衝突
本来、教室という場所は教育・授業を行う場所である。
私たち生徒にとっては、その空間が今の生活の一部……いや、主軸となっていると言っても過言ではない。
たかが八時間程度の拘束時間だが、この小さな箱の中で起こること全てが、私たちにとってとても大切なことになるのだ。
これを大袈裟だと言う大人たちに一言言いたい。本当にそう思うのかーーと。
例えば、仲のいい友達と喧嘩をしてしまい、仲直り出来ずに独りぼっちの学校生活を送る、とか。何かしらの天賦の才を持った人と出会い、挫折を味わう、とか。恋愛で深く傷付くことだってあるかもしれない。
それらを人生のほんの一部と言ってしまえばそれまでだが、この、子供から大人になる過程で体験・体感・経験したことは、その人間の人生に大きく影響するのだ。
嫌な出来事を一生払拭することが出来ずに、過去に囚われながら生きていくことになるかもしれない。
その期間だけではなく、一生だ。
ここまで言ってもまだ、大袈裟だと言えるのか?
世界の中心はウルルではなく、学校なのだ。
だから、ここでは出来るだけ綺麗な思い出を残したいと、誰もが思っている。
もちろん、趣味嗜好、性格がバラバラの自分とは違う個人と共に学校生活を送るわけだから、時には衝突することもある。
今のところ派手な口論や、取っ組み合いの喧嘩を目の当たりにしたことはないが、それは私の知らないところで日常的に起きていたのかもしれない。
知らないところで起きていた、と、今まで第三者という立場にいた自分がまさか、こんな物騒な雰囲気を作り出した張本人になるとは、誰が予想出来ただろうか?
放課後の教室。そこに居るのは私を含めた五名の女子生徒。私、円、そして、あのグループだ。
あのグループーー白石愛海と仲のよかった子たち。
私たちは今、昨日決定したドストレートに聞く、ということを早速、実行に移していた。
見た目の派手な人が睨むと迫力があるな、と今にも噛み付かれそうな空気の中、まだ自分が第三者目線で見ているような感覚の感想が出てきたのは、不思議と三人に睨まれても怖いと思う自分がいなかったからだ。
五人以外に誰も居ない教室は、冷たく暗い、何処か知らない場所のようだった。時折聞こえる生徒たちの声のお陰で、ここが教室だということを忘れずに済んでいる。
「私たちが愛海に何かしたって言いたいわけ?」
「話が飛躍し過ぎ。何かした? じゃなくて、何か知ってることある? って聞いてるの」
お互いに一歩も譲るつもりはない、と強気な姿勢を崩さない。幸い睨むと迫力があるという点で、私は彼女たちに引けを取っていない。寧ろ目つきの悪さは、勝っているかもしれない。
「は? 思いきり私たちが何かした、みたいな空気出してたじゃない! 私たちは愛海が死んだことに関して何も知らないし、知っててもユイたちに話すことは何もないから!」
いの一番に噛み付いてきたのは、三人の中で一番気の強い千佳だ。私とは明らかに相性が悪い。このまま感情に任せて話し続ければ聞きたいことは聞けずに、ただの口論で終わってしまう。
「第一、何でユイたちが愛海のこと調べてんのよ! あんたと愛海が話してるとこ一度も見たことないし、なのに、何で? 面白半分で調べてるの? だとしたら、あんたたちマジで最低だわ!」
彼女の怒りは頂点に達している。顔を真っ赤にして、全身に怒りを纏っている。今すぐ手が出てもおかしくない状況だ。
そんな彼女を前にしても、私は努めて冷静だった。
「千佳たちからしたら、そう見えるよね。でも、面白半分とか冷やかしで調べてるわけじゃない。本気なの。黒板にあの文字を書いた奴を許せないし、もし……もしも、そいつが白石の死に何か関係してるのかもしれないならーー」
「いい加減にしてよっ!!」
私の言葉を遮り、ピシャリと言い放ったのは千佳の背後からずっとこちらを睨んでいた奈津希だった。
「私たちだって……まだ……まだ気持ちの整理出来てないのに! 愛海が死んだなんて……信じられないのに! 無神経過ぎるよ!」
奈津希は私と円を押しのけ、教室を出て行ってしまった。千佳だけが奈津希の後を追い、教室には三人だけが取り残される。あんな顔を見たら、罪悪感で後を追うなんてことは出来ない。そこまで神経図太くはない。
ドストレートに聞くには、まだ少し早かったかようだ……。
「……愛海のこと知りたいと思ってるのは、こっちの方だよ」
今日初めて口を開いた愛海のグループの最後のひとり、萌香。彼女も怒りを纏っているようだったが、あの二人と比べると感情のコントロールが、しっかり出来ているように見えた。ずっと睨みを利かせているが。
「先生に聞いても、事故に遭ったのか、何かの事件に巻き込まれたのか……自殺……だったのか、何も教えてもらえなかったんだから……本当に、私たちは何も知らない」
「本当は何か知ってるんでしょ?」
今まで黙っていた円が、無遠慮な台詞で萌香を挑発する。
冷たい声と、冷ややかな視線。私はこの眼を知っている。これはあの時の、全てを見透かしたような眼だ。
私、噂で聞いたんだけどーーと、萌香をとことん追い詰める言葉に、萌香の眉がピクリと反応する。
「噂? 噂って何?」
「ーー萌香たちが白石をいじめてたって噂」
途端に萌香の目がカッと見開かれ、焦ったように「そんなのただの噂よ!」と、耳に残る高い声を私たちにぶつけて、教室を走って出て行ってしまった。
驚き過ぎて言葉が出てこない。萌香の威勢に驚いたわけではなく、円の発言に驚いた。
「……噂になってたの? 白石たちのグループでいじめがあったって」
「いや、聞いたことないよ? 鎌を掛けてみただけ」
ドン引きである。
「え、怖っ……」
ケロッとした顔で恐ろしい女だな、円。
「このくらいしないと、いつまで経っても進展しないよ」
「ごもっともだけど、いや……何でもないや。それより今の萌香の反応って……」
「判断難しいね、あの反応は。もうちょっと押してみないと駄目だねぇ」
「円って、かなり神経図太いよね……敵に回したくないタイプ」
きょとん顔を見せた後、円はニコリと微笑む。
「褒め言葉として受け取っとくよ。次は、ひとりずつ話してみよう。その方が、ボロを出す可能性が高くなるから」
触らぬ神に祟りなし。もう、ははっ、という空笑いしか出て来なかった。
それを誤魔化すわけじゃないけど、梓から連絡が来ていないか制服のポケットからスマホを取り出し確認をする。
二件の新着メッセージ。二件とも梓からだ。
『ごめん! 山本っちゃん、今日はバイトあるみたいで捕まえらんなかった!』
『でも、明日の放課後は大丈夫って言ってたから! 空けといてもらった! そっちはどう?』
「梓から連絡来た?」とスマホを覗き込もうとする円に、メッセージを見せながら、あっちも駄目だったみたい、と返す。
「まあ、そんな簡単に話が進むとは初めから思ってないし、また明日聞き回ろうよ」
ぽんぽん、と小さい子をあやすように円が私の背中を優しく叩くのは、私が落ち込んでいるように見えたからなのだろう。
「案外、山本の方が色々話してくれるかもしれないし、ね?」
「そうだね。山本の方が何かしらの情報持ってそうだしね……っさ、梓と合流して帰ろうか」
笑みを貼り付け、誰もいない教室のドアを、静かに閉めた。
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