陽炎
小さい頃から体を動かすことは嫌いじゃなかった。縄跳びも鬼ごっこもドッチボールも全部時間を忘れてしまうほど没頭した。
雪が降っても寒空の下を友達と駆け回り、子供は風の子という言葉を見事に証明するような、そんな子供だった。夏が来れば毎日のようにプールに入ったり、日の入りが遅くなることに比例して帰宅時間も遅くなった。Tシャツと肌の境目がはっきり分かる日焼けを毎年のように作ったものだ。
今だって体を動かすことは好きだ。でも、学校のようにそれを授業の一環として取り入れられるのは、あまり好きじゃない。タイムとか回数とか、そんなもの測ってどうする?
この質問に納得の出来る模範回答を提示してくれる先生は、うちの学校に居ない。
そんな教師たちに「授業だから」、「みんな嫌でもやっているから」と言われれば言われるほど私のやる気は失せた。やる気スイッチは自分でも見えないところに隠れてしまったようで、体育の授業はずっと無気力だった。単位さえ貰えれば、それでいい。
これを反抗期と大人は言うけれど、そんなんじゃない。そんなんじゃないのに……。『反抗期』という言葉でまとめることで、きっと大人は " 安心 " するんだ。思春期の理解できない言動、行動は全て『反抗期』の一言で片付けたがる。それが大人の頭の中の辞書に一番最初に書かれている模範解答なのだろう。きっと。
そんな言葉で一括りにされたくはない。冗談じゃない。
「ユイー、円ぁー、二人ともまたサボり?」
水着の入った鞄を持たずに手ぶらで移動する私たちに、梓は不満そうだった。梓の手には鞄が握られていて、今日もしっかりと体育の授業を受けることが窺える。
「プールは入んないよ。一度も入る気ないから」
「私もパス。プールとかマジ面倒い。ユイと二人で大人しく見学しとくねぇ」
円のサボりの理由は単純だ。単純に面倒くさい。ただそれだけ。でも、それが理由でサボる人が大半だ。今日もうちのクラスの女子生徒の授業見学率は高いだろう。だが、学校側はこの現状を見ても、何も言わない。
そう言うことを言うことが " タブー " な時代だからだ。
今度は『思春期だから』、の一言で片付ける。
思春期だから仕方ない、と。生徒の気持ちに寄り添ってあげないと、とか。如何にも自分たちは生徒のことを考えてます風に綺麗な言葉を並べるけど、本音は違うのがバレバレだから。
面倒くさいだけでしょ?ほら、モンスターペアレントとか、パワハラとか、新しい言葉がどんどん生まれてくる現代で声を上げるのは。
そこには同情するよ。ちゃんと信念持って教育者の道を選んだ人も中には居るだろうから。そういう人は、見ればわかる。思春期の高校生はそういうことに敏感だから。その敏感さがアダとなって、教師に高い理想を抱いてしまっているところもあるのだけど……。
「今日の見学の理由は何なのー?」
そんなこと訊かなくても分かっているくせに、一応訊くのは挨拶みたいなものなのか、私たちも挨拶を返すように二人同時に「生理」と答える。
あんたら月に何度生理来てんだよって目で見られても、気にしない。毎回それを理由に見学しているから、その意味の籠もった眼差しで見られることにも、もう慣れてしまっていた。
体育の先生は男性なのに、少しの恥じらいもなく「生理です」と、告げられる私たちのハートはある意味強い。先生も生理というワードが出て来れば、深入り出来ないという所に女子生徒たちが付け込んでいることを分かっていて、何も言えないのだから、物悲しくなってくる。
哀れに思うくせにサボり続ける私は 、"嫌な生徒"なのだろう。教師から見て "良い生徒" になりたいと思ったことは一度もないので、それでいいが。
五限目ということもあって、いくら水はけのいいプールサイドでも水が所々残っているのが目に付いた。見学者は体操服を着て見学するのだが、それでも身に付けている物が濡れてしまうことには抵抗があった。一番水が飛んで来なそうな所を探して、そこに腰を下ろす。
私くらいサボりの上級者になってくると、授業に必要なくても自分のために必要な物を持ってくるようになる。プールの場合はタオルを二枚ほど。一枚はお尻の下に敷く用で、もう一枚は肌を刺すような強い日差しを避けるために頭に被る用だ。どちらも円と半分こして使っている。円は私のタオルを当てにしているので、忘れられない。
「元気だねえ、みんな」
十代とは思えない円の言い方に、苦笑いしながら「おばあさん」みたいと言えば、円は「せめておばさんって言って」と、そこかよ!と、ツッコみたくなる返をして来た。
「そこかよ!」と我慢出来ずに口に出した私を見て、楽しそうに円は笑い、プールで泳いでいるクラスメイトたちに視線を戻す。その横顔は少し、憂いを含んでいた。
クラスメイトの楽しそうな声が、遠く感じる。
此処に居ない彼女の姿が勝手に出てくる。あの笑い声の中心に彼女が居て、みんな笑顔で、そんな妄想か現実か区別つかない彼女の姿が私の目の前にあった。キラキラと眩しくて、でも目を逸らすのはもったいなくて……。
一年時はクラスが違ったから知らないけれど、きっとプールの授業は毎回受けていたのだろう。私たちのようにサボるなんてことは、彼女は絶対にしなかったはずだ。本当に体育の授業を楽しんでいたんじゃないかと思う。その代わり、時間にはかなりルーズで学校に遅刻してくることはあったけれど。
「ねぇ! 夏休みのお泊まり会、山本っちゃんも呼ばない?」
私の思考を遮るように、顔に少しの水と耳に理解に戸惑う発言が飛びかかって来た。犯人は梓だ。
自由時間になり私たちの前までやって来て放った一言は、随分とパンチの効いた言葉だった。山本もお泊まり会に参加するだと? 愉快そうに目を細める表情から、冗談ではないことが分かったが、流石にそれにはちょっと同意出来ない。
「アホ。流石に山本とお泊まりは無理だよ」
頭に被っていたタオルを取り、高い位置に昇った太陽を鬱陶しそうにひと睨みして、これまた鬱陶しそうに梓に無理だと円は言った。
「えー、何でよー。いいじゃん、ほら、もう仲間なわけだし!」
「なーにが、仲間だよこのバカ。俺だってそれ誘われても困るわ」
流れるようにやって来た山本は、呆れ顔で梓の頭にチョップをする。痛くないやつ。ソフトチョップだ。
「ないわー、お泊まりに山本が来るとか。梓のおばあちゃん驚くよ。孫が男連れて来たって」
円がタオルを取ったので、道連れで私にも容赦なく太陽が照りつけて来る。じとり、と汗が滲んで気持ち悪い。
「おばあちゃん腰抜かすかもねぇ」
「そこは大丈夫だよ円! うちのおばあちゃん超元気だから!」
「だから、そういう問題じゃないんだって。どーしたら伝わるかなぁ、この娘に」
円の額にも汗が浮かんでいた。どう言えば伝わるか上を向いて考えたいようだが、日差しがそれを邪魔して円は顔を下げたままだった。
「山本本人も困ってるじゃん。今回は山本抜きでお泊まり会しようよ」
「えー……、わかったぁ。また今度ね」
今回はなし、という私の提案に梓は渋々と言った感じで諦めてくれた。もちろん、また今度なんてない。次にお泊まり会をしようと言われた時に、何と言って梓を諦めさせようか今の内に考えておく必要があるかもしれない。面倒いな。
今はそんなことよりも先に考えなきゃならないことがあって、どうしようかと悩む。到頭首筋から汗が流れた。それは床に落ちてすぐに乾いて、消えた。
夏休みまでもう時間がないのに動けないでいる私は、全てを溶かしてしまいそうな太陽に捕食されるのを待っているようだった。
せめてもの抵抗で円のように太陽を睨むが、そんなことをしても、何の意味もなかった。
私たちの前を離れ、泳ぎに戻った梓と山本の姿が揺れる。そんな二人にクラスメイトが近づき、今プールに入っている全員で鬼ごっこをしようと話を持ちかけ、盛り上がっていた。
彼女の姿がそこにはあった。
こっちを見て、手を振る。彼女はやっぱり笑顔だった。
大きな口を動かし何かを言っているようだが、何も聞こえない。
彼女の姿も揺れて、消えた。
ーー晴れは、味方にはなってくれないらしい。
私はただただ、授業が早く終わればいいと思った。




