炎暑
今日一日はニイニイゼミの独唱から始まった。学校までの道のりで、ミンミンゼミが加わり重唱に、学校に着けば、さらにアブラゼミも加わって立派な合唱になった。
チーチー、ミーンミンミン、ジリジリ、エンドレス。ああ、うるさい。蒸し暑さを倍増させるセミの鳴き声で、本格的な夏が来たと実感する。もわりと肌にまとわりつく空気のせいか、体が重い。
風を求めて教室からベランダに出ると、大合唱が鼓膜どころか全身をめった刺しにしてきて、暑さにやられていた身体は簡単によろめいた。手すりを掴んでなんとか倒れずに済んだが、その手すりは肌が焼けるほど暑かった。
この暑さに耐えなければ、夏は越えられない。
あっついなぁ。太陽の位置が高い、ギラギラと獲物を狙っている。そろそろ本当に捕食されそうだ。
「うわー、あっつ。セミうるさっ」
いつも完璧なメイクをしている円の顔も、暑さのせいでファンデが少し浮いている。化粧直しする気も失せたのか鏡をスカートのポケットから一度取り出したのに、それを開くこともなく、しまった。
「文句言いながら出て来てんじゃん。教室にいなよ」
「いや〜、山本の勇姿を拝もうかと思ってさぁ。にしても本当にうるさいな、セミ」
言う割には、山本の姿を探す素振りも見せずに壁にもたれ掛かった。そこも暑いけど、手すりにもたれ掛かるよりはマシか。
「円、知ってる? セミの寿命って一週間じゃないらしいよ。数週間は生きるんだって」
「まじか! 一週間の短い人生だからこの騒音も仕方ないなって思ってたのに、ヤツらが憎たらしく思えてきた」
「ヤツらって、ウケる。しかも、この鳴き声でメスを呼んでるらしいよ」
「土から出て来て早々にナンパしてんの? セミやばくない?」
「セミやばい。大きい声で鳴くセミほどモテるってさ」
「だから朝から晩まで全力で鳴いてたんだ。人間だったら絶対モテない要素じゃん、それ。セミ界やばいな」
私たちの会話が聞こえたのかセミ界は大荒れ、一層鳴き声が大きくなった気がする。暑苦しさが増し、苛つきも増す。もういっそ溶けてしまった方が楽なのに、そんな簡単には楽になれない。楽にさせてくれない。
「あっ、山本居た。ほら、渡り廊下のとこ」
円の視線の先、ここからは渡り廊下がよく見える。
「山本って器用貧乏だよね。あの追いかけっこはいつになったら終わるんだろう」
「どうやって接したらいいか、分かんないんでしょ。白石とは正反対って言ってたし。山本にとって未知との遭遇、的な?」
正反対か……。
なんてことない顔で言うけど、その言葉はなんだか人格を否定しているみたいで、嫌いだ。嫌でも自分と他人とを比較してしまうから。自分の良いところを必死になって探して、他人にないものを絞り出してそうやって削って、削って、磨き上げて、気づかないうちに自分自身を傷つけてしまうことだってある。そういう可能性があるということを、みんなに知ってほしい。そうすれば、世界は少し変わるのかもしれない……。
「あの子も分かりやすく避けてるねぇ」
足早に進む鯨井真白の姿も、もう見慣れた。必死に山本から逃げている。山本のことが苦手なのか嫌いなのか知らないが、何が何でも距離を詰めさせない、という固い意思を感じる。ここまで来ると山本が不憫でならない。
「やっぱり私が話しかけた方がよかったのかな?」
「んー、どうだろう。ユイが話しかけても山本の二の舞踏みそうだよねぇ。ユイの方から絡みに行くってそもそもキャラじゃないし」
はぁ、と重いため息が二つ重なる。山本たちの追いかけっこは見えなくなった。終着点も見えない。ただ待つことしか出来ないことが、はがゆい。
「ユイは変わったねぇ」
手で顔をあおぎながら、空を見る。縦方向に伸びた雲の大きさは中途半端で、まだ入道雲にはなりきれていなかった。このまま成長して入道雲になるのか、成長せずに消滅してしまうのか、その過程を見ていたかった。雲の形は目を離したちょっとの隙に変わる。別物へと変貌する。それが今は怖かった。でも、見ていたかった。
「変わってなんかないよ。具体的に何処がどう変わったっていうの?」
「んー、変わったっていうか、変わろうとしてるんだろうなって感じかな? 変わりきれないことに苛ついてるでしょ?」
またあの眼で私をとらえる。
「ははっ、意味分かんない。別に変わろうとなんてしてないし。面倒くさい。それこそキャラじゃない」
「……今はいいや、今は聞かないから全部終わったら教えて」
「教えるって何を?」
「一体何がそこまでユイを突き動かしているのか」
答えられない私をよそに、雲が少し形を変えた。




