焦燥
私の目の前には、ふたつの分かれ道がある。
一方は家まで最短距離で帰れるルート。いつも使う通学路。もうひとつは家まで少し遠回りなってしまうが、途中にお気に入りの駄菓子屋の前を通るルート。
基本的に駄菓子屋ルートを使うことはない。遠回りしてまでひとりで駄菓子屋に寄りたいと思う子供心は、もうとっくに卒業しているからだ。
だから、今日もいつも通りの道を何の迷いもなく進むはずだった。それなのに、私はふたつの別れ道を前に立ち止まってしまった。それは、決して駄菓子を食べたいという欲求があったからじゃない。
導かれる、とかそんなファンタジー小説で使われるような大袈裟なものじゃないけれど、今、この道を選ばなければいけない、そんな気がしていた。
今日は少し、遠回りして帰ろうかーー。
何もない。ただの住宅街。見知った景色に胸弾むわけもなく、ただ無心で自転車のペダルを漕ぐだけ。
流れ行く景色に特別な感情も抱かないのは、久しぶりと言えるほどこの道を何年も通っていないわけではないから、なのかもしれない。
最後にこの道を通ったのは二ヶ月前だったか、暖かくて過ごしやすい季節だった。雨が降ることも滅多になく、ほとんど毎日自転車通学出来ていた。私が一番好きな季節だったりする。
残念ながら、この住宅街には四季を感じられるような物は一切ないから、一番好きな季節にここを通っても心躍ることはない。その代わり、この道には駄菓子屋がある。
夕方になれば、近所に住む子供達が大勢訪れる人気駄菓子屋。遠足前の混み具合といったら、朝の満員電車に引けを取らないんじゃないだろうか? それぐらい地域の人に愛されている店だ。
随分と年季の入った建物で、昔ながらのという言葉がピッタリの見た目をしていて、それがまたいい味を出していると私は勝手に評価している。
そうそう、忘れちゃいけないのが店の前にあるこれまた年季の入った、ボロボロの青いベンチ。ペンキが剥がれかけているところに愛着があって、私のお気に入り。
あのベンチに座って食べる駄菓子やアイスは、たった何十円の物でも最高に美味しくて、テスト終わりなんかはまた格別に感じる。
でも、ひとりでそこに行くことはほとんどなかった。アミと一緒、が当たり前だった。今日はアミが一緒じゃない。自慢してやろう、ひとりであの味を堪能したことを。きっとアミは羨ましがるから。
駄菓子屋まで十数メートル、自転車のスピードを落とす。最後にブレーキをぐっと引き、自転車を停めて店の前に立った時、なんとなく今日はいつもの味に満足出来ない気がした。
ううん、気がするんじゃなくて、そうなんだと思う。でも、いいや、美味しかったと、最高だったと嘘ついてやろう。そうしたら、きっと私は満足出来る。
一歩店の中に入れば、さっきまでの気持ちを覆すような久しぶりという感覚が、湧き上がってきた。なんて言ったらいいのか、子供の頃にお母さんに抱きしめてもらってほっとした、あの安心感を思い出したような、そんな久しぶりという感覚だった。
「あら、いらっしゃい。今日はひとりなの?」
「こんにちは。今日はひとりなんですよ」
レジカウンターから声を掛けてきたこの駄菓子屋の店主、清美おばあさんの声は、いつも通り気持ちを穏やかにしてくれる優しい音を含んでいた。
今日はひとりなのかと聞いてきたあたり、清美おばあさんの中では私とアミはセットになっているみたいだ。
「今日は何を食べる? 夏になったから、アイスとラムネも入荷したのよ」
にこにこ、と効果音が聞こえてきそう笑顔で話し掛けてくるその姿は福の神みたいで、ついこちらも笑顔になってしまう。
「今日はそうですね……駄菓子にします。アイスとラムネはまた今度」
「あらそう? それじゃあ、また今度あの可愛らしいお嬢さんと来た時にどうぞ」
「……はい。そうします」
会話もそこそこに、私は何個か駄菓子を手に取り会計を済ませた。清美おばあさんに挨拶をすると滞在時間五分程度で店を出る。これは最速記録かもしれない。
一度ベンチに座って駄菓子を食べて帰ろうかと思ったが、やめた。家に帰ってから食べようと珍しくそう思った。
先を急ぐように自転車に跨り、ペダルを漕ぐ。一気にスピードを上げて駆け抜ける。
途中、墓地へと続く長い階段から降りてくる親子の姿を見た。すっきりとした親子のその表情に苛ついて、またスピードを上げる。
私はまだ、鈍色の中で彷徨っている。