浮生III
父から借りたタブレットをローテーブルの上にセットして、その時を待っていた。
気持ちを昂らせるために、同じ歌手の曲ばかりをリピートして聴いている。せっかくライブに参戦するのだから全く知らない、よりも全曲口ずさむことが出来る、くらいの感覚になっていたかった。何日も前からそうやって準備してきた甲斐あって、気に入った曲は歌詞を見なくても歌えるようになっていた。
夏休み最終日。
そんな日にライブ配信をする。最後の最後にとっておきのプレゼントを用意していた、みたいな、そんな粋な計らいが素敵だ。
私のように優雅に時間の経過を味わう者もいれば、今頃夏休みの課題に追われている者もいるのだろう。必死になって課題に取り組む学生達の姿をのんきに想像する。秒でやめた。しょうもない。
二本用意したうちのラムネを一本開ける。ビー玉が瓶のくびれがある部分まで沈むと、シュワッと炭酸の抜ける音がする。この瞬間が好きだ。無数の泡が生まれ、みるみるうちに消えていく。花火と同じ。儚いから、美しい。私は花火よりもこっちの方が好き。炭酸は嫌いなくせにこれを見たくて、つい、いつも手に取ってしまう。
それにしても、一本で充分なのに何故二本も用意してしまったのか。
「……浮かれてんな」
そう、浮かれている。でも、こういう時はいつもと違って大胆になれたりするから、あり、だとも思う。
ベットに寝転びながらスマホをいじる。鯨の人形がアイコンになっている人物にメッセージを送る。
『もうすぐ始まるね! 楽しみすぎて、かなり前からスタンバってる!』
浮かれているのが丸分かりなちょっとキャラじゃない文章がくすぐったいが、相手は私を遙かに上回った熱い気持ちをぶつけてくるだろうから、どっちのテンションがおかしくてもなんの問題もない。
胸の上にスマホを置き、目を閉じる。すぐに振動を感じて、スマホを見る。
鯨井さんからだ。
『私も大分前から待機してる。今日新曲初披露するらしいから、やばいっ』
「やばいっ」で締めくくられた文章。何がやばいのかそれを指す主語はないが、「やばいっ」と言う彼女の気持ちが分かってしまう。
私の何倍も浮かれている。ずっと上の方にいる。風なんかに流されることない意志の強さを持っているくせに、真っ直ぐ上へ、上へ、と飛んでいける軽やかさも兼ね揃えている。
心酔もここまでくると、羨ましい。
一度でいいからそんな風にどっぷり浸かれる何かに出会いたい。もし、その何かに出会えたら、私の世界は変わるのだろうか?
花火やラムネの炭酸のような一瞬の煌めきではなく、「らしく」生きられる世界で少しでも長く生きていたいと思うようになったのは、最近のこと。
一瞬じゃない一生を。
命に、生きることに対して、貪欲でいたい。
これは世界じゃなくて、私の思考が変わった、ということだよね? 思考の変化なんて自分以外の誰にも分からないもだから、喜んでいいのか迷う。こういう時は円と話したくなる。
胸が震える。
『カウントダウン始まった!』、『またあとで!』と続けざまにメッセージが届き、体を起こす。タブレットを見れば、大きな数字が映し出されていた。
視聴者数がぐんっと伸びだし、カウントダウンの数字が小さくなっていく。ローテーブルの前に座り込んでボリュームを上げる。
夏の思い出が、また更新される。容量が足りないかもしれない。
数字がゼロになると、ステージを薄らとブルーのライトが照らした。歌手のシルエットが浮かび上がるが、スモークが漂っていて顔は見えない。あまり顔出ししないミステリアスなその歌手らしい演出だ。
目を凝らした。耳をそばだてた。イントロを聴いて、どの曲か分かった。セットリストは知らないから、私の好きな曲を今日歌うのかどうかは、もちろん知らない。
息を吸い、音に言葉を乗せる。男性とは思えない高音が響く。その立体感のある歌声に、鳥肌が立った。ブレスさえも、歌詞のように意味を持つものに変わる。
歌を聴きながら、カラーボックスの上に飾った自分で描いた絵を見る。
ーーユイちゃんはどうしてあれを選んで描いたんだい?
おじいさんの質問が蘇る。
あの日、円は風鈴を見て金魚の絵を、梓は自分達で収穫した野菜の絵を、私は、虹の絵を描いた。
虹と言っても、ただの虹じゃない。私が描いたのは水たまりに映った虹だった。おじいさんはたぶん虹ではなく、何故 " 水たまり " に映った虹、だったのか知りたかったのだと思う。
私自身も知りたかった。何故ただの虹を描かなかったのか、と。ずっと考えていて、ようやく分かった。
そうだ、私はずっと下を向いていたんだ。下ばかり見ていたから、水たまりに映った虹、だったんだ。現在の私なら、空にかかる虹を描くことが出来るのだろうか?
ライブはノンストップで進行し続ける。私は過去の自分を振り返る。歌は私の心境に寄り添ってくれない。音響に反応してラムネの炭酸が新たな気泡となって沸き上がる。
鯨井さんはどんな気持ちでこの曲を聴いているのだろうか? 生死について歌う曲を聴いて、白石愛海のことを思い出したりするのだろうか?
ライブの終盤に差し掛かった頃、タブレットを持ってベランダに出た。月明かりを頼りにそれを観る。アミを思い出し、ボリュームを上げる。夜空にはやっぱり弱々しい光を放つ星しかない。月が孤独に見えた。
夏が、終わってしまう。
九月一日。夏休み明けは、一年のうちで最も自殺者数が多いらしい。
今、この瞬間に " 死 " を選択する人がいる。
夜の、この暗闇にのまれて命を絶つ人が。
不思議と夜は孤独が増す。自分の弱さが形となって現れて、耐えきれなくなり夜明けを待たずに、逃げ出すんだ。
ーー逃げる? 違う。自分で自分を殺すなんて、簡単なことじゃない。本当に、本当に怖いに決まってる。逃げ出したんじゃない、勇気を振り絞ったんだ。勇気を振り絞って、みんな、死ぬんだ。
怖かっただろう。痛かっただろう。悲しかっただろう。やるせなかっただろう。
白石、あんたはどうだった?
今際の時を、どう感じた?
あんたが死を選んだ日も、こんな夜だった?
決して返ってこない返事を待った。
美しいバラード曲が流れ始める。聴いたことのない曲だったから、これが鯨井さんの言っていた新曲だろう。
どうか、この曲が届きますように。
どうか、彼女が最期の時を絶望の中で迎えていませんように。
流れ星は流れないし、神様だって信じていない。何にすがり、祈ればいいのか分からないまま祈った。祈らずにはいられなかった。
どうか、一人でも多くの人がこの夜を越えられますように。
『またあとで』と言ってくれた知り合い以上友達未満の彼女からの連絡を待っている間は、独りじゃない気がした。
だから私は、変わらず明日を迎えられる。




