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不測







 白石愛海(しらいしまなみ)の家までの道のりは、はっきりと覚えている。



 ファミレスを(あと)にしてから、帰宅中の人を何人も追い越した。スカートだということも忘れて走った。すれ違った小学生達に「あのねーちゃん超必死じゃん」と言われた時は流石に恥ずかしくなったが、そんなことでスピードを落としたりはしなかった。



 ローファーではなくスニーカーを履いてきた今日の自分、ナイス判断だ! と褒めてやったくらいだ。



 判断も良かったが、今日は " 持っている日 " なんだとも思った。



 だって、ファミレスを出てから一度も信号に捕まることもなかったのだから。気持ちいいくらいに青が並んでいて、足を止める理由なんてあるはずがなかった。



 背負っているリュックが大きく弾む。中で荷物同士がぶつかり合っている音がする。(あずさ)からもらったスナック菓子が粉々になってしまっただろうが、そんなこともどうでもよかった。

 

 





 白石家に着いて、まず2階の窓を確認した。白石愛海(しらいしまなみ)の部屋に明かりは、灯っていなかった。レンガ塀に囲まれた家は、中の様子が見えない。



 足を擦りながら後ろに下がる。アスファルトがザリザリ鳴く。真向かいの鯨井さんの家の塀に寄りかかり、白石家の全体の様子をうかがう。



 走ったせいで汗をかき、髪はボサボサ。呼吸も荒く、帰宅中の人達が前を通り過ぎるたびにチラリと視線を寄越してくる。私は顔をしかめ、ワイシャツの袖で額の汗を拭いた。



 私が気になるのは白石愛海の家の中で、何が起きているのかだけだった。



 鯨井さんに連絡をもらってから30分も経っていない。まだ、白石家に鯨井さんは居るだろう。



 鯨井さんに、「私も行く」と返信をしなかった。したところで既読がつくことはないと思ったから、しなかった。



 まさか私がここまで来ているとは、思いもしないだろう。私を目にした時の鯨井さんの反応は、あまりいいものじゃない気がするが、今回は私の気持ちを優先させてもらうことにした。



 私が知りたかったから、私が側に居てあげたかったから、私は、私のためにここに来た。そう、全部私のために。



 けれど、鯨井さんだって心細いからこそ『今から行ってくる』なんて報告をしたんじゃないだろうか? あれは一緒に来てほしい、ってことなんじゃないだろうか? これは私の考え過ぎだろうか?



 目まぐるしく過ぎる日々の中で、私は他人(ひと)の背中を見送ることが増えた。皆、私を余所(よそ)にどんどん前へ進んで行くから、私が見るのは必然的に他人の背中になる。



 見えていた背中は米粒みたいに小さくなり、最後は見えなくなる。同じ位置に居た人達も私を抜かし、振り向くこともない。



 その背中を見て、私は悲しくなる。進んで行く人達にとってあの死は、本当に無関係なものだったと思い知らされ、私は悲しくなるのだ。






 雲の流れが速い。流れに置いていかれる。そのくせ時間はゆっくり進んでゆく。1分でさえも長く感じる。分針が秒針並みに動いてくれればいいのにと、星のない空を見ながらそんなあり得ないことを願った。全部自分の思い通りに進んでくれればいいのにと、自分勝手なことを。

 


 白石家と空を交互に眺める。それを続けていると、控えめなドアの開く音が聞こえた。



 脊髄反射のようにその音が聞こえた瞬間、寄りかかっていた塀から体を()がした。つま先立ちで出来るだけ目線を高くし、ドアの隙間から一部しか見えていない鯨井さんの背中を確認した。



 鯨井さんではない、別の女性の声が聞こえる。きっと白石の母親だ。鯨井さんは白石の母親と思われる人と一言二言言葉を交わし、白石家から出て来た。



「鯨井さん」と駆け寄りながら、声を掛ける。



「白石愛海と、ちゃんと話せた?」



 鯨井さんは私を見て一瞬驚いていたが、すぐに頷いた。


「うん。……ちゃんと、お別れして来た」



 そう言った鯨井さんの手には、薄桃色の洋封筒が握られている。やっぱり白石は、鯨井さんに手紙を残していた。



「ユイちゃん、来てくれてたんだね。よかった」



 表情に硬さが残っているものの、私なんかを見て鯨井さんは安心してくれたようだった。



「手紙、読んだの?」



「ううん、まだ、これから。おばさんとね、愛海(まなみ)のこといっぱい話して来たの。……愛海にやっと謝れた。話せて、本当によかった」



 うん、うん、と私は相槌を打った。



「ユイちゃんありがとう。ユイちゃんがいなかったら、私、馬鹿みたいに無駄な時間を過ごしてたと思うの。だから本当にありがとう」



「いや、私は何も……」



 頑張ってくれてありがとうと、お礼を言いたいのは私の方なのに。



「ねえユイちゃん、お願いがあるの」



 封筒を見せられる。「読む間、一緒に居てほしい」茶色味の強い瞳からそう訴え掛けられ、私はもちろんだと力強く頷いた。








 私達は近くの公園に向かった。



 公園に着いた時にブランコで遊んでいた2人の子供は、私達がベンチに座るより前に帰って行った。子供のにぎやかな声が遠ざかる。無人のブランコが余韻で揺れていた。



 ベンチに座ってから鯨井さんは手紙とにらめっこ状態で、封を切ろうとしない。心の準備は出来ていないようだ。



 ここで「大丈夫?」と声を掛けるのは、間違いだと私は知っている。そう聞かれれば、人は「大丈夫」と返す他ないのだ。だから、絶対にそんなことは言わない。



「無理に今から読む必要ないんだよ? また気持ちが落ち着いたら改めてでも。呼んでくれたら、私はいつでも付き合うから」



「ありがとう。でも今日読むって、この手紙を受け取った時に決めたから」



 その瞳に迷いは感じなかった。



「ユイちゃん、先に謝っておくね。私これを読んだら絶対泣いちゃうから、ごめんね」



 謝る鯨井さんに私は首を横に振って、問題ないと伝えた。ブランコはもう止まっている。静か過ぎて、不安が生まれる。



 覚悟を決めた鯨井さんの細い指が、(のり)付けされた部分を慎重に剥がしてゆく。破らないように、丁寧にゆっくりと。



 鯨井さんの緊張が伝染して、肩に力が入る。



 封が綺麗に切れると、2人の緊張は断線した。ほっと力が抜けたが、封筒の中の便箋を掴もうと指を差し込む動きに第二波緊張が走った。



 二つ折りにされている便箋を取り出し、封筒を膝の上に置く。便箋を広げる音を聞きながら、私は目を閉じた。目を閉じると、風に揺らされた落ち葉の乾いた音も聞こえた。



 私は本当に、ただ待つことしか出来ないようだった。



 真っ暗な視界には星も光もない。それでも願う。痛みが和らぎますように、後悔が薄れますように、鯨井さんが救われますように、と。そんなことしか私には出来ることがないのだから。



 小刻みに震える肩が、肩に当たる。



 その手紙には何が書かれているのか、想像もつかない。ただ何となく、鯨井さんにだけは特別な言葉を送っているんじゃないかと、そんな風に思った。そうじゃないなら、疎遠になってしまった友達に手紙を遺すこともないだろう。



 その手紙は白石愛海にとって鯨井さんがそれほどの存在だったという、何よりの証拠だ。



 何だか、2人の関係性が羨ましく思えた。



 目を開けると宣言通り止めどなく涙を流している鯨井さんが居て、不謹慎ながらほっとした。涙を拭くこともしないから頬には、涙の道が出来上がっている。一度出来てしまった道に行儀良く涙は流れ続ける。



 手紙を読み終えて、鯨井さんはようやく涙をワイシャツの袖で拭いた。そして、便箋を戻そうと封筒の口を開く。すると「あれ?」と封筒の口を開けた状態で、鯨井さんが声を漏らす。



「どうしたの?」



「もう一枚紙が入ってる」



 そう言って取り出したのは手紙ではなく、一枚の写真だった。そこには今より少しだけ幼い白石愛海と、鯨井さんが写っていた。



 とびきりの笑顔だった。



 中学生の頃の写真だろうか? 白石の顔が鯨井さんよりも大きく見えるのは白石の方が前に出た状態で撮ったからだろう。きっと自撮りしたものだ。



「その写真、白石愛海のお気に入りだったのかもね」



「そう、なのかな。これを撮った時のことはよく覚えてる。突然愛海が写真撮ろうって言って、スマホじゃなくて使い捨てカメラで撮ったんだよね。慣れてないから……ほら、2人とも見切れてるでしょう?」



「本当だ、2人とも頭がちょっとだけ見切れてる。白石って意外と不器用なんだね」



「スマホでの自撮りは上手だったんだけど、やっぱり画面見ながらじゃないと難しいんだよ」



 当時のことを思い出しながら、懐かしそうに目を細め写真を眺めている鯨井さんの横で、私も幼い2人が物珍しく、手紙を読んでいる時は遠慮して鯨井さんの方を見ないようにしていたのだが、今は写真は食い入るように見てしまっていた。



 見ていいよと鯨井さんから写真を渡され、申し訳なく思いながらも受け取った。



 久しぶりに白石の笑顔を見る。相変わらず眩しい笑顔だ。ただ、私が学校で見ていた笑顔とは少し違うものだった。


 違和感を感じながら、何気なしに写真の裏を見る。



 ーーそれを見つけて、咄嗟に鯨井さんの腕を掴んだ。



「ねえ! 鯨井さんこれ!」



「これ……」



 鯨井さんはゆっくり写真を受け取ると写真の裏側、そこに書かれているメッセージを声に出して読む。





 ずいぶんと伝えるのが遅くなってごめんね。だ

 って、私にとってはすごく勇気のいるこ

 とだったから。だけど、どうにか伝えたくて

 素敵な言葉をずっと探していました。

 きっと、そんなもの何処にもないのにね。

 でも、真白に伝えたかった。

 知ってほしかった。これが、私なりの答えです。

 ただ真白は一生気づかない。でもそれでいいから。

 





 たった8行のメッセージだった。なのに、何度読み返してみても意味がわからなかった。鯨井さんの顔を見るに、彼女にもこのメッセージの意味がわかっていないようだった。



「意味、わかんない……。結局愛海は何を伝えたかったの? ねえ、ユイちゃんにはわかった? このメッセージの意味、わかった? わからない私がおかしいの?」



 手紙とは別の白石からのメッセージに、鯨井さんは困惑する。私だって、正直意味がわからない文章だと思った。伝えたいと言いながらその8行の中に、白石の気持ちは書かれていないじゃないか。



 しかも、鯨井さんは一生気づかないかもしれないとまで書かれている。一体何を伝えたかったのか、白石の考えていることが何一つ私にはわからなかった。



「私、見たの」



 写真の上に新しい涙を落としながら、鯨井さんが言う。



「見たって、一体何を見たの?」



「愛海のおばさんが私宛の手紙を引き出しから取り出す時、もう一つ封筒が見えた。一瞬だったけど、見たの。間違いない。間違いなく、『アキラ』って書いてあった」



 鯨井さんは止まらない。私の腕を掴み、体を寄せる。アキラと言う名前に、大きく跳ね上がった心臓の音を聞かれていないか、私は心配になった。



「ユイちゃん、アキラって山本君のことだよね? 他にアキラなんて居ないよね? もしかして、愛海と山本君は付き合ってたの? ねえ、そうなの?」

 


「まさかっ! それはないよ!」



 山本は告白すらしていない。そのことを、とても悔やんでいる。付き合っていたなんて、そんなのあり得ない。



「どうしてそう断言出来るの? 周りに内緒にして付き合ってたのかもしれないじゃない!」



 落ち着かせるために、鯨井さんの両肩に手を置いた。目を見つめ、安心させる。そのくせ、自分の心臓はうるさいままだった。これではどちらを落ち着かせようとしているのか、わからない。



 頭を振り、かき消す。



 ーーアキラ。



 そう呼ぶ声が聞こえて来そうで、走り出したくなった。



「鯨井さん、落ち着いて」



「私は落ち着いてるよ。私は今、一番可能性があることしか言ってない。ユイちゃん言ったよね? 愛海は友達に手紙を遺してるって。その友達は大体見当がつく。高校で愛海と仲のよかった子達3人、そして私。残り1通が山本君って……どう考えてもおかしいよね?」



 発する言葉に薄氷が(まと)っいる。自分の考えを否定した私に対する、怒りと不信感。



「愛海と山本君が親友だったなら、わかる。実際は違うでしょう? 確かに中学生の頃も2人は仲が良かった。仲が良かったけど、そこまでだった。それ以上ではなかった。それが高校生になって変わった。あり得ない話じゃない」



 一般的に考えて、あり得ない話じゃないのは確かだった。疑いたくもなる。私だって何も知らなければ、2人の関係を疑っていたと思う。



 知っているからこそ、その仮説を否定する必要があるのだ。



「鯨井さんの言いたいことはわかった。ただね、山本は白石に告白すらしてないの。だから、付き合ってたなんてあり得ないんだよ」



「 " 山本君はからは " でしょう? 愛海の方から告白してたかもしれないじゃない。山本君が何かを隠してるってことも充分あり得るよね?」



 鯨井さんが食い下がる様子はなく、私は困り果てる。どう言えば納得させられるのか、言葉を探す。



「信じて、鯨井さん。山本が嘘をついていないって信じてほしい。山本を信じてる私を、信じてほしい。お願い」



「そんな! それはずるいよ、ユイちゃん」



「お願い、鯨井さん」



 鯨井さんは納得出来ていないようだったが、渋々頷いてくれた。



 罪悪感がまた一つ積み重なるのを承知で、私は「信じて」なんて言葉を口にした。



「ありがとう、鯨井さん。それとその手紙のことは、誰にも言わないで。山本にも言っちゃ駄目。山本にはタイミングを見計らって私から伝える。今は私達2人だけの秘密。いい?」



「……わかった」



 嘘つきは山本じゃなくて、私の方。鯨井さんごめん。もう少しだけ気づかないでいて。

 


 残り1通の手紙。その手紙の宛名にひどく動揺する。



 まさかと思い、浮かび上がる可能性に胸が騒ぐ。



 ーーアキラ。



 そう呼ぶ彼女の姿が離れなくなる前に、私は目を閉じた。



 目を閉じる前に、ファンデーションで汚れたワイシャツの袖が目に入った。





















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