遭遇II
鯨井さんは甘いものが苦手らしい。
甘いものが苦手な女の子って本当にいるの? と、彼女本人の口から聞いたあとも信じられなかったが、真っ赤な激辛麻婆豆腐を美味しそうに頬張る姿を目の当たりにしてしまっては、信じるよりほかなかった。
小さな口の中に次々消えていく麻婆豆腐。生でフードファイターの戦いを観ているみたいな感覚。ギャップが凄い。でも、流石美少女。首筋を流れ落ちる汗さえも美しい。
彼女の鞄の中から " My七味 " とかヤバイものが出てこなかったことに、とりあえず安心。そんな光景は画面越しで見るくらいがいい。
「鯨井さん、お冷のおかわりいる?」
「うん、欲しい。ありがとう」
彼女のグラスに水を注ぐ。ついでに自分のにも。
「甘いの苦手って言ってたけど、そんなに辛いのが好きだとは思わなかった」
「よく驚かれる。昔、仲の良かった友達に『甘いもの苦手なんて人生損してる』って言われたことがある」
「私の友達で全く同じこと言いそうな子がいる」
「本当に?」
「うん。あの子なら絶対に言う」
不思議と私達は " 合う " 。見た目も性格も似ていないのに会話のテンポとか、こう、何て言うのだろう、空気感? みたいなものが近い気がする。
「ごめんね、お茶しようって誘ってくれたのに、甘いもの苦手で結局定食屋さんにしてもらって」
「いいのいいの。そんなの全然気にしてないから。それに、私のバイト先の売り上げにも貢献してるから」
厨房の中から衛藤さんが興味津々な様子でこちらをチラチラ見ているのは、気になるが。突然の美少女登場に驚いているのか、はたまた私に円と梓以外の友達がいたことに驚いているのか、どちらにしても観察されるのはいい気がしない。見せ物じゃないんだから、仕事をしろ、仕事を。
「美味しいね、ここの料理。また今度来ようかな」
「来て来て! 私のシフトが入ってる日に」
「うん、そうする」
少なくなった麻婆豆腐をかき集めている姿を見る日がくるなんて、想像出来なかった。
もっと、もっと時間が必要だと思っていたのに。
誤算だったようだ。いい意味で。薄い割に芯が太くて強い氷をまとっていた鯨井さん。彼女の周りにあった薄氷はいつの間にか溶けてしまっていて、一歩近く度にいつ亀裂が入るかなんて心配をする必要も、もうなくなっていた。ある程度関係を持ってしまえば、冷たいとは、思えない。
逆に、彼女から見た私はどうなのだろう?
第一印象は可もなく不可もなく、と言ったところだったと思う。だけど、私も冷たいと人から距離を取られるタイプの人間だ。彼女から見た私の周りにも、バリアに似た薄氷が存在していたのかもしれない。
石橋を叩いて渡るように、用心深く近づいて行った私。一向にその心が読めず、どういう心境で私と連絡を取り合っていたのか分からない鯨井さん。顔を合わせる数も少なかった。それを補うように文字を紡ぎ、手繰り寄せ、たまに緩ませながら近づいて来た。警戒心も消えてしまった現在、互いに互いの足元は水浸しになっているのだろうか?
氷が溶けたあとは、どうなる?
ーーどうする?
先のことはどうすればいいのか分からない。目的地までの道のりを教えてほしい。この際、それが遠回りでも近道でも、文句は言わない。
椅子の上に置いた黄色の派手な袋の中身ーー精神安定剤が私達を結びつけてくれている。頼れるものは、他になかった。
「ねえ、鯨井さんはこの歌手のことどうやって知ったの?」
手を伸ばし、CDの入った袋を触る。鯨井さんの視線を感じる。
「……えっと……仲の良かった子が好きでね、その子の影響で私もどっぷりハマっちゃったの」
「へえ、そうなんだ。……その子ってさ、『甘いもの苦手なんて人生損してる』って言った子?」
「……うん、まあ」
明らかに顔が曇った。
仲が良かった子。過去形。たったひとつの条件が合っただけで、白石愛海が浮かび上がる。無理矢理にでも結びつけようとしてる? それもあるのかもしれない。慎重に行きたいし、そうしてきたつもりだけど、常に焦りが隣り合わせにあった。
「私もね、人の影響でこの歌手のこと知って、曲を聞くようになったの」
「ユイちゃんは、その子とも語り合えていいね。……いいなあ……私には、もう、いない……」
目を伏せた鯨井さん。「もう、いない」とその一言が床に落ちる。この痛みを私は知っている。こんなにも痛いのに、誰も気づいてくれない。小さな音は、簡単にかき消されてしまう。私以外には、この想いを拾ってあげられる人は、いないのだ。
どんな終わり方をしたのか知らないけれど、鯨井さんは白石愛海のことが好きだと、それだけは分かった。だって、こんなに寂しそうで、悲しそうなんだから。好きな人、大切な人にしか向けられない目を今、彼女はしているんだから。
だけど、その視線の先に求める人は、いない。
ああ、これじゃあ、まるで山本と一緒じゃないか。
山本もそうだった。描く先に白石愛海がいないという認めたくない確かな未来が、ずっと続いて行く。その恐怖と絶望を抱えて生きている。
[ 焦り]が隣り合わせだった私と違い、ふたりは常に[ 好意 ]を手放せなかったのだろう。
伝わってくる。間違いなく、鯨井さんは白石愛海のことを大切に思っている、と。
[友達だった]なんて、言わせたくない。胸を張って[友達だ]と言ってほしい。白石愛海はもういないけど、今更遅いのかもしれないけど、一生このままじゃ駄目だ。和解は望めなくても、一方的に伝えることは出来る。自己満足だと誰かが言っても、私は違うと言ってあげたい。無意味なことなどない、と。
「あのさ、これからは私に話せばいいよ。私もこの歌手のことをもっと鯨井さんとも語り合いたい」
「……ありがとう。嬉しい。私、熱く語りすぎて引いちゃうかもしれないけど、いいの?」
「今更? もう弾丸トークには慣れたよ」
冗談っぽく言えば、「慣れたなんて、ヒドイ」と冗談っぽく返ってきた。本気で言ったことだけど、冗談で受け止められても、かまわない。鯨井さんの痛みを少しでも和らげてあげることが出来るのなら、それでいい。山本と同様に、救ってあげたいと思ってしまった。
「感謝しなきゃね」
「? 何に?」
「この歌手に。だってこの歌手がいなきゃ、私達こんな風になれなかったでしょ? それと、この歌手のことを教えてくれた私の知り合いと、鯨井さんの友達にもちゃんと感謝しなきゃ」
「……そうだね、感謝しなきゃだね」
向かい合って座っているけれど、鯨井さんの肌に直に触れられた気がした。冷たくも、熱くもない人肌だった。彼女は何処にでも居る、ごく普通の女の子だった。
私は、この時初めて鯨井さんと本心から話すことが出来たんだと思う。使い古された安っぽい台詞になってしまったけれど、感謝しようと言ったことに、嘘偽りはない。
私は、アミに感謝しなきゃいけない。
ご飯を食べ終えて店の外に出ると、空は夏の夜と変わらない明るさをしていた。星達が現れるまであと三十分は掛かりそうだった。
駅まで一緒に帰ることになって、ふたり並んで歩いた。友達とはっきり言えない関係がもどかしくて、「ねえ、ユイちゃん」と鯨井さんに話しかけられるまで、つい足元を見て歩いてしまっていた。
「ユイちゃんさっき『この歌手を教えてくれた私の知り合い』って言ってたけど、その子とは友達じゃなかったの?」
小石を蹴飛ばす。
「友達、ではなかったかな。知り合い以上友達未満だったと思う」
「何それ」と言われると思っていた。だけど、鯨井さんは迷うことなく「あっ、何かそれ分かる」と言った。まさかこんなにあっさり理解されるとは。
でも、この話の流れは良くない。脳内でこの先の会話が勝手にシミュレーションされる。「私達って、友達なの?」という聞く方も、それに答える方も勇気のいるフレーズに脳が支配されてしまった。
私から聞くべき? 鯨井さんから言われるのを待つべき? それとも話題を変えるべき? ーーうん、やっぱり口には出さない方がいい。修復不可能な関係になってしまうのは、怖い。
ごめんね、鯨井さん。鯨井さんのこと利用したくないと思ってたけど……今もそう思ってるけど、頼みの綱はもう鯨井さんしかいないんだよ。鯨井さんと仲良くなって、信頼してもらって、そうやって白石愛海に近づくしかないんだよ。騙してるみたいで嫌だけど、そうすることしか私には出来ない。
全てが終わったらちゃんと全部話すから、それまで気づかずに騙されていてほしい。
ごめんねーー。
心の中で謝罪。口には出してないはずなのに、鯨井さんが立ち止まった。三歩ほど私の方が前に出ている形になる。
「鯨井さん? どうしたの?」
振り返り、声を掛ける。鯨井さんは石のように固まっていた。私に見向きもしない。ただ前を見て、目を見開いていた。
「ユイ……」
最近すっかり聞き慣れた声が前方から聞こえ、顔を前に向ける。
「……山本」
山本がいた。
何故ここに山本が、と私が口を開くより先に山本は私の腕を掴んで、鯨井さんから距離を取った。余程焦っていたのか、力加減も知らずに引っ張る馬鹿に「痛いっ!」と文句のひとつも言ってやりたかったが、そんな空気じゃなかった。
「何でお前鯨井と一緒にいるんだよっ! どういう状況だよコレっ!」
「たまたま会って、一緒にご飯食べてた」
「説明になってねーよっ! 知り合いだったのかよ鯨井と」
「うん、まあ、頑張った?」
「頑張った? って何だよそれ! 全然説明になってねーって!」
小声の言い合いだったから鯨井さんには聞こえていないと思うけど、ずっと固まったまま私達ふたりの様子を後ろで見ている。
というか、何故固まる?
「あっ、そっか、山本避けられてたんだった……」
「は? 今更?」
「話しかけてみなよ! 今ならイケんじゃない?」
山本の背中をグイグイ押す。仕返しじゃないけど、力一杯押してやった。「ちょっ、待て待てっ」という焦った声も、都合良く出来た私の耳には入ってこない。
鯨井さんの前まで山本を押しやって、会話が聞こえる距離に立ち、ふたりを観察する。良い位置取りが出来たと思う、のだがーー、
「ごめんユイちゃん! 私、先に帰るね!」
そう言って、鯨井さんは駅とは逆方向に走って行ってしまった。
一瞬の出来事に、私と山本は立ち尽くすしかなかった。
「マジか……」
「埒があかない……。あんた本当に何したの? あんなに逃げられるなんて、余っ程のことしたんじゃないの?」
「だから、そんなことした覚えがねーんだよ!」
「あんたデレカシーってもんがないから、気づかないうちに鯨井さんの嫌がることしてたのよ! きっと! 絶対!」
「はあ? 決めつけんなよ! デレカシーがないとかお前に言われたくねーよ!」
「はあ? 私がこんななのは、失礼なやつに対してだけだから」
「俺が失礼なやつだって言いたいのかよ! ……って、やめよやめよ。アホらしくなってきた」
「……だね、馬鹿みたい私達」
しょうもない小競り合いをしている間に、鯨井さんの姿は見えなくなっていた。シン、と静まり返った住宅街にふたり取り残されたことで、冷静になる。振り返ってみれば、本当に子供じみた言い合いだったなあ。山本といると精神年齢が下がる。恥ずかしい。
「ってゆーか、あんたタイミング悪すぎ。狙ってんの?」
「狙ってねーよ。偶然だろ。……じゃなくて! お前何で鯨井と知り合いなんだよ!」
「だーかーらー、頑張ったんだって! どっかの誰かさんが頼りないから、アクションを起こしたの!」
「まじか……お前結構やるな! っで、どーだった? 手紙のこととか聞けたのか?」
「それは……まだちょっと、聞けてない」
肩をすぼめる。頑張ったと言ってしまった手前、まだ何も分かっていないと言うことが、悔しかった。偉そうに山本のことを責められる立場じゃなかった。
「そっか、悪りぃ。やっぱタイミング悪かったみたいだな、俺。もしかしたら、今日聞けたかもしれねーのに。あー! やっちまったー!」
素直に謝られて、何だか気持ち悪い。山本は両手で髪を乱暴にかき混ぜ、自分を責めている。私の方が悪いことをした気分になるから、出来ればその仕草はやめてほしい。
「また明日学校で話しかけてみるよ。だからそんなに落ち込まないでくれる?」
ヤンキー座りで座り込み、項垂れた山本の頭を軽く叩く。自分自身にも気合を入れる。空を見上げれば、一番星が光っていた。




