接点
それは、ほとんど無意識だった。
サビの部分がFからGに、GからEにコード進行する曲を口遊む。無意識にのうちにしてしまうほど、最近はこの曲ばかりをヘビロテしているのも事実だが、しまった、油断していた。わざわざ人前で、それもすぐに食いついて来るやつが隣に居るっていうのに、気が緩みすぎだ自分。
「それ誰の曲ー?」
ほら、来た。
「梓の知らない歌手の曲」
これ以上会話を続ける気はない、というような返し方である。相手にもそれが伝わる嫌な返し方でもある、が、それが通じる相手ではないということも忘れちゃいけない。
「そう言われると余計に気になるー。誰? 誰? 何て歌手?」
検索する気満々でポケットからスマホを取り出した梓、しれっと円もスマホを構えている。待ち構えているところ悪いが、教える気はない。何となく、知られるのは惜しいと変な独占欲が働く。
右側の口角だけを上げて二人を見てやる、これは教えないという意思表示。そして、続きを口遊む。Amを挟んで繰り返すF、G、E。完全に私は自分の世界に入り込んだ。だから、ドン引きして私を見ている二人のことも、気になんかならない。
山本と廊下でばったり会っても、小さく手を上げ「よっ」って、挨拶するくらいの余裕はあるし、山本も「よっ」って返してくれるから、気分も良い。彼は私の小さな歌声を聴いても、二人みたいに興味を持ったりはしない、そこがすごく有難い。背後で三人揃ってドン引きしながら私のことを見ているのかもしれないけど、今日だけはそんな失礼な態度も許してあげようと思う。
「何か、あいつ機嫌良くね?」、「ね、歌なんか口遊んじゃって」、ヒソヒソ話し合う声を背に前だけ見て進む。
違うよ、山本。機嫌が良いんじゃなくて、気分がいいんだよ。
ずっと頭に響くメロディーが心地いい、今更アミの好きな歌手の良さを理解した。遅いって怒られるかもしれないけど、私は、私が生きているうちにそれが分かってよかったって思ってる。
何かに取り憑かれたように、その歌手の過去作品を聴きまくって一番気に入ったのが、今口遊んでいる曲だ。不思議な世界観でアミの言葉を借りると、これを[ エモい ]って言うんだろう。
今日も変わらず暑いし、セミもうるさいし、山本は鯨井真白に避け続けられてるし……そんな感じだけど、もし、一つだけ違うことがあるとすればそれは、私が鯨井真白と唯一繋がることの出来る話題を手に入れたってことだ。
「鯨井さん」
そうやって、彼女に話しかけられるのもその歌手のお陰。
「ごめんね、いきなり話し掛けちゃって」
私がこのクラスに入って来たことにすら気づいていないであろう、彼女のクラスメイトたちの雑談を押し除けて、彼女の席の前に立つ。
違うクラスに足を踏み入れるのは少し抵抗があったが、一歩入ってしまえば教室にいる人達が違うってだけで、特に緊張することもなかった。彼女を前にして話し掛けている、ということには緊張はしているが、前に会った時よりもそれを感じない。どちらかと言うと、彼女の方が緊張しているようだった。自分のクラスなのに、居心地悪そうだ。
「……えっと、前にファミレスで会ったの覚えてる?」
まずは、私のことを覚えているかの確認から入る。これには首を縦に振ってくれた。とりあえず、覚えていてくれていたらしい、よかった。その調子で「私、A組の」とそのまま自己紹介に流れを持っていったが、途中で彼女は私の言葉を遮った。
「ユイ、さんだよね? ファミレスでそう呼ばれてるの聞いたから、聞き間違えだったらごめんなさい」
眉が綺麗に下がる、本当に申し訳なさそうに。
「合ってる、合ってるよ! ユイです。さんは付けなくていいよ、みんなユイって呼んでるし」
戸惑った彼女の目が、左右に揺れる。
「……それで、ユイ、ちゃんは私に何か用があるの?」
意外だなと思ったのは、私の名前までも覚えていたことと、前に話した時よりもだいぶ柔らかい口調で話している、という二つの点だった。
名前はもしかしたら自分の好きな歌手を知っている人、っていう印象を強く持っていて覚えていたのかもしれない。雰囲気が違うのはここが学校で、私とは二度目ましてだからなのかもしれない。私の勝手な推測でしかないから、本当のところは分からないが。
「あーっとね、そんな大した用じゃないんだけど、今度あの歌手がオンラインライブするの知ってる?」
その話題に、彼女の瞳が一瞬輝きを見せたことを私は見逃さない。
よし、食いついてきた。
「知ってる、ファンクラブ入ってるし」
真顔だけど、嬉しそうな気持ちが前面に出てきている感じがする。ファンクラブに入っていると言った時の表情は何処か誇らしげで、これはもう好きではなく、やはり心酔。この話題は正解だった。
「そっか、そうだよね、そりゃファンクラブ入ってるよね。もうチケットも買った?」
それも当然だと言うように首を縦に振る。動作こそ変わりないが、気持ちが上乗せされた首の振り方に見えた。彼女の細い首が折れちゃわないか、心配になる。
「すぐに買ったよ。……ユイちゃんは買った?」
「私はまだ買ってないんだ、実はどうしよか迷ってる。」
「……絶対見た方がいいよ! オンラインはオンラインの良さがあるから、見てほしい!」
語気を強めたからといって、彼女は別に私を言いくるめようとしているわけじゃなく、ただ純粋に推奨しているだけだった。ふと、彼女の友達の美紀ちゃんが、「好きなものについてはすごい熱量を持って話す」と言っていた時のことを思い出して、これのことか、と実感する。
でも、不思議とその熱い思いとは裏腹に、しっとりとした声色を私は受け取っていた。なるほど、真白という名前の通りふわりと舞い落ちてきて溶け込むような上品な声、とても魅力的。
だから、彼女にそんな気がなくても、勝手に言いくるめられようと思う。
「わかった、私もチケット買って、観るよ」
真顔が崩れて嬉しそうに微笑む。顔を下げ控えめに喜びを表現していた。きゅっと握られた手が可愛らしい。この姿を見れば、周りの人達が彼女に対して持っていた近寄り難いという印象はなくなってしまうだろうけど、それで大勢の人に囲まれることを彼女が望んでいるのか分からないから、そのままでいいと思った。私と同じように、彼女の周りにも彼女のことを解ってくれている人が居るから、たぶん、それ以上を望んでいない気がする。
オンラインライブのチケットは配信直前まで購入可能だから急ぐ必要はない、と親切に教えてくれた彼女の前にスマホを出す。それは、二人の友人のように何かを検索するためじゃない。
「連絡先、交換しない?」
ずっと聞きたかったことは、聞けないけど……。
今はこれが私の精一杯。
友達からマイペースで我が強く、他人から誤解されやすいと言われる鯨井真白も、白石愛海の親友だと言われていた鯨井真白も、山本を避け続ける鯨井真白も、私の中ではきっちりと形にはまっていなくて、鯨井真白という人間が見えてこないままでいる。
だから、彼女を知ることから始めようと思う。
山本のように彼女のことも仲間に引き入れようとか、そんなことは考えてはいないし、利用しようとも思っていない。ただ話を聞くだけ、それだけ。
二度目ましての相手から連絡先の交換を求められて、彼女はどうしようか、と悩んでいるようだった。当たり前か、馴れ馴れしすぎだ。私だったら適当なこと言って、絶対に教えたりしないのに、反対の立場になって考えることを忘れていた。
どうするのか彼女の手の行先を追う。制服の胸ポケットに手を持っていき動きを止めたかと思えば、ゆっくりとシンプルな手帳型ケースに収められたスマホが顔を出す。これでスマホ持ってないとか言われたら、何て返そうか……と、一瞬ネガティブ思考に陥ってしまうのは、相手が掴みどころのない人間だから。
「いいよ、交換しよう」
そう言った彼女の顔は、やっぱり真顔。でも、もう戸惑いは、感じない。
久しぶりの連絡先交換をワクワクするこもなく、これからどうやって鯨井真白との距離を詰めていくべきか考えながら、ぎこちない別れの挨拶を交わして、私は自分のクラスに戻った。
新しく登録された名前を確認すれば、自然とあの曲を口遊む。
うん、やっぱりエモいーーそう思った。




