ヒーロー
「ユイちゃん夏休みの予定はどうなってるの? 夏休みに入ってから一週間経つけど、今のところ毎日バイト入ってるよね?」
最後のお客さんを見送りカウンター席の片付けをしていると、暇になった厨房から衛藤さんが出てきて話しかけてきた。
「あー、遊び代が必要なので前半二週間だけバイト入れまくってて」
感心したように声を上げ、「偉いなあ、ユイちゃんは」と親戚の叔父さんみたいなことを言う衛藤さんは、現役の大学生だ。気さくな人だが、髪色がホワイトシルバーと大分明るめ。
初めて衛藤さんとシフトがかぶった日、その見た目に驚き目も合わせられなかったのだが、数回会うと衛藤さんの高いコミュ力のお陰ですっかり慣れてしまった。優しくて面白い衛藤さんを今では兄のように慕っている。髪色だって出会った当初は青色とお強い色をしていたが、今は落ち着いてホワイトシルバーだし。あれ? ホワイトシルバーって落ち着いた色……なのか?
「髪になんか付いてる?」と聞かれるまで、まじまじと衛藤さんの髪を凝視していることを忘れていた。目も合わせられなかったあの日々が嘘のようだ。今なら観察日記だって付けられるほど、衛藤さんのことを見ていられる。
「そんな見つめんなよ〜、衛藤さん照れる」
照れると言う割には全く照れてる様子のない衛藤さん。土屋さんが微笑ましそうに私達を見ている。何でも土屋さんには私達のやり取りが仲良し兄妹のそれに見えているらしい。
「衛藤さんってよくその髪色でバイト受かりましたね」
「おっと、いきなり辛辣。ユイちゃんすっごいはっきり言うね。でも、それ俺も思ってた。この頭で雇ってくれるとこあんのかな〜? って」
本人も派手だという自覚はあったらしい。それでも衛藤さんは髪色を抑えようとはせずに、受け入れてくれるところを探したのか。髪色に負けず劣らずお強い人だ。
「でも面接で店長に会った時、いい色だなって言われた。真面目に働いてくらるなら問題ないって。それにバンダナである程度は隠れるし」
「店長なら言いそう。……私がピンクに染めてきたら流石に怒りますかね?」
「え!? ユイちゃんピンクにすんの! いいじゃんピンク! 夏休みの間だけなら問題ないっしょ!」
「問題ありますよ。例え話に決まってるでしょ、本当にやるわけないじゃないですか」
呆れ顔を衛藤さんに向ける。衛藤さんは口を尖らせる。いじけ方が子供みたいな人だ。ぶつぶつ何か言っているようだが、無視して土屋さんの手伝いに行く。
「土屋さん、ここはやっておきますから先に休憩どうぞ。しばらくお客さんも来ないだろうし、一人で大丈夫です」
「あら、そう? じゃあお言葉に甘えて先に休憩いただいちゃおうかしら。ありがとうユイちゃん」
「いえ」
テーブルにトレーを置いて、空いた皿をそのおトレーの上に重ねて置く。この席に座っていた女性客が使っていたグラスには、口紅の跡がべったり付いていて洗い落とすのが大変そうだと思った。
髪だって一度明るい色にしてしまうと、次に染める時に大変なんだろうなあ。グラスのように洗い落とすのか、色を重ねて塗りつぶすのか、一度も染めたことのない私にはよく分からない。
分かるのは、衛藤さんが髪を染めることを楽しんでいるということだけだ。毎回次は何色にしようか私の意見を聞いてくる。参考程度にスマホで検索したヘアカラー画像を見せられるが、衛藤さんが見せてくるのはどれもお強い色ばかりだった。その参考画像の中に赤色が含まれていないことに、不満があった。
以前客に絡まれた時、衛藤さんに助けてもらったことがある。その時のこともあって、私の中で衛藤さんはヒーローになっていた。ヒーローといえば赤という単純な思考回路で髪色を赤にしてほしいと言ったことがあるが、赤はもう経験済みだと却下された。私の不満が伝わり衛藤さんはいつかまた赤にすると言ってくれたが、いつかって約束は大体叶わないということを知っている私には、不満が募るだけだった。
「衛藤さんって、落ち着いた髪色に戻そうとか思わないんですか?」
ずっと疑問に思っていたことを口にしてみる。衛藤さんはぱちぱちと細かい瞬きを三回繰り返した。
「落ち着いた色、とは? えっ? もしかしてユイちゃんこの髪色嫌い?」
バンダナからはみ出る髪を触って、髪と私を交互に見る。
「いや、好き嫌いの話じゃなくて。大分派手……じゃなかった、明るいなーって、明るい色が好きなのかなーって。単純な疑問です」
「衛藤さんは大人だから派手って言ったことは、聞かなかったことにしてあげよう。んー、そうだなあ。派手なことが好きってわけじゃないけど、これを止めたら俺じゃなくなるからやってるって感じかな」
「……あー、なるほど?」
「いや、ユイちゃん分かってないよね? そんな難しいことじゃないよ。女の子がネイルする感覚と一緒だよ」
首を捻った。分かりやすく砕いて話してくれたのだろうけど、私にはそれでも分からなかった。ネイルをする時の感覚を知っていたら衛藤さんの説明に頷けたのかもしれない。でも私はネイルに興味がなかった。自分の飾り気のない地味な爪を眺め、虚しくなる。女の子なら誰でも知っていそうな感情に寄り添った例えをしてくれたのに、それが分からないなんて、何だか恥ずかしい。
親指の腹で人差し指を撫でる。その手に影が落ちたことで衛藤さんも一緒になって私の爪を見ていたことに気づき、慌てて両手を隠す。恥ずかしい。
「そっか、ごめんね。ユイちゃんネイルしないもんね。例えが悪かったな、大雑把すぎた」
「こっちこそすみません。普通の女子ならたぶん今の説明で理解出来たと思います。私がおかしいんです」
土屋さんが休憩に行ってしまってフロアには私達しかいない。店内にあるテレビはバラエティ番組からニュース番組に変わり、少しだけ静かになった。衛藤さんは一瞬テレビの方に視線をやって、また私を見る。そして微笑む。
「ユイちゃんは別におかしくないよ。趣味趣向はみんな違うから、ネイルなら分かるって思って決めつけて話した俺が悪い。ごめんね」
ホワイトシルバーの髪がごめんねと言ったときに揺れた。衛藤さんがおかしくないと言ってくれたから、両手は自由になった。衛藤さんは人に説明するのは得意じゃないからまたネイルで例えさせてと、私の了承を得る優しい人だ。派手な髪色だけど、すごく出来た人。私の中で衛藤さんの好感度は鰻登りである。
「んーとね、ネイルの色とかデザインってさ自分の好きなものを選ぶよね? で、完成したネイルを日常的に目にするじゃん? 物を持つ時、ご飯食べる時、歯を磨く時。そんなふとした時に嬉しくなるんだよね。視界に自分の好きなものが入ってくると」
想像してみた。私の場合は自分の部屋だった。誰にも文句を言われない、誰にも汚されない私の好きが詰まった私だけの世界。視界に広がり、触れると安心する。満たされる。
衛藤さんが伝えたいのは、こういうことなのだろうか。
「もちろん周りの人に褒められたら嬉しいけど、誰かのためじゃないんだよね、綺麗にするのも、可愛くなるのも。全部自分が満たされるためのものだから」
じっとホワイトシルバーの髪を見つめた。何度も染めているはずなのに傷みを知らず、触れれば柔らく指の間を滑りそうだ。この色は洗い流されるものでも塗りつぶされるものでもない。消す必要も隠す必要もないのだ。どれだけ人に不評だったとしても、溶け込む。溶け込み、一部になるのだ。衛藤さんの一部に。新しい色もまた衛藤さんの一部になる。
「俺は俺がしたいからしてるだけだよ。ただそれが世間からは派手だって分類されるものだっただけ。俺は派手だと思ってやってない。真っ黒にしたくなることだってあるよ。今はそんな気分じゃないから黒にはしないけどね」
たった一度の否定を真っ直ぐ受け止め、隠そうと決めて生きてきた私とは違う。衛藤さんは不評を受け止めても尚、自分自身を見せ続けることを選んで生きてきたのだ。
衛藤さんは言った。
自分を変えることも大切だけど、周りの [ 自分を見る目 ]を変えることも大切なんだ、と。だから、髪色で判断しなかった店長は超いい人、信用出来る人、と。
「まあ、人の見る目っていうのは簡単には変えられないかもしれないけど、自分の近しい人にありのままを見せられたら、それだけで生きていくのが大分楽になるよね」
衛藤さんの言うことは間違っていないと思う。だけど、自分の近しい人だから言えないこともあると思う。大切な人だから打ち明けられないことが、きっとこの世には存在する。私の小さな悩みとは比べ物にならないくらいの、一生隠し通さなければならない秘密を抱えた人が、きっといる。
私は運がいいのだと思う。衛藤さんのように、欲しい言葉をくれる人に出会えたのだから。こんな考えを持った人が側にいるだけで、救われる人は大勢いると思う。
衛藤さんの言葉で私が変われるのかは分からないが、円と梓には好きなものを打ち明けてみようと思えたのだから、気が楽になったことは事実。
やっぱり衛藤さんはヒーローだ。
「衛藤さんってたまにいいこと言いますよね。髪明るいけど」
「髪明るいのは関係ないだろー。ユイちゃんは素直じゃないね」
「素直ですよ。言いたいこと言ってますし」
「うん、それちょっと違う」
どう言う意味だと詰め寄れば、衛藤さんは大きく口を開けて笑い出した。笑い袋並みに笑ったと思ったら急に真面目な顔をして見てくるものだから、「な、何ですか」と、変にどもってしまって、恥ずかしいがぶり返す。
「ユイちゃん、ありがとうね。最初怖がってたのにちゃんと目を見て話すようになってくれて」
目を細めて、柔らかい微笑みを向けてくる。衛藤さんのずるいところは、こういうところだと思う。突然年上っぽい雰囲気を出してくるところ。面と向かってありがとうと言われると、むず痒いのだ。嬉しいけど、むず痒いのだ。私の反応を見て楽しんでいる節もあるし、とにかく慣れないからやめてほしい。今回はニヤニヤしていないから、からかっているわけではなさそうだが、嫌なものは嫌なのだ。
「そりゃ、慣れたら誰でもそうですよ。他の人だってそうじゃないですか」
「他の人はほら、みんな成人した大人だから対応力が、ね? 俺これでも緊張してたのよ? 最年少のユイちゃんとどう絡めばいいか。だから、こんな風に話せるようになれて嬉しいんだよ」
「緊張? 嘘ですね、超絡んできてたじゃないですか。全然緊張してるようには見えませんでしたよ」
衛藤さんが私の言い分をへらっと笑ってかわす。たまにこういうところがある。掴みどころがないというか、手を出してきたと思えば何事もなかったかのように何処かに行っちゃう猫みたいな人。衛藤さんは常に自然体で、あっ、ほらもうニュースに夢中だ。
衛藤さんが前に立つことでテレビが見えにくくなるが、半歩横にずれれば視界は良好になった。お客さんも居ないことだし、そのまま衛藤さんの気まぐれに付き合うことにする。
スポーツニュースから一転ポップな背景に負けない明るい人が画面に現れたかと思えば、その人のメイクアップ動画が流れ始める。どうやら今人気の動画チャンネルの紹介をしているようだった。現代っぽいトピックに衛藤さんは吸い寄せられたのか、興味津々でテレビに食いついている。
ーーそんなことよりも、
「あの、この人……彼と彼女どっちで呼べば、その……傷つきませんかね?」
この時自分が突拍子もない質問をしているという自覚はなかった。普通ならまずこんなことを口にしないのだと気づいたのは、振り返った衛藤さんの表情が今まで見たことのないものだったからだ。
目を丸くし、薄く開いた口から微かに音が漏れる。だけど、それは私には聞こえない。もう一度言い直してくれるのかと思ったが、様子を見るに衛藤さんは言葉を呑んだんだと思う。
私は何か気に障るようなことを言ってしまったのだろうか?
「衛藤さん」と名前を呼べば衛藤さんの表情が変わり、あのむず痒い感覚に襲われる。
「ユイちゃんは、優しいね」
……は?
「え、いきなり何ですか?」
突拍子もない質問に突拍子もない解答が返ってきた時は、どうすればいいんだっけ? 分からないからとりあえず、どういう意味だと言う意味を込めた視線を投げかける。衛藤さんはそれに応えるように微笑んだ。
「いやぁー、優しいなーって思ったから優しいねって言ったまでだよ。トランスジェンダーの人を見て咄嗟にそんなこと考えるなんて、中々出来ることじゃないよ」
「そ、うですか」
「そうですよ。……嬉しいだろうなあ、そんな風に考えてくれる人がいるって知ったら」
テレビの中のその人は生き生きとしていた。今を楽しんで生きていることが画面越しに伝わってくる。でも、きっとそこに辿り着くまでに、想像を絶する苦悩と困難があったはずた。だから、この人の人生の過程を何も知らない人間が、簡単に生き生きしているなんて言ってはいけない。諦めずに声を張り続けた結果が今に結びついて、自分を生きている。
昂る気持ちを抑えきれず「この人、超かっこいーね!」と指差し笑った衛藤さんも、今を楽しんで生きているように見えるけれど、私の知らないところできっと傷ついてきたんだと思う。
「すごく生きづらかっただろうに、ありのままの自分で人前に出てすげぇなあ。あーゆう人に、他の一人で苦しんでるトランスジェンダーの人達は勇気をもらうんだろうなあ」
衛藤さんは私に優しいと言ったけれど、私からしたら衛藤さんの方が何倍も、何十倍も優しい人だと思う。私が思うに、衛藤さんは共感力の高い人だ。正論ばかり言う人とは違う。人に寄り添える人。その証拠がこのたった数分のうちの会話の中に散りばめられている。
テレビの中のその人もすごいけど、私にとっては今目の前にいる衛藤さんの方がすごい人に見える。
「ユイちゃんみたいな考え方が出来る人が増えたら、世界は変わるんだろうなあ」
「世界って大袈裟ですよ。……でも、衛藤さんみたいに自分の好きなことを曲げない人が居てくれたら、それだけで救われる人は世界中にいっぱいいると思います」
ーーだから、止めないで。
私の願いが届いたのか、衛藤さんが振り返り歯を見せて笑った。ホワイトシルバーが煌めく。
「もしかして、衛藤さん口説かれてる?」と、いつもの調子に戻った衛藤さんを無視して、片付けを再開する。背後でわーわー言っているけど、これ以上調子づかせるわけにはいかないので、当分の間衛藤さんのことは絶対に褒めたりしないと決めた。
そんなことを思いながらも、衛藤さんの赤髪を拝める日がくることを、私は願っていた。




