表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/76

夏の日III



 





 腕が重い。ついでに足も重い。昨夜は腕にだけ違和感があったのに、朝起きてみれば足も腕同様に悲鳴を上げていた。完全に筋肉痛だ。のそりと真横の布団から上体を起こした円の歪んだ顔を見て、ああ、円も筋肉痛なのね、だよね、と同志がいたことに安心してしまった。梓も腕が痛いと言っていたがいつも通り無駄な動きが多いので、正直言って筋肉痛になっているようには見えなかった。



「本日のご予定はー?」



 面倒くさそうに声を上げたのは円だ。私は二の腕の筋肉をほぐすように揉みながら、二人の会話を聞いていた。



「今日は川遊びって昨日言ったじゃーん! おばあちゃん家にビーチボールとか水鉄砲とか水遊び道具いっぱいあるから安心して!」



「そこは別に心配してない」



 いつも通り会話にも無駄が多くて、起きたばかりなのにもう疲れた。また横になろうかと思ったが、起き上がるのもしんどいと貧弱な体が訴えてくるものだから、布団に倒れ込むことは許されなかった。



「川遊びは午後からにしようよ。午前中は夏休みの課題しよう?」



「真面目かっ! ユイは真面目さんか!」



 私の提案の後すぐに抗議が入るが円も課題しよー、と言ってくれたから梓は大人しくなった。残念だったな、梓。これが同志の結束力だとドヤ顔を見せれば、悔しそうに歯を食いしばる。何だか安っぽいドラマのワンシーンのようだ。



「いーじゃん、三人でやった方が課題もはかどるって。分かんないとこあったら聞けるし、ぶっちゃけ朝から動き回りたくない」



「二人とも動きたくないっていうのが本音でしょ?」



「当たらずとも遠からず」



「いや、当たりでしょ。それ以外に答えないっしょっ!」



 今ならセミの大合唱の方がマシに聞こえる。どうしたら寝起きでこんなにも大きな声が出せるのか、何処からその元気がやってくるのか謎である。



 そんな元気な梓に負けないように、両腕を揉みほぐし終えたらいの一番に布団を畳み、ルームウェアを脱ぎ捨ててワンピースに着替えた。足がスースーすると言ったら初めてスカートを身につけた男の人の発言のようだが、デニムパンツばかりはいていた私にはこの感覚が久しぶりで、ついそう思ってしまった。



「ユイ、そのワンピース可愛いねぇ」



「ユイのワンピース姿初めて見た! いいじゃん! 私も真似してワンピース着よっと」



 ストレートな褒め言葉をキャッチすることが出来ずに、臆病な私は足元を見つめることしか出来ない。凍てついていた感情が溶かされ、殺しかけていた想いが全身に流れ始める。



 まただ、また奥深くに仕舞っていた気持ちが見え隠れする。



 今まで上手く隠していたけれど、いつの日かって待っていたんだと思う。[ いつの日か ]が訪れることを待ち望んでいたんだ。だって、抑えきれなくなったことを苦しいって思わないから。



 自分の周りを、自分の好きなもので固めるんだ。有言実行する時だ。



 私は今、息をしている。生きている。



 ずっと仕舞ったままでいて、ごめんね。



 これから何度も身にまとうよ、よろしくね。



 服に謝罪と感謝をするなんて、どうかしている。



 どうかしているーー。



「あ、りがとう。これ、お気に入り、なんだよね」



 たぶん二人は一生知らないままでいる。私がこのワンピースを着ることを、どれほど躊躇したか。もしかしたらユイにしては珍しい、と思われているかもしれない。でも、二人ならその程度にしか思わないだろう。



 ちりんと風鈴が鳴り、ワンピースの裾が揺れる。



 どうしてだか、白石愛海(しらいしまなみ)の姿が思い浮かんだ。









 午後になって、日が高い時に私達は川遊びに向かった。わざわざ一番暑い時に行かなくてもいいのに、という心の声は同志には届いたのだろう、無言で肩に手を置かれ、首を振られた。「皆まで言うな」という円の心の声が聞こえた気がした。



 慣れない砂利の上を歩き、木陰を探してレジャーシートを敷いて一息つく頃にはもう汗だくになっていた。ここまでくると紫外線がどうとか言ってられない。早く川に入って涼みたいという気持ちが、汗に負けないくらい湧き出てきていた。



「やっぱいいじゃん、ブルーのオフショル。似合ってる」



 ワンピースを脱ぎ水着姿になった私を見て、そう円が言った。少しだけ自信がついたのか、今度は足元を見つめることもなく素直に「ありがとう」と言えた。それが嬉しかった。



 川の流れのように勢いよく変わることは出来なくても、緩やかな流れならば、私でも変われる。変わる気があるか、ないか、ってそれだけの話だ。今まで悩んでいたことが馬鹿らしく思えてきた。ここに居たのに、こんなに側に受け入れてくれる人が居たのに、気がつかなかったなんて、なんて無駄な時間を過ごしてきたのだろうか。強い流れに角を削られ丸くなったことで、それに気づいた。



 ありがとうって言葉は [似合ってる] って言ってくれたことに対してのありがとうじゃないんだよ。伝わってる?



「……何? そんなに見つめて」



「何でもないよ」



 ーー伝わらなくても、いいや。



「おっしゃっ! 梓! 行くよ!」



 誰よりも先に、私は駆け出した。今の気持ちを表すようにオフショルのフレアが大きく波打つ。体が軽かった。自由になって子供の頃の、あの頃の私に戻ったはずなのに退化ではなく、成長したんだと思えた。



「待ってユイ! 一番水は私のだよ!」



「一番風呂みたいに言うな!」



「ユイー、梓ぁー。私は少し休んでから行くねぇ。二人で楽しんでー」



 私達の声が木霊(こだま)して、水が跳ねる。



 澄んだ川も、水の冷たさも、太陽の暑さも、全部堪能してやると決めた。



 レジャーシートで休んでいた円を無理矢理引きずり出して、水風船を投げつける。その行為だけで、簡単に円の負けん気に火がつく。



 水鉄砲を撃ち合えばテンションが最高潮に達して、子供のように駆け回り、時間も忘れて遊び惚けた。



 休憩がてら水切り勝負なんてのもしたりした。二、三回跳ねればいい方で、勝負と言うにはお粗末なものだったが、馬鹿みたいに盛り上がったから結果オーライだ。



 ずっと私達の笑い声が響いていた。



 その笑い声が吸い込まれていく空をふと見上げれば、アミの傘のような、くすみのない綺麗な青色が頭上に広がっていた。



 私達は青色がオレンジ色に変わるまで、川遊びを続けた。これで今夜も泥のように眠ること間違いなしだと諦めて、笑った。













「最近山本と連絡取ってる?」



 梓がお風呂に入っている間、布団の上でゴロゴロしていた時に円が麦茶の入ったピッチャーとグラスを持って現れた。麦茶を私に手渡しながら、山本とのことを何気なしに聞いてくる。



「いや? 最近は取ってないけど、どうして?」



「っということは、山本と個人的に連絡取ってたりしたんだ」



「あっ……。かまかけたな」



 麦茶を一気に飲み干して、睨みを利かせながら円に麦茶のおかわりを要求する。



「……終業式の日に山本から連絡が来たの。それで、その夜会った」



「へぇ、夏風邪じゃなかったんだ」



「そこ? どんなやり取りしてたとか気になんないの?」



「気にならないわけじゃないけど、私達には話せないことだから個人的に連絡取り合ってたんでしょ?」



 一杯目よりも多く注がれた麦茶のグラスを私に渡すと、この話はもう終わりだと言うように円は布団の上に寝転んだ。並べられた布団の境目がこれ以上立ち入ることはしない、と線引きをしてくれている。



 こうも聞き分けが良すぎると、何だか申し訳なくなってくる。円達のことを信用・信頼していないわけじゃないのに、話せないなんて、何か……失礼だ。



「……山本のこともあるから詳しくは話せないけど、あの日は白石の四十九日だったからあいつ、学校休んだんだよ」



「ああ、そっか四十九日だったのか……それでか。納得」



「怒ってる? 秘密にしてたこと」



「何で怒るのよ。怒るわけないじゃん。だって、山本もさ、溺れてるからねぇ。ユイが酸素ボンベにでもなってあげなきゃ」



「ごめん、意味が分からない」



 あははっ、と笑って「ごめん、私も意味が分からない」と円は言った。



 円は目をつぶった。しばらく無言が続いたから眠ってしまったのかと思い、麦茶を片付けに行こうと私は立ち上がった。



 部屋を出る際に「ユイ」と呼ばれ、驚いて足を止める。



 横になっている円の顔は見えないが、はっきりとした口調で話しているから、寝ぼけているわけじゃなさそうだ。



 立ち止まった位置から「何?」と返すと、円がもう一度「ユイ」と私を呼ぶ。



「苦しくなったら、ちゃんと手を掴んでよ。息苦しくなったら、ちゃんと吐き出してよ。一人で勝手に溺れていくことだけはしないで」



 私に向けられた言葉なのに、私には私越しに誰かを見て言っているように思えた。



 山本といい、円といい、どうしてこんなにも呪いのような約束を取り付けようとしてくるのか、私には分からなかった。

 


 でも、「ごめん、意味が分からない」ってこの時は言えなかった。



 夜の暗闇が足元まで伸びてきて、触れてこようとする。私はじっとそれを見ていた。放っておいたらどうなるのか想像がつくのに、抵抗はしなかった。



 苦しい。



 酸素ボンベが必要なのは、私の方じゃないか。















 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ