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相対







 鯨井(くじらい)さんは私を避けるようなことはしなかった。学校の廊下で見かけた時も、目があってもそらされなかったし、なんなら軽く頭を下げてくれたくらいだった。山本のように避けられたらどうしようという悩みは、一日で解消された。



 だからと言って気兼(きが)ねなく話せる関係性でもないから、話し掛けるタイミングを見計らっている。タイミングは大事だ。昨日やらかしたばかりだし。……やらかしたのは私じゃないけど。



 昼休み、鯨井さんのクラスまで行ってみた。教室の入り口から彼女の席を確認したが、そこにその姿はなかった。知らないと言われるだろうなと思いながら、一応近くにいた生徒に鯨井さんが何処(どこ)に居るか知らないか聞いてみたが、案の定知らないと言われてしまった。



 仕方ない、探すか。



 昼休みと言えば購買か自販機だろう。真っ先に購買へ行ってみたがそこにも鯨井さんの姿は見当たらず、次に自販機のある場所へ向かった。この二箇所以外に思い当たる場所がないから、「頼むから居てくれ」と念じながら廊下を歩いた。



 けれど、こういう願いは大概叶わないものなのだ。



 ーーほらね。三台並ぶ自販機の周りには鯨井さんどころか、人っ子一人いない。賑やかな声が校舎の中から聞こえてくる。それが背中に命中する。痛いし、うるさい。



 このままここに、ほんの少ししかなかった期待を置いていくことも出来ず、「鯨井さんに会わせて」と懲りずにまた念じた。念じることしか出来なかった。



 喉が渇いているわけでもないのにアセロラジュースを買って、校舎の中に戻った。苛々しながらペットボトルキャップを回したせいか手が滑り、キャップが勢いよく床に落ちる。幸いにも中身はこぼれ落ちなかったが、それを飲んで心が落ち着くことも、なかった。



 苛々が、積もる。



 消えろ。



 カラオケで熱唱する。美味しい物を食べる。買い物へ行く。これが(まどか)から教えてもらったストレス解消方法だ。教えてもらっておいて何だが、どれもありきたりだし、それを実行している自分を想像するだけで苛々してきてしまった。



「末期ストレスだわ」



「どんなストレスだよ」



「これ以上ないってほどのストレスを抱え込んでて、ストレスの沼から抜け出せない状態」



「あー……お大事に? ってゆーかさ、鯨井真白(くじらいましろ)が見つからなかったから苛々してるんじゃないの? 違うの?」



「そうなんだけど、それだけじゃないんだよ」



 はっきりしない私の言いように、円は明らかに面倒臭いって顔をする。うん、私も面倒臭いこと言ってるって自覚はある。



「他にも要因があるんだよ。元々あった苛々に、さらに上乗せされてる。最悪」



「その " 元々 あった苛々" ってのは、何が原因なの?」



 それが分からないから困っているんだ、と目だけで訴えた。ため息は出なかったけど、それもストレスと一緒に蓄積されていってる気がする。



 ストレス解消の方法なんてない。だけど、自分のするべきことは分かっているつもりだ。鯨井さんと話さなきゃ。ホームルームが終わったらダッシュで彼女の元に向かう。ストーカーまがいの行動も、今回だけは許してほしい。



「苛々のことは一旦置いといて、鯨井さんとはいい感じなの?」



「まあ、ぼちぼち。山本みたいな扱いを受けないように気を付けなきゃいけないけど……」



「ユイまで避けられたら、またイチからのスタートだもんね。それだけは避けたいなぁ」



 見た目では夏空なのか秋空なのか区別のつかない空を、円は目を細めて窓越しに見つめた。私もぼんやり空を見た。季節が変わって、私も変わった。それなに、白石愛海(しらいしまなみ)には、一向に近づけない。



 冬が来て、年が明ける。あっという間に白石愛海の命日がやって来る。納骨する時が、来てしまう。それに間に合わせなければ、本当に白石愛海とは会えなくなる。



 寂しいか、と問われれば、分からないと答える。



 悲しいか、と問われれば、分からないと答える。



 きっとその時にならなければ、分からないと思う。



 会うのは正直怖い。そのくせ会わないまま終わるのも怖いのだ。だから、山本が無理矢理にでも私を白石愛海の所まで連れて行ってくれることを、願っている。山本を理由(いいわけ)にして、白石愛海に会おうとしている。何て虫のいい話だ。



 人間の上っ面の言葉は、心に刺さらない。たかだか十年ちょっとしか生きていない私みたいなクソガキでも、それは分かる。私が心を動かされた時に共通していたのは、いつも、人の『誠実さ』だった。



 不器用だろうが不恰好だろうが、裏表のない心のこもった対応が何よりも、この心を動かした。不器用であればあるほど、その人間の誠実さを見ることが出来て、信頼出来た。



 萌香(もえか)達にしたような後味の悪い嫌なやり方で、鯨井さんと話したくはない。もう間違いを犯したくない。はっきりと伝えたい。本当を、聞きたい。



 私はもう、限界だった。




 ホームルーム終了と同時に教室を出て、人目も気にせずに走った。思うように足が前に進まない。運動不足で(なま)けきった体が憎らしい。会って話したいという気持ちが先走って、階段を踏み外しそうになる。すんでの所で手すりを掴み、何とか持ち堪える。



 教室から出てくる生徒達の中から、たった一人を見つけ出さなければならない。顔を上げ、足に力を入れ、また走った。今まで散々観察してきた相手だから、ぱっと見で鯨井さんが分かる。だからその分、人が多くても見つけるまでの時間のロスがない。



「鯨井さんっ! 鯨井さんっ! 待って!」



 突然大声で名前を呼ばれた鯨井さんが、驚いて振り返る。周りにいた鯨井さん以外も、驚いて振り返ってくる。それを見て、荒い息の合間に苦笑いがこぼれた。



「ユイちゃん、そんなに慌ててどうしたの?」



 鯨井さんの顔を見たら、今日一日あなたを探してたんだよ、とは言えなかった。用意していた言葉も同時に消えた。必死な自分に、笑いそうになった。



「ちょっと話があって……一緒に帰らない? 帰りながらでいいから、話がしたい」



 鯨井さんはあっさり「いいよ」と言う。思わず拍子抜けしてしまう。振り返って来た鯨井さん以外の生徒達は何事もなかったかのように、とっくに動き出していた。



 息を整え、鯨井さんの隣を歩きながら下校中の生徒の数が減るのを待った。さっき消えてしまった言葉を探し集めつつ、本題への誘導のため、しっかりと会話を続ける。



 そして、言い聞かす。誠実に、誠実にーーと。



 学校を出て十分ほど歩けば、私たちの周りには誰もいなくなっていた。もういいかな、と話を始めようとしたら、意外にも昨日のことを話し出したのは、鯨井さんの方だった。



「昨日はごめんね、いきなり帰っちゃって。驚いたよね? あんな、いきなり……私、挙動不審だったでしょ?」



「驚いたけど……うん、でも、今までの山本への対応を見てたら、まあ、あんな感じになっても不思議じゃないというか……」



 校内での山本と鯨井さんの追いかけっこが、脳裏に浮かぶ。いつまで経っても鯨井さんと会話の出来ない山本が不憫で、それに同情しつつも、項垂(うかだ)れている情けない山本のことも思い出してしまい、笑いそうになった。



 笑いそうになったけど、私もああなる可能性が大。やばい、人のこと笑ってられる立場じゃない。誠実に、誠実に。



「ユイちゃん、知ってたんだ。私が山本君のこと、避けてること」



「うん、見てたし、山本から聞いてたから……」



「そっか……ユイちゃんは山本君と仲が良いんだね」



 何を勘違いしているのか、私と山本の仲が良いだって? ない。ないないないない。それだけは、ない。やめてくれ、その勘違い。



「あのね、鯨井さん、私と山本は別に仲良くなんてないからね? ただのクラスメイトだからね? クラスが一緒ってだけだからね?」



 必死に否定すればするほど、鯨井さんからしてみれば、怪しい、が増すということをこの時の私は気づいていなかった。無論、必死すぎて、だ。



 でも、だって、仕方ない! 山本と仲が良いなんて、絶対にそんな風に思われたら嫌だったから。何をどう見たら私達が仲良いという結論に達するのか、教えてほしい。



 私は山本じゃなくて、鯨井さんと仲良くなりたい。



「でも山本君、ユイちゃんのこと『ユイ』って名前で呼んでたじゃない。仲良くないのに呼び捨てにしたりする?」



「そこかっ!」と、心の中で声を大にして突っ込む。それが勘違いの原因だったのか! と。



 鯨井さんは勘違いをしている。盛大な勘違いを。山本が私のことを『ユイ』と呼ぶのは、決して仲が良いからじゃない。



 その理由(わけ)を告げようとして、「それは!」と声をあげようと鯨井さんの前に出た。



 ーーというのに、鯨井さんがすごく悲しそうな顔をしていたから、何も言えなくなった。



 勘違いとか誤解とか、今はどうでもいいと思わせる。その表情の理由の方が、私は気になる。



「鯨井さん、あのね。私ね、山本と一緒に『白石愛海(しらいしまなみ)』の死の真相を調べてるの」



 用意していた言葉は一言も出てこなかった。この時のために考えていたのに、全てが水の泡になった。声が震えた。だけど、誠実だったと思う。



愛海(まなみ)の……」と色のなくなった鯨井さんの唇から掠れた声が漏れる。



 ぐにゃりと歪む彼女の顔を前にしても、言ってしまったことに後悔はなかった。



 何故かこんな時に、秋の匂いを感じた。











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