はじまりの雨
世界がほんの少し、変わる気がするーー。
夜明けの気配も感じないまま、寝ぼけ眼でそんなメッセージを見た。
一瞬光を灯したスマホの画面に現れただけの新着メッセージを知らせる通知は、パッと現れて、スッと消えた。時刻は定かではないが、オレンジ色のカーテンも、部屋の中も、私を包み込む空間全てが真っ黒だったから、夜中だと思った。
真夜中に届いた意味不明のメッセージを見たのは、一瞬。だから、これは寝ぼけている自分が見た「夢」なんだと思った。
夢だったら、よかったのに……。
その日の朝は、いつもと違った。
六時少し前に起床して顔を洗い、歯を磨き、朝ごはんを食べてまた歯磨きをする。部屋着から制服に着替え、全身鏡でチェックしながら髪を整えたら仕上げに色付きリップを唇に引く。学校に行く準備が出来れば、リビングで朝の情報番組を見ながらスマホをいじる。
これが、私のいつもの一日の始まりだ。
決まった毎日を何度も繰り返すことに、憂鬱に思うこともあるけれど、波風立たない穏やかな日常は悪くないもので、この生活にこの身体はすっかり馴染んでしまっていた。これから先もきっと、私の生活は変わらないだろう。
「ねえ、雨が降ってるから今日はバスで行くんでしょう? 時間は大丈夫なの?」
ソファーに腰掛ける私に、母が時間の確認をする。
「うん、大丈夫。もう少ししたら出るよ」
テレビ画面に表示された時刻を見て、まだ余裕があることを母に伝えると、母は安心してコーヒーを啜った。
朝の情報番組は天気予報のコーナーに変わる。全国的に傘マークが目立つ地図が出ると「こんなに雨が続いたら洗濯物が乾かないじゃない」と言って、母はため息を吐いた。予報では二、三日雨が続くとのことだった。それはつまり、私のバス通学も続くということになる。
「傘、持って行くの忘れないでよ?」
「いやいや、雨降ってるのに傘忘れるバカがどこに居る
の?」
「あらっ、それもそうね!」
自分の言ったことに可笑しそうに笑う母に呆れながら、トークアプリを開いた。何通か未読のメッセージが来ていたので、一番下から順に一つずつ確認する。大半は返信しなくてもいいような友達とのどうでもいい内容の話ばかりだったが、私は律儀に返信をする。と言っても、スタンプを送るだけで文字を打つことはしない。そのくらいが丁度いいと思っている。
昨夜は寝落ちしてしまったから、通知がいつもより多いかと思っていたが、普段とそう変わりはなかった。そのことに喜ぶべきか悲しむべきか……そんなことを考えながら軽快にタップし続け、最後のメッセージまでたどり着いた。
最後はアミからのメッセージだった。
『世界がほんの少し、変わる気がする』
" 世界が変わる " なんて、そんな言葉が出てくるような深い話をしたっけ? と前の会話文を読み返してみたが、他の友達と大差ない、薄っぺらい会話しかしていなかった。
よく分からない文章だったが、アミはたまにポエミーなことを言ってくるからと、いつものことだとあまり深く考えずにこれにもスタンプだけで答えた。
ネコが首を傾げているスタンプ。アミがエモいと言って気に入っていたネコのキャラクターのスタンプ。私にはその良さが理解出来ないままだが、彼女が喜んでくれるからと使用頻度はかなりのものだった。
全員に返信し終えた頃には家を出る時間になっていたことに気付き、「行ってきます」と母に一言告げて家を出た。
外に出ると辺り一面、水浸しになっていた。昨日の夕方から降り始めた雨のせいだろう。バケツをひっくり返したように降り、今朝まで止むことなく降り続けていた。普段は自転車通学だか、雨が降る今日はいつもより三十分も早く家を出て、バス通学した。
雨が降っていること以外を除けば、今日もいつも通りの朝だった。
後に思うことになる。止むことのないこの雨は、行き場を失った彼女の涙だったのかもしれないーーと。