困惑
「私、愛海が死んだって黒板に書かれた日、朝練で早くに学校来てたんだけど、山本のこと見たよ」
「まじ? それって、めっちゃ早い時間だったんじゃない?」
「朝練七時からだったから、七時前。やっぱ、あれ山本の仕業かな?」
グレーが濃くなった瞬間だった。
先日のお昼休みの会議で、山本は朝一番に登校してきていないと聞いたばかりだったから、その言葉を聞いた時は心底驚いた。
そのことに誰よりも梓が驚いていて、戸惑っていた。両手で頭を抱えて、ヒステリーを起こしたように声を荒げる。
「どーゆうこと!? 槙子は七時に学校で山本っちゃんに会ったってこと!?」
いきなり現れ騒ぎ立てる梓の姿に、若干引きながらも槙子は「うん」と答える。槙子に申し訳ないなと思うが、私も円も止めに入ることはない。
周りに人がいれば、奇異な目で見られること間違いないこの状況。何故こんな状況になってしまったかというとーー、
事の発端は放課後の女子トイレで起きた。
ホームルームが終わり、トイレを済ましてから帰ろうと円と梓と女子トイレに入ろうとした時、中から実に興味深い会話が聞こえてきた。知った声がふたつ。それは同じクラスの槙子と恵梨香のものだった。
槙子の話によればーーあの日、女子バスケ部の朝練の為、槙子は朝七時前に登校して来ていて靴箱で山本が室内シューズに履き替えている姿を見た、とのことらしい。
「山本は私に気が付いてなかったみたいだし、距離があったからわざわざ話しかけなかったけど」
「じゃあ、山本が一番に教室に行ったってことだよね?」
円が一歩前に出て訊く。
「私はそのまま体育館直行だったから、山本が一番に教室に行ったかどうかは知らないけど……見間違えてはないよ。あれは山本だった」
槙子の話を聞いた梓の表情は暗く、それに気付いた円は心配そうに梓を見ていた。それでも、私はまだこの話を終わらせる気はない。
今度は私が一歩前に出て、訊く。
「槙子と恵梨香は、どうして白石が亡くなった日の話をしてたの?」
ドストレートにぶつける。私らしくない。
だけど、遠回しな発言は自分自身を苛つかせるだけだと、最近の精神状態を考慮して、直球勝負を選んだ。
自分でも「もっと変化球使えよ!」と、脳内でツッコミをして反省もしているから、「あんたがドストレートでどうする!? 梓かっ!」と、言いたそうな円の顔は見たくなかった。普通に傷つく。
槙子と恵梨香、二人も私からのストレートな質問に困惑しているようだった。何と言って答えるべきか、正解を探しているようにも見える。
「……いや、どうしてって聞かれても……クラスメイトが亡くなったわけだし、結局どうして亡くなったのかも知らないままだし……あのイタズラをした人が何か関係してるのかもしれないなって、誰が書いたのかな? って、話してただけで……」
それ以上の理由はない、と言わんばかりの言い草だった。この二人を突き動かすのは、単純に興味本位ってやつなんだろうな。
ああ、苛つく。
「でも! 私たち、あのイタズラをした人=愛海を殺した犯人とか思ってないよ!」
私の苛つきが伝わったのか、恵梨香が焦ったように言葉を紡ぐが、そのせいで自分が失言してしまったことに彼女は全く気付いていない。
「……つまり、二人は白石が誰かに殺された、って思ってるってことか」
私以外の4人の目が見開かれる。
「どうして、殺されたと思ったの?」
逃がしてなるものか、と間隔を空けない攻撃は私が思っていた以上に重かったようで、槙子と恵梨香だけじゃなく円と梓も一緒になって驚かせてしまったようだ。
いつもならこういう空気になった時、すかさず円が仲裁役を買って出てくれるのだけれど、今回は円自身もそれはしたくないと思っているようで、じっと槙子と恵梨香の様子を窺うことに徹している。
しばらく沈黙が続いたが、梓が優しい声で「どうして誰かに殺されたと思ったの?」と聞けば、やっと一文字に固く結んでいた口元を緩め、話し始めた。私の時は黙ったくせに、この差は何だ。
「……だって、愛海は自殺するような子じゃないじゃん。事故だったらニュースになるし、先生だって事故だったって説明するでしょ……でも、それがないから……他殺、だったのかなって思って」
他殺だって思ったことに特に深い意味はないの、と最後の方は消えてしまいそうな、か細い声で槙子が言う。
小さくなった二人の姿を見ると、これ以上の追求は意味がないと思えた。本当に深い意味はない、ということが今までの雰囲気で分かったからだ。
一度深呼吸をして、自分の感情をリセットさせる。ほら、二人が話しやすいようにしなくちゃ、まだ聴いておきたいことがあるんだから。
「イタズラの犯人=白石を殺した犯人じゃないって言ってたけど、二人ともイタズラの犯人は山本だと思ってるの?」
さっきよりも大分柔らかい声で問いかけたが、二人は一度目を合わせると、また黙り込んでしまった。この沈黙は、肯定と受け取っていいだろう。
「待った待った! 槙子たちの言う通り、=殺人犯じゃないからね? 百歩譲って、山本っちゃんがイタズラの犯人だったとしよう。でも、山本っちゃんは愛海を殺してない! オーケー?」
オーケーではない。何がオーケー? だ。
梓はどうしても山本のことを信じたいらしい。梓みたいなタイプはこういう時、情をはさんでくるから厄介だ。山本が白だという根拠がなくても、これからも白だと言い続けるだろう。
梓をどうにかしなきゃいけない。でも、できれば、梓とこの前のような言い合いはもうしたくない。
「梓が言うみたいに、イタズラの犯人は山本だと私たちは思ってる。流石に殺したり……はしてないと思うけど。ただ、何も知らない人間があんなこと書けるはずもないから、山本は何かしら知ってるんだと思う」
槙子は足元に視線を落としたまま、口を動かす。
最後に、「でも、私たちは別に犯人を知らなくてもいいから」そう言い捨てて、二人は逃げるようにトイレを出て行ってしまった。
実際、逃げたのだろう。興味本位で危ない橋を渡ることはしないタイプの人間だ。なんなら、もう私たちに関わりたくないとも思っていると思う。
この判断が正解か不正解だったかは、彼女たちにしか決められない。