四十九日Ⅳ
晩ご飯はカレーだった。今日はカレーがいいなあと思っていたから、家に入る前から漂うカレーの匂いに柄にもなくテンションが上がった。
そんな私とは対照的に帰宅したばかりの父は、「昼、カツカレー食べたんだけどなあ」と悲しそうにカレーの入った鍋をかき混ぜる母を見ながら言う。母はそんな父に「これはカツカレーじゃなくて、夏野菜カレーよ」と返す。たっぷりの間があって「そうだね」と言った父を見ていると、こっちまで悲しくなってきた。せめて昼がカレーで夜がカツカレーだったら、肉がある分グレードが上がったと、気休めながら喜べるのに。どんまい、父。
いつものルーティンで、晩ご飯を食べ終わると録画しておいた朝ドラを観た。一話たった十五分だが、その十五分でストーリがかなり進むため、一日でも見逃すと話が分からなくなってしまう。だから、毎日録画の設定をして見逃さないようにしている。初めは私一人で観ていたのに、いつしか母と父も一緒に観るようになっていた。今はもう、私より二人の方が朝ドラにハマっている状態だ。
朝ドラの世界は夕方だった。建物にオレンジ色が重なり、ノスタルジーな空気を感じさせる。これを綺麗と思うか、寂しいと感じるかはその時の心情に左右されるだろうけど、画面いっぱいに映った若手女優のリアルな泣きの演技は、どんな心情の時に見ても胸を痛みつけるだろう。泣きそうになる。でも、私が涙を流すことはない。
現実の世界は十九時、窓の外は明るい。
洗面所で目が赤くなっていないか確認して、歯磨きをした。山本に会うから、ではなく、ただのエチケットとしての歯磨きだ。誰が相手でもカレー臭いとか言われたくない。
スマホと財布を持ち、夏でも夜は冷えるからと一応上着も持った。
「ちょっとコンビニ行って来る」
いつもと変わらないコンビニ行きのスタイルに、親は何の疑いもなく、いつも通り送り出してくれた。夜だから気をつけて、の一言くらいあってもいいと思うが、母が私に言ったのは「プリン買ってきて」という要望だった。私は絶対母ではなく父に似たんだと思う。
生ぬるい風を受けながら、家から一番近いコンビニを目指してゆっくりと歩いた。ゆっくりと歩いたのは、汗をかきたくなかったからだ。そのために、約束の時間に遅刻しないように、余裕を持って家を出た。集合場所はコンビニ。山本が気を利かせて私の家から近い所を選んでくれた。何だか悪いなとも思ったが、逆の立場だったら私もそうしていた。だから、素直に従った。
今日は山本の話もいっぱい聞きたいし、私の話も聞いてほしい。だけど話の切り出し方は、山本に任せようと思っている。最初に今日のことを話し出されたら、ちょっと心臓に悪いけど、その話のタイミングは山本に任せたい。
家を出て十分ちょっとで目的地に着いた。
早く着きすぎた。約束の時間まで後十五分もある。忘れないうちにと母ご所望のプリンももう買った。ついでにカフェオレも二本買った。山本はコーヒーが苦手と言っていたから、カフェオレならたぶん受け取ってくれる。受け取ってもらえなかった場合は、私が二本とも飲んでやる、と意味の分からない気合いを入れて買ってやった。
買ってすぐにコンビニの外に出た。山本が来るであろう方向を見てみたが、その姿はまだなかった。それが何だか私を不安にさせた。コンビニの駐車場をウロウロして、スマホを触って、ウロウロして、最終的にパーキングブロックの上に座ることで落ち着いた。ジャージとかスウェットを着ていたら、ヤンキーっぽく見えていたかもしれない。
「悪りぃ、遅くなった」
オレンジ色がなくなって夜がやってきた頃、山本に会えた。
「時間ピッタリだよ、私が早く来すぎただけ」
涼しげな私とは違い山本の額には薄ら汗が見える。ここまで走ってきたのかもしれない山本に、無言でカフェオレを差し出した。こんな時、労いの言葉一つでもかけてあげられない自分が嫌になる。
「くれんの? さんきゅ。喉カラッカラだったから助かるわ」
山本がカフェオレを一気に半分くらいまで飲んで落ち着いたことを確認してから、まあ座れと隣のパーキングブロックをこれまた無言で叩けば、山本は大人しく腰を下ろした。少し窮屈そうだった。
もう一口カフェオレを飲んだ後に、シュワッとしたやつがよかったと言ったことは、聞かなかったことにした。
山本はそれから少しの間、何も喋らなかった。ただぼーっと空を見ていた。私も山本を真似て空をぼーっと眺めた。街の光が邪魔をして、あまり星は見えない。
「田舎の方に行けば、星めちゃくちゃ見えんのかな?」
「ここよりは見えるでしょ」
「……そっか」
「……そうだよ」
何となく、空気が変わるのを肌で感じた。
上着を羽織り、空ではなく足元に目をやった。山本があのいかついハイカットスニーカーを履いていなかったことに、ほっとした。
「今日さ、法要の時間帯を避けてさ、午後から愛海ん家行ったんだけどさ、愛海の親、俺が来たことに驚いてた。まあ普通は行かねぇもんな、身内以外」
「……そうだね」
「でも、喜んでくれた。菊の花も喜んでくれた」
「そりゃ嬉しいよ。娘の友達が花まで持って来てくれたんだから」
「おばさんに彼氏かって聞かれた」
「……そう」
コンビニから人が出てきて、私達の横を通り過ぎて行く。その人もプリンを買っていた。
山本が脚を伸ばす。私も脚を伸ばす。
「……線香あげさせてもらってさ、そんでさ……」
声が震えていた。握りしめていたカフェオレのペットボトルがパキッと音を立てる。痛い音だ。
「仏壇に愛海の遺影があってさ、骨を入れた壺もあってさ、それ見たらさ……ああ、もう本当に愛海はいないんだなって……思って」
肩も震えていた。その涙声は、痛々しかった。
「何で俺、告白しとかなかったんだろうって。何で愛海に明日も会えるなんて思ってたんだろうって。何で……」
「私も思ってたよ。明日も生きてるんだろうって、何の疑いもなく。みんなそう思ってたよ」
何でこんなありきたりのことしか、私は言ってあげられないんだろう。言葉が無理なら背中をさすってあげるくらいのことすればいいのに、それができない。
不器用とかじゃなくて、ただの臆病者だ。肝心な時にいつもそうだ。
「……みんなと俺は違う。俺は愛海のこと好きだったから、みんなとは違う後悔が俺の中にはある。ここだってタイミングは何度かあったのに、言えなかった。フラれても、気持ちだけは知ってほしかった。愛海だから……愛海だったからそう思えんだよ」
これは山本にとって、一世一代の告白だったと思う。それを受け止めたのが私だったということが、悲しい。
だけど、何故私にそれを話したのか、私には分かった。
「私もあんたも認めたくなかったんだろうね。白石が死んだこと。私、ずっとやりきれなくて……あんたみたいに白石と仲良かったわけじゃないから、こんなこと言うのおかしいと思うけど……ずっと、痛いの……」
私の声も震えた。だけど、涙は出ない。
「怖いの、普通に生活してる自分が……。あんたは、悲しいんだよ。白石がいない世界で生きていけることが、悲しい……。そうでしょう?」
深い呼吸音が聞こえた。山本は今にも涙がこぼれ落ちてしまいそうな目で私を見る。涙が流れるのを我慢している。それを見るのが、辛かった。
ーー痛い。
私達が共有できるのは、痛みだ。
「……そうだよ、俺、生きていけんだよ。愛海がいなくても、生きてんだよ……それが……悲しい……」
山本は、涙を流した。
「めちゃくちゃ痛ぇの、何だよこれ、何なんだよこれ! あー! 痛え! 痛え! ……痛ぇよ……」
両手で顔を押さえる。止めどなく流れる涙に困惑しているようだった。どうやったって止まらないことは分かっていても、感情をコントロールしようと必死になっていた。その姿を見るのも辛い。
山本が感情をさらけ出してくれたからか、私の体はやっと自由に動いた。やっとその背中をさすってあげることができた。大丈夫なんて綺麗事は言わない。ただずっと山本の背に手を当て続けた。同情でもない、共感とも違う。だけど、二人にしか分からない何かが分かった瞬間だったと思う。
怖いと悲しいと痛い、それだけは避けられない。
人の死は、辛い。
山本胸の内を聞き、その全てをゆっくりと咀嚼した。味わった。そして私の一部にした。彼の痛みに触れ、私の気持ちを見せた。私達は互いに補う気なんてない。でも、寄り添える時は側に居てもいいと思えた。
唯一、分かり合える相手だと確信した。
痛いの。ただただ、痛いの。
この痛みを癒すために、私達は手を取り合った。
私達は、生きている。温かい。
このままここで夜明けを待ちたいと思った。
ひとつ前のお話、大分書き加えているのでよかったら目を通してみて下さい。




