哀傷
ポタリッーー。
ポタリ、ポタリッ。
一度降り出すと、止められない。
「ア、ミ……」声が溶けて消える。
消えてゆく、アミが……。
もう、アミがいない……。いないんだ……。
哀しみが、はち切れそうなほど膨らんでいる。
私とアミとの間には、切れることのない、太く、強い根が張っている。アミと出会ってしまった時、種を蒔いてしまった。共に過ごした時間、二人の喜怒哀楽をたらふく詰め込んだ種から芽が出て、想いを深めるほど蕾は育ち、やがて花弁が、美しく開いた。
二人で育てた想いは、二人が存在してこそ、そこに咲く意味があった。アミがいない今、存在意義を失った花は、枯れるか、落ちるしかない。
……ポタッ……。
花は、美しいまま落ちることを選んだ。哀しみを含んだ花を一人で支えるには、重すぎる。私一人じゃ支えきれない。一人じゃ、駄目だ……。
「……うっ……ゔぅぅ……ふっ……ゔうぅぅぅぅ……」
咲き誇った感情。その全ては手放せない。唇を強く噛み締め、頑なに堰き止めるのは、これ以上のものを零してしまうと、自分がどうなるかわからないから……怖いのだ。
両手ではなく、両腕で顔を覆う。何も見たくない。
ーー怖い。
恐怖に縮こまっていると、誰かの手が、肩に置かれた。
「……我慢しなくていいんだよ。……今度は私がそばにいるから……」
振り向かなくても、誰の声なのかわかった。
その声を聞いて、張り詰めていた糸が、
プツリッーー切れる。
私はずっと、誰かの許しが欲しかった。
ーーとうとう溢れ出す。
「うっ……うわぁぁぁぁぁあ、うっ……ああぁぁあ、ぅう、あぁぁぁ、ア、ミッ、アッ……ミ……あぁぁぁ、う、ぐっ……ふっ……ああぁ……うわあぁぁぁあっああぁぁぁああ……ゔぅぅう」
泣き声が、窓ガラスを叩いた。逃げ場のない教室にのたうち回って、響く。狂ったように、私は泣きじゃくる。自分でも、制御出来ずに、声を上げて泣く。空気が薄い。酸素がまるで足りない。「ゔっ、ゔっ」と嗚咽繰り返し、声が無様に這いつくばった。床に無数の花弁が落ちてゆく。
堪えていた全てが、溢れ出す。手紙にとめどなく落ちて、濡らして、汚した。止めたくても、止められなかった。
これが、罰か。
アミを護れなかった。
護ってあげられなかった、罰。
大切な人だったのに……。
私は一生自分のことを許さない。許せない。
自分に、他人に、法律に、この国に、不条理だらけの世界に、全てに、怒りを覚える。
アミが見たと思われるニュースを、私も見ている。覚えている。嫌というほど鮮明に。思い出すだけで、反吐が出る内容だ。そのニュースを見た時、身体の内側がぐちゃぐちゃに捻じ曲がった。テレビを中心に目に映る全てがモノクロの世界に包まれていって、窓ガラスを叩く風の音も、加湿器が吐き出すムスクの香りも、テーブルに飾ってあった花の色も、私を取り巻く日常が、全て消え去った。この、腹の底からふつふつ湧き上がるのは、嫌悪以外の何者でもない。
握り締めた拳。手のひらに爪が深く刺さる。下唇を噛むと、鉄の味が広がった。
何よ、これ。何なんだよ、これ。これが " 普通 " なら、普通だというなら、私は、異端者と指を刺される側の人間でありたい。
何が悪い。好きな人と共に生きてゆきたいと思うことの、何が悪いというのだ。誰かを傷つけたわけでも、迷惑を掛けたわけでもないというのに……。
この国は、人を選ぶ。
誰もが生きやすい社会を作る気なんて、さらさらない。世代交代することを渋り、価値観の変化を認めようとしない。人や時代は数十年で大きく変化を遂げたはずなのに、法はなかなか次の一歩を踏み出せないでいる。
その一歩を邪魔する人間がいるからだ。
あいつらは無神経だ。無頓着だ。鈍感だ。愚鈍だ。冷淡だ。そうでなければ、人は、こんな不公平な答えを提示することは出来ないはずだ。
ずっと偽り隠し生きてゆくことが、声を上げることが、どれだけ覚悟のいることか、あいつらには、一生をかけても理解出来ないのだろう。
本当に、可哀想な生き物だ。
あれだけ学校で教わってきたはずの優しさも、思いやりも、
ーー此処には、ない。
初めから与える気がないなら、平等なんて言葉、口にするな。
期待させるな。
あいつらは、変わらない。変える気がない。ただ自分達だけが生きやすい世界にしたいだけの、醜い集団にすぎない。
こんなの、アミが絶望するのも当然だ。
一体この怒りの矛先を、どこに向ければいい?
「……ああぁぁぁ……ア、ミ……ふっ、ゔぅぅぅ、うあぁぁぁぁぁあ、アミ……ア、ミ……あああぁぁぁあ」
悔しかった。せめて絶望の中、アミが逝ってしまっていないことを、願っていたから。
……そんなの、自殺したのだから絶望の中に居たに決まっているのに、どうか……どうか……今際の時だけは、苦痛から解放されていて欲しいと思っていた。
蓋をしていた想いと思い出が、溢れ出す。
半歩先をゆくアミの姿。細い髪が緩く左右に揺れて、甘ったるい香りが鼻先をかすめる。上機嫌な鼻歌からスキャットに変わると、いよいよ刺激的な声から耳を離せなくなった、帰り道。アミと呼べば、振り返って嬉しそうに笑う。ビー玉のその瞳は、ただ、私を映していた。シュワシュワ、耳触りの良い爽やかな世界がそこにあった。
あれがしたい、これがしたいと、欲の尽きないアミ。純粋な欲だった。この好奇心が尽きないことを、私は望んでいた。
身振り手振り落ち着きのない話し方、予想の斜め上をゆく行動に、幾度も踊らされた。天気のように忙しなく表情を変えるアミと、踊った日々がそこにあった。
アミと出会ってからの私も、人生でいっちばん、キラッキラッに輝いていた。
アミで、溢れていた。
「……アミ……ッアミ……ア、ミ……」
輝かしい日々が、剥がれ落ちてゆく。
アミが感じた絶望は、私のこれと似ているのだろうか……。
比較する資格もないのに、馬鹿な私は問うてしまう。
教えてほしい。ねえ、アミーー教えてよ……。
震える手は、肩にある彼女の手を掴んだ。
今そばに居てくれるのは、アミではない。
「……っく、じ……らい、さん……」
呼ぶと、こんな私なんかを壊れ物を扱うように、彼女は、優しく抱きしめてくれた。




