浮生II
何故彼女は自殺したのか、何故彼女は友達に遺書を書いたのか、いくつもの "何故" が生まれる。
厚さ数ミリの手紙にどれほどのことが書かれているか、それを知るのは目の前に座る同級生だけ。手紙を読んでみたい。だけど、その手紙は萌香に宛てて書かれたもので、私が触れることは許されないものだ。仮に萌香が読んでいいと言ったとしても、私は拒否する。
手紙には触れられない。ただ、萌香の話は聞く。萌香が手紙の内容を話してくれるなら、私はその話を聴き、終わるまで決して席を立たない。これは、私の義務だ。
萌香が話し出すのを何時間待ったって構わない。クタクタの体に鞭打って、睡魔はアイスコーヒーで撃退する。この店が閉店の時間になったなら店を変えればいい。今日を逃したら萌香の気持ちも変わるかもしれない。だから、絶対に今日じゃなきゃ駄目なんだ。意地でも食らいついてやる。
だけど、これは想定外だった。いや、想定外というよりも一番あってほしくないことが現実になってしまって、頭の中がグチャグチャで……油断していたんだと思う。絶対に自殺ではないと決めつけて、死角を作ってしまった。その結果、たった二文字にあっさりと刺された。
壊れる音って、こんな音なんだーー。
痛い。それでも、涙は流さない。
私はやっぱり冷たい人間だ。
白石愛海が自殺したということを受け入れられずに泣き続ける同級生が目の前に居るにもかかわらず、脳がそれを受け入れる準備をしていた。完全ではない。だけど「自殺した」と聞いた時の拒否反応が薄れてきていることも事実。理解しようとしている。
アイスコーヒーの氷が溶け、水とコーヒーが綺麗に分離する。私の脳内を目に見える形で現すなら、こんな感じだと思う。自殺したということを処理し、理解したところが上部にある五ミリ程度の水で、残りの大部分を占めるコーヒーは " 納得出来ない " と駄々をこねている、心。
ああ、良かったーー
理解したうえで納得までしてしまったら、終わってしまう。ここで納得してしまったら、白石愛海の死の真相を知らないままでもいいと思ってしまったことになってしまう。納得出来ない気持ちが理解に勝っていて良かったと、心から思った。
何度も尻込みして、その度に自分に言い聞かせてきた。強がりが動機だったとしてもいいと、それも言い聞かせてきた。
白石愛海の親友達に邪険に扱われることも目に見えている。私達が白石愛海の死の真相にたどり着いた時、真実を告げるかどうか、という悩みもある。全てを話すことが優しさなのか、嘘をつくことが優しさなのか、今も分からない。
ただ、萌香はどんな結果になったとしても、真実を知ることを望んでいる。それだけは分かった。
萌香はまだ勇気がなくて、スタートラインで立ち止まっている。きっと、私達に助けを求めている。バトンを渡すかどうかで迷っていた時に、鯨井真白の存在にたどり着くように助言をくれ、顔を合わせなかった休みの間に、決心したんだと思う。
萌香の想いを無駄にはしたくなかった。クラスメイトという接点しかなかった私に、大切な、大好きな親友のことを共有しようと歩み寄ってくれていることが、私を突き動かす。
強がりが動機ではなくなる。小っ恥ずかしくて少し前の私なら絶対に口にはしなかった言葉ーー動機は、そう、大切な人を思う気持ちーーつまり、" 愛 " なんだ。
親友に対する友愛が彼女を突き動かし、私がそれを受け取って、前へ進む。
分離したアイスコーヒーを混ぜもせず、そのまま飲む。
萌香は山本のように気持ちをさらけ出すことはなかった。ただ泣き続けていた。私の方が先にアイスコーヒーを飲み干していた。萌香のアイスコーヒーも水とコーヒーが綺麗に分離していた。
小刻みだった呼吸を整え、取り乱したことを謝ると、テーブルの上に置いていた手紙をそっと私の前に押し出した萌香は、「読んでいいよ」と言った。
私は首を振る。
「それは、萌香に書いたものだよ。萌香だけが読んでいいものだから、私は読めない。だから、その……自殺したって、どういう風に書いていたのか教えてほしい。もしかして、自殺した理由も書いてあったの?」
目を伏せたまま「ううん」と答え、何枚目になるか分からないペーパーナプキンで萌香は涙を拭った。鼻も真っ赤になっていた。
「自殺のことについてはあんまり書かれてないの。ほとんどが私との思い出話で、ありがとうとか……そんなことばっかり書かれてて……自殺についてはごめんっていう謝罪があるだけ……理由は書いてなかった」
「……そう、なんだ」
じゃあ、萌香は白石愛海が自殺した、ということを教えるために私を呼び出したりしたのだろうか? そもそも、その手紙って……手紙の内容にばかり意識がいっていたが、萌香がその手紙を受け取ったのは、いつなんだろうか?
白石が亡くなってすぐのことなら分かる。でも、四十九日もとっくに過ぎているのに、何故、今?
まさか、死者から手紙が届いた? まさか、ね。
「……ねえ、その手紙って、いつ、その……萌香に?」
萌香も分離したままのアイスコーヒーを口にした。味が濃くても薄くても、どうでもよさそうだ。
「終業式の日が愛海の四十九日だったの。だから、学校が終わってから千佳と奈津希と愛海の家に行って線香をあげさせてもらって、その時におばさんから渡された」
山本、学校を休んでて良かったな。もし、学校が終わってから白石家を訪ねていたら、萌香達と鉢合わせていただろう。鉢合わせて悪いってことはないが、何だか、気まずいだろうし、休むっていう山本の判断は正しかったと思う。
でもあの日、山本は手紙のことなんて一言も言ってなかったし……山本宛の手紙はなかったということか……。これを知ったら山本のやつ凹むかな?
「これ、愛海の勉強机に置かれてたらしいんだけど、おばさん、愛海が亡くなってからしばらくの間部屋に入ること出来なくなって、私達に渡すのが遅くなったんだって」
「私達?」
「うん、私達。家族以外に五人の人に手紙を残してあったって、おばさんが言ってた」
「その五人の内の三人が萌香と千佳と奈津希だったんだね?」
「うん、そう。ごめん、あと二人が誰宛なのかは聞きづらくて聞いてない。でも、たぶん一人はあの子……だと思う」
「鯨井さんのこと?」
「鯨井さんまでたどり着いたんだね」
「ヒントをくれたのは萌香じゃん」
そうだった、と小さく笑って萌香は鼻をかむ。使用済みのぐしゃぐしゃに丸められたペーパーナプキンの山がテーブルの上に出来ている。そこにまた一つ追加され、クロカンブッシュみたいな見た目になった。当たり前だけど、美味しそうには見えない。
「鯨井さんとは話せたの?」
「連絡先交換して、たまに連絡取ってる」
連絡を取っていると言ったことに驚いているようで、萌香の目が見開かれた。真っ赤だけど、潤って見える。あと何枚かペーパーナプキンが必要みたいだ。
「よく連絡先交換出来たね。なんて言うか、鯨井さんって近寄りがたいじゃん? 話し掛けてもシカトされそう」
「シカトまではいかないけど、塩対応ではあったかな? 私達基本的に文字のやりとりが中心だから、無理なく続いてるよ」
面と向かって話すよりも文字での会話の方が性に合っていた。鯨井さんもきっとそうだ。内容も淡白ではないし、いつも文章の最後が疑問系だから、キャッチボールの速度が遅くてもちゃんと続いている。
「萌香はさ、どうして白石と鯨井さんの仲が悪くなったのか知ってる?」
「知らない。気づいたら、そうなってた。そもそも私が愛海と友達になったのは高校に入ってからだから」
愛おしそうに、手紙を見つめる。そこにはきっと綺麗な思い出がたくさん詰まっている。白石のお母さんから受け取った瞬間に萌香にとって大切な、大切な宝物になったんだろう。
やっぱり萌香だけがそれに触れられる権利を持っている。
「高校からの仲だったんだね……」
「うん。……実はね、中学のころからずっと愛海と友達になりたいと思ってたんだ。だけどクラスも違うし、接点が何もなくて」
「なんか、片想いしてるみたいだね」
「ははっ、片想いか。うん、あながち間違いじゃないよ。憧れてたんだ、愛海に。あんな風になりたいって……」
親友が自殺するなんて、想像したことなかっただろう。いつか来る別れの時はまだずっと先で、当たり前の日々が続くと萌香は信じていたはずだ。
それが、こんなにもあっさりと奪われるなんて。納得なんか出来るはずないよね。
このまま無闇に探し回らず、綺麗な思い出を壊さないように大事に抱えて生きていくことも間違いじゃない。綺麗な思い出に傷をつけてでも全てを知ろうとすることも、間違いじゃない。
私を頼って手紙のことを話してくれたのは、千佳と奈津希には自殺の原因を知りたいと話せなかったからだと思う。
真実を知りたい萌香と、思い出を汚したくない萌香が同時に存在する。
「あのさ、ユイにお願いがあるの……私も、まだ気持ちの整理が出来てなくて……愛海のことを知るのが、怖いの。動けないの」
「……うん」
「手のひらを返してるみたいに思うかもしれないけど……私が動けるようになるまで、愛海のことを代わりに調べてほしい。協力してほしい。……お願い、ユイ」
「そんなことお願いされなくても、私達は途中でやめたりなんかしないよ。ちゃんと解るまで調べ続ける」
「……っ、ありがとう!」
皮肉にも、真相を知るための協力者として選んだ相手が親友達じゃなく、ただのクラスメイト達だった。そのことに、萌香は追い込まれていないだろうか? 精神状態がギリギリのところで何とか歯を食いしばって、耐えていないだろうか? もしそうだったら、萌香が堕ちていかないように支えてあげなきゃいけない。私達のように、一緒に堕ちていくなんてことは、絶対に許されない。
萌香を同志には出来ない。私達が真相にたどり着くまで、待っていてほしい。そうやって私達が先に知ることで、少しは痛みを緩和してから萌香達に渡すことが出来ると思うから。
泥水をろ過するのと同じだ。一番汚い状態を私達が受け止めることで、多少は綺麗になる。気休めにしかならないかもしれないけれど、堕ちそうになった時に引っ張り上げてあげられる傷で済むように。
生きてほしい。
白石愛海のように、死を選択しないでほしい。
親友でも家族でもない。だけど、生きてほしい。
「萌香、ごめんね」
「……急にごめんってどうしたの?」
急にじゃないんだよ。ずっと言いたかったことなんだよ。
「前に、放課後話したでしょ? あの時、萌香達を疑って、傷つけた。白石のこといじめてたんじゃないかって……本当に最低なこと言って……ずっと謝らなきゃって思ってた。本当に、ごめん」
深く頭を下げる。罪悪感を消すためじゃない。筋を通すって言うと、任侠ドラマみたいな暑苦しさを感じるけど、ちゃんと終わらせておきたかった。次に会う時に謝らなければならないことが頭の中にあると、厄介だから。
「もういいよ、そのことは。それに言ったのはユイじゃなくて、円だったでしょ? まああの時はマジで腹立ったけど」
あの時のことを思い出したのか、眉間にしわを寄せて険しい顔を作る。……円にも今度ちゃんと謝らせよう。
「ってゆーか、私達がいじめてたって噂が本当にあるの?」
空になったグラスを端に寄せ、テーブルを片付けた萌香が今度は " しゅん " って顔を作る。私には到底真似出来ない顔だった。
「そんな噂、私は聞いたことないよ。あれはそう言えば萌香達が何かボロをだ……話してくれると思って、ね?」
「……本当あんた達性格悪いね」
しゅん、のあとはジト目。表情豊かなところは白石に似ているんじゃないだろうか?
「本当にごめん。反省してる。他に違うやり方があったんじゃないかって、後悔してた」
「もういいって。あ、でも、本当に悪いと思ってるなら千佳と奈津希にも謝ってよね。あの子達、本当に傷ついてるから」
「うん。夏休み明けにちゃんと謝りに行くよ」
「そうしてあげて」
手紙をバックに仕舞い、ゆっくりと立ち上がる。「私に出来ることがあったら言って」と言って、萌香は店を出て行った。背筋をピンと張った後ろ姿が、萌香らしかった。
私はもう一杯アイスコーヒーを飲んでから帰ることにした。
氷が完全に溶けてから飲もうと思った。
店を出る頃にはもう帰宅ラッシュに巻き込まれない時間になっているだろう。




