信頼
メロンソーダの中にたっぷり入れた氷が、カランッと可愛らしい音を立てて形を崩した。その衝撃で新たに生まれた気泡と共に、小さな疑問が私の中に生まれた。
疑問は、生まれてすぐに独り立ちする。
「ねえ、ラムネの瓶の中に、どうしてビー玉が入ってるか知ってる?」
同じメロンソーダを飲んでいた梓の口から、ストローが離れる。メロン色がストローの先から一滴、テーブルの上に落ちた。
向かいの席から見ると、それは厚みのある半月形をしていた。拭き取るのは惜しくて、出しかけた紙ナプキンを引っ込める。真剣に考えてくれているようで、梓は私の不自然な動作に口を挟まなかった。
そして、至って真面目な顔で口を開く。
「……映え?」と。
私は遠くを見つめながら返す。「それはない」と。
「えー? いい線行ってると思うんだけどなあ。円はどう思う?」
梓に訊かれ頭をひねる仕草を見せた円だったが、それは形だけのもので、答えるどころか考える気もさらさらなさそうに見えた。
10分前に運ばれてきたポテトは、とっくに冷めきってふにゃふにゃになっている。食感が変わると味気なく感じるが、お腹が満たされるであれば文句はないと二人のどちらかが口を開くまでの間、ポテトをつまみ続ける。
梓はまだ「うーん」と、ビー玉の存在意義を探している。
ビー玉の存在意義ーー果たしてそんなものが存在するのだろうか? そもそも意味がなければ、いけないのだろうか?
そんなものあってもなくても、どっちでもいい。
そのはずなのに、意味を求めてしまう。
自分が嫌になる。
悶々としながら、それさえも食い尽くすように黙々とポテトを食べた。
沈黙が苦しくなって別の話をしようかと思ったが、ネタがない。回転寿司のように話のネタが回って来ればいいのに、流れ着いてきた皿はどれも空っぽだ。
無いネタはつかめない。つまんだらふにゃんと項垂れるふにゃふにゃポテトしかない。
目の高さで、綺麗で惨めな曲線を描いている。
手首を上下に動かすだけで、同じようにポテトが揺れる。梓はそれに合わせて首を振っていて、赤べこみたいだった。
けれど、赤べこは長くは続かなかった。
「わかった! やばい、私天才かもしんない!」
と、突然自称天才が声を上げる。驚いて、ポテトが大きく跳ねる。
折れて落ちてしまう前にポテトを半分かじってから、投げやりに視線を正面に向けた。「聞いて、聞いて」と訴えかける目と、目があった。
「はいはい、何が分かったの?」
「瓶を傾けると飲み口の蓋をするようにビー玉が転がってくるでしょ? だから、勢い余って飲みすぎないためのストッパー的な役割があるんだよ、ビー玉には! ね、どう? いい線いってない? むしろ当たりじゃない、これ!」
「……なくもない」
梓にしては、的を射ていた。私もそれが正解なんじゃないかと思った。
ストッパー、なるほど。それなら納得がいく。
「今日の私、冴えてる!」
両手を頭上に伸ばしてガッツポーズ。テスト終了時も同じポーズをよくとっている。解答が合っているかどうかは別として、テストをやり終えた時と同等の達成感があるのだろう。
けれども、この達成感は円の一言によっていとも簡単に消え去ってしまう。
「栓、らしいよ」
「はい?」
ガッツポーズが肩の位置まで下がる。
「だ、か、ら、ビー玉は栓の役割があるんだってさ。ストッパーじゃないみたい」
スマホで検索したらしく、検索結果の出た画面を円は見せてくれた。梓それを見て固まってしまった。私は気にせずスマホを覗き込む。
「本当だ、栓の役割があるって書いてある。あ、昔はコルクで栓をしてたんだ。知らなかった」
ちゃんと意味があったんだと、安堵とも落胆とも区別のつかない息を吐いた。
この世に意味のないものはない、ということだろうか? だけど、それもそうか、と思った。 [ 映え ] だって、それ自体が意味になるのだから。
スマホの画面から目を離さずに、ストローで氷を突く。数多の気泡が生まれる。目を瞑っていても、音で分かる。隠していた感情が、余すところなく湧き上がって来た気がした。
一瞬で弾けて消えてしまうけれど、一瞬だけでも目をそらしていた自分を垣間見れたことは、よかったと思う。
そのままメロンソーダを口に含めば、シュワシュワが喉に流れ込む。炭酸独特の刺激にも、ラムネを飲むようになったせいか随分と慣れてきた。
来年の今頃にはこの慣れが、 好きに変わっているのかもしれない。
ビー玉の役割を知ってスッキリとした。一度引っ込めた紙ナプキンを、「こぼれてるよ」と言って梓の方に差し出す。
梓はフグみたいなふくれっ面をして円を見ていた。そして、周りに迷惑をかけない程度にテーブルをバシッと叩いて、円に噛み付く。
「円はいつもそうやって、私の活躍を横取りしていく!」
「今のは横取りになるの? ってゆーか、どこらへんが活躍してたのよ」
「もう私のが正解でよかったじゃん! 全部円に持ってかれた〜! 返してよー、私の八面六臂の活躍を〜!」
「おおっ! 使い方間違ってるけど、八面六臂なんて言葉を梓が知ってることにビックリだわぁ」
「ふふんっ、すごいでしょ! 漢字は書けないけどねっ!」
「威張って言うな」
競い合うことじゃないのに、何故ムキになるのか謎である。話を振った身としては、そんなこと言える立場じゃないので黙っているけど、2人がヒートアップしてしまう前に、どうにかしようと思った。
2人と話したかったのは、こんな話じゃないのだ。
わざとらしく咳払いをすると、2人は大人しく視線をこちらに向けた。今から大事な話をするということが、伝わったのだろう。
私はテーブルの上に両手を置いた。
「山本と鯨井さんのリアル鬼ごっこの決着がついた。もう鯨井さんが山本を避けることはないし、白石愛海のことを一緒に調べてくれることになった」
「うっそ! 本当に!」
周りの迷惑を一切考えていない大きな声を出した梓。円はコーラの入ったグラスを持ち、何故か乾杯の準備に入っている。何の乾杯だ?
「やったじゃん! 仲間ゲットじゃん!」
言葉と同時に高々とグラスを持ち上げる。
「ポケモンゲットだぜっ! みたいなノリで言わないで! ゲームじゃないんだから」
私に乾杯する気はもちろんないので、鼻であしらう。肩をすくめた円はグラスをテーブルの上に戻す。この時、すでに顔つきが変わっていた。
切り替えが早いのだ、円は。
「それで、それから進展は?」
そう、私はこういうのを望んでいた。
背筋を伸ばし、テーブルの上の両手を握りしめた私を、2人は真剣な眼差しで見ている。
「鯨井さんに、白石の家に行ってほしいって頼んだの。手紙があるからって。残りの2通のうちの1通は鯨井さん宛のものだろうからね」
腰を浮かせた梓は、出来るだけテーブルの中央に体を寄せる。周りに知り合いが居るわけでもないのに、秘密の話をする時は、どうしても身を寄せ合うような形をとってしまうものだ。
「鯨井さんは少し迷ってたみたいだけど、行くって言ってくれた。手紙を受け取ることが出来たら、連絡してくれる予定」
「じゃあ、今は鯨井さんからの連絡待ちなんだ」
「そう。鯨井さんの気持ちが固まり次第だから、ちょっと時間がかかるかもだけど、それはもう仕方ないよ。人の気持ちはどうにも出来ない」
山本が鯨井さんと話せるようになった日、私は鯨井さんにありがとうとメッセージを送っていた。その時に、手紙の存在を教えていた。
白石の家に行くことを鯨井さんが迷っていたと思うのは、その話を持ち出した時、初めてメッセージに既読が付かなかったからだ。
返信が来たのは、メッセージを送ってから三時間以上が経過していた。
行く、行かないの葛藤をずっとしていたのだと思う。
けれど、私は鯨井さんの口から行かないと言う言葉は出ないとわかっていたから、不安はなかった。
鯨井さんは、絶対に白石愛海を忘れられない。
「なんだー、また待つのかー。待ってばっかりだね、私達」
「仕方ないじゃない。私達、白石との関係が薄いんだから。なんなら部外者みたいなもんだしね」
梓は不貞腐れてテーブルに額を押し付けた。どんな時も中立の立場に居る円は、白石のことで進展があろうがなかろうが、一人だけ一歩後ろに下がって全体を見ようとしてくれている。
「それよりさぁ、残りの1通は誰宛のものなのか分からないの?」
「全くもって、不明です。私もずっと考えてるんだけど、全然出てこない。他に居たっけ? 白石と仲のよかった人って」
「私達が知らないってことは、鯨井さんの時みたいに中学の同級生なんじゃない? 梓はなんか知らないの?」
「うーん……聞いたことないなあ。円の言う通り中学の同級生なんじゃない? それかーー」
それかーーと無駄に溜める。あまりにも長いから、円と2人で「それか、何?」と詰め寄ると、言い出しづらそうに口を開いた。
「もしかしてだけど、もしかしてだけどね? 愛海には彼氏がいたんじゃないのかな? って。残りの1通はその彼氏宛のものだったり……しない?」
隣から「山本どんまーい」と、小さな声が聞こえてきた。
「まだ彼氏が居たとは決まってないよ、円」
「まぁね? ただ、白石に彼氏が居てもおかしくないじゃん。むしろしっくりくるし」
確かに、ありうる話だと思った。だけど、それはないと断言出来た。
「もし本当に彼氏が居たのなら、萌香達が知ってるはずでしょ? あの3人にまで秘密にしてたとは思えない」
「そんなの分かんないじゃん。白石には何か言えない理由があったのかもしれない」
空気の悪い会話が進んでいることに、梓はばつが悪そうだった。自分が振った話だったからだ。
円は反論しているわけではない。無論、私もだ。ただ、淡々と言い放つ円は感じが悪い。
正直、腹が立っていた。だけど、この腹の底から湧き上がってくるような怒りは、たぶん、円に対してではない。それが余計に腹立たしい。
「それは、絶対にない」
怒りを殺すように喋ると、小さな声しか出なかった。お腹に力を入れると、喉が狭まる感じがした。
「え? 何て? ごめん、聞き取れなかった」
どうなでもなれ、と力を抜いた。
「白石愛海には、彼氏はいない」
地べたをはいずり回るような声が出て、自分でも驚いた。目を見開いて私を見る2人の眼から逃げたくて、グラスを両手で掴んだ。喉がカラカラだった。私の中から全部を出してしまったみたいだったのに、全然スッキリとしない。お世辞にも良い気分とは言えなかった。
梓に名前を呼ばれたが、顔を直視出来ず俯いた。円が梓に手の平を向けストップをかけるのが、視界の端に見えた。張り詰めた空気に身構え、私は固唾を飲む。喉の渇きが加速する。
「ユイ。彼氏以外に思い当たる人が居るの?」
「それは、居ない、けど。けど、彼氏じゃないよ、きっと」
どんどん声が小さくなっていく。最後の方はほとんど聞こえなかったと思う。
ため息が聞こえて、呆れられたと思った。垂れ下がった髪の隙間から2人を盗み見る。梓は困り顔で、円は横顔しか確認出来なかったが、小難しい顔をしている気がした。
やってしまったと思った。円よりも私の方が感じが悪いじゃないかと、恥ずかしくもなった。怖くて、顔を上げられない。
「分かった。残りの1通は彼氏じゃない体で話そうか。彼氏じゃないなら、そうだなぁ……担任宛とか?」
私がどうしようかと悩んでいる間に、円が何事もなかったように話を始めてしまう。
「なんで担任?」
梓も当たり前に返す。私だけがおろおろしていた。
「白石は自ら命を絶った。だから、クラスメイト宛に残したのかもよ? 代表として担任にって形にしたのかも」
「えー、私なら絶対クラス全員になんて考えない。仲のいい子だけで充分でしょ! 大人数に言葉を残すってなんか、こう、ほらっ、遺書が安っぽくなるじゃん」
私はまだ2人の会話について行けなかった。
「私はね、こう思うの。愛海には兄弟が居て、その大好きな兄弟に宛てた手紙だった! どう?」
「白石は一人っ子って本人から聞いたことあるよ」
「生き別れた兄弟がいるとか!」
「ドラマの見過ぎな」
気づけば、いつも通りの空気になっていた。
だけど私の戸惑いは消えていなくて、最後まで口を出すことも、空になったグラスを持ち席を立つ梓を引き留めることも出来なかった。
ドリンクバーで新しい飲み物を選んでいる梓を眺めていると、不意に円が「大丈夫だよ」と、声を掛けてくれる。
「知ってるでしょ? 梓はああ見えて、周りのことをすごくよく見てるよ。訊かないだけでね、梓も気づいてる。ユイが白石にこだわってること」
鼻の奥がツンとして、梓の方を見るのが精一杯になった。
「梓が……」
数分口を閉ざしていただけなのに、寝起きの時の、掠れた声しか出なかった。喉は乾燥しきっていたけれど、円と梓の気遣いのお陰で、気持ちが潤っていく。
「私も梓も長い目で見るよ。大丈夫、うんざりすることもあるかもしれないけど、結局ユイを嫌いにはなれないから」
どうして、そんなに優しいのだろうか。態度が悪かったのは私の方なのに。2人に話せないことがあると、2人は知っているのに追求することもない。
どうしてーー。
「どうして? どうして、2人とも問い詰めないの? 隠してることがあるって勘付いてて、それなのに、訊こうともしない。ねえ、どうして?」
「どうしてだろうねぇ。私にも分かんない。分かんないけどユイが必死だから、どうにかしてあげたいって思っちゃうんだよねぇ」
「何、それ……意味分かんない」
納得出来ずに、不貞腐れる。
「そんな顔しないでよ。本当に私もよく分かんないんだから。でも、ユイが今まで見たことないユイで、ほっとけないんだよね」
自分で言っておいて、うんうんと頷き納得している円を見ても、やっぱり納得出来なかった。
「とにかく、ユイが彼氏はいないって言うのなら、私達も彼氏の線は捨てる。まぁ、そうなると他の容疑者が浮かんで来ないわけだけど?」
何も言わずに黙って円を見ていたら「容疑者って言うな! って、ツッコんでよ!」と、言われた。
ジュースを注ぎ終わって戻って来た梓にこの一コマだけを目撃され、不思議そうに見られた。これにも納得出来なかった。
梓が注いできたカルピスを見たら、私もそれが飲みたくなった。メロンソーダを飲み干し席を立とうとしたが、スマホの通知音を聞いて動きを止める。
鯨井さんからだった。
テーブルの上に置いていたから円と梓にも、鯨井さんからの通知が見えている。名前を見て、3人同時に「あっ」と声を上げる。
「何て? 真白ちゃん何て?」
鯨井さんからのメッセージを見て、カルピスはまた今度だな、と思った。
「ごめん、私ちょっと行ってくる」
「えっ、行ってくるって何処に?」
メッセージを2人に見せる。
ーー今から愛海の家に行ってきます。
「私も、行ってくる。鯨井さんが白石の家から出てくるまで待ってる」
ごめんと謝ってファミレスを出た。背後から大声で「頑張れ!」と声援を送ってもらった。
2人を注意する店員さんの声も聞こえてきた。




