっくに卒業している。期待は時間の無駄だ。
賛同できないのであれば、好きになれないのであれば、せめて、ほっといていてほしかった。それだけが俺の願いだった。何故、人は干渉してくるのだろうか。俺の人生には全く関係ない人ほど、土足でこちらの領域に入ってくるは、何故? その人達自身は、決して裸足になれやしないのに、何故? 口を開けば皆同じようなことを言うのは、何故? 同調という武装をして楽しそうなのは、何故?
もう十分だ、偽善の押し付けは聞き飽きた。
俺は笑う。この為に愛想笑いを習熟した。ゆえに、俺はちっとも『自分らしく』生きていないことに気づいてしまった。
俺の言い分は、言い訳としてしか受け取られなかった。言葉が全てだと思っていたから、言葉で解決出来ないのであれば、言葉も、この喉も舌も、全部必要ないじゃないかとさえ思えた。衝動で、首を掻きむしった。爪が肉に食い込み、赤い線が浮き上がった。喉が締まった。身体が悲鳴を上げた。この悲鳴は誰にも届かないのだろうなと、悲しくなって、笑った。
今より幼いユイちゃんが羨ましそうに俺の髪を見る度に、目を逸らした。こんな情けない心まで見透かされそうで、あの頃の俺は怯えていた。
そんな俺でも、希望まで捨ててはいなかった。
言葉なんて要らないと思い始めていた俺に、言葉をくれた人達がいたからだ。結局、俺は言葉に救われていた。俺には俺を大切にしてくれる人達が居て、これからも出逢うことが出来ると知ってしまった。それに、どうにも自分の心には抗えなかった。
課題の分離を知り、認められる必要性こそないと気づいた。
感謝している。俺を受け入れてくれた人達に。俺に『かっこいい』を教えてくれた人達に。少しずつ歩み寄ってくれた、ユイちゃんに。
ユイちゃんが笑っている。梓ちゃんが、また円ちゃんに叱られている。初めましての2人も楽しそうで、店の中が明るくなった。この世界が続けばいいのにと思った。なんだか、とても嬉しい気持ちが込み上げてきた。
恩返しというのか、これから先もユイちゃんに幻滅されないように、「かっこいい衛藤さん」であり続けなければ。もう、あの頃の怯えた俺には戻りたくない……。




