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不明瞭






 息を吐いてみた。白い息は出なかった。



 鯨井(くじらい)さんに待っていてほしいと言われてから約三週間。カレンダーを一枚捲って、九月とはとっくにお別れをしていた。



 あまりにも鯨井さんからの連絡がないものだから、こちらから連絡しようと根負けしてしまいそうになったこともあったが、「待つ」と言ってしまった手前、実際には行動に移せずにいた。



 何を待てばいいのか分からないまま、私はその約束を守りたいと思う気持ちだけで三週間もの間、 " 待つ " ということが出来ていた。



 でも、鯨井さんを一人にしていいのか? という不安もあった。私と別れたあと冷静になって、やっぱり白石愛海(しらいしまなみ)のことはこのままーーと思ってしまっているかもしれないと思ったからだ。



 人間は、一人になると冷静にもなれる反面、決断力が下がったりもする。



 それは、私も例外ではない。



 私の決断が折れなかったのは、山本の存在が思っていたよりも大きかったからだ。後悔の種類は違うが、私と山本は白石愛海(しらいしまなみ)に対して、異常に執着している。



 山本を見ていると、諦めきれなくなる。



 認めたくはないが、私は溺れている。



 認めたくはないが、私は山本のお陰で崩れずにすんでいる。



 鯨井さんにとって、私もそうでありたいと思ってしまった。



 支えになりたいのであれば、そろそろ連絡をしてもいい頃なんじゃないか? と、思う。思うのだけれど、やっぱり、鯨井さんのことを待つべきなのだろうか?



 紙パックのヨーグルトを飲み干して、ゴミ箱に捨てた。隣の校舎から鯨井さんの居るクラスの窓を見る。



 鯨井さんが毎日学校に来ていることは知っている。声は掛けなかった。



 灯りに群がる蛾のようには、なりたくなかった。



 話し合って、打ち明けあったことで、分かり合えたと勘違いしてはならない。浮かれて、「あともう少しだけ」なんて欲を出してしまえば、終わりだ。



 近づき過ぎたら、堕ちる。絶対に。



 昼間の空が暗くなる。足元には何もない。これはきっと警告だ。気を抜けば自分もああなる、という警告。



 カーディガンのポケットの中でスマホが震えた。鈍色が足元から消えて行った。実際の空は明るかった。



『渡り廊下、見ろ!』



 言われた通りにそこに目を向ければ、二階の渡り廊下に山本の姿が見えた。山本は身を乗り出す勢いで手すりを掴み、一階に居る私に大きく手を振ってその存在をアピールしていた。



 そんな友好的な態度を示す山本に対して、私は何事? と首を傾げ、眉間に皺を寄せる。極力、人前では絡まないのが私達の中での暗黙のルール。あんな風に人目をはばからず目立つ行動を、私相手に山本はとらない。



 山本がいつもと違う。



 何かを言っている。



 目を凝らして、その口の動きから何を言っているのか、解読を試みた。



 ーーそ、こ、に、い、ろ。



「そこに居ろ?」



 ーーえ、嫌だ。



 嫌だったから、いかにも分かりません、とさらに首を傾けて解読失敗のサインを出すと、今度は山本の眉間に皺が寄った。そして、視界から消えた。



 ーーあ、こっちに来る。



 そう思った瞬間、私は走り出した。



 山本が居た方向とは逆方向に、廊下を走る。目的地などない。山本から逃げ切ることだけを考えて、走る。



 走りながら顔だけ振り返って背後を確認した。山本の姿は見えなかったのに、物凄い速さで近づいてきている気がして、自然と走るスピードが上がる。



 追いつかれてなるものか。いつもと違う感じが不気味だ。仲のいい友達みたいで、気持ち悪い。鯨井さんの誤解は解けたものの、山本と親しげに話しているところを別の誰かに見られてまた勘違いされるなんて、まっぴらごめんだ。



「おーい、ユイー。どしたの? そんな必死に走って」



 校内を逃走中、(まどか)に出くわす。スマホ片手にいつも通り気怠げで、今の私とはまるで対極だった。



「円いいとこに! ちょっと(かくま)って。山本に追われてるの! あー! ほら、もう追いついてきた!」



 山本の姿が見えた。その必死の形相を見て、廊下に居る生徒達がわざわざ道をあける。山本ロードの完成だ。



 いいのに! そのままで! 道を作るな!



「円、ここでヤツを食い止め、って何してんの?」



 何故かスマホをこちらに向ける。ポロンッと音が鳴って、「あ、こいつ動画撮ってるな」と気づき、呆れた。



 悪ノリは円の大好物。私のこの状況、円が楽しまない手はないのだ。



 親友の手のひら返しと、生徒達が廊下の端に寄ったことで、私と山本の間に障害物は一切ない。四面楚歌。



 私はまた前を向いて走り出す。背後から「頑張れ〜、ユイ〜」と気の抜ける声援が聞こえたて、(いら)っとした。



「おいっ! 待てって、ユイ!!」



「嫌に決まってんでしょ! こっちくんな!」



 恐ろしい声が、もうそこまで迫っている。渡り廊下に目をやるんじゃなかったと、数分前の自分を恨んだ。



「待てって、言ってん、だ、ろっ!」



 腕を掴まれ、強制的に体を山本の方に向かされる。痛くはないが、簡単には振り切れないほどの力が掴む手に入っていた。



「もう! 何なの! 離して!」



「落ち着けって! つーか、何で逃げんだよ。ふざけんなよ」



「あんな顔で追われたら、誰だって逃げ出すわっ! 普通に、待ってって言ってくれない?」



「言ったけど! 待てって、俺言ったけど!」



「言ってない! あんたは待ってって言ってない。待ってと待ては違う!」



「似たようなもんだろ! マジふざけんなよな、全力疾走したじゃねーか」



 ふざけんなよ、はこっちの台詞だ。肩で息をする私と比べると余裕そうで、腹ただしい。この体力差が恨めしい。こっちだって全力疾走したんだからな!



 容赦なく腹パンをお見舞いしてやれば、うっ、とうめき声を上げてよろけた。腕が解放されたので、掴まれていた部分をこれ見よがしにさする。そうやって痛かったんですよアピールすれば、悪りぃと空謝(からあやま)り。山本は数ヶ月前と何も変わっていない。



「何なの? 話があるなら電話するとか、メッセージ送ってくれればいいでしょ? 学校内であんまり話しかけないでよ」



「直接会って話したかったんだよ。いーじゃねーか、少し話すくらい。大体、お前は何がそんなに嫌なんだよ。いっつも不満そうな顔しやがって」



 不満そうで悪かったな。あんたの発言のせいで、眉間の皺が一本増えたわ。これがここに定着したらどうしてくれるんだ。



「私達が急に会話する機会が増えたら怪しいって前にも言ったでしょ! 現に、鯨井さんには勘違いされてたし。誤解を解くこっちの身にもなってよね」



 それにこれは口に出さないけれど、周りに勘違いされるとか関係なく、何か、とにかく山本と学校内で違和感なく話している自分が嫌だった。



「はあああ、めんどくせーな、女子は」



「今の男尊女卑発言。うっわ、最低」



 一歩分後退る。眉間の皺が深くなった。睨みを利かせ、目でも距離を取る。



「あーはいはい、今のは俺が悪うございました。すいませんね」



「とりあえず謝っとけばいいって感じが、余計腹立つ。山本、あんた、人を苛立たせる天才だわ」



「お前もな」



 こいつはわざわざ喧嘩を売りに来たのか? いや、今はそんなことよりも、他の生徒達の目が気になる。



 顎をしゃくって、移動しようと合図を出した。不快そうに山本が頷く。後方で手を振る円が見えた。ため息一つ置いて、私は自分のペースで歩き出した。



 誰も私達のために道をあけたりしない。それにはほっとした。



「で、直接話したかったことって何?」



 山本が隣に並んで歩いていないことなんか、気にならない。



「それがよ、話したんだよ! 話しかけられたんだよ! 鯨井の方から、俺に! 話しかけて来たんだよ!」



 急に目の前に飛び出して来たかと思えば、ビックニュースだと、両手を広げてその驚きと喜びを表現して来た。馬鹿っぽい表現の仕方だった。



 でも鯨井さんと初めて話せた時、私も頭の中が騒がしくなったから、その気持ちが分からなくもない。



 相手がどうしても話したかった相手ときたら、尚更だ。



 多少、大袈裟に驚いてやろう。



「凄いじゃん! それで、鯨井さんは何て?」

 


 隣に並び、山本を見上げながら歩いた。期待の眼差しで、見る。



 落として来たため息は、無駄にならなかったようだ。



「今まで避けてごめんってよ。ユイから話は聞いた、それで、自分も愛海と向き合いたい、出来ることがあれば協力するってよ! 凄くね? なあ、凄くね?」



 明るい声は、周囲の音に溶け込んでいた。私達はもしかしたら、私が思っているよりも、周りからは " 友達 " に見えているのかもしれない。



 山本と鯨井さんが話した。それはとても嬉しいことだ。けれど、何だろう、この鈍色の空みたいな気持ちは。



 ずっと望んでいたことで、こうなるように動いて来た。二人が話せたのなら万々歳なのに、晴れない。



 いつも不満そうだと、山本は言った。



 そんなこと言われなくても、分かってる。



 素直に「凄いね」と返せば、()(さら)な笑顔で嬉しそうに「だろ?」と言う。



 本心で凄いと言っているのに、私が言うと胡散臭い言葉になってしまうのが、嫌だった。



 私が一方的に山本と距離を保っているのは、山本と比較して嫌な自分が浮き彫りになるを、実感したくなかったからなのかもしれない。



「久しぶりに話してさ、何かちょっと気まずくて……愛海(まなみ)は鯨井と親友だったから、いきなりは、その、愛海のこと踏み込めなくてよ。とりあえず、連絡先だけ交換して来た」



「あんたにしては、随分慎重だね」



「だってよ、せっかく愛海のこと協力してくれるって言ってくれたんだ。あんなに俺のこと避けてたやつが。ガツガツ行って距離をとられたら、また愛海から遠くなる。それは絶対に嫌だ」



 足元を見ながら前向きな発言。器用だ、山本は。



 同じところを見ていても、私とは見方も捉え方も違う。



 鯨井さんと話したと言うのに、白石(しらいし)の名前ばかりを呼ぶこの男は、本当に白石愛海を中心にして今も生きているんだ。



 曇った眼で斜め下から冷たい視線を送っても、気づきもしない。だからって、不満を隠すつもりもない。



「あんたのそーゆうところが、鯨井さんは苦手だったのかもね」



「は? 何、どーゆうこと? そーゆうとこって、どーゆうとこだよ。ちょっとそこらへん詳しく説明しろよ」



「自分で考えろ、バーカ」



 鯨井さんの立場からしてみて、山本はどんな人間なんだろう? 勝手に相関図を作り上げてみたけど、自分の感覚からいくと、山本は厄介な登場人物でしかなった。



 それでも必死な人間を否定出来ない。仲介役なんて柄じゃないけど、白石愛海を知れるなら、私はその立ち位置でいい。



「分かるわけねーだろ。俺は客観的にとか、そーゆうのは苦手なんだよ」



「だろうね。だからバカなんだよ」



 友達でもない人間の背中を押してやろうなんて思わない。馬鹿に付ける薬はないし、どうせなら蹴り飛ばしてやりたいくらいだ。



 力一杯蹴り飛ばしてやりたい。それが出来たら、私の不満も少しは減るかもしれない。まあ、流石に実行に移すことはないだろうけど。……たぶん。



「バカバカうるせーな。わかんねーもんは、わかんねーんだよ、バーカ」



 隣のうるさいやつは無視して、一つ不安が消えて良かったと、一人胸を撫で下ろす。約束通り知ることに向き合おうと、鯨井さんは勇気をふり絞って行動してくれた。



 これで堂々と話し合える。



「それよりあんたさ、鯨井さんにちゃんとごめんねとありがとうを伝えたんでしょうね」



「あー、ありがとうは言った。ごめんは……うん? 何でごめん?」



「追いかけ回して怖がらせたことへの謝罪よ、バカ。しょっちゅうあんたみたいのに追いかけ回された鯨井さんが、可哀想でならないわ」



「失礼なやつだな。人をタチの悪いストーカーみたいに言いやがって。お前も似たようなもんだからな」



 ぐっ、ぐうの音も出ない。ある意味私も鯨井さんのことを追いかけ回していた。けれど、恐怖心は与えていない自信はある。私のはギリギリセーフラインだ。



「それにしても、ほんっっっと良かったー」



「ちょっと! 急に立ち止まらないでよ。ビックリするじゃんか」



 腰を曲げ、両膝に両手を置く姿勢で急に立ち止まり、話が変わる。「っ」を三つ、本当という言葉を強調し破顔した。「良かった」にのせて、安堵感が広がったことが不思議でならなかった。



 よかった? 一体何が? こいつ、やっぱり今日はどこかおかしい。

 


「俺、鯨井は愛海のこと嫌ってるのかと思ってたからよ、愛海が亡くなったことにあいつが何も感じてなかったら、どうしようかと思ってた。昔のことかもしれねえけど、親友だったやつに何も思われないなんて、なんか……痛えじゃん」



 山本の目を盗んで、右手を心臓のある場所に置いてみた。キリキリ痛む。私のこれは、(やわ)い痛みだ。経験したことないものを想像だけで解ろうとする、浅はかな行為。



 ーー人は二度死ぬ。



 山本の [ 痛い ] は、二度目の死を意味しているのだと思う。そして、親友だった人物の記憶から白石愛海が忘却されてしまうことを危惧していたのだろう。



 白石を忘れないでいてほしい。



 亡くなってしまった白石を想って出来ることは、彼女の知人達が、彼女を忘れないでこれからも生きて行けるようにすることーーそれが山本の、白石愛海にしてあげたいことなんだろうと思う。



 本当にお人好しというか何というか、馬鹿なやつだ。



 白石愛海が山本のこういうところに、ちゃんと気づいていてほしいと思った。気づいてくれていたら嬉しい。



「大丈夫だよ。鯨井さんはこれから先も一生、白石のこと嫌いにならないよ。根拠なんてないけど、大丈夫だよ。むしろ、ずっと大好きなままだと思う」



 それに、もし鯨井さんが忘れてしまったとしても、私も山本も忘れないから、白石愛海は死なない。そうでしょう?



「何か不思議だな。ユイにそんこと言われる日が来るなんてよ。最初はよく分かんねえやつだと思ってたけど、ま、今もよく分かんねえけど、お前は意外と情に熱いやつだ」



「熱血キャラみたいで嫌なんですけど、その言い方」



「つまり、さんきゅってことだ。鯨井にもあとでちゃんと謝罪しとくわ。話したかったのはそれだけだ。悪かったな、校内で話しかけて、じゃあな」



 手を上げて去ってゆく山本の背中に、声を掛けたかった。だけど、声を掛けることはなかった。



 何だかむず痒くて、やっぱりその背中を蹴飛ばしてやりたいと思った。



 私は来た道を戻った。



 あとで私からも鯨井さんに「ありがとう」と、一言メッセージを送ろうと思った。



 そして、白石愛海から鯨井さん宛に書かれた手紙が存在するということを、伝えようとも思った。
















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