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夏の日II









 おばあさんへの自己紹介もそこそこに、私達がこれから三日間使わせてもらう部屋へと案内してもらった。案内された部屋は三人で使うにはあまりにも広すぎる和室だった。中に入れば畳の香りに包まれる。歩く度に擦れる畳の音が心地よくて、わざと足を上げないで歩いてみたりした。



「何もないけど好きに使ってね。少し休憩したらおじいさんのところにも挨拶に行ってあげて。喜ぶわ」



「はーい。後で蔵の方に顔出してみるね。ありがとうおばあちゃん」



 私と円も「ありがとうございます。お世話になります」と頭を下げ、おばあさんを見送る。足音が遠ざかっていくのを確認してから荷物を下ろした。やっと手ぶらになれる。三十分以上荷物を持ったまま歩いたんだ、明日は絶対筋肉痛になっているだろう。いや、今夜にはもう腕に違和感を感じるようになっているかもしれない。



「畳だー、最高ー。(うち)に和室ないから、嬉しい!」



 自分の家のように畳に寝っ転がり喜ぶ円の横で、控えめに横になってみた。冷たいフローリングとは違い、温かい。開放された縁側のガラス戸から風が入り、赤い金魚が描かれた風鈴がちりんと可愛らしい音を鳴らす。だからなのか、クーラーがなくても涼しい。



「ねぇ梓、蔵の方に顔出すってどーゆうこと?」



「敷地内に蔵があったの気づいた? あそこおじいちゃんの作業場なんだよね」



「作業場……何の?」



「んー? それは行ってからのお楽しみー。気になる? 気になっちゃう? 今すぐ行ってみる?」



 その言い方と顔に腹立つ。疲れているから尚更腹立つ。でも好奇心には勝てなかった。現金なもので、興味を引くものが目の前に現れれば疲れなんか何処かに飛んでいってしまう。結局ほとんど休憩することもなく、おじいさんが居るという蔵に向かうことになった。



「ユイは何だと思う? 私は木彫りだと思う」



「円もそう思った? 私も木彫りなんじゃないかと思った。蔵だし、何だか [ 和 ] って感じのやつっぽいよね」



 二人の意見が一致する。私達の憶測を聞きながら梓が蔵戸に手を掛けた。余裕そうな口元が見えたから、正解は木彫りじゃないのだと悟った。



 木彫りじゃないのなら、何だろう? 漆器とか? あり得る。それとも能面とか? それもあり得る。 



「……おじいちゃん。梓だよー」



 普段よりずっと小さな声で中を確認しながら声をかける梓の後ろ姿が新鮮だ。それだけおじいさんの作業は集中力が必要なのか、もしかしたら……めっちゃ怖い人なのかも……。



 私の腕を円が掴む。爪先立ちし、まだ見えない中の様子をうかがおうとしている。気持ちが先走っている。私も答えが知りたい。……ちょっと怖いけど。



「……あぁ、梓か。……入っておいで」



 中から低い声が聞こえた。梓が私達の方を見てあごをしゃくる。入るよってことか。低い声のせいで、一気に緊張感が高まった。隣から唾を飲み込む音が聞こえて、私がしっかりしなきゃと思ったのに、足がすくんだ。



 足に力を入れ、恐る恐る蔵戸を(くぐ)り中に入る。



 外の光とは違う人工的な光に一瞬目が(くら)む。続けざまに私を刺激したのは鼻につく独特な臭いだった。きつい。何の臭い? 鼻をつまもうとしたが、光に目が慣れてしまえば臭いなんかすぐにどうでもよくなった。



「うわっ……。すごい……」



 吐くように出た台詞は、薄っぺらい褒め言葉のようにしか聞こえなかったかもしれないけれど、私の中ではこれ以上にない称賛の言葉だった。子供じみた感想が情けないが、これが、私だ。



「すごいでしょう? これ全部おじいちゃんが描いたんだよ」



 蔵の中いっぱいに並べられた絵を、梓が嬉しそうに自慢する。



 ほとんどが風景画だった。この近辺を描いたであろうものもあれば、空想的な世界を描いたものもある。やばい、芸術なんて何も分からないのに、引き込まれそうだ。



「梓の友達か……。ここは臭いがきついだろう。油絵は独特な臭いがするから。気分が悪くなる前に、外に出なさい」



 作業中の手を止めおじいさんが振り返った気配がして、慌てて正面に向き直る。こんなに素敵な絵を描く人だ、きっと優しい顔をしているはずと思っていたのに、本当に梓のおじいちゃんなのかと疑いたくなるような、鋭い目つきをしたおじいさんが、そこに居た。



 一歩下がりたくなる衝動を抑える。室内で作業しているはずなのに、肌が小麦色に焼けていて恐怖心を倍増させる。腕も筋肉質だ。そんな強そうな腕でこんなに繊細な絵を描くの? 描けるの?



「あの、これって油絵ですか?」



 未だに私の腕を掴んだままでいる円の弱々しい声が、後ろから聞こえる。このタイミングで質問出来るなんて、勇者か、お前は。そのくせ私を盾にするなんて矛盾してるぞ。



「おお、よく知ってるなあ。何だ、興味あるのか?」



「あっ、いやっ! そんなに詳しいとかじゃないんですけど、美術館に見に行ったことがあって」



 静かに「そうか」と呟いたおじいさんは、何処か嬉しそうだった。目が細くなって何かを噛み締めているような、そんな感じで、この後会話を続ければいいのかどうか、迷う。



 梓のおじいちゃんは、寡黙な人なんだろう。



「梓、この辺案内してやれ。都会みたいに何があるわけじゃないが、都会にないものはあるからな」



「そだね! ごめんねおじいちゃん、作業中に。また後でね」



 梓に背を押され、蔵を出る。蔵戸が閉まりきる前にもう一度中を覗いてみたが、おじいさんはもう描きかけの作品の方を向いていた。その後ろ姿が、印象的だった。



 もう少し、絵を見ていたかった。



「まさかの油絵だったね。[ 和 ]じゃなかった。あれ? ユイ油絵って [ 洋 ]なの?」



「どっちでもいいわ。でも、すごかったなあ。ねえ梓、またおじいさんの描いた絵見に行ってもいいかな?」



「すっごい気に入ってるじゃんユイ。何なら油絵挑戦してみる?」



「それは遠慮しとく。私、絵心ないから」



 油絵具が無駄になってしまう。



「私も一回挑戦してみたけど、酷い出来栄えだったなあ。見る分には大丈夫だと思うよ。一応後で聞いとくね。それより、行きますか! 散策!」



 せっかく円から解放された腕を今度は梓に掴まれる。強制的に進行方向を決められて、足元がふらついた。梓はそんなのお構いなしで進んでいく。それについて円が文句を言っているけれど、私は心ここにあらずで二人の会話を遠いところから聞いている感じがした。



 その後、梓に案内された場所にはおじいさんが油絵で描いていた風景のモデルになったであろう場所もあった。リアルな風景ももちろん良かったのだが、何かが違う。綺麗な景色なんだけど、描かれていた絵はその綺麗の種類が別物で、おじいさんの目にはこの場所があんな風に見えているのかと思うと、何だか悔しかった。私の乏しい感覚では、絶対に表現出来ない。どれだけ色を使っても、今の私にはモノクロの世界しか描けないだろう。


 鼻の奥がツンとして、涙が出そうになった。


 自分でもこれがどういう感情からくる涙なのか、分からなかった。









 日が傾きオレンジ色に包まれ出した頃、梓がそろそろ戻って晩ご飯の準備を手伝おうと言い出した。随分と長い間散策を続けていたんだと、その時になって初めて時間の経過に気づいた。知らない場所はこういうところに落とし穴がある。気をつけなければ。



 おばあちゃんの家に来た時は晩ご飯の時間が早いと梓が電車の中で言っていたが、本当に早かった。まだ十八時だ、十八時。十七時には帰ってきておばあちゃんも含めた四人で晩ご飯の準備を始めたが、ほとんど素材を活かした料理だったので、あっという間に晩ご飯作りは終わってしまった。



 おじいさんも揃い、五人で囲炉裏を囲んで食事をとった。初対面の人達とご飯を共にするのは緊張したが、梓と梓のおばあさんのお陰で、気まずいということはなかった。おじいさんはやはり口数が少なかったが、機嫌が悪そうにも見えないし、これがおじいさんのいつも通りなんだと思った。



 だから、囲炉裏の周りに刺した田楽を遠慮なしに食べた。茄子に里芋に豆腐。そして食べたい食べたいと言っていた(さかな)も。全て胃袋に収め、満足すぎる食事だった。ここにいる間、毎日食べたいと思わせるほど田楽は私を魅了した。




 晩ご飯を食べ終えて片付けをし、お風呂に入ってから部屋に戻った私達は一日中歩き回った疲れからほとんど会話をすることもなく、泥のように眠った。



 やっぱり腕に違和感があった。
















 

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